【短編版】悪役令嬢は悪役ではないし、令嬢でもない
悪役でも令嬢でもない悪役令嬢は、幸せになれるのか?
一生に一度しかない王立学園の卒業パーティーで、事件は起こった。うすうす嫌な予感はしていたのだ。
約一年前に転入してきた令嬢に熱を上げ、私を全く顧みなくなった、婚約者である王太子殿下。彼女が現れるまでは、最低限の婚約者の義務を果たしていたが、それも全くなくなった。特殊な政略結婚な私と殿下の間に、愛は一切なかったのだ。いやあっても本気で困るのだけれど。
パーティーでエスコートする気はないという事前の殿下の宣言、殿下を思わせる色のドレスを着た彼女の存在、わざわざ目立つ小高い場所に陣取る殿下、まだ会場に現れていない陛下と私の父と、最悪の布陣が現在揃っていた。
「オリビア・ディアレイン公爵令嬢、この場を持って、私とお前との婚約を破棄させてもらう!」
オリビア・ディアレイン公爵令嬢としてなのは、殿下からの慈悲か、何も考えていないのか。まあ何にも考えていないだろう。考えていたら、こんなことになっていない。
傍らに庇護欲をさそう可愛らしい少女を侍らせて、殿下は悦に浸っていた。ピンクゴールドのふわふわとした髪、潤みがちな大きな琥珀色の瞳、ほっそりとした腰に反して大きな胸、私も可愛らしいと思ってしまうような小柄な容姿。遠国からの留学生であり、殿下や私と同じ卒業生である、シェリー・グローリアス男爵令嬢だ。
私と彼女の間には、越えられない壁がある。冷たい印象を与えるまっすぐな銀色の髪、切れ長のきつい目をしていて、胸は詰め物をして誤魔化しているが絶壁で、可愛げのかけらも無く背が高い私。当たり前のことなのだが、私と彼女は正反対なのだ。
私もずっと見ていたくなる程に、大変愛らしいシェリーであるが、現在のシェリーの表情は、可愛らしさとはかけ離れた状態になっていた。不機嫌丸出しだ。
出席者たちは皆見ていないふりをしているが、シェリーの目が怖い。大きな目は細められ、完全に殿下を睨みつけている。殿下が婚約破棄を言い出した時点で、おかしい事態なのだが、それに輪をかけておかしい状況だ。何もかもがおかしいと、会場のほとんどが思っている。悦に浸った殿下だけが、何も気づいていない。
「なぜですか、殿下。理由をお聞かせくださいませ」
社交辞令的に理由を尋ねた。
「そんなの決まっている。お前が王妃に相応しくないからだ」
不機嫌なシェリーはずっと、せわしなく動いている。肩を抱かれた状態から抜け出したいようだが、殿下はびくともしない。無駄に馬鹿力だからなあ、殿下。
「今からお前の罪を白昼にさらしてやろう。怖気づいて声も出ないか」
話す必要がないから、話していないだけだ。加えて殿下が言う罪というやつに、私は心当たりがまるでない。何を言われるか分からない以上、余計なことは言わないに限る。
「お前の罪、それは」
「それは?」
「私が愛するシェリーを苛めた事だ」
「私がシェリーを苛めたことなどありません」
馬鹿め。お前馬鹿じゃねえの、という表情にならないように必死で堪えた。不機嫌を一切隠そうとしないシェリーの表情は、ますますひどいことになっている。
「ちょっ」
「ふ、しらばくれるつもりか。いいだろう。この私自ら、お前の罪を一つ一つあげてやる。お前はシェリーにひどい罵声を浴びせ、何度も泣かせた」
なんてひどい奴なのかしらと、涙ぐむシェリーのことを慰めていたことに思い至る。主語を明らかにすると不敬まっしぐらなので、はっきり言うわけにはいかなかった。
シェリーが泣いていたのは、殿下のせいだ。好意を抱いていない野郎が、しつこく付きまとい、べたべたと身体を触ってきたら、普通の女性にとっては恐怖以外の何物でもない。
「あのっ」
「何度もシェリーは水をかけられ、制服を濡らしていた。ああシェリー、なんて可哀想に」
シェリーが水を被ったのは自分からだ。あんな奴にべたべた触られた制服など着ていられないと、止める間もなく自分から水を被った。その後の事までは考えていなかったようで、『あ、乾かせないんでした』と困っていたところを私が助けた。
シェリーが転入してきてから数か月の間は、何度もあった出来事だ。思い出すと懐かしい。
「まっ」
「他にもまだあるぞ。シェリーは――」
私がシェリーを苛めていたと、殿下の主張は終わらない。続く。まだ続く。早く終わってくれ。
殿下の一方的な主張に、卒業生たちは大いに首を傾げていた。私はシェリーを苛めたりはしておらず、むしろシェリーが私に懐いていたというのが、周知の事実だ。卒業生からその親族に、ひそひそと真実が伝えられ、時間が経てば経つほど私の味方が増えていく。
「だからっ」
「この一年お前とシェリーは共に昼食を食べ、お前はシェリーのことを独り占めしていた。これは許されざる行いだ」
これに関してはどう考えても罪でも何でもないので、会場が少しざわついた。いじめの話は一体どこにいったのか、もはやただの『殿下プレゼンツ俺の嫉妬した話』だ。パーティーの出席者達から見れば、女生徒同士の楽しいランチタイムに、嫉妬する束縛男。要するにただのやばい奴。
ちなみに私と一緒に食べたいというのは、シェリーの希望だったので、私は完全に無実だ。それとも、殿下のために断われとでも言いたいのだろうか。私が思うに殿下の根底には、シェリーが私に奪われるのではという不安がある。私と殿下の事情を知っている人ならば、同じ考えになっても不思議ではないが、ここにそんな人はいない。
先程から途中でシェリーが口を挟もうとしているが、殿下の独り舞台には立ちうちできずにいる。シェリーだって言いたいことがあるだろうに。
「シェリーと出会って、私は真実の愛を見つけ生まれ変わったのだ!! そんなシェリーに嫉妬しお前が行った行為には、目に余るものがある」
「っち」
……今絶対シェリーが舌打ちした。気付けよ殿下、お前の耳は飾りか。
殿下の独り舞台はまだ続く。ここまで側近候補たちがその姿を見せていないことから、今回の件には心底関わりたくないのだと容易に推測できた。
「これまでの罪状を踏まえて、オリビア・ディアレインを国外追放に処する!」
「その処罰は、陛下や我が父も了承しているのでしょうか」
「そんなもの必要ない! 王太子である私が決めたのだぞ」
女性が関わると無能になるという駄目なところは、陛下からばっちり引き継がれているようだ。陛下の心配は杞憂ではなく、現実のものとなった。どちらにしろ結果として、こうしてやらかすことになるのなら、私を巻き込まないで欲しかった。王家の中で勝手にやっていて欲しかった。
駄目押しとして、殿下は一層声を張り上げた。
「そしてこの場で、私とシェリーの婚」
それ以上は言わせてもらえず、殿下の独り舞台、完。
傍らにいたシェリーの頭突きが、殿下の顎にきれいに決まったからだ。ゆっくりと後ろに倒れていく殿下。後頭部も強打し、殿下は大丈夫だろうか。無駄に丈夫な殿下だから、まあ大丈夫だろう。
確実に王国史上初の出来事に、出席者たちは言葉を失っていた。王太子が婚約を宣言しようとした瞬間、相手に頭突きされ気を失うというのは、これから先も決して起こり得ないことだろう。もはや伝説だ。
歴史に名を残す男になるという夢が叶って、殿下も本望だろう。やったな。
「潮時ですね」
ぶっ倒れた殿下には目もくれず、殿下に触られていた場所を手で払いながら、涼しい顔でシェリーはそう言った。続けてシェリーは、聞いたことがない言語で高らかに何かを叫んだ。王妃教育のたまもので、私は周辺諸国の言語はほとんど習得済みだ。彼女が話したのは、その中のどれでもない言語だった。
彼女が叫び終わった次の瞬間には、周囲の人々がバタバタと崩れ落ちて行った。慌てて近くにいた人を確認すると、皆穏やかな顔で寝息を立てているので、危害を加えられたわけではないようだ。
広い会場の中で、立っているのは私とシェリーだけだ。私と目が合うと、伸びている殿下を乗り越えて、シェリーは私に駆け寄ってきた。踏まれて蹴っとばされて、踏んだり蹴ったりな殿下だが、今までのことを考えれば、ざまぁもいいところだ。
シェリーは私の右手を取り両手で包んで、輝くような笑顔をして私を見上げた。
「一目見た時から、ずっとずっとずっとお慕いしておりました! オリバー・ディアレイン様!」
彼女が呼んだのは、私の、いや俺の本当の名前だった。
オリバー・ディアレインは七歳の時に死んだ。代わりに七歳のオリビア・ディアレインが生まれた。男として生まれた俺は、女として生きる羽目になったのだ。
我が国の国王は代々女癖が悪かった。この国の歴史上、国王が王妃に殺されそうになったのは、一度や二度ではない。王妃以外の女性に殺されそうになったのも、一度や二度ではない。何代にもわたって、同じようなことが繰り返され続けている。
そんな王家がなぜ長らくこの国を治めているかというと、女癖が悪い以外は、至って優秀な治世を行っているのだ。女癖の悪さには目をつむるしかないほどに。
現国王も例に漏れず、王妃に殺されかけた。大事にすることはできず、表向きは何事も無かったことにされた。殺されかけたことで、国王は息子の身を案じて、あることを考えたのだ。普通なら実現されないような計画だが、実現できるだけの権力を国王は持っていた。
女性以外を王太子妃にすればいいと、国王は考えたのだ。そうすれば少なくとも、女癖の所為で王妃に殺されることはない。それに愛妾をいくら持っても、王妃にとやかく言われずに済む。国王の思考は、かなりぶっ飛んでいた。女性が絡むと、無能の極みだ。
というか、そこは息子の身の安全より、自分の妻のことを考えるべきだ。というか、息子もやらかす前提かよ。やらかしたけど。
そんな国王の計画の生贄として、白羽の矢が立ったのが俺だった。ディアレイン公爵家の四男であり、殿下と同い年、存在がまだあまり周知されていなかったことも災いした。国王から話を持ってこられた父上は、いとも簡単に俺を差し出した。金と地位と名誉にあっさり負けたのだ。
母上が気付いてくれたときにはすべて手遅れで、俺はオリビア・ディアレインとして生きるしかなくなっていた。
「私は婿を探すために、この国に留学して来たんです。最初にお会いしたときに、私は貴方に一目ぼれしました。女性に一目ぼれとはと悶々としていましたが、二度目にお会いしたときに男性だと分かって内心ガッツポです」
「どうして分かったのかしら。今まで一度もばれたことはなくってよ」
「え? だって付いてましたし」
……今なんて言った。
「ついてたってちょっと、貴方」
「あ、もしかして何がって言ってほしい感じですか?」
「言わなくていいわよ!」
卑猥なことを言わせないように、即刻止めた。令嬢がそんなこと言っちゃダメでしょう、まったく。
「追放された今なら、この国から連れて行っても問題ないですよね」
ご機嫌なシェリーはバルコニーに向かって、俺の手をつかんで引っ張っていく。
「問題あるわよ! 確かにオリビア・ディアレインは追放されたかもしれないわ。でもオリバー・ディアレインは追放されていない。そもそも王太子に、私を追放する権限はないわ」
「それは詭弁です。幸せになれないのが分かっていても、それでもこの国に残りたいんですか?」
何も言い返せなかった。この国に残っても、ろくなことにならないのは事実だ。核心を突かれたのを誤魔化すように、俺は話をすり替えた。
「そもそも、シェリー貴方何者なの。会場中の人を眠らせるなんて、魔法でもあるまいし」
魔法はとうの昔に失われたもの、それがこの世界の常識だ。だから魔法なんてありえない。
「そうなんです、魔法なんですよ」
あっさりとシェリーは肯定した。
「はあ? シェリーまさか貴方魔法使いなの!? 魔法使いの国は遥か昔に、滅びたはずじゃなかったの」
「いろいろと面倒くさかったので、滅びたことにしたんです。今でもばっちり繁栄してますよ。魔法も現役です」
信じていた歴史が、あっさりひっくり返った瞬間だった。魔法使いなら国の滅亡を偽装するぐらい朝飯前だと、眠りについた周囲の人たちを見れば納得するしかない。
「それで魔法使いが俺をどこに連れて行く気よ。俺に何をさせる気なのかしら」
言葉遣いがちぐはぐなことになっているのは、今は置いておこう。長年の癖が抜けなくて、すぐには直せそうにない。
「私の国に行きましょう。それで婿入りしてください」
「一緒に行かなかったら、俺はどうなるのかしら」
「魔法の存在を知られたからには、一緒に来ていただかないとまずいんですよ。来てもらえないのなら、あんなことやこんなことをしないといけなくなるというか」
それ、確実に身の危険があるやつだ。
「ああもう、分かったわ。婚約の件は了承していないけれど、貴方と一緒にはいくわ。その代わりせめて、母上に挨拶させて」
早々に俺は諦めた。王太子との婚約の時と同じで、大きな流れの前では、俺は無力でしかないのだ。
バルコニーに出た俺とシェリー。彼女はこれからどうする気なのだろうか。静かに見守っていると、シェリーはよく分からない言語をまた唱え出した。手から光が発せられる。あふれ出た光は収束し、何かの形を作り始めた。光が収まるとそこに現れたのは、翼が生えた大きな猫だ。人二人ぐらいなら余裕で乗れる。
「この子は私の幻獣です。ささ乗ってください」
ドレスで跨るわけにもいかず、二人とも横座りだ。シェリーが前で、俺が後ろに乗った。
「しっかり掴まってください。道案内はお願いしますね」
掴まれと言われても、どこにだ。浮き上がる感触がしたので、慌ててシェリーの腰に手を回した。見た目通りに細い腰回りに、どきりとする。動揺したのを誤魔化すために、シェリーに伝えた。
「母上は今領地にいるはずだから、あの山の方角を目指して。街道沿いに進んで行くのが、一番分かりやすいわ」
「あの山の方ですね、分かりました」
俺が腰に手を回しているのを気にも留めずに、シェリーは返事をした。良かった、俺の選択は間違っていなかったようだ。
俺たちを乗せた幻獣は空を駆け、どんどん加速していった。早駆けの馬など目ではない速さで、しかも飛んでいる。無論俺に話す余裕など一切ない。
そのまま会話も無く、俺とシェリーは俺の実家であるディアレイン公爵の屋敷に到着した。母上が療養している部屋のバルコニーに下ろしてもらい、シェリーに見守られながらドアをノックした。
母上は元々、体が強くはない人だった。俺を産んだ後、なかなか体調が戻らないところに、俺が殿下の婚約者になったという話が追い打ちをかけた。それ以来母上は、ほとんどを自室のベッド上で過ごしている。
学園にいるはずの俺に、母上は動揺した。ゆっくりと立ち上がり、バルコニーのドアを開けると、ただならぬ空気を感じたようだった。顔色が悪い母上に、こんなことを伝えないといけないのは胸が苦しくなる。
「母上、別れの挨拶に来たの」
俺はそう切り出した。俺が母上に話したのは、卒業パーティーでの顛末だ。シェリーの幻獣を見られている時点で、いまさらではあるけれど、魔法のことだけは伏せておいた。
「もうこの国にはいられないから、俺は彼女に付いて行くことにしたわ」
話を振られたシェリーは、幻獣の上から元気に名乗りを上げた。
「シェリー・グローリアスと申します。オリバー様を婿にください」
ややこしくなるので、今は否定しないでおく。
「何も、できなくてごめんなさい。あの時も、今も、いつも、いつも……気付くのが遅くて……なにも貴方のために……できなかった……」
顔を覆って涙を流す母上に、胸が締め付けられた。
「そう思ってくれただけで十分よ」
本当に優しい母上だった。優しすぎるほどに優しい人だった。
「息子のことを……オリバーのことを……よろしくお願いします」
いつの間にか幻獣から降りたシェリーが、俺の横にいた。
「オリバー様は、私が必ず幸せにすると約束します。ただこのままだと、オリバー様が幸せになってくれなさそうなので、失礼します。他言は無用ということで」
シェリーは母上の胸に手を触れると、あの理解できない言葉を唱えた。今なら分かる。シェリーが話す謎の言語、これは呪文だ。シェリーの魔法を受けて、母上の顔色は劇的に良くなった。
「今までありがとう、母上」
泣きながら手を振る母上の姿は、一生忘れられなさそうだ。シェリーが駆る俺達を乗せた幻獣は、再び大空に舞い戻る。心地よい風が、俺の濡れた頬を優しく乾かしてくれた。
「ありがとう、母上のこと治してくれて」
「この子も見られてしまいましたし、あそこで治さないのは女が廃ります。なによりもオリバー様のお母様ですよ、気合を入れて治療させていただきました。それにしても、公爵家となるとやっぱり屋敷が大きいです。友人に招待してもらった、男爵家の屋敷とは大違いですね。私も男爵令嬢という身分を仮で使っていましたが、実はそこそこの貴族の娘なんです。だから決して、オリバー様に苦労はさせませんよ」
話を聞く俺は大人しくシェリー掴まっていた。先程までは余裕は一切なかったが、慣れてしまえばこのスピード感はくせになる。
「魔法使いの生活はどういうものなの?」
「普通の人とそんなに変わらないですよ。魔法を日常生活で使うことはあまりないです。使うときもありますけどね」
「日常生活で使うときもあるのね」
聞いたのは純粋な興味と心構えの為だ。これから恐らく一緒に暮らすであろう、シェリーのことをもっと知りたかったから。でも彼女は違うことを考えたようだった。
「は、学園の試験で魔法を使ってたのでは、とか疑ってますか? 学園では一切魔法は使っていません! あ、ごめんなさい。一切は嘘です。一回だけオリバー様の性別を確認しました」
性別確認の件は突っ込んではいけないと、自分に言い聞かせた。
「そんなこと全く疑っていないわ。でも本当にそれだけ?」
「……実は、オリバー様がどうしてアレの婚約者をやっていたのかを、調べるためにも使いました。言っておきますけど、学園外も含めてあの国にいた時に魔法を使ったのは、オリバー様が関係するときだけです」
殿下をアレ呼ばわりか。もう殿下と呼びたくないというのは、俺の本音でもあった。
「ということは、俺の事情は全て知っているのね」
「はい。あそこの王家は頭がおかしいと思います」
だろうなという感想だった。それが普通の感覚なのだと安心できた。
「でも王女殿下は至ってまともだったの。計画のことは一切知らなくて、未来の義姉だと俺にとても良くしてくれた。あの方をアレらと一括りにするのは忍びないわ」
「むう。とにかく話を戻しますと、勉強は実力で頑張っていたんです」
シェリーは少しむくれて、無理やりに話の軌道修正をした。
「今思えば、あそこまで頑張る必要なかったですね。成績の件もあって、アレに目をつけられたわけですし。オリバー様とお近づきになりたいと思って、近くをうろちょろしていたら、アレを一本釣りしてしまうとは、何たる不覚です」
シェリーが一本釣りだと思っていたことに驚きだ。男爵令嬢でありながら、可愛らしい容姿、完璧な礼儀作法、明るく人に好かれる性格、学年主席に匹敵する頭脳、それらを備えたシェリーが、学園内で好かれないはずがない。ときどきドジッ娘なのも、彼女の魅力だった。実情は一本釣りどころではなかったのだけれど、もやもやするから黙っておくことにした。
「貴方もアレに目をつけられて災難だったわね」
「でもアレのおかげで、オリバー様に目をかけてもらえたんですから、怪我の功名です」
「俺としても女生徒からの苦情が減ったから、貴方には申し訳ないけれど、少しだけ感謝していたわ」
「オリバー様のお役に立てていたなら、喜ばしい限りです! そんなにやらかしていたんですね、アレ」
「貴方が転入してくる前は、休み時間や放課後いつだって、とっかえひっかえ女生徒を侍らしていたの。貴方に目を付けてからは、貴方にべったりだったわね。真実の愛を見つけて生まれ変わったとかほざいていたから、将来愛妾を囲うことはやめて、貴方だけを愛そうとか、考えてたんじゃないかしら。だから俺の存在は用済みで、後先考えずあんな暴挙に出たわけね。しかも本当は男だから、シェリーをとられてもおかしくないと。でもあの筋金入りの女好きがそう簡単に変わるとは思えないわ」
思わず目が遠くなる。もっと平和な学園生活が送りたかった。
「よくアレに対応していたわね。貴方もアレに好意を抱いているのではと、最初の一週間ぐらいは思っていたもの。でもどうやら違うし、不敬にはならないように上手くかわしているし。私がシェリーだったら、そのうちキレているわね」
「私は一度も一切アレに好意を持っていませんよ!」
「見ていれば分かるわ。パーティーの時に表情ときたら、せっかくの可愛い顔が台無しじゃないの」
「こちらが言うことを何も聞いてもらえず、あの場に引きずり出されれば、あんな顔にもなります。加えてオリバー様を悪く言うなど、許すまじ。今からでも戻って、鉄槌を食らわしたいぐらいです」
右手を握りしめて、わなわなと震わせるシェリーはとても勇ましい。まあまあとなだめれば、右手は元の場所に戻っていった。
「ただ暴走してくれたことにだけは、感謝したいです。暴走してくれたおかげで、こうしてオリバー様をどさくさまぎれに国に連れて帰って、婚約することができるんですから」
「婚約はまだ了承してないわ」
「好かれるように努力します!」
空の旅をすること数時間。
シェリーは幻獣のスピードを緩めて、後ろに座った俺の方に向き直った。胸元をまさぐり、チェーンをつけて首飾りにしていた指輪から、チェーンを外した。
「これつけてください。魔法使い以外は、つけないと国に入れないんです」
俺の左手を取り、シェリーは薬指に指輪をつけた。つけられた指輪は、まるで俺専用に作られたかのように、俺の指にぴったりフィットしている。
「これは魔法の指輪なんです」
どうやら自由にサイズが変わる指輪らしく、すごいとしか言いようがない。指輪をつけてシェリーは、とても嬉しそうに笑っていた。
「オリバー様、知っていますか? 魔法使いは皆一途なんですよ」
「急にそんなこと言ってどうしたのよ。あとオリバーでいいわ。様はいらないから」
「はい、オリバー」
どうして今シェリーがそんなことを言ったのか、軽く流した俺はあまり気にしていなかった。
「そろそろ国境です」
前方に広がるのは山と森だ。この先に国があるとはにわかには信じられない。半信半疑のままいると、いきなり強い風が吹き、俺は思わず目を閉じた。目を開けると、森や山だったはずの場所には、のどかな農村風景が広がっていた。
「国境を超えましたね。家の領地まではまだかかるので、もう少し空からの景色を楽しんでください」
眼下に広がる穏やかな風景を見ていると、魔法使いの国だとは到底思えなかった。どこの国にもある自然豊かな有様で、魔法要素はどこにもない。
しばらくすると、大きな屋敷が見えてきた。俺の実家と同じぐらいかそれ以上。まさかあれが目的地か?
「あれが私の実家です」
シェリーがそこそこの貴族と言っていたのは、本当のようだ。そのまま敷地内の庭に着陸し、俺たちが降りた後、にゃーと鳴いてから幻獣は光となって消えていった。
俺と手をつないで、シェリーはずんずんと屋敷の玄関に向かっていく。玄関に辿り着いたシェリーは、勢いよく扉を開けた。
「ただ今戻りました!」
玄関にいた使用人の女性が驚いて花瓶を落としたが、割れる音は聞こえない。花瓶は宙に浮いたままで、時が止まったようにぴたりと止まっている。
「シェリー様、帰ってくるのはまだ先ではなかったのですか!?」
「いろいろありまして、だいぶ予定より早いんですけど、帰ってきちゃいました」
「皆を呼んでまいりますので、しばらくお待ちください」
「はーい」
浮いた花瓶を手に取り台座の上に乗せると、女性は奥に引っ込んで行ってしまった。
「お嬢様が帰られましたー!!」
遠くから慌てた声が聞こえてくる。どんがらがっしゃんと、屋敷の中がちょっとした騒ぎになっているようだ。
「ちょっとそこで止まってください」
シェリーはつないだままになっていた手を放すと、数歩前に出て、屋敷の中に入ってから振り返った。スカートを持っての一礼は、完璧なまでのご令嬢の挨拶だった。
「ようこそおいでくださいました、グローリアス公爵家へ」
「お招きいただきありがとうございます」
ドレスを着たままなので、俺も同じように一礼を返す。返してから話が違うと、シェリーに突っ込んだ。
「公爵って何!? そこそこって言ってたじゃないの」
「表向きは存在しない国の爵位に、大して意味は無いですよ」
あっけらかんと、シェリーは悪びれもせずに答えた。そんなやり取りを玄関でしていると、屋敷の奥の方からちらほらと人が集まってくる。そのうちの一人の男性にシェリーは目を止めると、俺の腕を抱き足早に近寄っていった。
「お父様、婚約者を連れてまいりました。オリバー・ディアレイン様です」
シェリーはにっこり笑って、お父様と呼んだ男性に俺を婚約者として紹介した。ん? 婚約者として?
「……女性じゃん……。あ、ちゃんとついてる」
シェリーの父はどうやらシェリーと同じ方法で、性別を確認したらしい。いや見るなよ、おい。父娘そろって、デリカシーという概念はないのだろうか。
そしてはっきりさせないといけないことが一つ。
「俺はまだ貴方の婚約者になった覚えはないわ」
「指輪を付けた時点で婚約は成立してますよ?」
当たり前のことに何言っているのと言わんばかりに、首を傾げられた。
「魔法の指輪としか聞いていないわ。ただの入国許可証だと思ってたわよ」
「まあいいじゃないですか。どっちみち遅かれ早かれ、私とオリバーは婚約するんですから」
婚約破棄から数時間後、俺の知らないうちに、人生二度目の婚約はあっさり成立していたのだった。だからあの時、シェリーはあんなことを言っていたのかと今更納得した。
「とりあえずオリバーは着替えましょう。服と着替える場所を今用意してもらいますから」
「ええ、そうしてもらえると助かるわ」
グローリアス家の使用人に部屋に案内され、服を渡された。れっきとした男物の服だ。手伝いも申し出てくれたが、人に身体を見せるのに抵抗があったので俺は断わった。
用意された部屋の中で、胸の詰め物を取り、窮屈なドレスを脱いだ。シャツを着て、ズボンを履き、ジャケットに袖を通す。そんな当たり前の行動に手が震えた。もう二度と着られないと思っていた、久しぶりの男物の服だ。
あまりの感動に、ジャケットとシャツとズボンにこんなに感動した人間は、今まで存在しないのではと、自分で面白くなってしまった。着替えが終わった後は、靴を変え、化粧を落とした。かなり時間がかかってしまったので、急いで応接室に案内してもらう。
案内された応接室では、パーティー用のドレスから普段着に着替えていたシェリーと、シェリーの両親がすでに待っていた。空いていたシェリーの隣に腰かけると、俺は改めて向かい側に座ったシェリーの両親に挨拶をした。
「改めまして、お初にお目にかかります。オリバー・ディアレインですわ」
シェリーの両親は、明らかに困惑していた。魔法使いに困惑される俺の存在とは、という思いに駆られる。でももし、娘が連れてきた婚約者が女装していて、女言葉だったら、きっと俺も困惑する。じゃあ仕方ない。
シェリーの両親にも自己紹介してもらい、続けてシェリーがここに至るまでの経緯を説明した。
「そうして私とオリバー様は婚約しました」
俺の左手を両親に見せつけながら、そうシェリーは話を締めくくった。
俺の女装や女言葉の原因が分かったことで、シェリーの父と母の困惑は無くなったようだ。苦労したのねと言われ、自分のことを肯定してもらえたようで、肩の荷が下りた気がした。
「お邪魔虫は退散しましょうか。ふふふ、あとは若いお二人でというやつねえ」
話が終わり、シェリーの母はすぐに立ち上がったが、シェリーの父は座り続けたままだ。せっかく帰ってきた娘と、もっと話したいと顔に書かれている。立ち上がる気のない父に、シェリーは冷たく言い放った。
「お父様、二人きりになりたいので、さっさとどっか行ってください」
「シェリー、お父様の扱いが雑過ぎない……?」
シェリーの母に引きずられるようにして、シェリーの父は退場していった。
しっかり扉が閉まるのを確認してから、シェリーは俺に抱きついてきた。勢いに負けてソファに押し倒される格好だ。ぐりぐりと俺の胸部に頭を押し付けた後、顔を上げたシェリーは悲しそうな顔をしていた。
「これからは、ちゃんと食べていいんですよ?」
どうしてそう言われたのかは、すぐに分かった。シェリーは抱きついたことで、俺があまりに痩せ細っていることに気付いたのだ。彼女の想像通り、実家では体型を維持するために、俺は食事制限されていた。
「必ず幸せにしなさいね」
再び抱きついてくるシェリーの体を、抱きしめ返した。シェリーの重さと柔らかさと温かさに、心が満たされていく。
「はい、もちろんです! これからのことなんですけれど、オリバー様は何かしたい事とかありますか? 私にできることなら、やれるだけのことはします」
「それは、これから考えるわ」
目を閉じて、シェリーを抱きしめる腕に力を込めた。今はただ、俺を愛してくれている彼女の、この感触を堪能させてもらおう。
今更だけれど、俺もシェリーを一目見た時から、きっと……。
その後の話がメインの連載版もあります。連載版『悪役令嬢は悪役ではないし、令嬢でもない ~私は亡国の魔法使いに婿入りさせていただきますわ!~』の方もどうぞよろしくお願いします。