日傘の女
「あーあ、彼、死んじゃったみたいだねぇ」
ひんやりとした空気が漂う、薄暗がりの通路に、若い男の声が響く。
外は、観客たちのどよめきで埋まっているのに、それさえも無に帰すかのような、閑静な空間。その中で、若い男の横にいた青年は、小さく笑いながら、男の言葉に、わざとらしく注意した。
「君がそれを言うのかい?」
「だって、他人事だし。僕は何もしてないからね」
そう言って、若い男――――紫芽結斗は小さく笑った。その笑みに感情はなく、ただ事実を報告しているだけの、愛想笑いにも満たない、冷たい笑み。
―――その表情は、自分もよくやってる顔だ。と、紫芽を見ながら、内海 零は自身を嘲るように笑った。
紫芽の事は好かなくとも、結局、彼と自分はどこまでも似ている。その感情は自己嫌悪なのか、共感なのか……。レイは「つまらない」と、頭からその考えを払拭すると、
「白々しいやつ」
少しのトゲを交えて、紫芽に言った。紫芽はなんとも思わなかったのか、そのままの表情で言った。
「だって、実際に彼を殺したのは『あの人』でしょ? 僕は見てたわけじゃないから分からないけど」
「……そうだろうね」
この世界には、様々な能力者がいる。
相手を一撃で倒す者、無限にステータスが上がる者、時間を止める者……そのどれもが、いわゆる『チート』レベルの最強能力である。
そこに、《加護》と呼ばれる防衛機能が付与されることで、そのチート能力者たちは、攻撃が効かないどころか、『死』さえも乗り越える。
その中でも、“彼女”は特に異質だった。
「もう帰っちゃったんじゃない? あの人。でも、おかげで助かったよ。あのままじゃイスケ君に、王都を滅ぼされてるところだったし。レイが彼の能力を教えてくれたおかげだね」
「教えなくても、君ならなんとかしただろ。それに、彼女がそういう行動をとるのも、君のせいじゃないか」
「レイ、そうやってなんでも僕のせいにしちゃだめじゃないか。とはいえ、彼女も慎重な人だからねぇ」
そう言って、紫芽は乾いた笑い声を上げながら、通路を歩き出した。
この世界は絶望の世界だ。そう思わせるほどの圧倒的な力が、この世を支配している。今後、その等式が覆ることはない。
その圧倒的な力の一端である、彼女の存在――――『アリス』が、絶対強者の位置に君臨し続ける限り。
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「……終わっちまったな」
観客も、他の転生者もいなくなった闘技場の一室で、俺はぽつりと言った。夕焼けが窓から部屋に差し込み、部屋が橙色へと染まる。その中で、部屋の遮蔽物が、陰影をあちらこちらに落とし込む。
それが今日は、やけに不気味に見えた。
「イスケが……まさか敵だったなんて……」
ルルカがうつむき加減に言う。それに倣い、ノアもリンファも無言のまま床を見つめるだけだった。
あの後俺は、イスケを救護室へ運ぼうとするノアに、こっそり耳打ちした。ノアはぎょっとした顔をしながらも、周囲に悟られないように、イスケを運んだ。
その後、遺体は王都に預かられる形となった。おそらく、事実を公表しないまま、ひっそりと処理されるのだろう。邪悪な存在ではあったが、少しだけ複雑な気分になった。
そして、部屋で休憩している最中、ルルカとリンファが来たので、イスケの正体について説明した、といった流れだ。
当然、ゼノンに関しても話してはいるが、リンファにはいまいち伝わっていない様子だった。そりゃそうだ、「どうやってイスケの能力を攻略したのだ?」に対して「あー、あいつめっちゃ強いからさぁ」と返しただけ。いやこれ以上どう説明しろってんだ。
しばらくの間、部屋に静寂が訪れる中、突如、部屋の扉がノックされた。
「あ、私行くよ」
ルルカはひょこっと立ち上がり、部屋の扉を開ける。すると、そこには松田さんが立っていた。
「優勝おめでとう、コータ君……って、そんな雰囲気じゃなさそうだな。一体どうしたんだ」
「それは……」
俺が事のあらましを説明すると、松田さんは「そうか……」と言って難しい顔をした。
「一人くらいは、悪いのが紛れ込むだろうと思っていたが……残念な形なってしまったな」
そこで松田さんは「だが、」と小首を傾げ、さらに眉間にシワを寄せた。
「一体どうやって、イスケ君を倒したんだ? それも、その『超強い』? ゼノンさんとやらが倒したわけかい?」
それは当然の疑問だった。実際のところ、俺もまだその方法は分かっていない。だが、方法は分からないものの、容疑者はいる。そのことを、俺は松田さんに伝えた。
「いや、ゼノンではないです。……紅い日傘を持った女性が、静止した世界で、俺たちと同じように動けていました。おそらく、その女性が……」
そこまで言った時、松田さんが突然、大きな声を上げて、後ろに退いた。部屋にいた人間が、その様子を不安そうに見る。松田さんはなんとか呼吸を落ち着かせると、体勢を立て直し、低い声で言った。
「その女は……その女にだけは……絶対に近づいちゃダメだ」
松田さんは、何かを知っている様子だった。言葉や振る舞いから、その女性に対し、ひどく怯えているように見える。
「ど、どうしたんですか松田さん」
ルルカが心配そうに問う。松田さんは、口を開こうとしては閉じ、視線を右に、左に……と、伝えるか伝えまいか、迷っている様子だった。
やかて、意を決したかのように、俺たちを見渡すと、怒気の含んだ声で言った。
「その女はね……僕がこの大会に出ることになった元凶さ」
「え……」
その場にいた全員が、息を呑んだ。松田さんは、構わず後を続けた。
「コータ君が見たのはおそらく……僕が滞在していた国の女王だ。かつて僕は、行くあてもなく、目的もなしに、日々モンスターを倒して過ごしていた……」
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ある日、僕は大きな街に辿り着いた。ちょうど、王都ゼニスぐらいの大きさだった。後から、そこがひとつの国であることを知ったが、ゼニスのような、賑やかで裕福な雰囲気ではなかった。
街のあちこちに、地べたに座る人々の姿。その中には子供もいた。民家の窓は、全て木戸で塞がれており、城下町の賑わいの象徴である店の数々も、ほとんど繁盛していない。それどころか、店の品を盗もうとする者が何人もいた。
そのうちのほとんどは、老人や子供。結局、力や知恵のある者たちは、他の場所で労働を強いられていた上、重税によって、賃金のほとんどは、女王のもとへと渡っていたんだ。その結果、労働者たちは自身の家に帰ることすらできず、ひたすらに、女王のために働かされていた。
品を盗まれた店の主人も、片足を悪くした中年の男性だった。主人は、盗みを働いた子供を捕まえると、これでもかと殴った。当然、僕は止めに入ったが、主人は一言、
「こうでもしないと、俺が死ぬ。頼むから邪魔をしないでくれ」
……そう言って、涙ぐんだ。子供はその様子を見て、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返しながら、頭を下げた。主人は結局、無言のまま、片足を引きずりながら、店を閉めて裏へと下がっていった。
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「……こんな光景が、あの国にはそこら中に広がっていた。だから、僕はその飢餓に困窮する人々に少しでも希望を与えたくて、大会に出たんだ。賞金は、全てその人たちに配るつもりだったのさ」
松田さんは語り終えると、「まぁ、結局負けちゃったけどね」と、自嘲気味に笑った。その様子を見ていたリンファは、自身と松田さんを重ねたのか、どこか辛そうな面持ちで言った。
「女王を討てば、大会に出る必要もなかったはず。つまりは、松田の能力を持ってしても、敵わぬ相手、ということか」
リンファの核心突いた言葉に、松田さんは苦い顔をしながら、こくりと頷いた。
「ああ……。全く歯が立たなかった。なぜなら僕は、彼女に近づくことすらできなかったからね」




