静かな終わり
ああ、だめだ。
この男だけは、今ここで、確実に仕留めなければならない。
怒りを抑えきれなくなった俺は、自分でも知らず知らずのうちに、イスケの方へと駆け出していた。
「……君のそういうところ、嫌いじゃないですよ」
ゼノンが小さく呟いたのが、端から聞こえた。俺はそれに対して返すことなく、ただひたすらに、その足をイスケの方へと運んだ。
体の感覚が無くなっていくのを感じる。怒りに任せて身を動かしているだけなのに、なぜか頭は冴え渡っていて、なんだか自分じゃないみたいだった。あるいは、怒りに、我を忘れているだけなのかもしれない。
俺の急な動きに、イスケは目を大きく開き、少しだけたじろいたように見えた。その様子に、かつて時雨の森で『臆病者』を演じていた面影がちらつく。
「いや、コータ君、ちょっと待ってよ……」
情けない声で、イスケが命乞いをする。だが、それさえも今の俺にとっては、さらなる怒り煽る台詞にしか聞こえなかった。
「お前の好きにはさせない」
そして、俺の剣は、イスケへと振り下ろされ―――――――――――
―――――――――――――――――――――――――――
『さぁいよいよ決勝戦! 泣いても笑ってもこれが最後です!』
…………。
………………。
…………え……?
周囲から、凄まじい歓声が聞こえる。その音は、地面を揺るがし、空気をも振動させる。
俺はこの『音』を、一度聞いている。
「なんだ……どうなってる……?」
慌てて辺りを見渡すと、観客が、最高潮の熱気で、あらゆる応援の言葉を飛ばしている。その中に、ルルカが杖を振り回している姿もあった。
頭がおかしくなりそうだった。今、俺の立つ舞台で行われていること。それは……。
間違えるはずもない、決勝戦だった。
「くくっ………くふっ……」
真正面から、抑えるような笑い声が聞こえる。俺は、さっきの震えとは違う震えが、手に伝わっていくのを感じながら、ゆっくりと、声の方へ顔を向けた。そこには……。
「いい戦いにしようね、コータ君」
そこには、呆然としている俺を嘲笑う、イスケの姿があった。
『では、間もなく開始致します!』
実況が、さっきと数分違わぬ声色で、全く同じ台詞を吐く。それに合わせ、全く同じ歓声が沸き上がる。
まるで夢でも見ているようだった。フラッシュバックとか、デジャヴとか、それらしき言葉を探しては、そのどれもが違うと、頭の中から消えていく。
これは完全な『再体験』だ。
その再体験に基づき、実況が再び試合開始を合図すると同時……。
世界もまた、再びその動きを止めた。
――――――――――――――――――――――――
「……へぇ、二回目は固まらないんだ。あのタキシード野郎の仕業かな? ま、どうでもいいけど」
静止した世界で、イスケが楽しそうに口を開いた。
「何が……どうなって……」
対照的に、俺の口から紡いで出るのは、疑問ばかりだった。
さっきのは、明らかに決勝戦だった。それも、一度体験しているもの。仕切り直しとか、そういう話ではなく、全く同じ決勝戦を、たった今、繰り返したのだ。
「いいねぇ、その顔。そういう絶望に満ちた顔が見たかったんだよ」
悪魔が、より一層楽しげに笑う。そして、次に発せられた台詞は、聞きたくもない、深い絶望を与える言葉だった。
「《クロノスの加護》……これが俺の加護さ。自分が死ぬ直前、死ぬちょっと前の時間へと戻ることができる加護。まぁ要するに……」
そこでイスケは、わざとらしく、天を仰ぐ動作をしながら。
「誰も俺を殺せない」
歪みに歪んだ顔つきで、口角を上げた。
「これはこれは、厄介な加護ですね」
俺の横から、いつもの嘲るような声音が聞こえた。
「……ゼノン、俺はどうすればいい?」
もはやこいつがいきなり横に現れたことはどうでもいい。それよりも、目の前の本当の悪魔の討伐が先だ。俺は、再びエクスカリバーを握り直しながら、ゼノンの返答を待った。
「いや無理ですね。君にイスケ君は倒せないでしょう」
「え、ちょ、待って、もうちょいなんとかならん?」
ここに来てこれだ。いや分かってたけど。正直、ちょっとでいいからゼノンが力貸してくれねぇかなとか思ってたけどやっぱだめだ。
こいつは、本当に本当に、もうダメかもしれないって時しか、手出ししてこない。アホみたいに強い奴であることは事実だが、非協力的な上、下手すると飽きてどっかいっちまう可能性があるんだよなぁ。
「ほら、松田さんと戦った時みたいな機転を見せて下さいよ」
「無茶ゆーな! 相手はいわばリセット能力の持ち主だぞ! まさかあいつが諦めるまでリセットし続けろとでも言うんか!」
「あ、それいいですね! まずは手始めに千回殺しましょうか!」
「お前ほんといつかしばき倒すからな」
「あのー、もういいかな」
俺とゼノンが言い争っていると、イスケがあくびをしながら会話を止めた。
静止した世界で、静寂だけが残る。時間は止まっているはずなのに、絶望はすぐそこまで迫っている。
そして、イスケは面倒くさそうに、口を開いた。
「もうこれで分かったろ? いくらあがいても、お前らは絶望から逃れられな……」
そこで突如、イスケの言葉が途切れた。どういうわけか、そのまま動かないでいる。
しばらくして、イスケは急に胸を押さえ始めた。呼吸が荒く、顔はひきつっている。一目で分かるくらいに、それは『苦』を体現しているものだった。
「あっ……ぐ」
喉の奥から絞り出したような声で、言葉にならない音を口から吐く。終いには、その場でのたうち回り始めた。
演技……か? いや、ここでその演技をする理由がない。
「おい、ゼノン……」
俺は、すぐ横で静観し続ける仲間に話しかけた。無論、『誰がやったか』という部分で、ある程度の疑いを込めた問いかけだった。
――――――だが。
「……私は何もしていませんが」
「……は?」
ゼノンは、イスケの様子を、少しだけ目を見開きながら、ぽつりと言った。
そうしてる間にも、イスケの呼吸はさらに荒くなり、顔色も青白くなっていった。今、まさに倒そうとしていた宿敵が、目の前で息絶えようとしている。さっきまで昂っていた感情も、今となっては、唐突な展開に対する疑念で埋め尽くされていた。
「おい……イスケ……!」
訳が分からないまま、無意識のうちに呼び掛けていた。無論、イスケはそれに答えるはずもなく、ただただ、もがき苦しんでいる。ゼノンも黙りこくったままだ。
誰だ……誰なんだ……? 俺は、いつの間にか、辺りを見回していた。時間が止まった世界で、《クロノスの加護》さえも無視して、こんな状況を生み出せる者……。
そんな『デタラメ』がまかり通るなんて……一体誰が。
その時。
この何もかもが止まった世界の、観客席の中で。
俺は、たった一人だけ、動いている人間がいるのを見てしまった。
その人間は……女性は、紅い日傘をくるくると回しながら、こちらを見ると、嘲るように笑った。
そして、そのまま席を立ち、振り返って歩き始めた。
「……あっ…………!」
「どうしましたか、コータ君?」
「今……俺たち以外に動いてる人間がいたんだ! すぐに追いかけ……!」
と、俺が日傘をさした女を追いかけようとしたその時、イスケの能力の効果が切れてしまったのか、世界は動き始めた。
世界の端から、徐々に能力が解除されていく。それはやがて、地に、空にと伝っていき―――――――
―――――――――――――――――――――――
『さぁ、決勝戦は一体どんな熱い戦いが見れ……る……あれ…………?』
能力が完全に解除されると共に、実況が徐々に消えゆく声で、台詞に疑問を乗せながら喋る。それに合わせ、次第に観客も言葉を失っていった。
もう時間が正常に動いている世界であるはずなのに、まるで静止した世界と変わらない様子で、闘技場には静けさが訪れていた。それをなんとか打ち破るように、実況が次の言葉を紡ぐ。
『……イスケ選手が……倒れています……ね。えっと……これは……』
実況がなんとか状況説明を試みるも、うまく言葉が出ない様子だった。無理もない。この人たちからすれば、『試合開始と同時に、いつの間にか人が倒れていた』ようにしか見えていないのだから。
だが、状況を把握できていないのは、俺も同じだった。
「何が……起きてるんだ……」
日傘の女を探すべく、観客席を見渡すも、もうその姿はどこにもいない。代わりに、俺のすぐ横にゼノンがまだいることだけが視認できた。だが、観客や実況が指摘していないあたり、おそらく俺以外には見えないようにしているのだろう。
俺の視線は、もうピクリともしなくなったイスケの亡骸へと移った。そこに、なんの感情も湧かない。あるのは、モヤモヤとした感覚だけで、俺はその亡骸を、ただ呆然と見ることしかできなかった。
周囲のどよめきがより一層、強まっていく。
やがて、それまで黙っていたゼノンが、少しだけ笑いを含んだ声音で、ようやくその口を開いた。
「どうやら、一筋縄ではいかないようですよ……。この絶望世界は」




