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パンドラの箱

「ル、ルルカっ!?」


あまりに突然の出来事に、俺は反射的にルルカの名前を呼んだ。だが、その呼び声虚しく、ルルカは俺と同じように、壁に体を打ち付けた。


「その小娘の考えはお見通しだ。加護による反射を狙ったのだろう? おそらく、持っている加護は《神鏡の加護》といったところか」


ヘルグはくつくつと笑うと、後を続けた。


「だが、あからさま過ぎたな。無防備にもほどがある。そもそも、俺の力は物理でも、魔法でも、呪術でもない。《瘴気の塊》だ。貴様が反射できる部類のものではない。もっとも、反射したところで俺には当たら……」


その時、突然、ヘルグの言葉が途絶えた。それと同時に、爆煙の中から何かが上空へと飛び出した。


「くらえっ!」


天高く飛び上がったリンファは、光輝くその剣を、邪神目掛けて振り下ろした。


その刃が、まるで闇を駆ける矢の如く、一筋の綺麗な軌跡を描く。その瞬間的な出来事に、俺は呆然と見ていることしかできなかった。


「なにぃっ……!!!」


邪神ヘルグは、影の体をくねらせると、凄まじい雄叫びを上げた。


「……ふふっ、作戦勝ちね」


いつの間にか、体のほこりをはたきながら立ち上がっていたルルカが、勝ち誇ったように言った。


「お、おい、お前大丈夫なのか……?」


「まぁね。直前で、保険をかけてファイアボールを撃っておいたのよ。だから直撃は免れたの。普通なら爆風も反射できるはずなんだけど、そこはあの邪神が説明した通り、加護が通じない部類の力みたいね」


そう言って、にこっと笑いながら親指を立てた。やっぱりうちの魔術師はすごい。こうやって変なところで謎の機転を利かすあたり、普段の行いとのギャップがすごい。


「……でもあの爆煙は偶然だろ?」


「うっさい! 細かいことはいいのよ!」


……やっぱりルルカはルルカであった。


そんなことより、リンファの事が気になる。不意打ちには成功したように見えたが、まだ煙が晴れず、様子が見えない。


「リンファ! そっちはどうなっ……」


――やがて、煙が晴れ始め、ヘルグとリンファの姿があらわになっていく。そこに映っていた光景は――――


「光魔法を付与させたくらいで、俺を斬れると思ったか?」


―――地面にうつぶせで倒れているリンファと、笑う邪神の姿だった。


「リンファ!!」


ルルカと二人で、勇者の名前を呼ぶ。だが、返事が返ってくることはなく、代わりに、リンファの握る剣から、光が徐々に失われていった。


「力を得すぎたか。まさか勇者がここまで弱いものだとは思わなかったぞ」


ゆらゆらとその身を揺らす邪神の姿に、その目の前で倒れたままの勇者。地下深くの、ひどく陰鬱なこの空間で広げられたその光景は、人を絶望させるには十分だった。


「ちくしょう……! リンファから離れろっ!」


光が打ち勝てなかったとしても、この剣を振るわなければならない。俺は、まだ痛む体を無理やり起こすと、リンファのもとへと駆け付けた。


「そうか、勇者を倒しても転生者がいるのか。やれやれ、厄介なやつらだ。――――もう飽きた。そろそろ終わりにしよう」


ヘルグはそう言うと、自身の体を紫色の光で被い始めた。そして――――


「『エンド』」


そう呟くと、体中からその禍々(まがまが)しい光を放ち、空間全体を埋め尽くした。


すると突然、俺は力なく、膝をついてしまった。同時に、俺の後ろで、ルルカが倒れる音がする。ひどい頭痛に襲われ、視界がぐらぐらし始めた。


それは、アンデッドと戦った時に起きた状態異常の数倍は強烈なものだった。とても立っていることなどできず、屈むだけで精一杯だった。


「ふむ。この空間でまだ倒れぬか。加護の力でダメージを軽減しているのか知らんが……少なくとも、小娘の方にその耐性はないようだ」


邪悪な光を放ち続けるヘルグが言った。エクスカリバーを支えに、なんとかルルカの方へと体を引きずっていく。ルルカは、頭を少し上げながら、小さく呟いた。


「……にげ……て」


――――この期に及んで、この魔術師はまだ仲間のことを心配している。自分の方が危険な状態にあるってのに。


――――こんなの、絶対に逃げるわけにはいかないじゃないか。


ルルカはこの世界を救いたいと言った。リンファは、聖剣が無くとも、邪神に立ち向かった。


ここで引き下がるわけにはいかない。


「……ぐっ…………」


「……ほう、立ち上がるか。素晴らしい。実に素晴らしい」


作戦も機転もない。ただ、気合いと根性だけで立ち上がり、俺は剣を構えた。


もう喋る気力さえない。とにかく意識を保つことだけに集中する。この行動に意味があるかなんて分からない。だが、それでも、何もしないわけにはいかなかった。


「褒め称えよう、転生者よ。だが、言ったはずだ。もう飽きた、と」


ヘルグがこちらに影の指を向け、ニヤリと、()()()


そして、再び黒い炎が、奴の指先で渦巻き始め――――


「終わりだ、転生者」


ヘルグが、別れの言葉を告げた――――








「『サンクチュアリ』」







突如、女性の透き通るような声が、響き渡った。


次の瞬間、空間全体が強烈な光で覆われた。邪悪な光が排除され、床、壁、天井へと、蒼白い光が上っていく。


同時に、体が軽くなっていくのを感じた。ふと、ルルカを見てみると、自力で立ち上がろうとしている。さらには、倒れたままだったはずのリンファまでもが起き上がろうとしていた。


「なんだ、何が起きたというのだ!」


ヘルグの動揺する声を背中に受けながら、俺は、手で視界を覆いつつ、強烈な光の方へと目をやった。


すると、あの聞き慣れた()()の声が、光の奥から聞こえてきた。





―――ある一人の少女がいました。


――その少女には、特別な魔力も、人より秀でた技術もなく。


――あるのは、人を守りたいと願う、その心だけ。


――そう、誰よりも強い、その心だけが――――――





「彼女を勇者にしたのです」





光の先に、立っていたのは―――――





奈落の底へ落ちていったはずの仲間、ノア・フェアリーベルだった。


「……ノア…………!?」


ルルカはそう言いながら、立ち上がりつつ、ずり落ちそうになった帽子を戻した。対してリンファは、一瞬驚きつつも、すぐにヘルグから距離を取った。


その中で、未だ状況が把握しきれず、口をアホみたいに開いたままの俺を、あの高次元の悪魔は嘲るように笑いながら言った。


「どうしたんですか、コータ君? ほら、ちゃんとノアさんを連れ帰りましたよ」


「い、いや、そうじゃなくて……あれ……本当に、ノア、なのか……?」


光の中にいた少女は、容姿こそ、間違いなくノアだったのだが……。


修道女の鉄壁のスカートは、短く切り揃えられ、フードもなくなっており、露になった髪はひとつに束ねられていた。さらに、右手には、細く、鋭い剣を持っている。普段のノアからは想像できない格好だった。


「どう見てもノアさんでしょう。少しばかり衣装が大胆になっていますが」


「ちょ、ちょっとゼノン様っ……! そこには触れないでって約束したじゃないですか……!」


恥ずかしそうに、左手でゼノンの肩をパンチするノアを見て、俺は一発で(あ、ノアだ)と理解した。確かにちょっとセクシーになってはいるが、性格は変わってないみたいだ。


「なんだ、貴様らは……」


せっかくの愉楽を妨害された邪神が、不機嫌な調子で問う。その問いにノアではなく、ゼノンが答えた。


「あなたが求めてやまなかった勇者ですよ。その証拠にほら、ルナ・エファリスを持ってるでしょう?」


ゼノンはそう言いながら、ノアの右手を持ち上げた。全員の注目の的に晒されたノアが、恥ずかしそうにもじもじしている。……せっかくの勇者登場なのになんだこの光景。

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