ラスボス
大広間の奥から、何やら影のようなものが揺らめき始めた。
地面を擦るような音が鳴り、それに沿って、徐々にその『何か』が頭角を現し始める。
そして、それはついに姿を現した。
「貴様らを、待っていたのだよ」
そう語りかける『何か』の姿に、俺は思わず、目を背けたくなった。
そこに現れたのは、人間のような形をした影の塊だった。その影の一つ一つが、まるで意思を持っているかのようにうごめいている。その様子は、普通の人間が直視したら、気を失いそうなものだった。
「アンデッドを地上に送った犯人はお前か?」
リンファが敵に向き合いながら言った。その目には、都市を恐怖に陥れた存在を討つという、明確な闘志が揺らめいていた。
「やれやれ、会話もろくにできないのか。……いかにも、それは俺の行為に他ならない」
「ならばお前を倒すまでだっ!」
リンファがそう叫ぶと同時、アイスランサーを奴に向かって放った。さらにリンファは、敵の横に入り込むように走り込み、急接近していく。
魔法と剣撃を、それぞれ別の角度から打ち込むことで、必ず一撃を与える算段だったのだろう。
だが、リンファの攻撃が当たることはなかった。
先に、アイスランサーの方が、敵に向かった。だが、その氷の弾丸は全て、敵の背後へと筒抜けていったのだ。
その様子を見たリンファは、足を止めると、すぐにウィンドショットを地面に向かって斜めに打ち込み、その反動で距離を取った。
「……ほう、距離を取ったか。なかなか早い判断だな」
うごめく影が、リンファの行動を褒め称える。対し、リンファは額に汗をかきながら、ゆっくりと、歩を後ろに持っていきつつ、言った。
「……やはり、お前は……【邪神ヘルグ】なのか……!」
その問いかけに、影は大きく動きながら。
「ご名答。どうやら俺の影がお世話になったみたいだな」
―――邪神ヘルグは、その影をぱっくりと開け、嗤った。
俺は、その嗤い方を一度、見ている。
「おいリンファ、まさかあれって……」
自身の推測を確かめるように、リンファに問いかける。リンファは、こちらに向かず、ヘルグを見据えたまま、言った。
「ああ。『荒野の影』の持ち主……。以前話した神話の魔物、そのものだ」
ここに来て、とうとう邪神と出くわしてしまった。犯人は異世界人でもなければ、転生者でもない……。『神』だったのだ。
「瘴気で分かった。この目で確かめるまでは半信半疑だったが……やはり……」
「マジかよ……! なんで、その邪神がこんなとこにいるんだ……!?」
そもそも、エファリスは邪神にとって天敵な存在であるはずである。その地下深くに潜んでいたとして、なんの意味があるのだろうか。
ヘルグはそこで、さらに口角を上げながら答えた。
「理由は一つだ。エファリスには日々、転生者による被害を受けた者が救済を求めてやってくる。それはすなわち、絶望にまみれた人間共が、勝手に集まってくるということ。俺の力の源は絶望の感情……。ゆえに、力は想像以上に蓄えられた。今までの俺を、遥かに凌駕するほどにな」
そうか……。救済を与える以上、その前提には、常に絶望が存在している。光が強いほど、影は濃くなる……。転生者が暴れている現在なら尚更だ。
……そういえば、さっきリンファは「瘴気が『荒野の影』と同じ」と言っていた。
その『荒野の影』の瘴気を、ノアは「ジェノサイド・レーザーの転生者と同じ」と言っていた。
これはつまり……。
「おい、邪神ヘルグ! その絶望の元凶を生み出したのはお前だな!」
「元凶……? ……ああ、悪意を抱いた転生者のことか。この世界の転生者の引きの悪さや、転生者たちが勝手に認識している『魔王』とやらを隠れ蓑にし、うまく隠したつもりだったんだが。案外、簡単にばれてしまうものだな」
けらけらと笑い出す邪神に対し、リンファが睨み付けながら吐き捨てた。
「くっ……邪神めっ!」
リンファの表情がさらに怒りを増していくのを、ヘルグは愉快そうにしながら言った。
「おやおや……。勇者がそんな激情に駆られてばかりでいいのか?」
「な……!?」
リンファの表情が、一瞬にして驚きへと移り変わる。今、あの邪神は確かに『勇者』と言った。それは俺たちに向けられた言葉ではなく、リンファに対してだ。
思えば、リンファはアンデッドの毒も呪いも効いていないようだった。それが、勇者だけが持ちうる耐性によるものだったとしても、不思議ではない。
さらには、勇者の素質があり、かつ、剣術の才能に恵まれている。これらの要素から考えれば、リンファが勇者なのは、ごく当たり前のことのように思えた。
「この私が……? なぜそんなことがお前に分かる!」
「ククク……。言っただろう、今までで一番、絶望の力を得られたと。俺はいつしか、勇者の存在を感知できるにまで至っていたのさ。一度目は、『荒野の影』を通して。二度目は、貴様らがエファリスに辿り着いた時にな」
「だがっ……私の元に、ルナ・エファリスは来ていない! 伝承では、勇者に選ばれた者のところに、あの聖剣が現れると書かれていたはずだ!」
すると、ヘルグはその裂け目をさらに大きく開け、不気味なまでに影を歪ませた。
「簡単なことだ! ルナ・エファリスに、もうそれだけの力が残っていないだけの話だ。聖剣とは邪神の対極に立つ存在……。その力の源もまた、対極なのだ。……さて、この世界のどこにその源……『希望』があるというんだ?」
悔しいが、ヘルグの言う通りだ。俺たちやゼノンが、いくら転生者を倒し、いくら人々を救ったとしても、この世界には、絶望が今もなお、蔓延っている。
結局、どれだけ頑張っても、自分達の力が及ぶ範囲までしか救うことはできないし、すでに起きた悲劇の全てを覆すことなどできないのだ。
そんな、どうしようもない現実に直面していた時、俺の横にいた魔術師が、言った。
「……だとしても」
その声は小さく、今にも消えてしまいそうだったけど。
「だとしても、私はこの世界を救いたい……!」
それは、俺たちを奮い立たせるのには十分過ぎるくらい、カッコいい宣言だった。
「……だよな。たまにはいいこと言うじゃん、お前」
「な、なに? 茶化してるの?」
「ちげーよ。素直に褒めてんだよ」
そう言って笑いかけると、ルルカもニカッと笑顔で返してきた。やはりルルカは芯の強い子だ。同業者がこんな前向きだってのに、俺がこんなとこで止まっててどうするんだ。
切り替えろ。
救えなかった過去に悲観するんじゃない。
これから救う未来に、希望を抱くんだ。
「……素晴らしい。神々に希望を託された転生者に、世界に愛された勇者。今の俺には申し分ない相手だ。いいだろう、貴様らがそれほどまでに、希望を取り戻したいと思うなら……」
俺たちの行く手を阻む、この世界における『ラスボス』は、その影をさらに大きく広げて、言った。
「光が失くなるほどまでに、影で埋め尽くしてやる」
希望と絶望の戦いが、始まった。
「リンファ! 光魔法だけで戦うことはできるか? 今のあいつには、物理も魔法も効かない。可能性があるのは光魔法だけだ!」
リンファの前に立つと、すぐさま俺は言った。
「あ、ああ、やってみせる!」
「わ、私もやろうか?」
「お前がやったら最悪、地下が崩落しかねない。俺たちは勇者の援護に徹底するんだ!」
「うー、分かったぁ」
それだけをやり取りすると、俺たちはヘルグへと駆け出した。幸い、この地下は暗く、俺たちの影はない。おそらく、影を取られて一発退場、なんてことはないはずだ。
「エンチャント・『ソル・ブレード』!」
後ろでリンファが、聞いたこともない魔法を唱え始める。一瞬、その様子を確認してみると、どうやら剣に光魔法を込めているようだった。
それと同時に、目の前の邪神が、こちらに指を向けた。何があっても、リンファだけは守り通さなければならない。俺は、相手の一手を迎え撃つべく、防御体勢に入った。
「ヘル・ファイアボール」
邪神ヘルグはそう言うと、指先から、ルルカがいつも撃つくらいの火球を放った。だがその色は、ルルカのと比べてどす黒く、禍々しく揺らめいていた。
……だが、弾道は見える。このままなら、加護の効果で捌き切れる。俺は、さらに前へ出ると、その火球へエクスカリバーを振りかざした。
そして、その剣先が火球をかすめた時――――
「……ぐぁっ!?」
火球が、けたたましい音と共に、爆発した。
俺が前に出ていたぶん、後ろの二人は巻き込まずに済んだが、俺はその衝撃により吹き飛ばされ、壁に打ち付けられた。
「コータ、大丈夫か!」
「な、なんとか……な」
レベル9999の耐久力を持っていたのにもかかわらず、俺は痛みに顔を歪めていた。
本来なら、転生者が圧勝するシナリオだったのだろう。だが、その転生者のせいで、『ラスボス』が規定外に強くなってしまっている。どうやら無双して終了、なんてものは望めないらしい。
「私に任せて!」
ルルカがそう言うなり、邪神に立ち塞がった。俺には、ルルカが何をしようとしているのかが、手に取るように分かった。
「ほら、かかってきなさいよ!」
ファイティングポーズで邪神を煽るルルカ。ほんとあいつはどこでもあんな感じだよなー……と、変に力が抜ける感覚を覚えていた時だった。
ルルカが、爆風で吹き飛ばされた。




