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アイリスの必死に呼びかける声が、潜水艦通路の向こうから聞こえてくる。
「来夢はん! どうしたってんの? 何でウチらと一緒にこれからのこと、相談せえへんの? なあ、部屋から出てくれへん?」
暫く同じような呼びかけを続けていたが、アイリスは諦めたようで、困惑した表情のまま戻ってきた。
来夢は部屋に閉じこもったまま、僕らの呼びかけにも答えず、頑なな態度を取っていた。
潜水艦は真っ直ぐ東京を目指し、航行を続けていた。昼間なので、衛星から見つからないよう、海中に潜航したままだ。装備のほとんどを外し、通常動力を搭載した「ニセ原潜」のアヴァロン内部は、本当の原潜に比べ船内は広々としているが、それでも百五十人以上の男女のオタクを乗船させているため、ぎゅうぎゅう詰めになっていた。
朱美は鼻くそをほじりながら、僕に問い掛けた。
「あのブス、流可男の〝妹〟じゃなかったのか? 何でまた、閉じこもってるんだ?」
朱美の言葉に、美登里が怒りの表情で食って掛かった。
「あのね、何で来夢をブス、ブスって何度も言うの? 第一、来夢はブスなんかじゃないわよ!」
まあ、美登里の言うことは判る。確かに来夢は誰もが振り返るような美少女とは言えないが、とっつきやすい可愛らしさはある。
「そうだぞ! あんた、来夢さんに謝れ!」
その場にいたオタクの一人が、朱美に怒りの言葉を投げつけた。朱美はそのオタクを、ジロリっと、物凄い目つきで睨んだ。美少女で、大きな瞳の朱美が本気で睨むと、僕でさえぞわっと背筋に冷たい悪寒が走る。睨まれたオタクはヘタヘタっと腰を抜かし、壁に縋って遠ざかった。
「来夢のことなんだが、実は……」
僕はガッツ島で起きた出来事を、細かいところまで省かず、〝妹〟たちに語った。僕が語り終えると、アイリスはさかんに頭を振って呟いた。
「ほな、あの来夢はんはすっかりツッパリにされてしまって、オタクの仲間のウチらと付き合いたくない、そう言うねんな?」
僕らは床に座り込んでいる阿久津洋祐を見詰めた。阿久津は突撃隊員の制服のまま、さっきからニヤニヤ笑いを浮かべている。
朱美は阿久津に向かって尋ねた。
「あんた、何笑ってる?」
阿久津は立ち上がり、肩をすくめた。
「俺も以前はオタクだったが、博士の治療でツッパリになれた。あの来夢という女の子も俺と同じなら、オタクには嫌悪感しか感じないよ。オタクだけじゃない、オタクに味方するあんたらに対しても、同じように嫌悪感を感じるはずだ」
すると、ガッツ島で仲間だったオタクの一人が怒りの声を上げた。
「裏切者! あんた、あんなに元のオタク生活に戻りたいって言ってたじゃないか? あれは嘘か?」
ヘラヘラ笑いながら、阿久津は答えた。
「嘘じゃない。あの時、俺はまだ、オタクだった。しかし博士の治療で、すっかり正常になれた。今じゃオタク時代の生活も、遠い過去のことになっている」
阿久津の演説に、みんな呆気に取られていた。
桃華は腕組みをして薄笑いを浮かべ、口を開いた。
「しかたないんじゃない? 来夢が本当にツッパリの性格になっているというのなら、放っておくしかないよ。あたしたちがどうこう出来ることじゃない」
桃華の言葉に、アイリスは反発を見せた。
「そないなこと、よう言うわ。あんたも〝妹〟の一人やないか! 藍里の言葉によれば、ウチら〝妹〟は全員団結して、流可男〝お兄様〟と一緒に戦うんやで!」
美登里は朱美に話し掛けた。
「ねえ、朱美さん。あなたは来夢さんを元に戻せないの?」
「オイラがあ~っ?」
朱美は美登里の問い掛けに、素っ頓狂な声を上げた。美登里は続けた。
「だって来夢さんの性格が変わったのは、免外礼博士の研究の成果でしょ。あなたも科学者だと言うのならなんとかできない?」
朱美はがしがしと、自分の髪の毛を掻きむしった。
「性格の上書きなんて、脳味噌はそんな簡単な仕組みじゃない。オイラは免外礼とかいう似非科学者の研究を疑うな」
「それじゃ?」
美登里は目を光らせた。
朱美は眉を上げ、肩をすくめた。
「オイラの考えじゃ、来夢は騙されている。つまり博士の暗示にかかって、自分がツッパリの性格になったと思い込んでいるんだ」
僕はそっと、その場から離れた。
もし朱美の推測が正しければ、僕だってツッパリの性格になりかけているという、免外礼の言葉を疑っていいことになる。
一人きりになって、自分の性格を確かめてみようと思ったのだ。
僕はツッパリになりかけているのか?
心の中で、典型的なツッパリの姿を思い浮かべてみた。
髪の毛はリーゼントにして、改造学生服を身に着け、思い切り他人を馬鹿にしたような目つき。薄笑いを浮かべ、いつでも喧嘩できるぜとばかりに、凄んでいる。
思い浮かべた途端、吐き気がした。
大丈夫、僕はツッパリなんかじゃない!
安心したので、尿意をもよおした。
僕は潜水艦のトイレに向かった。
するとトイレでは、新山檸檬が、モップを持って熱心に床を磨いていた。ぐるりとトイレを見回すと、ピカピカに磨き上げられ、あらゆるところが輝いていた。
「あ、掃除しているのか。御免」
「〝お兄様〟!」
僕の方に顔を向けた檸檬は、ぽおおっ、と頬をピンクに染めた。瞳が煌めき、熱っぽい目つきで僕を見上げている。
うううっ!
か、可愛い……!
僕は思わず、檸檬に一歩、近づいた。
以前だったら、僕がこんな真似をした瞬間、女の子は「キモい!」と叫んで病原菌を見る目で僕を睨むところだ。
しかし檸檬は平気な顔で……いや、さらに瞳は潤み、じっと僕を見つめるだけだ。
僕は言葉を必死に押し出した。
「ぼ……僕……、き、君の〝お兄様〟だけど、でも、あの、つまり……要するに……」
アワアワと、意味の通らない片言を次から次へ口にして、僕の両手は無意識に檸檬の肩に置いていた。
檸檬の両目が閉じた。
軽く顎を持ち上げ、待ち受けている……。
何を?
決まっている!
キスだ!
僕はぶるぶる震えながら、檸檬の顔に自分の顔を近づけた。唇がゆっくり、檸檬の唇に押し当てられた。
……!
やった!
僕は檸檬のキスを奪ったんだ!
初めてのキス……!
檸檬の両目が開いた。
大きく見開き、僕の目を見詰めている。
と、出し抜けに檸檬の表情が大きく歪み、口を一杯に開き絶叫した。
「きゃあああああっ!」
ばちーんっ! と僕の頬に檸檬の平手が炸裂した。
「何すんのよっ! この変態っ!」
「えっ、えっ、えっ?」
僕は完全に混乱していた。
だって先に誘ったのは檸檬だぞ! 僕が肩を掴んだら、目を閉じてキスを待ったじゃないか!
檸檬は目に一杯、涙を溜めると、くるりと踵を返してばたばたと足音を立て、逃げ去ってしまった。
「どうしたっ!」
どたどたと足音がして、朱美が飛び込んで来た。朱美の側を、檸檬が無言で駆け抜ける。
檸檬を見送り、朱美は僕を見上げた。
「何があったんだ?」
僕は意味もなく手を振り回し、焦りながら説明した。
「檸檬にキスしたんだ……! ただ、それだけなんだ! だって、檸檬、目を閉じてキスを誘ってきたんだぜ!」
朱美の両目が大きく見開かれた。
「本当か! 流可男にしてはやるもんだ……そんなこと、お前が出来るとは思わなかったぜ……」
そこまで喋って、ふと何かを考え込む目つきになった。
「檸檬は流可男の〝妹〟、流可男は檸檬の〝お兄様〟……ふむ、そうか!」
ぽん、とわざとらしく手のひらに拳を叩きつけた。何か思いついたらしい。
「流可男、お前、檸檬にキスしたってことは、男女の関係になりたかった、ってことだよな。つまり恋人になりたかった……。違うか?」
僕は茫然として、頷いた。
「そ、そうだよ……檸檬と恋人になりたかった……。彼女もそうだと思ったのに……」
「それだ!」
朱美は僕に向け、ぐいっと指先を突き出した。
「今まで流可男と檸檬は〝妹〟と〝お兄様〟の関係だった! 確かに他の誰よりも好意を抱いているだろうが、それは男と女の抱く好意とは違うものだ。ところが流可男は、勘違いして普通の男と女の間柄になろうとした!」
朱美の言葉に、有る考えに至り、僕はぞっとなった。
「そ、それじゃ僕は……」
朱美は大きく頷いた。
「そうだ。流可男は檸檬とただの男と、女の関係になろうとした。考えてみろ! 普通の女の子が、キモオタの流可男を好きになると思うか? キスした瞬間、檸檬はお前を〝お兄様〟ではなく、ただのキモオタ男子と思うようになったんだ!」
僕はガックリと膝をついてしまった。
「つまりここにいる〝妹〟の誰一人とも、僕は恋愛関係になれない、ってことか?」
「そういうことだな。流可男は〝妹〟のハレムにいるが、どの〝妹〟にも手を出せない、ってことだ。これから何か成し遂げようとするなら、お前は絶対、〝妹〟相手に恋愛感情を持ってはいけない」
朱美の宣言に、僕は茫然と呟いた。
「なんてこった……」




