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十九世紀末らしき重厚な家具と、床に延べられているペルシャ絨毯。天井からは豪華なシャンデリア。壁のあちらこちらからニュッと突き出しているのは、各家庭に配給される蒸汽パイプだ。
僕の「蒸汽帝国」というゲームにおける自宅だ。家具の配置も、窓から見える景色も、僕の記憶にある通りだ。
「ここ、どこ?」
背後で声がして、僕はくるっと振り向いた。
黒木来夢が、いかにも心細そうに立っている。
「僕の家だ。いや、ゲームで利用している自宅だが……えーと、つまり、君『蒸汽帝国』っていうゲーム、やったことある? あの、やってなかったら、それでいいし、もし君がこのゲームをやりこんでいたら、ラッキー……なんちゃって……」
僕は来夢にくどくどと説明した。
来夢の目つきは「このオタクめ!」といわんばかりだった。
うん、判るよ。今の僕は完全にキモい、ゲームオタクだもんな。
「要するに、ゲームの世界なんでしょ!」
来夢は僕の言い訳を、ばっさりと切り裂いた。
「うん、その通り……」
「何であたしたち、こんなところにいる訳?」
さあ、それが判らない。
僕はその気持ちを表すため、肩をすくめた。
来夢はつかつかと窓に近づき、外を覗きこんだ。
「凄いわね。まるで現実の世界みたい」
「君、仮想現実のゲームをやったこと、ないのか?」
来夢は窓の外を見詰めたまま、答えた。
「あるけど、こんなんじゃなくて、もっとアニメっぽい世界観のやつ。あたしがプレイしていたのは、主に恋愛ゲームだから」
答える来夢の肩が、僅かに震えていた。
まさか、泣いているんじゃないだろうな?
僕はこんな場面、苦手だ。第一、女の子と付き合った経験が皆無なので(朱美との間系を除けば。しかし朱美は通常の女の子とはいえないだろう)、相手を慰める方法なんか知らない。
来夢はくるりと振り向いた。
良かった、目には涙を溜めていない。
「あたし、なぜ素顔を公開していなかったと思う?」
問われて、改めて疑問がわいた。
「そうだ……。君は声優の中で、素顔をほとんど公開していないよな。アニメ誌の取材でも、写真はだしていなかった……」
僕が問い掛けると、来夢は身体ごと飛び込むように喋りはじめた。それはまるで「告白」と呼んだ方が適正なくらいの勢いだった。
「あたし二次元オタクなの。二次元のイケメンとか、アニメにずーっと憧れて、しまいにはアニメの世界へ飛び込めたらと思ってた。アニメ絵の仮想現実ゲームなら、自分のキャラもアニメ絵になれるから。声優をやるようになったのも、アニメの世界だから。だから自分が現実の女の子っていうのが許せなかった。自分は現実の女の子じゃなくて、アニメのキャラクターだと思いたかったから、写真も極力、載せないようにしてたの」
来夢は一気に話し終えると、ほーっ、と大きく息を吐き出した。
「こんなこと話すの、初めて。やっぱり〝お兄様〟だと何でも話せるのかな?」
晴れ晴れとした表情を見せると、来夢は再び窓に顔を向けた。
ここで僕は悪戯心を抱いた。
来夢は僕に背中を向けたままだ。
仮想現実では、プレイヤー同士、触ることは出来ない。手を突き出しても、突き抜けるだけだ。触れることが出来るのは、ゲーム内のアイテムとか、スイッチ類だ。
僕はそーっと来夢の背後に近づき、いきなり腕を伸ばし背中に突き刺した。
「ぎゃっ!」
来夢は飛び上がり、振り向くと僕に向かってビンタをした。
ぱあん! と気持ちの良い音がして、僕の頬が痛みに痺れた。
「何すんのよっ! ヘンタイ!」
僕は呆気に取られて、自分の手のひらを見詰めていた。
あり得ない!
僕の手は、来夢の背中に触れ、さらに来夢が僕の頬を打って、痛みを与えた。
仮想現実では、プレイヤー同士は実際に触れ合うことは出来ない。僕の突き出した腕は、来夢の背中を突き刺して、向こうに突き抜けるはずだった。
僕の態度に、来夢も同じことに気づいたようだった。僕の赤らんだ頬をまじまじと見つめ、次に自分の手のひらを見詰めた。
「どうなってんの? これ、ゲームだよね」
「あ、ああ……」
僕はそっとカーテンに近づくと、指先で触れてみた。
指先は、確かにカーテンの布地の感触を伝えてくる。
今までは触れても、物理演算によるカーテンの揺れはあったが、感触はなかった。
来夢は真っ白な顔になって、僕に訴えた。
「まさか、今いるところが現実の出来事だなんて、言うつもりないでしょう?」
僕は即座に言い返した。
「当たり前だよ。ここは僕がずーっとプレイして来たゲームの中だ……まてよ! 誰かが『蒸汽帝国』のゲームのセットを完璧に再現して、そこに僕らを眠ったまま連れて来た……なんてこと、あるわけないか。この部屋もそうだし、外に見える風景だって、一日や二日じゃ作ることなんか出来やしない」
来夢はパニックになるのを、必死に堪えているようだった。両手がぴくぴく動いて、唇がひくひくと細かく痙攣している。
僕は狂おしく部屋の中を見渡した。
部屋に置かれている家具の数々は、最後に見た時と同じ配置だ。蒸気コンピューターに、蒸気冷蔵庫、ずらりと並んだコレクション用の棚。棚には僕のコレクションの同人誌、DVD、フィギア……。
あれ?
よく見るとフィギアの配置が違っている。それに見覚えのないフィギアが並んでいる。
僕は棚に近づき、並べられているフィギアを観察した。
並べられているのは、美少女キャラのフィギアの代わりに、銀河番長ガンガガンのキャラクターだ。番長ロボに、敵キャラのオータック大魔王のフィギア。それにスポーツカーや、バイクのモデル。
何でこんなのが並べられているんだろう?
僕は何気にバイクのモデルを手に取った。
しげしげと観察すると、迫真の再現性で、まるで本物のバイクを、そのまま縮小したかのように、ずっしりと重い。
「それに乗ってみないか?」
出し抜けに響いた声に、僕は驚いて手に持ったバイクを取り落としてしまった。
声の方向を見ると、さっきまでの棚から聞こえてくる。
恐る恐る、といった様子で、来夢が僕の隣に来て棚を覗きこんだ。
「嫌だ……こんな趣味の悪いフィギアを集めていたの?」
来夢は棚のフィギアを見て、顔をしかめていた。僕は慌てて否定した。
「違うよ、僕はこんなコレクション、憶えがない……えっ?」
来夢が近々と顔を寄せているフィギアを見て、僕は心臓がでんぐり返った。
男のフィギアだ。
それも突撃隊員の格好をしている。
突撃隊の制帽に、ズボン。膝まで覆う長靴。ただし上半身は白いタンクトップだ。
何と、棚にあったのは、赤田斗紀雄のフィギアだった。
覗きこんだ僕に向かい、赤田斗紀雄のフィギアは、にったりと笑いを浮かべ話し掛けて来た。
「どうだ、そのバイクに乗ってみないか?」
「ひえっ!」
僕は驚愕のあまり、腰を抜かしてしまった。
来夢も僕の側に座り込み、恐怖の表情を浮かべている。
赤田のフィギアは、飾られていた棚からピョンとひと飛びで床に飛び降り、腰に両拳を当てた。
すると出し抜けにムクムクとそのサイズが拡大し、あっという間に本来の大きさになっていった。
「明日辺流可男に、黒木来夢。わがツッパリ・ランドにようこそ!」
赤田は腕を上げ、周囲をぐるりと指し示した。
気が付くと「蒸汽帝国」の世界は消え失せ、僕と来夢は、ハイウェイらしき路面に佇んでいた。ハイウェイの両側は枯れた草がぼうぼうに生えた一面の荒野で、どこかしらアメリカのフリーウェイを思わせた。
路面には一台のバイクが停められている。
さっき見た、棚に飾られていたミニチュアのバイクだった。
両目を飛び出んばかりに見開き、来夢は同じことを繰り返し呟いた。
「ゲームよ、ここはやっぱり、ゲームなんだわ!」
「大正解!」
赤田は叫んだ。
「今いる世界は、最新の仮想現実だ。君らが利用している仮想現実では、ものに触れることは出来ないが、この仮想現実では可能だし、現実と何ら変わりのない生活が送れる。そのバイクにも乗れるし、車だって……」
赤田は言うなり、さっと手を振った。
瞬間、バイクの隣に、巨大なアメ車が現れた。アメ車はオープンタイプで、数人の突撃隊員が乗車していた。
突撃隊員はさっと車から地面に降り立ち、赤田の眼前に整列すると、きびきびと敬礼をした。赤田は答礼を返すと、ジロリと僕の隣に立っていた来夢を見て叫んだ。
「その女を車に乗せろ!」
命令一下、隊員たちは容赦なく来夢に殺到し、手足の自由を奪って、無理やりアメ車に引っ張り込んだ。
来夢は悲鳴を上げ、抵抗をしたが、数人の突撃隊員の力でねじ伏せられてしまった。赤田はつかつかとアメ車に乗り込み、運転席に飛び乗った。
茫然としている僕に向かい、赤田はニヤッと笑って言い放った。
「さて、この黒木来夢という女、君の大事な〝妹〟らしいから救いに来るんだ。そのバイクを使ってな!」
「助けて〝お兄様〟!」
来夢は恐怖の叫びを上げた。
「待っているぞ!」
赤田の叫び声を最後に、アメ車は轟然と排気音を蹴立て、走り去った。




