6
「なっ、なんだっ! お前は……、こ、こんなことあり得ねえっ!」
朱美はありったけの声を張り上げ、吠えるように叫んでいた。
叫び声は朱美の研究室一杯に響き渡り、天井から吊り下げられている旧式の無影灯をガクガクと揺さぶり、壁の漆喰をボロボロと剥がれ落ちさせた。
その場にいた新山姉妹と、アイリスは今まで体験したことのない朱美の大音声に、耳を塞ぐこともなくまともに鼓膜に突き刺さり、床に倒れ伏していた。
平気な顔で朱美の声に耐えていたのは、佐々木藍里一人だった。
ばったり倒れていた三人は、ふらふらになりながらも立ち上がり、朱美と藍里に視線をやった。
「なんやねん、けったいな大声出して……ウチら、目え、回ったわあ!」
アイリスはブツブツ文句を口にして、朱美と藍里に近づいた。
朱美はぎゅっと両拳を握りしめ、口を真一文字に引き結び、藍里を睨んでいた。
「なあ、朱美はん。何に驚いてますのや?」
朱美は腕を上げ、震える指先で藍里を指し示した。
「こっ、こいつ……、人間じゃないっ!」
「へえ?」
アイリスはキョトンとした表情になった。
藍里はにこやかな表情のまま、話し掛けた。
「相変わらず凄い声量ですね。最初に朱美さんの大声を聴いたときは、さすがのあたしも失神してしまいました。今度は準備が出来ていたので、耐えられました」
朱美は「ふん!」と鼻で笑うと、アイリスと新山姉妹に向き直り説明を始めた。
「オイラの眼鏡は、レーザー発振とニュートリノ・ビームを併用して、ありとあらゆるものを走査する。こいつでスキャンできないものはあり得ない……はずだった」
わざとらしく朱美は眼鏡を外すと、制服の袖でレンズを磨き始めた。朱美が眼鏡を外すと、驚くほどの美少女だった。
再び眼鏡を架けると、朱美はジロリっと藍里を睨んだ。
「ところがこの、佐々木藍里という女には、あらゆる数値が〝アンノウン〟となった。オイラと藍里の距離、無限大。表面温度、絶対零度、質量、無限大……」
言葉を切り、藍里は三人に顔をねじ向け、笑いかけた。
「これがどういうことか判るか?」
明らかに朱美の口調は、答えを期待するものではなかった。
「つまり佐々木藍里とは、人間の女の形を取ってはいるが、一言で説明するとブラック・ホールなんだ。こいつは生きているブラック・ホールだ!」
朱美の説明を、アイリス、新山姉妹はまるで理解していないようだった。
くるっと藍里に向き直り、朱美は吠えたてた。
「さあ、お前の正体を明かせ! お前はいったい、何者だ?」
藍里は寸毫も動揺を見せなかった。
「わたしは明日辺流可男さんの〝妹〟です。朱美さん、あなたも同じ〝妹〟です」
朱美は「ぐるるるるる……」と猛獣のような唸り声を上げた。
「さっぱり説明になっていねえぞ」
藍里はさっ! と腕を上げ、天井を指さした。藍里の動きにつられ、朱美、アイリス、新山姉妹は天井を見上げた。
「今から百三十八億年前、宇宙が誕生しました!」
藍里の指先から、眩い光が放たれ、四人は眩しさに目を細めた。光の放出が終わると、四人の周りは漆黒の闇になった。
漆黒の闇に関わらず、朱美やアイリス、新山姉妹の姿はお互い、はっきりと見て取れた。どこに光源があるのかと朱美は見渡したが、目に入るのは真っ黒な闇だけだった。
「面白え……」
朱美はぽつりと呟き、微かに笑みを浮かべた。
「この宇宙を創造したのは、このわたしです」
漆黒の闇に、ぽつりぽつりと、蛍のように幾つもの光点が出現した。朱美は光点に目を近づけ、しげしげと観察した。光点は円盤状に見え、さらに小さな光点が円盤に集まっていることが判った。
「銀河だ……」
「その通り。わたしはこの宇宙の誕生からずっと、今に至るまで観察を続けてきました。この地球の誕生も、そして地球に生命が生まれ、徐々に進化して今の人間が生まれる過程も、すっかり記憶しています」
アイリスは唇を震わせ、囁いた。
「それって、あんた神様ちゅうことか?」
藍里はアイリスの言葉に首を振り、長い髪の毛がふわりと揺れた。
「あなたの言うような神ではありません。第一、わたしは全知全能ではありませんから。わたしの目的は唯一つ、この宇宙が存在する以前の宇宙から続けてきた戦いに、勝利することです」
檸檬と蜜柑は声をそろえ、恐る恐る藍里に尋ねた。
「戦いって、敵がいるのよね?」
「神様の戦いだから、敵は悪魔?」
藍里は二人に向け、艶やかな笑みを浮かべた。藍里の微笑みは、神々しいといってもよかった。
「さっきも言いましたが、わたしは神様ではないのです。したがって、わたしの敵も悪魔ではありません」
藍里は言葉を切り、周囲を見上げた。藍里の動きに、朱美たちも周囲を見回した。
漆黒の闇に、ぽつりぽつりと光点が輝くだけだった空間には、今やありとあらゆる光の点が、びっしりと取り巻いていた。
「これが現在の宇宙です。宇宙の全域には、様々な恒星、星雲、銀河系があふれ、無限の可能性が秘められています。わたしがいた、以前の宇宙も同じようでした。ですが、その宇宙には破滅が迫っていました」
藍里の言葉に、無数の光点で輝いていた空間に、不意に黒々とした闇が侵食し始めてきた。あちらこちらから出現した闇は、周囲の星々、銀河を呑み込み、ついには総ての星々が闇に包まれてしまった。
「これが宇宙の終焉です。宇宙を呑み込んだのは〝虚無〟そのものです。ここでは空間は存在せず、したがって時間も存在しません。絶対の〝虚無〟だけがあります」
「怖い……そんなの考えたくない!」
姉妹がお互いひし! と抱き合い、小さな声で囁いた。
朱美は笑い顔のまま、叫んだ。
「オイラたちの宇宙もそうなる。宇宙が始まった時から決まっている運命だ。エントロピーは不可逆的に増大し、総ては宇宙的な斥力で原子すら破壊される。それは決定的なことなんだ」
藍里はにこやかな表情を保ったまま、朱美の言葉を否定した。
「いいえ。そうではありません。宇宙的な終焉を避ける方法があるのです」
「馬鹿な! あり得ねえ!」
朱美は吐き捨てた。




