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ゆっくりと赤田は振り向き、僕の姿を認めるとニヤッと笑いかけた。
「やあ明日辺君、この島の生活には慣れたかな?」
軽く手を振り、赤田は僕を連行した隊員を下がらせた。隊員は敬礼をすると、エレベーターに戻って、その場から退出した。
赤田は僕に向かって手招きした。
僕は用心深く、赤田に近づいた。赤田は「はっ!」と笑うと、馴れ馴れしい口調で話し掛けた。
「何も取って食おうというんじゃない。少し君と話し合いたいと思って、お呼びしたんだ」
僕は無言だった。そんな僕に、赤田は肩をすくめた。
「正直言うと、君はそれほど重要な駒とは思っていなかったんだよ。君くらいのオタクは、いくらでもいるからな。わざわざ逮捕することもなかったんだが、あの佐々木藍里とかいう女を取り逃がし、ついカッとなってね。済まなかったとは思っている」
僕はつい、赤田に向かって怒りをぶちまけてしまった。
「じゃあ、家に帰してくれよ!」
僕の言葉に、赤田は真面目な顔つきになった。
「そうはいかない。調べが進むにつれ、君の重要性が俺にも判ってきて、実に興味深い側面が浮かび上がってきた」
「何だ、それは?」
赤田の両目は爛々と光を帯びた。
「君は生まれつきのオタクだ。他人との協調はまるで苦手で、自分だけの世界に閉じこもり、二十四時間妄想にふけっている。どうだ、当たっているだろう?」
僕は悔しさに歯を食いしばると、赤田に向かって言い放った。
「あんただって同じようなものだ。突撃隊の隊長になる前は、僕らと同じキモオタの一人だったんじゃないのか?」
赤田は僕の反論に、まるで痛痒を感じていないようだった。
「まあな。否定はしないよ。しかし今は、根性を入れ直し、こうして身体も鍛えて立派に社会に貢献している」
赤田は自慢そうに腕を持ち上げて、上腕二頭筋を僕に見せつけた。何度かポーズを決めた後、大股で冷蔵庫に駆け寄り、扉を開けプロティンの箱を取り出した。ポン、と指先で箱の蓋を開き、口許へ持っていくと一気に中身をガバガバと流し込んだ。むしゃむしゃと口を動かし、ペットボトルの水で胃に流し込んだ。
「うっひゃあ~! 今日もプロティンが旨い~っ!」
満足げに叫ぶと、赤田はデスクに近づき、インタホンのボタンを押した。
「免外礼博士を」
すぐに答えがあり、ドアが開いて当人が現れた。僕がガッツ島に初めて来たとき、赤田を出迎えた一団にいた男だ。年齢は三十代後半から、四十代初めころ。相変わらずりゅうとしたなりをして、紳士服のCMに出て来そうな役者顔。
免外礼博士だ。
博士は僕をちらっと目にとめると、赤田に尋ねた。
「彼がそうかね?」
赤田が頷くと、免外礼博士は僕に向き直った。博士の背は僕より二十センチ近く、ほとんど頭一つ分高い。博士が僕を見下ろす視線は冷然として、何の感情も含まれていなかった。僕は何となく、微生物を観察する科学者の視線を連想した。
こほん、と咳払いをすると博士は口を開いた。博士の口調は、講堂などで講義をする大学教授のものだった。
「君が明日辺流可男という、高校二年生の少年か。思ったより、普通な外見だね。たいてい、オタクという人種は、異性には全くモテない外見をしているものだが」
放っといてくれ!
僕の怒りが顔に出たのだろう、博士はニヤッと素早く笑った。
「私はそこの赤田君から、真兼ショッピングモールで起きた、一連の出来事の詳細な報告を受けている。その出来事で、佐々木藍里という名前の正体不明の女が主体的な存在であることが判明した。しかしこの女の正体については、未だに不明だ」
そこまで話すと、免外礼博士は意味ありげな視線で僕を見た。
「話を元に戻すと、そんなオタクの君が、一日で数人の女の子から〝お兄様〟と慕われるようになる。これは異常だ」
あることに気づいて、僕は恐る恐る博士に尋ねた。
「あの場にいた女性たち、どうなったんです。逮捕されたのですか?」
博士は首を左右に振った。
「いいや。監視対象者ではあるが、逮捕要件を満たすような犯罪を犯しているわけではないからな。ただ、詳細な証言は取っている。不思議だねえ。あの場にいた数人の女性、特にマンガ家の崎本美登里、スーツアクターの松野桃華、メイド喫茶で働いているアイリス加藤という日系アメリカ人。この三人は実際に君に会うのは、あの日が最初だというのに、すっかり君のことを〝お兄様〟と呼ぶのだよ。そうそう、君と同じ真兼高校に通う、一年生の新山姉妹の二人も、同じことを口にしていた。詳しく話を聞くと、あの二人も君とショッピングモールに来る前は、ほとんど接点がなかったそうじゃないか」
話している博士の口調は、やや砕けたものになった。
「最初は佐々木藍里という女が謎の鍵を握っていると思っていたのだが、どうやら違っているようだな。私の考えでは、君、明日辺流可男が謎の中心にいるようだ」
博士は両手をすり合わせ、僕を爛々とした目つきで睨みつけた。蛇に睨まれた蛙、という言葉が僕の脳裏に浮かんだ。
「そこで私の考案した脳波分析により、君を徹底的に調べたい」
ドアの開く音がして、二人の隊員が中に入ってきた。
あっ、と思う間もなくその二人は、僕の両脇をがっしりと把握していた。身動きできなくなった僕に、免外礼博士は顔を近々とさせ、嬉し気な口調で話し掛けた。
「君は実にユニークな研究対象だ。つい数日前は誰もが認めるキモオタだったのに、短時間で数人の女の子を虜にしてしまうとは、考えられない事態だ。君の以前の写真と見比べてみると、明らかな違いが認められる。一体、君に何が起きたのかね?」
僕は無言で、両脇を掴んだ二人の突撃隊員を見た。
右腕を掴んだ隊員の顔を見て、僕は思わず声が出た。
「阿久津さん! あんた、突撃隊員になったのか?」
それはつい一週間前、突撃隊員によって連行された阿久津だった。阿久津は僕の言葉にも反応せず、どろんとした無感動な表情を保ったままだった。
赤田が誇らしげに叫んだ。
「そいつは免外礼博士によって、根性と気合いを注入された新しい人格の阿久津だ。以前のオタク性はこれっぽっちも残っちゃいない。明日辺、お前もいずれこうなる」
今度こそ本当の恐怖が、僕をガッチリと掴んでいた。
赤田は冷然と、二人の隊員に命令した。
「連れていけ」
僕はずるずると足を引きずるように、二人の隊員に抱えられ、連行されていった。
連れていかれるとき、「朱美の名前は出なかったな」という考えが、ちらっと脳裏に浮かんで消えた。




