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「突撃隊の車やで」

 助手席でアイリスが囁き、美登里は無言で頷くと、ハンドルをゆっくりと切って集談館の地下駐車場へ乗り入れた。運転席からサイドミラーを確認すると、視界に突撃隊のグレーの車体が見えて、美登里は首をすくめていた。

 最近、美登里は自動車の免許を取得し、車で都内を移動するようになった。

 理由は電車など公共交通機関を利用することが、極めて困難になってきたからだった。

 バスと違い、電車にオタクは自由に乗れる。が、オタクの女性は女性専用車を利用できない。オタクの女性が一般車両に乗り込むと、特に美登里のような美貌と肉体的魅力を放つ女性が乗り込むと、一般人を含むツッパリ、ヤンキーたちの痴漢の標的となる。

 オタク女性は痴漢の被害に遭っても、相手を訴えることはできない。もし痴漢を現行犯逮捕して突き出しても、女性オタクが悪いとされ、逆に訴えられてしまうのだ。

 オタクを隠すため「ヲ」バッジを外して痴漢に遭った場合、オタクであることが判明すると〝異常嗜好隠蔽詐称罪〟となり、即座にガッツ島への送還が決まってしまう。

 男のオタクも同じようなもので、電車にオタクが乗り込むと逆に女の標的になる。つまり痴漢冤罪の被害に遭う。何もしていなくとも、ただそこにいるだけで「一般女性を性的な視線で見た」という罪に問われるのだ。どんなに窓に視線を固定していても、窓ガラスに映った女性の姿を眺めていたとされ、罪に問われてしまう。

 従って都内のあらゆる公共交通機関からは、オタクの姿が次々に消えていった。いわれなき罪から逃れるため、オタクたちは一斉に車を所有するようになっていた。車を所有できないオタクは、バイク、自転車などを利用して移動の足としていた。

 こういったオタク迫害は、今のところ都市部だけに限られていて地方には波及していない。「ヲ」バッジの強制も地方には浸透していないため、都市部に居住していたオタクたちは徐々に地方の、小さな市町村へ避難し始めていた。

 車から降りると、美登里はアイリスと共に「少年マックス」の編集部へ急いだ。

 美登里は女らしいブラウスに、デニム地のスカート。足元はパンプスで決めている。

 アイリスは近頃、和風ゴスロリに凝っていた。上は浴衣に帯を締め、下は袴風のスカートで足元は膝まで覆うブーツという格好だ。

 エレベーターで一階に出ると、通行証を使って編集部へ直通するエレベーターに乗り換える。

 編集部に顔を出すと、「わーん!」という大勢の立てる騒音に二人は包まれた。編集部では部員が各々担当するマンガ家や、原作者、あるいは印刷会社、配送などの部署と連絡を取り合っている。

 その他のデスクワークの部員は、各々のデスクに設置されている端末に向かい合い、必死の形相でデータを入稿していた。

 まるで戦争のようだ、と美登里は思った。

 実際、ぴりぴりとした緊張感は、戦場と同じようなものだろう。入り口で立っている二人に注意を向ける編集部員は、一人としていなかった。

「崎本先生! お待たせしてすみません」

 場違いともいえるのんびりとした声に、二人が視線をやると、相変わらずジャガイモに目鼻といった印象の、神山の姿があった。

 にこにこと人の良さそうな笑顔を顔いっぱいに溢れさせ、神山は二人を衝立のある一画に案内した。

「どうも会議室が予約できなくて、こんなところで恐縮ですが」

 と言い訳して、神山は気ぜわしく動いて、美登里とアイリスのためにコーヒーと茶菓子を用意してくれた。

「衝立があるから、まだましよ」

 美登里は神山を安心させたくて、そんな気休めを口にした。神山は壮んに「すみません」を口にして、大汗をかいて恐縮をしていた。

 二人がコーヒーを口にし、暫時気まずい沈黙が支配した。

 神山は黙って、美登里とアイリスの顔色を窺っている。

 コーヒーを飲み終えた美登里は、わざと受け皿にガチャン! と音を立ててカップを置いた。美登里の隣に座るアイリスは、思わず目を閉じていた。

 神山はギクリと背筋を伸ばした。

「神山さん……」

「は、はいっ!」

 美登里の穏やかな口調に、神山の顔にどーっと大量の汗が噴き出した。

「どうなの?」

 美登里は悪戯っぽい笑いを口の端に湛え、神山を見詰めた。神山の視線はしきりにあちらこちらに跳び、分厚い唇を舌先でぺろぺろ舐めていた。

 やがて大きく息を吸い込むと意を決したように視線を上げ、美登里を見詰め返した。

「銀河番長ガンガガンの作者、紅蓮さんとの面会のセッティング、大丈夫です!」

「そうなの……」

 意外とスムーズに事が運び、美登里は逆に拍子抜けしていた。が、神山はさらに身を乗り出すように美登里に囁いた。

「来週、地方都市のショッピングモールでガンガガンの集客イベントがあるんです。そこに作者の紅蓮さんもいらっしゃるので、崎本先生には足をお運び願いませんか?」

 美登里はさっきからの神山の態度の理由が、ようやく判ったように感じた。

 なるほど、だから神山は躊躇いを見せていたの!

「あたしにわざわざ、東京からそこへ行け、というのね。どうして紅蓮さんがこっちへこれないの?」

 神山は身をよじって悩んでいるようだった。

「それが、どうしても紅蓮さんは動くつもりはないそうなんです」

「会いたければ、そっちから来い、と言っているのね。いいわ、それならあたし、そのイベントに顔を出してあげる。それにしても、紅蓮というマンガ家は一体、どんな人なの?」

 神山は暗い目をした。

「それが……僕も知らないんです。男か女か、若いのか年寄りなのかも……日本人かどうかも判らない……」

 美登里は目を瞠った。

「じゃあ、神山さんも会ったことないの? それじゃ集談館で紅蓮と会ったことのある人は誰?」

 神山は胸を張った。

「一人もいません。紅蓮さんからの連絡はすべてメールで、完成した原稿はデジタル・データで送信されますし。だから一度も、紅蓮さんは集談館に来社されたことはないはずです」

 美登里は一つ思いついて尋ねた。

「原稿料や、版権料の支払いはどうなっているの? どうしたって振込先が必要でしょ?」

 神山は肩をすくめた。

「その辺は僕も知りません。確かに集談館は支払いをしているはずですが、ギャラの支払いはもっと上の段階でやっているのでタッチしていないんです」

 ふうーっ、と美登里は大きく息を吐いた。

「判ったわ……。ともかく、そのショッピングモールがある場所はどこなの?」

 神山はごそごそと全国道路地図帳を取り出した。ページを開き、ごつい指先を地図の一か所に指し示した。

「この町です。東京からはそう、遠くはないので日帰りできます」

 美登里は目を近づけ、神山の示した地図上のJR駅の駅名を見詰めた。

 真兼町、とあった。

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