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「四つだ!」
「二つで充分ですよ……」
「聞こえなかったのか、二つと二つで四つだ!」
「二つで充分ですよ、判ってくださいよ」
「それじゃ饂飩をくれ……」
面倒くさい遣り取りの後、ドアの覗き穴がカチャリと軽い音を立てて閉まり、ロックが外れる音がして入り口が開いた。
松野桃華は、開いた入り口にするりと足先から踏み込み、背後でドアが閉まる音を耳にした。
ここは中野のブロードウェイにある「アカシア」という店名の喫茶店だ。ただし〝ヲ〟マークがドアに付けられている。つまりオタク専用の喫茶店である。オタクは、一般人の店に立ち入ることを厳しく禁じられている。ドアには「閉店」の札が架かれていて、合言葉を承知している者のみが、店内へ入室できることになっている。
喫茶店だけでなく、レストランなどオタクだけが来店できる〝ヲ〟マークの店舗は、中野ブロードウェイを始めとする中央線、西武池袋線、新宿線界隈に多数存在する。中野区、杉並区、練馬区などにオタクが棲むようになっていたからだ。
中野、杉並、練馬の三区はアニメスタジオ、マンガ家が多く住み、オタク三角地帯となっていた。
秋葉原がオタクの聖地でなくなって、久しい。秋葉原にあったビデオ・ゲームなどの店舗は作業衣、タイヤ、車用品、ファンシー小物雑貨(ツッパリ、ヤンキーはなぜかファンシー雑貨を好む)などの店舗に取って代わられてしまった。しかし中野ブロードウェイは、建物の構造上、ヤンキー御用達の店は入りづらい。中野ブロードウェイの店はほとんどが間口の狭い小口店舗で、そのため、マンガ、ゲーム、フィギアなどのオタク店が生き残り、新たなオタク聖地として残ったのだった。
今日桃華は、先日ツッパリたちから救い出した中年のオタクに招かれ、集会に参加しに来た。冒頭の遣り取りは、店内に入るための合言葉で、毎回の集会のたびに変えられる。合言葉はたいていオタクが好む映画や、テレビ番組の名場面から選ばれる。
桃華は集会があるたびに、毎回違った合言葉を伝えられるので、これが厄介だった。伝えられるとき「今回はブレードランナーで出てくる日本語の会話です」と教えられるのだが、そのたびに作品を鑑賞してどの場面の言葉が合言葉として使われるか、推理しなくてはならない。
「ブレードランナー」で出てくる日本語は冒頭の主人公と屋台の親爺の会話と、時々繰り返される「何か変なものが落ちてるぜ」だけなので、憶えるのも簡単だった。
これがテレビシリーズで有名な会話だと、どの話数か探さなければならない。オタクなら常識なワードも、桃華はそれほど深いオタク知識はないから、面倒だった。
どうもこの合言葉システムは、お互いオタクであることを確認し合うためのじゃないか、と桃華は密かに思っていた。
何しろ、合言葉を決める際、オタクたちは「次回はブレランのあれで」「ああ、あれですか。了解!」という謎の会話をしていた。
そのためボケーっ、と遣り取りを見ていた桃華に、「ブレランというのはブレードランナーという映画のこと」とわざわざ解説してくれ、それで合言葉の詳細を教えてくれたのだ。
オタク同士なら「あれ」で通じ合えるのだろうが、桃華にはさっぱり判らない。
今日もまた、来店した客たちのオタク会話を我慢しなくてならないのか、と桃華は軽くうんざりした気分で足を進めた。
アカシアの店内は、客が十名ほども入れば一杯になるような、小さな間口の喫茶店だ。店内のテーブルは、わざわざ復刻した「インベーダー」「ギャラクシアン」「ゼビウス」などのゲームの筐体で、店内のあちこちにアニメやゲームのフィギアが飾られている。
店内のテーブルはすべてうまっていて、桃華が入室すると客たちは一斉に顔を上げ注目した。
「モモちゃん! こっちが空いてるよ」
奥まったテーブルから、頭の禿げあがった中年男が手を挙げて桃華を呼んだ。
桃華がツッパリたちから救い出したオタクで、名前を萩野谷という。萩野谷は集会に参加するように誘い、桃華はその言葉に従い、何度か参加していた。
萩野谷は変装したままで良いと言ってくれたが、さすがにマスクを被ったまま来店することは躊躇われたので、桃華は素顔で参加することにした。
本名を告げるとその日から「それじゃモモちゃんと呼んで良いかい?」と提案されたのだった。
桃華はテーブルの間をすり抜け、萩野谷の隣に座った。小柄で、ほっそりとした桃華は、並んだテーブルの間を軽くすり抜けられる。
座ると、同席したオタクたちがソワソワし始めた。
桃華は誰がどう見ても、小学生か中学生に見える。二十歳を過ぎているとは、誰にも思ってもらえない。
小中学生の少女と同席することは、この時代極めて危険だった。悪くすると、親族でさえ「ロリコン」と決めつけられることがあった。少女に見える桃華が傍にいると、オタクたちはつい、近くに青少年健全育成突撃隊の憲兵がいないか、疑惑にかられるのだ。
同席したオタクたちは年齢も、性別もまちまちだった。最年長は隣に座る萩野谷であるが、女性のオタクも同席していた。最年少は中学生の少年で、カマキリのように痩せていて、度の強い眼鏡を架けていた。
「こうして見ると、モモちゃんって何だか男の子のように見えるわねえ!」
真向かいに座る、三十代の女が感心したという態度で、大きく首を振って話し掛けた。河馬のように太っていて、唇にべったりと口紅を塗りたくっていた。女はジロジロと桃華と萩野谷を交互に見て呟いた。
「うーん、中年オタクと少年の組み合わせ……あっ、いけない妄想しちゃった!」
女はBL趣味だった。
男が二人並んでいるだけで、即、男同士の恋愛関係を妄想する癖がある。少年に見える桃華と、中年オタクというおぞましい妄想に、頬を赤らめブツブツ口の中で何か呟いていた。
数回集会に参加していた桃華は、そんな妄想も慣れっこになっていた。全員、口下手で、人見知りではあるが、一旦打ち解けると遠慮がなくなる。
オタク集会とはいえ、全員常識人で、それほど過激な表現をするわけではない。ただ慣れていないと、彼らの突飛な会話についていけないだけだ。
各々の気分がほぐれるのを待って、この会を取り仕切っている萩野谷が改まった口調で口を開いた。
「ええ、今回報告があります。先週、憲兵によって拘留された仲間が数十人、出ました」
萩野谷の報告に、桃華を除いた全員が電流に触れたように動きを止め、顔色を曇らせた。
「そのうち半数近くは拘留されたその日のうちに釈放され、自宅に戻りましたが、残りの半数が憲兵隊の尋問を受け、十数人ほどがガッツ島への教育刑を受ける必要あり、と判断されたようです」
淡々と報告を続ける萩野谷の声に、全員が粛然とした態度になった。チラチラとお互いの顔を見合わせ「明日は我が身か」と暗い予感に震えていた。
桃華は、じりじりとした焦燥感を感じていた。
だんっ! と桃華はテーブルを叩いた。
店内に響いたその音に、全員がギクリと背筋を伸ばし桃華を注目した。
桃華は堪らず、大声で叫んだ。
「みんな、どうかしてる!」
「おい、モモちゃん。どうした?」
萩野谷がのんびりとした声を上げた。
桃華はキリッとした目つきで、萩野谷を睨んだ。萩野谷は桃華の興奮した様子に、さっと顔を伏せた。
「こんなんじゃ、駄目よ。ただ毎日毎日、あいつが捕まった、今度はあの娘が引っ張られた……次は誰だろうと言っているだけじゃないの?」
全員が顔をそむけ、そわそわと頭を掻いたり、手元の端末を開いて見入ったりして桃華の視線を避けた。
萩野谷が恐る恐る、桃華に話し掛けた。
「モモちゃんはどうすればいい、と思っているのかな」
桃華は言いよどんだ。
「どうするって……。とにかく、何か変えなきゃ……。みんな、ツッパリやヤンキーを怖がっているだけだし。そう、いつもいつもあたしが助けられるわけじゃないし」
萩野谷は首を振り振り、答えた。
「しかしなあ、俺たち喧嘩なんて絶対、できない……。あいつらに脅されれば、つい 言いなりになるしかないよ」
その時、最年少の少年が両目を光らせ、口をさしはさんだ。
「〝釜飯屋〟がいるよ!」
少年の言葉に全員「ああ!」と頷いた。
桃華は身を乗り出した。
「誰、その〝釜飯屋〟って?」
萩野谷が言い難そうに説明した。
「武闘派のオタクだ。ツッパリやヤンキーを恐れず、戦うべきだと主張しているオタクの一人でね」
桃華は萩野谷を見詰め、叫んだ。
「その人に会わせて! 知り合いなんでしょう?」
「う、うむ……まあ……」
萩野谷は困り顔になった。
「確かに知り合いではあるが、まあ変わり者でもある。まあ、どうしても会いたいなら、連絡を取るが、実際に会って驚かないよう頼むよ」
オタクに「変わり者」とわざわざ言われるとは、どんな人間だろうかと、逆に桃華は興味を激しく刺激された。




