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「腹が減った!」と訴える朱美のために、院長は出前を頼み、僕は院長の診察で「異常なし!」というお墨付きをもらって保健室を出た。

 高校の廊下は僕の足音だけがペタペタと響いて、森閑としていた。

 奇妙だった。

 授業中ではあるが、こんなに静まり返っているのは少し異常だ。普通は教師の講義の声や、校庭では運動部などの活動する物音が聞こえていなければならない。

 何より生徒の大半を占めるツッパリ、ヤンキーたちが教師の講義に冷やかしや、揶揄いの邪魔をする蛮声が上がって、高校中がざわめいているはずだ。

 まるで無人の校舎を歩くような気持ちになって、僕はつい「今日は休日だっけ?」と思っていた。

 無論、そんなことはない。

 僕の足は、自分のクラスへと向かっていた。

 何しろ僕は歴とした真兼高校二年生だ。平日なら、きちんと授業を受けなければならない。

 ツッパリやヤンキーだって、授業時間にはきっちりと教室に入って、講義を受ける。

 意外でしょ?

 ツッパリやヤンキーとは不良のことだ。不良が真面目に授業を受けるなんて、信じられないだろう。でも結構、奴らはきちんきちんと出席している。不良っぽい格好をしているが、実は卒業証書だけはバッチリ手に入れることが大切だからだ。

 僕だって卒業証書は手に入れたい。

 うっかり留年なんてことになったら、真兼町脱出という僕の目標が遠ざかる。

 首をひねりながら、僕は渡り廊下を歩いた。

 保健室のある第二校舎と、僕のクラスのある本校舎とは、中庭の渡り廊下で繋がれている。渡り廊下からは、校舎の教室の窓が目に入った。

 何だ?

 校舎の窓がほとんど開け放たれ、そこには生徒たちが鈴なりになって渡り廊下を歩く僕を、じーっと観察していた。

 理由が判らず、僕はことさら生徒たちを無視して歩き続けた。視線は粘りつくようで、背中に突き刺すようだった。

 少なくとも好意の視線ではない。

 あるのは何かを待ち受ける、意地の悪い期待感だ。

 渡り廊下から本校舎へ入り、僕のクラスの教室へ向かう。

 入り口の引き戸を開けた瞬間、クラス中の視線が僕に集中した。

「ようやく御出ましだぜ……」

 クラスの一番後ろの席を陣取る、綿貫という生徒が大声を上げた。

 教壇では担任の大賀が、ジロリと僕を憎々しい視線で睨んできた。もっとも大賀のこんな目つきはいつものことなので、僕は気にしなかった。

 綿貫はクラスを仕切る番長だ。

 昔はクラス委員とかいったが、今では番長という名前で呼ばれている。生徒会も今は番長会になったが、役割は変わらない。変わったのは、クラスの中で一番「根性が入っている」と評価された者が選ばれるということだ。生徒会長も、〝総番〟と呼ばれ、各クラスの番長を仕切る役目になっている。

 綿貫は番長、という呼び名に相応しく、「根性が入って」「気合いが入った」服装をしていた。

 真兼高校の男子制服を改造して、襟を思い切り立てて、ほとんど顔の半分ほどが隠れるようにしている。ズボンは袴のように裾が広がり、上着の裏地にはド派手な金糸の刺繍で龍と虎の絵柄をあしらっていた。もちろん髪型もリーゼントで、金髪に染め、蟀谷を剃りあげ青々とさせていた。眉はほとんど見えないほど細く脱毛させ、鼻の下にはいやらしい口髭を生やしていた。

 ただしこの口髭は描いたものだ。

 担任の大賀が僕を真正面から睨みつけ、話し掛けてきた。

「明日辺。今度、クラスで全員が話し合って、〝タイマン〟勝負をすっことになったぺよぅ! 勝負をすんのは、おめえと、番長の綿貫だっからよ、正々堂々とタイマンすんだぞ!」

 げええええっ!

 まさに青天の霹靂!

 わああっ! とクラス中が歓声で沸き立った。全員の目には僕がタイマン勝負でこっぴどくやられるところを目撃したい、という欲望がギラギラと剥き出しになっていた。

 冗談じゃない!

 僕はクルリと踵を返し、逃げ出そうとした。

 が、クラスに背を向けた瞬間、逃げ出そうという僕の目的は果たせないことが、ハッキリと判った。

 なぜなら僕の背後を、隣のクラスから男子生徒たちが全員出てきて、逃げ出せないようびっしりと取り囲んでいたからだ。

「タイマン勝負だっぺえよ! 逃げんのはなしにすっぺよ!」

 生徒たちから声が上がった。

 すると「タイマンだ!」「勝負だ!」という声が続々と上がって、一斉に生徒たちが集まってきた。襟首が誰かに掴まれ、僕はぐいっと集団に引き込まれた。

 僕は無数の手に掴まれたまま、校舎から校庭へ引きずり出されてしまった。

 校庭の真ん中、無数の男子生徒たちが輪を作り上げ、僕はその中に立ち尽くした。

 輪の中から、綿貫が悠然と姿を現した。

 綿貫の顔には、僕を叩きのめせるチャンスを手にした邪悪な喜びが溢れていた。

「やっちまえ! キモオタをやっつけろ!」

「ぶっ殺しちめえ! この高校にはロリコンはいらねえっぺ!」

 次々とどぎつい悪罵が僕に投げつけられた。

 幼い頃の記憶が蘇る。

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