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 総理官邸。

 いうまでもなく日本の意思最高決定機関の内閣の長、総理大臣の居住する場所である。厳密にいえば官邸に隣接する総理大臣公邸がそれにあたるが、ひとまとめに総理官邸と呼称されている。一旦大事あれば、各大臣が招集され、国家の非常時に対応することになっている。

 公用車が官邸に導かれ、ドアが開き突撃隊の制服を着用した一人の男が降り立った。制服の上着はわざと着用せず、真っ白なタンクトップ姿で鍛え上げた筋肉を誇示している。

 青少年健全育成突撃隊の最高責任者、赤田斗紀雄だった。

 いつもなら赤田の歩調は自信に満ち溢れ、大股に闊歩するのだが、今日の赤田は何やら自信無げに見えた。歩みも力なく、顔もうな垂れトボトボとした歩調だった。鍛え上げられたはずの上半身の筋肉は張りがなく、引っ込められた腹も今はドデンと肉が垂れ、背中は丸くなっていた。

 そのまま赤田は総理の居室に移動し、ドアを力なくコトコトと叩いた。

 すぐさま返事があり、赤田はドアを開いた。

 窓を背に大きなマホガニーの執務机があり、その向こうに内閣総理大臣、朝比奈亜利紗の姿があった。

 真っ赤なスーツに、色を合わせたのか、はっとするほどどぎつい真っ赤なルージュの朝比奈総理は赤田の顔を見て、片方の眉をぐいっと持ち上げて見せた。

「どうしたの? 元気がないじゃない」

「はあ……」

 赤田は力なく返事をして、もじもじとしていた。何か言いたそうだが、言いかけると黙り込んでしまう。そんな赤田を、朝比奈総理は辛抱強く待ち続けた。

 ようやく赤田は大きく息を吸い込むと、決意を固めたように言葉を押し出した。

「辞表を提出したいと思います」

 赤田の言葉に朝比奈総理の形の良い眉がさらに跳ね上がった。

 つかつかと赤田は総理に近づくと、一通の封筒を差し出した。表には金釘流で「辞表」の文字が書かれている。

 総理は椅子の背に背中を預けるように姿勢を変えると、慎重な口ぶりで質問を投げかけた。

「理由をお話なさい」

 促され顔を上げた赤田の顔には、悔しそうな表情が浮かんでいた。

「〝オタク狩り〟の任務に失敗しました。西荻窪のメイド喫茶に強制捜査を仕掛けました。しかし、あろうことか容疑者全員を逃したばかりか、私自身が現場で気絶し前後不明という醜態を演じてしまいました」

 総理は両手を組み合わせ、赤田をじっと見つめた。

 くどくどと言い訳を続ける赤田の身体に変化が生じていた。鍛え上げられた全身の筋肉は徐々に消えていき、肩が丸くなっていく。六つに割れていた腹筋はぶよぶよとした脂肪に取って代わられ、姿勢は前かがみになって猫背となった。厳しい線を見せていたがっしりとした頬はぷっくりと膨らみ、頬の肉がだらんと垂れ下がった。

 赤田は腰のポケットから眼鏡入れを取り出し、眼鏡を鼻の上に架けた。眼鏡のレンズ越しに朝比奈総理を見る赤田の表情はオドオドと自信がなく、今にも叱声が飛ぶかと恐怖の表情が浮かんでいた。

 今の赤田の姿は、以前のオタク評論家とまったく同じになっていた。

 朝比奈総理は出し抜けに机上を思い切り叩くと、猛然と立ち上がった。

 バシン! と総理の手のひらが打ち付けた音に、赤田はビクッと飛び上がった。

「いい加減にしなさいっ! 赤田、何ですその態度はっ? まるで以前のオタクだった頃みたいじゃないですかっ!」

「すっ、すみませんっ!」

 赤田の両目には薄っすらと涙が滲んでいた。

 朝比奈総理はゆっくりと赤田に尋ねた。

「任務に失敗したと言いましたね。いったい何があったのです? 詳しく報告なさい」

 赤田は救われたように説明を始めた。

「先ほども申し上げたように、西荻窪のメイド喫茶にオタクが多数集まっているという情報が入りました。一斉検挙のため、憲兵隊を投入したところ、店内の客は裏口から逃走を図りました。それは事前に察知していたので、憲兵隊を裏口に待機させ、私は単独で店内に突入したのですが……」

 赤田の顔が苦渋に歪んだ。

「その後何があったのか……記憶がすべて失われております。気が付くと私は店内で倒れておりました……。裏口で待機していた憲兵隊も全員、記憶に欠落があり、店内の容疑者は全員取り逃がしました」

 朝比奈総理はゆっくりと椅子に座り、再び両手を組み合わせた。ほっそりとした指先の真っ赤なマニュキュアが、鮮やかな光沢を放った。

「奇妙だわね。何よりあなたの記憶が失われていることは重要な気がする。私の勘だけど、オタクたちに新たな動きが生じている気がするのよ」

 赤田は興味津々の表情になって総理に尋ねた。

「それはどういうことでしょう?」

 朝比奈総理はうるさそうに長い髪を片手で掻き上げた。

「まだはっきりとは判らないわ。それより赤田、あなたには新たな任務を与えます」

 赤田は「はっ!」と敏感に背筋を伸ばした。

「ガッツ島に行きなさい。あなたを新たにガッツ島の所長に任命します」

 赤田の顔に「意外だ!」と言いたげな表情が浮かんだ。総理は微笑を浮かべ、机上のインタホンを操作した。

免外礼めんげれ芳夫博士の資料を」

 ほどなく謹厳実直を絵に描いたような地味なスーツの官員が現れ、手に一冊のファイルを持ってつかつかと総理の前へ歩み寄った。

 ファイルを机へ置くと、一礼をして素早く立ち去って行った。

「一読しなさい」

 総理に命じられ、赤田はおずおずとファイルを手に取り、開いた。

 最初のファイルに一枚の写真が添付され、簡単な人物紹介が記されていた。

 添付された写真には四十代初めと思われる一人の男性の顔写真があった。端正な顔立ちで、黒々とした豊かな頭髪をオールバックにしている。

 ファイルには「医学博士」とされていたが、役者にしたいほどのハンサムだった。

 城南大学卒業、精神医療、遺伝学両方で博士号を取得、多くの大学で教鞭をとり、発表される論文は幾多の論文に引用されている……。

 読み進める赤田に、朝比奈総理は話し掛けた。

「現在ロリコンたちは逮捕を免れるため、無害そうなオタク趣味をカバーとして潜伏しているそうね。鉄道、軍事ミリタリー、車、鉄道、グルメなどの趣味を装って、実はロリコンという例が実に多いのよ。どちらも見かけは気合いが入っていないイケてない格好をしているから、中々見分けが難しいのも事実」

 ファイルに見入っている赤田は、総理の言葉に「ふんふん」と上の空で頷いていた。

 オタクの中でも、ロリコンオタクの摘発が難しくなっていることは事実だった。

 総理の指摘通り、憎むべきロリコンたちは、無害そうなオタク趣味に隠れ、美少女アニメやゲームの世界に浸っていた。特にコンテンツを電子データに変換して潜伏しているオタクたちは、外見でも一般人と見分けが難しいとされている。

 読み進んだ赤田は、記載された文言に注意を喚起された。

「異常嗜好者の脳波、および生体代謝機構に関する資料」という一文に赤田の視線は釘付けになった。

 赤田は資料から顔を上げ、総理の顔を見詰めた。

「これによりますと……ロリコンオタクを発見する新方式があるようですが……」

 朝比奈総理は大きく頷いた。

「そうよ、免外礼博士は赤外線レーザーによる体表面の熱分布と、脳波の観測によりロリコンオタクを見分ける方式を研究しているの。さらにロリコンを正常なツッパリ、ヤンキーに矯正する教育プログラムも」

 赤田は感激に全身を大きく震わせた。

「素晴らしい! これは人類に貢献する有意義な研究です!」

 朝比奈亜利紗総理は椅子から立ち上がり、ぐっと前のめりになって赤田を睨みつけた。

「赤田! 何をふやけた態度をしているのです? 日本の危機が迫っているのですよ。今こそ本格的な〝ロリコン撲滅〟運動を展開しなくてはならない時です!」

 総理の両目が妖しい光を湛えはじめた。

 その光に貫かれ、赤田の全身が細かく震えはじめた。

「立ち上がるのです! 赤田、ロリコンどもを一人残らずこの日本から追放するため、あなたの力が必要なのです!」

 総理は右手を上げ、人差し指を赤田に向けて突きつけた。

 ガクンと赤田の全身が仰け反り、弓なりに反り返った。

 すると赤田の体つきが変貌していった。

 ぶよぶよとした肥満気味の身体が引き締まり、全身の筋肉が盛り上がった。腹が引っ込み、腹筋が六つに割れた。背筋が鞭のようにより合わさり、肩から腕にかけて瘤のような筋肉がもりもりと浮き上がった。

 一瞬で赤田は狂戦士バーサーカーのような体格に変身していた。

「やります! 何としても総理の期待に沿えるよう頑張ります!」

 赤田は吠えるように叫んでいた。

 興奮する赤田を見詰める朝比奈総理の形の良い唇の両端がぐいっと吊り上がり、全体としてⅤの字の形に歪んだ。

 それはまるで、悪魔の笑い顔そのものだった。

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