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高円寺駅前でたむろしている五人の若者を目にした松野桃華は、素早く物陰に隠れ、様子を見守った。
彼らはじっと、駅の改札を見詰めていた。
やがて改札から、一人の中年の男が現れると、お互い目くばせをして、背後に回った。
中年の男は小太りで背が低く、身に着けているのは色あせたジーンズに襟元がくたびれたスエットシャツ、地味な色合いのジャケットという出で立ちだった。背中には大きなバッグを背負っている。前頭部から大きく禿げ上がり、絵に描いたようなオタクだった。男の胸には「ヲ」マークのバッジが燦然と輝いていた。
桃華は男の背後をついていく若者たちを観察し、一人頷いた。
〝キモオタ狩り〟だ!
間違いない。
五人の若者たちはこれまた絵に描いたようなツッパリで、この暑いのに革のジャケットを着こみ、髪の毛はリーゼントやパンチパーマで一人はツルツルに剃りあげている。全員、ぶっ太い鎖のアクセサリーをこれ見よがしに腰や、首につけジャラジャラとうるさく鳴らしていた。
駅前から中野方向へ歩いていた中年男は、背後のツッパリたちの鎖の音に気づいたのか、不意に背後を振り返りギョッとした表情を浮かべた。
逃げ出そうとする中年男を、ツッパリたちは素早く取り囲み行く手を塞いだ。
「よう、ロリコン親爺、これから小学生の女の子を狙いにいくのか?」
「なっ、何を……」
中年男の顔色が、見る間に蒼白になった。
取り囲んだ一人が、ずいっと前へ出て腰に手を当て、下から舐め上げるような動きで中年男に近づき、いがらっぽい声を上げた。
「決まってるだろ、おめえはロリコンキモオタ親爺だってことだあ~! おめえのような薄汚ねえ親爺がいるから、小学生の女の子はおちおち登校もできねえんだよ」
中年男の唇が細かく震え、途切れ途切れに声を押し出した。
「ぼ……僕はロリコンなんかじゃ、ないです……」
「嘘でえ~す! あなたはロリコンでえ~す!」
一人が小躍りするような奇妙な動きで近づくと、自分の腰に手をやりギラギラと剣呑そうな光を放つサバイバル・ナイフを取り出した。
中年男は小さく「ひっ!」と押し殺した悲鳴を上げ全身が硬直した。
もう一人が中年男の背負っているバッグに手をかけ、無理やり肩から外すと乱暴に地面に投げつけた。地面に転がったバッグからは、どさりと音を立て分厚い本が転がった。
「なんでえ、こりゃ?」
「こりゃ、時刻表じゃないか!」
中年男の顔に、救われたような表情が浮かんだ。男は若者たちに早口で説明した。
「ぼっ、僕の趣味は鉄道なんです! 全国の路線を制覇するのが目標で、時刻表はいつも持ち合わせています。ねっ、だから僕はロリコンなんかじゃないですよっ! ほら、見て下さい。バッグの中にロリコンのマンガとか、同人誌なんか入っていないでしょう?」
ツッパリたちの間に戸惑った空気が漂った。
が、お互い何か了解に達したのか、全員の顔に薄ら笑いが浮かんだ。くるっと振り向くと、中年男に近づき宣言した。
「いーや、あんたはロリコンだ! その時刻表は、全国の小学校を巡るために使っているんだ! 決まりっ! 有罪決定!」
ツッパリ・ヤンキーにとって、「鉄オタ」も「アニメオタ」も同じ範疇に属する趣味だ。ツッパリは他人の趣味について恐ろしく不寛容で、理解できない趣味はすべて「キモイ」「暗い」と断罪する。従って「鉄道オタク」も彼らにとっては「ロリコン」と同じだった。
そこまで見守っていた桃華は、もう我慢の限界だった。隠れていた物陰で素早く着替えを始める。
上着はリバーシブルで、裏返すとピンク色の生地になる。手製のマスクをバッグから取り出し、頭から被った。マスクは顔を隠すためだ。上着とおそろいの、ピンク色のマスクだった。さらにピンク色のズボンを大急ぎで履き、ひざ上まで達するピンク色の長靴を装着すると変身は完了した。
ツッパリたちが中年男を取り囲み、今まさに殴りかかろうとするところへ、桃華は脱兎のごとく駆け込み、一人の尻を背後から思い切り蹴り上げた。
「ぐぎゃっ!」
桃華に尻を蹴り上げられた最初のツッパリは、くぐもった悲鳴を上げるとピョンと飛び上がり横倒しに地面に転がった。
突然の桃華の乱入に、他のツッパリたちは呆気にとられ反撃も忘れて立ち尽くした。
「なっ、何だおめえはっ!」
ようやく一人が、絞り出すように声を上げた。
「問われて名乗るはおこがましいが、知らざあ言って聞かせましょう……」
桃華はゆっくりと喋り出した。少し芝居がかっていることは百も千も承知だが、こうでもしないと格好がつかない。ツッパリたちは気を呑まれたように、桃華の自己紹介に聞き入っている。
「人知れず助けを求める声を聴き、こうして参上したはオタクを助ける正義の味方! 人呼んで〝オタピンク〟とはあたしのことさ!」
桃華は地面に両手をつくと、逆立ちの格好になって両足を思い切り突き出し、一人の胸板に蹴り上げた。
通常、脚の力は腕の三倍と言われる。突き上げた両足の踵がまともに胸板に炸裂し、不運な相手は真後ろに吹っ飛んだ。地面に倒れると、悶絶して息も出来ないようで、声も発することも出来ずにうずくまった。
立ち上がった桃華は、背中に隠した武器を手にした。
三十センチほどの棒に、直角に持ち手が突き出した奇妙な形状をしている。
トンファーと呼ばれる武器で、琉球空手が発祥と言われている。非力な女の子の力でも扱え、効果は高い。
ようやくツッパリたちは桃華に対し、戦意をわかせたらしい。表情が険悪になり、武器を持っている者は手にして構える。
が、一人が何かを思い出したような表情になり、急に気弱な声を上げた。
「こっ、こいつ、さっき〝オタピンク〟って言ったよな?」
「えっ?」
〝オタピンク〟という名前に、他のツッパリたちは一様に腰が引けていた。お互い顔を見合わせ、先ほどまでの威勢のいい態度は、一瞬で消え去っていた。
「知っているぞ、この辺で〝ツッパリ狩り〟をやっている全身ピンクの奴がいるって噂……まさか、こいつが?」
最後は囁き声になっていた。
桃華はマスク越しに凛凛と声を上げた。
「そうだよ、そのオタピンクってのはあたしだよ! いったい何度言わせるんだ!」」
「わあっ!」とツッパリたちは一斉に声を上げ、ドタドタと見っともない足取りでその場を逃げ出した。
桃華は当てが外れて呆然と立ち尽くした。
せっかくツッパリを相手にできると思ったのに、桃華の変身後の姿を見ただけで逃げ出してしまう。
近頃、桃華はある〝衝動〟を感じるようになっていた。衝動を感じて歩き回ると、必ずツッパリがオタクを脅迫している現場に辿り着いた。
そのたびに、桃華は得意の格闘技の技を使って、ツッパリたちを叩きのめしていた。
案外ツッパリたちは、喧嘩に弱かった。
というよりは喧嘩そのものをツッパリたちは経験していないようだった。強そうな外見で凄んでいれば、相手は必ず従うという経験しかなく、実際の殴り合いなど一度もしたことがないのが普通だったからだ。
そんなツッパリを叩きのめすのは、桃華にとって何ら罪悪感は感じなかった。むしろ義務感に衝き動かされるようだった。
変装をするようになったのは、桃華の外見が小学生の少女にしか見えないため、すぐ噂になって正体がばれるのを防ぐためだった。いつしか桃華の変装は〝オタピンク〟という綽名をたてまつられるようになっていた。
「あのう……」
突然声をかけられ、桃華は無意識に戦いの構えを取っていた。
声をかけてきたのは、先ほどの鉄オタ中年男だった。
中年男を見て桃華は構えを解いた。中年男はもじもじと何か言いたそうにしている。
「何か?」
中年男はペコリと頭を下げた。
「危ないところを助けていただき、有難うございました」
「いいのよ……」
桃華は軽く頷き、その場を立ち去ろうとした。すると中年男は慌てた様子で、桃華に追いすがってきた。
「あの! 少しお話があるんです!」
桃華が振り返ると、中年男は必死な顔つきで見詰め返した。
「ぼっ、僕、本当は〝アニメオタク〟なんです! こっ、これ見て下さい!」
中年男は震える手でバッグを開くと、バッグの隠し袋から一冊のクリア・ファイルを取り出した。開くと今は禁断の美少女アニメのスキャンプリントがファイルされているページを開いて桃華に見せた。
「鉄オタってのは、カモフラージュなんです。本当は美少女アニメとか、特撮ヒーローものが大好きなんです。僕、実は〝隠れオタク〟だったんです!」
政府のオタク迫害が浸透するようになって、それまでのアニメオタク、ゲームオタク、SFオタクたちは世間的に無害そうに見える趣味に隠れ、ひっそりとオタク生活を続けるようになっていた。
そういったオタクたちを「隠れオタク」または「二重オタク」と呼ぶ。
桃華は不審そうな声を上げた。
「それが何か?」
中年男は急き込んで話を続けた。
「あなたのことは噂で聞いています。オタクたちの救世主のようなヒロインが活躍しているって……それで、お願いがあるんです!」
桃華は身構えた。
「サインとかだったら、お断りよ!」
中年男は慌てて否定の意味で首を振った。
「違うんです! 僕ら〝隠れオタク〟たちは秘密の組織を作っています。〝自由な表現を守る抵抗軍〟ていう名前の……」
桃華は意外な話の成り行きに黙り込んだ。
「僕らの組織に加わってください! こんな時代は間違っている! 僕らはいつか昔のように、好きなアニメ、特撮映像、SF小説を楽しめるような時代を招来するため活動を開始している。でも、リーダーがいない……だから……」
「だから?」
「あなたにリーダーになって貰いたいんです!」
さらに桃華が黙り込んだままでいるため、中年男は必死になって掻き口説いた。
「その変装のままで構いません。あなたの正体がばれないよう、僕らも協力します。あなたが加われば百人力だ!」
じわじわと桃華の胸に決意が込み上げてきた。ゆっくりと桃華は頷いた。
「そうね……あたしも一人で戦うのは限界を感じてきたから……参加してもいいわよ」
桃華の言葉に、中年男の顔に喜色が弾けた。
「有難い!〝萌えと共にあらんことを!〟」
中年男の口走った言葉に、桃華は首をひねった。
「何それ?」
「僕らの合言葉です」
中年男は顔を赤らめつつ、答えた。




