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 アイリスは出入り口に向き直った。

 出入り口のドアは、今にも破れそうだ。

 みしみし……と蝶番が軋み、ついに「バアン!」と爆発音のような轟音を立て、ドアは弾け飛んだ。

 がったん! とドアが内側に倒れ込み、出入り口一杯にがっしりとした体格の憲兵が姿を現した。革の長靴と、制帽を被っているが、なぜか上半身は白いタンクトップひとつだ。

「はっはあ~! いたなあ~!」

 てらてらした丸顔に、凶悪な笑顔を張り付け、憲兵はアイリスを睨みつけ大声で吠えたてた。

 アイリスは眼前の憲兵の正体を知っていた。

 赤田斗紀雄。

 青少年健全育成突撃隊の隊長。

 もとオタク文化評論家。

 今は〝転びオタク〟として、すべてのオタクの恐怖の象徴になっている。

 赤田は店内を見回し「ふん!」とひとつ鼻で笑った。

「裏口へ客を逃がしたのだろうが、無駄、無駄! そんなことはとっくに承知だ。今頃別動隊が、裏口に回って、ここにいたキモオタたちを一斉検挙しているさ!」

 アイリスは悔しさに全身を震わせた。

 かっとなって、赤田に食って掛かった。

「なんでや! なんであんたらは、罪もないオタクをこんなに差別するんや!」

 赤田は冷笑を浮かべ、アイリスに向かって諭すように答えた。

「罪がない? バカな! この国ではオタクであることがすなわち罪なのだ。いいかね、我が国は長年、少子高齢化に悩まされてきた。オタクたちはいい年をして結婚もせず、ゲームだの、マンガだの、フィギアに血道を上げているじゃないか。それだから日本は出生率も下がり、今に年寄りだけの国になる。そうならないために、全国民がヤンキー、ツッパリになる必要があるんだ。ヤンキー、ツッパリこそが正しい生き方で、オタクはその正反対だ! だからこの国からすべてのオタクを正しいツッパリに更生させる必要がある。俺は愛国心でやっているんだ!」

 アイリスは素早く言い返した。

「あんたもオタクの一人やったやないか!」

 アイリスの反論に、赤田はちょっとばかり顔をしかめた。

「まあな、あの頃の俺を思い返すと、恥ずかしいばかりだ。しかし今の俺はこんなに健康だ!」

 赤田は上半身の筋肉にぐっと力を入れて、アイリスに誇示した。

「オタクで俺のようなナイスボディがいるか? どうせ自宅にこもって、一日中ゲームに浸っているか、動画サイトでエロい動画を見ているだけだろう? まるっきりなっちゃいねえ!」

 赤田の自己自賛に、アイリスは呆れかえった。アイリスの感情が顔に出たのだろう、赤田はいきなり怒りの表情を浮かべた。

「もうお前とグタグタ喋っている暇はねえ! オタク幇助容疑で逮捕する! 大人しくお縄を頂戴しろ!」

 赤田は手錠を取り出し、アイリスに向かってのっしのっしと大股で近づいた。手錠には白いロープがついていた。

 素早くアイリスは赤田の手を逃れ、店内を逃げ回った。赤田は「無駄、無駄、無駄!」と連呼し、ロープ付きの手錠を頭の上でブンブンと音を立てて振り回した。

「そうれ!」

 赤田は手錠をぶうん! と振り回し、アイリスに向けて投げつけた。

 ロープは蛇のように空中を飛来し、アイリスの手首にガッチャン! と音を立ててはまってしまった。

 赤田がぐい! とロープを手前に引くと、アイリスの身体は軽々と空を飛んだ。

「キャアッ!」

 痛みにアイリスは悲鳴を上げた。

 どてっ! とアイリスの身体はロープに引っ張られ、床に横倒しになった。赤田は余裕綽々でアイリスに近づいた。アイリスは真っ暗な恐怖に、身体が動けなくなっていた。ただただ強張ったまま、近づく赤田を見上げているだけだった。

 赤田はにったりと笑いを浮かべ、腕を伸ばすとアイリスの襟首を掴み上げた。軽々とアイリスの身体を持ち上げると、近々と顔を寄せてきた。

 アイリスの視界一杯に、赤田の丸々とした顔が近づいた。

「ほっほう……こうして改めて見ると、なかなかの美少女ではないか! 俺がオタクだったころなら一発で〝萌え〟ていたところだな!」

 アイリスの胸に、怒りがムカムカと燃え上がった。

「だれがあんたなんか……その手をはよ、離しいや!」

「そうよ! 今すぐ、アイリスを離しなさい!」

 突然響いた女の声に、赤田はギクリとなって振り向いた。

 アイリスも声の方向に視線を向けた。

 壊された出入り口に、一人の女性が険しい目つきでこちらを見ていた。

 すらりとした体つきに、亜麻色の長い髪の毛を複雑な形に結い上げている。身に着けているのは女子高生の制服だ。

 アイリスは思わず女性の名前を呼んでいた。

「藍里はん!」

 新たに登場したのは佐々木藍里だった。

 藍里はアイリスに顔を向け、にっこりと微笑んだ。

「アイリス、日本へようこそ!」

「えっ? えっ? えっ?」

 アイリスは混乱の極に達していた。

 あり得ない!

 アイリスの脳裏には、ゲーム「蒸汽帝国」でデータの海に消えていった藍里の姿が、今も強烈に焼き付いている。

 赤田は新たに現れた藍里をジロリと睨んだ。

「誰だ、手前は? 邪魔する気なら、公務執行妨害で逮捕するぞ!」

 藍里は赤田の問い掛けには答えず、ずい! と、店内に踏み込んだ。そのまま一定の歩調で、赤田とアイリスに近づいた。

 唸り声をあげ、赤田はアイリスを荒っぽく投げつけ、藍里に向き直った。投げつけられたアイリスは、転倒した勢いで後頭部を床に激しく打ち付け、苦痛に気が遠くなった。

 恐れも見せず、藍里は赤田の真正面に立つと、すらりとした形のいい腕をあげ、手のひらをぱっと開いて待ち受けた。

 虚を突かれた赤田の額に、藍里の手のひらがぴたりと吸い付いた。

 手のひらを額に押し付けられた瞬間、赤田の全身が一瞬で硬直した。見開いた両目がくるりと白眼になる。

 ぱかりっ、と赤田の口が開かれ、両ひざから力が抜けた。

 すとん、と赤田は膝を床について蹲った。ころりとそのまま、赤田は床に横たわってしまった。

 すぐに、ぐおーっ、ぐおーっと赤田の鼾が盛大に響き渡った。

「怪我はない?」

 横たわった赤田を一顧だにせず、藍里は上体を屈めてアイリスに近づいた。しなやかな腕を伸ばし、アイリスの肩を支えて立たせてくれる。藍里の指先がアイリスの細い手首にガッチリはまっている手錠に触れると、手錠はパカン! と軽い音を立て、外れて床に落ちた。

「おおきに……」

 アイリスは礼を言い、藍里と向き直った。藍里の顔を見詰め、茫然と呟いた。

「あんた、ホンマに藍里はんやろか?」

 藍里は無言でうなずいた。

 アイリスは猛然と問い掛けた。

「ありえへんわ! あんたは消えたんや。それに、あんたはゲームのキャラやんか? いったい、どうなってんや!」

 藍里はピタリ、とアイリスの唇に指先を押し当てた。そのまま微かに首を振る。

「今は何も聞かないで」

 アイリスは身動きもできなくなり、言葉も発することが出来なくなった。それは藍里のせい、というよりアイリスの心から喋ろう、動こうという意思が消失したかのようだった。

 ゆっくりと藍里の顔がアイリスに近づいた。

 もうアイリスの視界には、藍里の顔しか映らなくなっていた。

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