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映像の美少女を、僕は知っている。
佐々木藍里。僕が「蒸汽帝国」というゲームで作成したパートナーキャラだ。彼女の姿を見た瞬間、僕の脳裏に、藍里の記憶が奔流のように蘇ってきた。
ゲームで僕と戦う藍里。
僕に向かって微笑む藍里。
そうだ! 僕が忘れていたのは、藍里の存在なんだ!
それだけでなく、僕はすっかり昨日の出来事を逐一、思い出していた。そんな僕に、朱美は質問した。
「誰なんだ、こいつは?」
僕は朱美に向き直ると、藍里について説明を始めた。
朱美は僕の説明に「ふんふん」と何度も頷きながら聞き入った。普通なら「ゲームのキャラが現実世界に飛び出した」という説明を一笑のもとに否定するところだったが、朱美は一切僕の説明を遮ることなく、最後まで聞き入った。
「不思議なことだな……」
朱美は腕組みをして考え込んだ。
「確かにこの藍里とかいう女は、流可男のゲームのパートナーなんだろう。お前の説明には矛盾はない。問題はお前だけじゃなく、クラスの連中も藍里の存在を忘れているということだ。流可男、今朝お前が登校した時、クラスの連中は藍里について何も質問しなかったんだろう?」
朱美の言葉に僕は虚を突かれていた。
そうだ、藍里の存在を忘れていたのは僕だけじゃなかった!
茫然となっている僕を無視して、朱美は言葉を続けた。
「佐々木藍里がなぜ現実世界に存在したかについては棚上げにして、オイラの関心は別にある」
朱美の眼光が鋭さを増した。
ぐいっと腕を上げ、僕を指さした。
「流可男は、オイラの薬の影響で、体質が劇的に変化した。キモオタで肥満児、近眼のお前が、今じゃどうだ? 昨日のお前と同じとは、誰も思わないだろう!」
「そ、そうだね……それで?」
僕はじりじりと後退した。
朱美の眼光に不吉な予感を感じたからだ。
にったあ! と朱美の唇が大きく笑いの形に歪んだ。
「もう一度、同じ実験を敢行する! 流可男、お前手伝え!」
「何だって!」
僕は悲鳴を上げた。
「嫌だ! あの薬をもう一度注射するなんて、断固として拒否する!」
朱美は僕の拒否の言葉に、ポカンと口を開けた。
「何言っているんだ? 誰が流可男に薬を注射するって言った?」
僕の頭が一瞬、空白になった。
「それじゃ、誰に注射するんだ?」
朱美は胸を張った。
「決まってる! それはオイラだ!」
僕はぼんやりと朱美の言葉を繰り返した。
「薬を注射するのは、朱美だって?」
朱美はニタニタ笑いを続けふんぞり返った。
「当たり前だろう! 貴重な薬を、何で流可男なんかに二度も使えるか! 流可男の変化で、薬の効能がはっきりした。どうやらオイラの開発した薬は、被験者に劇的な変化をもたらすらしい。それは筋力の倍増だ! もしオイラがこの薬を注射したらどうなると思う?」
朱美の言葉に、僕はぞっとなった。朱美は察するところ、あの薬の効能をはっきりとは分かっていなかったらしい。
最後の言葉に、僕は「はっ!」となって顔を上げた。
「それはつまり……?」
「そうさ、流可男がそんな体になったんだから、オイラが自分の身体に注射したらもの凄い変化が期待できるぞ。ああ、ワクワクするなあ! オイラの力が薬で何倍になれば、オイラは最強になれる!」
最強の真兼朱美……あまり想像したくはなかった。今でさえ朱美は手に負えないほどなのに、これがさらに強力になったら誰が朱美を制御できるんだ?
朱美は早口に僕に命令を下した。
「流可男! ビデオを用意しろ! 今から薬の効果を逐一記録する!」
僕は朱美の実験助手として付き合いが長い。命令されるとつい、自動的に体が動いてしまう。
命令されたビデオの用意をしながら、僕の脳裏には佐々木藍里の謎が渦巻いていた。
あの藍里は本物だろうか?
なぜ僕の目の前に姿を現したのか。
もっとも納得しやすい説明としては、確かに本物の人間だが、自分を佐々木藍里というゲームのキャラと思い込んでいる、というものだ。僕が藍里と一緒にいるところをゲームの中で知って、自分がその藍里だと勝手に思っている女の子。
駄目だ! あまりに無理が多すぎる。
朱美は藍里について素っ気ない態度だったが、好奇心を燃やしていないというわけではない。むしろ逆で、朱美は問題が大きいほど、謎が深いほど態度は冷たい。多分、データが少ないので、それについては触れないのだ。朱美の頭の一部では、藍里の謎について猛烈に働いているのに違いない。
「用意はできたか?」
朱美の質問に僕は三脚に立てたビデオカメラの向こうから頷いた。
「いつでもいいよ」
「よし。それじゃオイラ真兼朱美は、新薬投与を始める。被験者は真兼朱美十七才。現在、きわめて健康! 今から自分の身体に薬を投与して、効果を確認する。オイラの予測では、オイラは投与して後、身体の変化をきたすだろう。では始める」
一気に説明すると、朱美は注射器を持ち上げた。牛乳瓶ほどもある、巨大な注射器だ。ギラギラと輝く剣呑そうな針先を、自分の腕に近づけた。
「むん!」と一息に朱美は針先を自分の腕に突き刺した!
ちゅーっ、とピストンを押し、注射器の薬液を注入していく。
ことん、と注射器が床に落ちた。
朱美は微動だにせず、両足を踏ん張って立っている。
僕はおそるおそる、声をかけた。
「気分はどうだい?」
朱美は動かない。まるで彫像のようだ。
と、ぽつりと呟いた。
「熱い……」
「え?」
「熱い!」
見る見る朱美の顔が真っ赤に染まった。
どて、とその場に尻もちをついた。
僕は心底驚いた。
これは普通じゃない。
いや、朱美の存在そのものが普通じゃないが、今の反応は普通じゃない。
今まで朱美はこんな状態になったことはなかった。朱美は悪食で、口に入るものは何でもガツガツ食らうが、一度たりとも体調を悪くしたり、食欲がなくなる、などということもない。もちろん今まで僕の知る限り、風邪を引いたこともない。
おっかなびっくり、僕は朱美に近づいた。朱美は床にべったりと尻をついて座り込んでいた。顔は相変わらず真っ赤で、ピクリとも動いていない。
ちょっと手を伸ばし、朱美の額に触れた。
熱い!
まるで燃えるようだ!
俯いた朱美の顔を覗きこんだ。
ダラダラと大量の汗が朱美の額から噴き出している。汗はねっとりとして、粘液のような糸を引いていた。
こりゃ大変だ!
僕は慌てて研究室を飛び出した。




