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成田空港の到着ゲートで、崎本美登里は次々と現れる入国客の列を見守っていた。何度も腕時計を確認し、表示板を見上げ到着便の時間を確かめる。
入国するのはあらゆる国、地域からの人々。服装も人種もまちまちだ。一番多いのは中国や東南アジアからの来客で、日本人とあまり見分けがつかない。アフリカ大陸や中近東からの人々も多い。欧米からの来客はそう多くはなかった。
通り過ぎる入国者たち、とくに男性は美登里の胸をジロジロと見やっていた。女性も時折、興味深そうに美登里のスタイルに視線を釘付けにしていた。明らかに日本人とわかる美登里が、日本人離れした巨乳なので驚いている。
美登里はじっと待ち受けた。
到着便は時間通り。
もうすぐのはずだ。
続々と到着する人波に、美登里は目的の人物を見つけていた。
ほっそりとした体つき、褐色の肌のアフリカ系と思われる少女。髪の毛は真っ青に染めている。もっとも目につくのは、菫色の瞳だ。
相手も美登里に気づいた様子だ。
足取りが早くなり、美登里に向かって手を振り、それでも足りないのか、ピョンピョンと何度も飛び跳ねた。
「美登里はーん!」
少女はゲート中に響き渡るような大声で叫ぶと、大股で駆け寄ってきた。待ち受ける美登里は大きく両腕を広げ、少女を迎え入れた。
がっしりと二人は抱き合った。
まるで何年も会わずにいた肉親のようだが、実は二人が実際に顔を合わせたのは、今日が初めてだった。
「アイリス、とうとう来ちゃったのね」
ようやくアイリスの身体を離し、美登里はやや沈んだ口調で話し掛けた。
アフリカ系の少女はアイリス加藤といい、美登里の外国向けに描いたマンガの翻訳を担当している。アイリスが翻訳を開始してからは、美登里のマンガの人気は急上昇した。それ以前の翻訳者がどちらかというと機械的な翻訳をしていたのに対し、アイリスの翻訳は日本語のニュアンスを正確に反映しているという評判だった。
「うん、ウチとうとう来たんやで。美登里はん、もうちょっと喜んでくれたってええやろ?」
アイリスの日本語は奇妙な関西弁だった。アメリカで暮らしていた頃、ネットで日本のバラエティ番組を貪るように鑑賞して日本語を覚えたせいで、どこか中途半端な関西弁となってしまう。
「まあね、嬉しいことはそうだけど、あまり今の日本に期待しすぎないで」
美登里の答えに、アイリスは軽く肩をすくめた。その仕草はやはりアメリカ人らしいものだった。
「判ってまっせ! 今の日本はオタクには厳しい環境だってことは」
美登里はアイリスの妖精のような愛らしい顔を見詰めた。
現実に二人が顔を合わせたのは今日が初めてだが、何年も一緒に暮らした経験があるような、奇妙な既視感があった。ネットで美登里のマンガを翻訳するため、セリフの意味を打ち合わせする際、動画で会話を交わした時、不思議な親近感を感じたのだが、こうして実際に顔を見合わせるともう、二度と離れたくないと思うのだった。
同じ感覚はどうやらアイリスも感じているらしく、美登里の握った手を離そうとはしなかった。
アイリスは美登里の上着の胸に留められたバッジに気づいたようだった。
「これ、なんですの?」
アイリスの視線に気づき、美登里は微笑みを浮かべた。あまりこのバッジには気づいては欲しくなかったが、まあ、仕方がない。美登里の胸に留められているバッジにはカタカナの「ヲ」という字が印字されている。
「これは〝オタク・バッジ〟というの。政府公認のオタクは、このバッジを着けることが義務付けられているのよ。先月から支給されてあたしも貰ったばかり」
アイリスの表情がぱああっ、と明るくなった。
「政府公認のオタクやって! じゃあ、日本でオタクが差別とされてるちゅうのは、ちゃうねんな?」
美登里は首を振った。
「その逆よ。まあ、おいおい判ってくるかもね……」
二人は手を繋ぎあったまま、空港の建物を外へ向かった。
出口から外へ足を踏み込んだ途端に、アイリスは茫然と立ちすくんでいた。
空港バスの乗り場に、大きく看板が立てられている。それには
──オタクとペットの乗車を禁ず──
と書かれていた。
アイリスは看板を指さし、美登里に質問した。
「これ、なんや?」
美登里は暗い気分で説明した。
「ここは一般人のバス乗り場なのよ。このバスに公認オタクが乗ることは禁じられているわ。それにレストランや、公衆トイレも、一般人とオタク専用に分けられているから気を付けないと……」
アイリスは「呆れた」と言いたげに、何度も首を振った。
「オタク専用のバスってなんやねん?」
「こっちよ」
美登里はアイリスの手を引き、歩き出した。
空港の建物から離れた場所に〝オタク乗り場〟と書かれた看板のバス乗り場があった。
「酷い……」
アイリスはバス乗り場を一目見て、ショックを受けたようだった。
オタク専用のバス乗り場は、まるでゴミ捨て場のようだった。あちらこちらに堆くゴミ袋が積み上げられ、生ゴミの鼻を突く異臭が漂っている。
「今日はゴミの集配日だからこうなっているけど、普段はこうじゃないのよ。運が悪かったわね」
美登里の説明に、アイリスは眉をひそめた。
「でもバス乗り場がゴミ捨て場やって、どないなってんな?」
やってきたバスを見て、アイリスはさらにショックを受けた様子だった。
もうもうと黒煙を吐き出す中古のバスは、車体には錆が浮き、窓ガラスには一枚残らずガム・テープで補修がなされている。さらにバスの横腹には、スプレーで落書きが書かれていた。落書きは「オタクは死ね!」とか「ロリコンは日本から出ていけ」などオタクを非難する言葉が多かった。
二人がバスに乗り込み、しばらく待つと続々と乗客が乗り込んできた。乗客は全員、胸に美登里と同じ「ヲ」マークのバッジを着けていた。どの乗客も野暮ったい服装で、一様に大きなバッグを肩や、背中に背負っていたりしていた。
美登里が胸に着けている「ヲ」バッジは、今のところ都市部に限られている。そのため都内に住んでいるオタクたちは、「そろそろ都会を離れようか」と考え始めていた。
乗客は先に乗り込んでいた美登里の横に座るアイリスを認め、不思議そうな顔つきになった。
アイリスの顔に疑問の表情を認め、美登里は顔をアイリスに近づけ小声で話し掛けた。
「あなたはいかにもオタクっぽく見えないから違和感があるのよね。バッジも着けていないし。それにアフリカ系でしょ。日本人の感覚ではアフリカ系のオタクなんて、存在しないから」
アイリスは呟いた。
「なんでこんなんになったんや?」
アイリスの疑問に美登里は吐き捨てるように答えた。
「朝比奈総理が就任してからよ!」
美登里の言葉が終わるのを合図にしたように、バスは出発した。




