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「ぎえええええ~~っ!」
僕が絞り出した苦痛の声は、思い出しても人間の出せる声ではなかった。喉も裂けんばかりに僕は全身の力を込め、悲鳴を上げていた。
どう表現していいか……。
ともかく全身のありとあらゆる箇所が苦痛の針で攻め立てられていた。肌はいたるところ無数の針で突き刺されているようで、内臓はでんぐり返り、全身は炎に焙られているように熱く、体の中は氷柱に突き刺されているように冷たかった。
「けけけけけけっ!」
僕が苦痛に悶えている様子を見て、朱美は怪鳥のような笑い声を上げていた。両目はギラギラと輝き、口許は笑いの形に張り付いて、唇からはダラダラと涎を盛大に垂らしていた。
もうじっとはしていられなかった。
僕はピョンと飛び上がり、また飛び上がった。それでも全身の勝手な動きは止まらず、研究室を何度も飛び跳ねていた。
飛び跳ねるごとに僕の跳躍の高さは増し、とうとう高い天井に手が届くくらい、飛び上がっていた。
その間、悲鳴は一時もやまなかった。
いや、止めることが出来なかった。
何度目かの跳躍の後、僕はドテッと床に倒れ込んでいた。立ち上がることすら頭にのぼらず、僕は床に横たわったまま、ジタバタと殺虫剤をかけられたゴキブリのように動き回った。
何をしても、どんな姿勢になっても、この苦痛は一瞬でも和らぐことはなかった。だからといってじっとしていたとしても、全身の苦痛はやむことはなかったろう。
この間、ひっきりなしに雷鳴は轟き、稲光が不気味な光を室内に送り込んでいた。
そんな僕の様子を、朱美はパンパンと両手を打って喜び勇んで眺めていた。
朱美は真正のドSで、他人の苦痛が大好物だ。他人が苦痛に悶えたり、悲鳴を上げている様子を見るのが大好きだ。
「あっはははははは! 面白え! こりゃ見ものだなあ!」
身をよじり、腹を抱えて朱美は笑い転げていた。あまりに笑いすぎ、朱美はとうとう床にべったりと座り込んでしまった。
どれほどの時間がたったのだろう。
実際には一分か、それ以下だったはずだ。
何かが起きたのは判った。
それは根本的な何かで、僕の全身を身体の内側から変化させる何かだった。
苦痛は消え去っていた。
僕は横たわった姿勢から、ゆっくりと立ち上がった。
朱美はハッと顔を上げた。
「どうした流可男?」
僕は無言で、一歩一歩着実な歩みで、朱美に近づいていた。僕の態度に何かを感じ取ったのか、朱美も立ち上がり僕の顔をまじまじと見つめていた。
「流可男?」
朱美が僕に呟くような問いを発した瞬間、僕は変貌していた。
拳を握りしめ、ぐいっとそのまま後ろに引くと、僕は全身の力を込め、朱美の顔面に拳を叩きこんでいた!
ごき! と鈍い音がして、僕の拳は、朱美の顔面にめり込んでいた。
「ぎゃっ!」
朱美は僕が聞いたことのない異様な悲鳴を上げると、背後に吹っ飛んでいた。背後の壁に朱美の全身が叩きつけられ、衝撃で壁に亀裂が走った。さらに叩きつけられた勢いで、その姿勢のまま前方に倒れ込んでしまった。
ばた! と倒れ込むと、一度も掃除をしたことのない床から猛然と埃が舞い上がった。がばっ、と顔を上げた朱美の顔面には僕のパンチが青々とあざを作り、架けている眼鏡のレンズには罅が入っていた。
「流可男、貴様っ!」
朱美は驚愕の声を上げ、ついで怒りの表情になった。猛然と立ち上がると、朱美は両方の拳を握りしめ、僕に向かい合った。
ぜーっ、ぜーっと大きく呼吸を繰り返す朱美の口許に微笑が浮かんだ。
「面白え……オイラの薬は、流可男に思いもかけない効果を現したな!」
その時の僕の精神状態は、通常のものではなかった。
怒りもなく、恐怖もない。焦りもなければ、悲壮感も感じなかった。純粋に冷静な使命感が僕を動かしていた。
僕を突き動かしていたのは、猛烈な戦闘意欲だった。
この真兼朱美という人間を倒す!
ともかくぶちのめしてやる!
それだけだった。
僕は無言のまま全速力で朱美に殺到し、床を蹴って跳躍した。跳躍した姿勢のまま足を上げてつま先を朱美に向けて突き刺した。朱美は腕を上げ僕の攻撃を受け止め、もう一方の腕を使って僕に向かって殴りかかった。
僕は微かに身をよじって朱美の攻撃を避けると、床に足が触れる直前に二度目の蹴りを入れていた。まるで空手の有段者のような二段蹴りだった。
これは見事に朱美の腹部に突き刺さった。
弾かれたように朱美は背後に吹っ飛び、壁に全身が叩きつけられた。
ズシン! と研究室全体が震え、天井から吊り下げられた無影灯がガクガクと大きく揺れた。
もう朱美の顔に笑いはなかった。
朱美は真剣な表情になると、今度は本気で僕に襲いかかってきた。
ドラム缶のような体型と、百キロを越える体重という体格にかかわらず、朱美は恐ろしく動きは素早い。先ほどの僕の蹴りにも一切ひるむ様子は見せず、まるで小さな竜巻のように手足を舞わせて僕に攻撃を加えてきた。
拳が脚が、肘が膝が、全身のあらゆる箇所が武器となった。
お互い必殺の打撃を加えあっているのに、すべての攻撃は防御されていた。僕の最初の打撃を除いて、一度も効果的な攻撃はなかった。こうなると必要なのは攻撃に対する意欲、戦闘への意思だけだ。
次第に朱美の顔に焦りが浮かんできた。
このままでは埒が明かないと思ったのか、ドンと肩で僕を押しのけると、朱美は制服の胸に留められている真兼高校校章のバッジに触れた。
途端に朱美の制服が変貌した。
襟が広がり、朱美の顔を覆う。袖が伸びて、指先まで覆って手袋の形に変化した。スカートは足先まですっぽりと覆い、ブーツの形になった。
同時に、表面の色合いが変化した。制服の色味が変化し、全体が真っ赤に染まった。
朱美の戦闘色だ!
朱美の真兼高校女子制服は戦闘強化服なのだ。仕組みについて詳しくは知らないが、かつて朱美が僕に得意そうに説明したところでは、極微のナノ・マシーンという分子機械が制服の繊維を構成し、朱美の生体認証システムで起動するのだそうだ。強化服になると朱美の筋力を数十倍に増加させ、さらにありとあらゆる攻撃から守る盾となる。同時に表面の色彩も変化し、全体が真っ赤に染まる。真っ赤に染まるのは、戦闘システムが起動した徴だ。
ただでさえ朱美の力は十人力と言われる。自分の体重と同じものを軽々と持ち上げるし、握力はゴリラ並みで、固いパイナップルさえも手のひらで握りしめただけで粉砕してしまう。
そんな怪物的な力の持ち主が、強化服によって力を増加させるのだから笑い事ではすまない。まさに小さな戦車が、室内で暴れまわるのに等しい。
朱美が僕に襲いかかろうとした瞬間、室内に女性の声が響き渡った。
「やめなさいっ!」
女性の声は異様な迫力を伴って、僕と朱美の動きをピタリと止めていた。
声の方向へ目をやると、藍里が燃えるような瞳で僕らを睨みつけていた。




