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飛行船のエンジンが轟音を響かせ、地上が見る見る遠ざかった。
上空に達すると、今まで気が付かなかったが、すでに夜明けが迫っていた。水平線からは朝日の丸い顔が覗き、一瞬で夜空は明るい夜明け空に席を譲った。
飛行船のゴンドラは意外と広々として、前方の操縦席と客席は、間仕切りで分けられている。
美佐子院長はいそいそと動き回り、コンパクトなキッチンで、僕らのために朝食を用意してくれた。珍しいことに、朱美が美佐子院長を手伝っていた。
僕は院長を手伝っている朱美に話し掛けた。
「驚いたな。まさか飛行船が迎えに来るとは思わなかった。これは君の持ち物か?」
「違う!」
朱美は上機嫌で僕に答えた。
「これはレンタルだ。オイラの発明品の特許を使用している企業に話を付けて、迎えに来させたんだ」
「ははあ……!」
僕は茫然となった。
朱美は超天才であるとは承知していたが、まさかこんな影響力を持っていたとは、まるで知らなかった。
「さあさあ、お腹が空いたでしょう。いっぱい、食べてね」
各々の席に院長と朱美は、朝食のプレートを配って回った。
朝食はトーストにコーンポタージュ、サラダと目玉焼き。目玉焼きはサニーサイドだった。目玉焼きにはハムがついていた。
来夢と蜜柑は隣同士の席に座り、朝食に歓声を上げさっそくぱくついた。阿久津はむっつりと離れた席に座り、もくもくと食べ始めた。
僕も朝食に向かい合った。
旨そうだ!
かたん、とプレートが床に落下する音がして、背後を振り返ると、四人がうつらうつらとし始めている。
がっくりと顎をたれ、阿久津が真っ先に鼾をかき始めた。続いて、蜜柑と来夢、美佐子院長が席に崩れ寝息を立て始めた。
「どうしたんだ?」
僕が呟くと、朱美は平然と説明した。
「睡眠薬を混ぜておいた。しばらくは目が覚めないだろう」
僕の方を見て、朱美は言葉を重ねた。
「安心しろ。流可男の飯には入れてない」
僕は呆れた。
そうか、それで朱美が院長の手伝いをしていたのか! 手伝うふりをして、密かに睡眠薬を食事に混ぜたんだ!
「何てことしたんだ! 院長にも睡眠薬を盛ったのか? 君の母親だぞ」
朱美は「へっ!」と鼻で笑った。
「それがどうした。オイラは流可男と話し合うことがある。聞かれるとまずいんで、眠って貰っただけだ」
僕は席に座りなおした。
「話し合いって、何だよ」
朱美は僕の真向かいに座り、ピンク縁の眼鏡のレンズ越しに僕をじっと見つめた。
朱美に見詰められ、僕は落ち着きを失った。
以前、百キロ以上あった超肥満の朱美は、体重の三分の二を失い、スリムな美少女に変身している。真っ赤な髪の毛と、抜けるような白い肌。マンガのヒロインのような大きな瞳をした朱美は、誰もが振り返るような美少女だ。形のいい唇が動き、言葉を押し出した。
「奇妙だとは思わないか、流可男」
「な、何が?」
「あいつらだ」
朱美は眠り込んでいる来夢、蜜柑を顎で指し示した。
「あの二人は、流可男を〝お兄様〟と呼び、自分たちはお前の〝妹〟だと宣言している。妙だよなあ……!」
僕はあたふたと返事をした。
「そ、そりゃ藍里がそう言ったし……」
朱美は肩をすくめ、視線を僕から離した。
「あいつらはそれでもいいさ。だけど、オイラはどうだ? オイラは藍里の話じゃ、お前の〝妹〟の一人だそうだ。しかしオイラは、全然そんな気はしねえ!」
「そ、そうだね……」
僕は俯いてしまった。
改めて言われてみれば、不思議だ。
檸檬と蜜柑は、僕を最初キモオタと嫌っていたのに、突然〝妹〟になってしまった。しかし檸檬は、僕の〝妹〟を辞めてしまった。原因は僕のせいだが。檸檬の〝妹〟としての魂は彼女から離れ、どこかへ行ってしまったのかもしれない……。
では、どこへ?
来夢は僕と顔を合わせた瞬間、自分を〝妹〟という自覚に目覚めてしまった。免外礼博士のツッパリ洗脳に関わらず、依然として僕の〝妹〟という自覚には変わりない。
しかし朱美は別だ。
藍里に「あなたは流可男さんの〝妹〟です」と言われたのに、朱美は鼻で笑っている。
これはどういうわけだろう。
「なあ、流可男、お前オイラとキスしてみないか?」
突然、朱美はとんでもないことを言い出した。
「何だって!」
僕は驚きに、椅子から立ち上がった。
朱美は座ったまま、僕を見上げている。
「今、何て言った?」
「オイラとキスをしてみないか、と言ったんだ。聞こえてないのか?」
「な、何で、何で……!」
僕はパニックになっていた。
全身の血流が逆流し、心臓は爆発しそうに動悸を打っていた。興奮に僕の顔は燃えるように熱くなり、頬は火照っていた。
朱美はゆっくりと立ち上がり、僕に顔を近づけた。朱美の身長は百五十センチで、僕の顎にやっと届くくらいだ。それでも朱美の迫力は十分で、僕は圧倒されていた。下から見上げる朱美の両目は、爛々と輝いていた。
「檸檬はお前にキスされて〝妹〟の自覚を失った。ただの男と女になったからだ。それじゃオイラはどうだ? オイラは流可男のことを、召使いだと思っているし、お前も同じだろう。もし、今、オイラがお前とキスをしたら、この感情が変化するのか、オイラは知りたい。これは一種の実験だな……」
両膝から力が抜け、僕はストンと椅子に再び腰を下ろした。朱美も向かいに座りなおした。
朱美は本気だ!
窓から朝日が強烈な光芒を差し込み、朱美の横顔を照らし出した。白い肌は輝くようで、赤い髪の毛は金色に燃え上がった。
朱美は架けていた眼鏡を外し、じっと僕を見詰めた。大きな瞳が僕の動きを束縛し、身動きをできなくしていた。
「やるぞ……」
朱美は両手を上げ、僕の顔を挟み込んだ。
僕の視界に朱美の顔がぐんぐん近づき、二人の唇が接近した。
──。
僕は朱美と唇を触れあった。
キス──しちゃった!




