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「御馳走様……」
夕食を終え、僕は食器を流しに持っていき、食洗器にぶち込むとダイニングの父親に「風呂入るよ」と声をかけた。
テレビを眺めながら晩酌のビールをちびちび飲んでいた父親は、振り返りもせず「ああ」とだけ生返事をした。
僕と父親の二人暮らしで、この数年、会話らしき会話は滅多に交わされたことはない。母親は僕が物心つく以前、離婚して、そのため僕には母親の記憶は一かけらもなかった。家には母親の写真など一枚もなく、だから僕は母親の顔すら記憶していない。
父親の眺めていたテレビには「恐怖! あなたの隣にロリコンがいるかも?」というタイトルで、政府の〝ロリコン撲滅キャンペーン〟のレポート番組が映し出されていた。
画面にはレポーターと、詰襟の制服を身に着けた男性が映っていた。詰襟の人物は、赤田斗紀雄という青少年健全育成特別突撃隊の隊長だった。
赤田という人物は、以前はオタク評論家として有名で、テレビ番組でちょくちょくコメンテーターをしていた。今はオタクを弾圧する側だ。
レポーターが赤田にマイクを突きつけ、質問している。
「赤田さん、本当にこんなところにロリコンがいるとお思いですか?」
「はあい、いるんですねえ! オタクはどんな場所にも潜伏しているんです」
マイクを向けられた赤田は、快活な口調で淀みなく答えていた。さすがにコメンテーターを経験しているだけに、カメラを向けられると活き活きとしている。
赤田はさっと右手を上げ、待機している青少年健全育成突撃隊の隊員に合図した。赤田の合図に、隊員たちがきびきびと動き出した。
隊員が、ごみごみした住宅街のアパートに踏み込み、ドアをガンガンと乱打する。ドアが開き、怯えた表情の若い男が恐る恐る顔を覗かせると、隊員は力任せにドアをこじ開け、内部に突入した。隊員の背中越しにカメラマンがついていき、青年の部屋を撮影している。
部屋の中には所狭しとDVD、ゲーム、雑誌、同人誌、美少女フィギアで溢れていて、隊員はそれらを一つ一つ確認していた。
マイクを握りしめたレポーターは、カメラのレンズに向かって喚いていた。
「ご覧ください! これがロリコンの棲家です。何と恐ろしいことでしょう。彼の部屋には禁断のロリータ・アニメ、ゲーム、同人誌、フィギアで足の踏み場もありません! 今見るようなロリコンが、あなたの大切なお子さんを狙っているのです!」
青年は隊員によって連行され、手首にガッチャン! と大げさな音を立て手錠が架けられた。本当なら手錠の部分にモザイクがかけられるのだが、ロリコンに人権が一切認められないので、カメラにはっきりと映し出されていた。
ビールを飲んでいた父親はかすかに僕の方に顔をねじ向け「お前は大丈夫か?」と尋ねてきた。
僕は半笑いで「大丈夫さ」と答え、風呂場へ移動した。
あいつはバカだ!
部屋の中に、あんなにお宝を溜め込んでいたら、完全に「どうぞ逮捕してください」と言っているようなものだ。
風呂場の脱衣所で服を脱ぎ、鏡を覗きこむ。
太り気味のだらしない体型に、顔には瓶底のような度の強い眼鏡。僕の視力は0・2で眼鏡がないとほとんど何も見えない。
ああ、自己紹介がまだだった。
僕の名前は明日辺流可男。
年齢は十七歳で、真兼高校の二年生だ。
ぼさぼさの髪の毛に下膨れの顔立ちは、誰がどう見ても〝キモオタ〟そのものだ。
人を外見で評価するのは良くないと言われるが、お生憎様。僕は正真正銘のオタクだ。だけどこのご時世、他人に後ろ指さされるようなへまは一切、したくない。外見で充分、キモオタなので、細心の注意を払って行動しているからだ。
さっさと風呂で体を洗って、洗顔で歯を磨いてパジャマに着替える。
風呂場から二階への廊下を通ると、父親の仕事場が目に入る。
父親の仕事は印鑑、名刺、スタンプ制作などだ。他に商品券や回数券などの金券などを扱っている。仕事場には印鑑を自動で彫り込む機械や、名刺やチラシを印刷する印刷機、データを読み込むスキャナー、コピー機などが並んでいる。昔は手彫りで印鑑などを作っていたが、今では機械彫りが幅を利かせている。
二階へ上がり、僕の部屋へ。
ドアを開くと、四畳半の僕の部屋が目の前に広がる。床はフローリングだ。
今までの僕の自己紹介で、部屋の中にはオタクっぽい、DVDやフィギアがぎっしり並んでいると思うだろう。だけど僕の部屋は拍子抜けするほど、普通の高校生らしい変哲もないものだ。部屋のどこにも、DVDやフィギア、マンガは見当たらない。
部屋の中で目立つのは小学生のころから使っている勉強机と、ベッド。小さな本棚。それだけだ。勉強机には情報端末。
そしてHMD。
これだけが僕の宝物だ。HMDが僕のオタク生活を支えている。
HMDを被り、スイッチを入れると途端に僕の視界が変化する。
それまでの変哲もない僕の四畳半が、十九世紀の英国風の部屋に激変した。高い天井にはシャンデリアが垂れ下がり、床はペルシャ絨毯が敷かれている。家具もアンティックなものに変わり、ベッドは天蓋付きの豪華なキングサイズになった。
目の前に広がる世界は仮想現実大規模参加型《VRMMO》ゲーム「蒸汽帝国」の僕専用の居室だ。僕はゲームに足のつま先から頭のてっぺんまで、どっぷりとはまっている。
僕のすぐそばに姿見の大きな鏡が設置されていて、鏡には僕の姿が映し出されていた。ゲームの世界では、僕は少しだけ〝理想化〟されていて、ほんの少し痩せていて、ほんの少し背が高く、さらに瓶底眼鏡は消えている。下膨れの顔もすっきりとした顎のラインに変わり、もうキモオタっぽさは微塵もなかった。
部屋には幾つかの棚があり、そこに僕のオタク・コレクションが飾られている。美少女キャラのフィギアや、今や発禁本扱いで所持しているだけでロリコン犯として訴追される危険がある、同人誌だ。フィギアは家にある3Ⅾスキャナーで取り込み、同人誌もスキャニングして本物は焼却処分にして、証拠隠滅してある。家の商売はもともとハンコ屋だが、すでにハンコの自動販売機などが普及してわざわざ個人商店に頼むのは特別な認め印とか、会社の重要な印証くらいになっていて、今では記念品や校章などの制作を請け負うため、3Ⅾスキャナーを用意しているのだ。
スキャニングした後、コレクションを焼却処分するのは断腸の思いだったが、逮捕されて〝ガッツ島〟送りにされることを考えると、やむを得なかった。それに今では、最新のフィギアや同人誌はこういうネットでデータとして流通しているから、僕のオタク・ライフには合っている。
変化した眺めに満足していると、僕の目の前にすらりとした体つきの美少女が現れた。
栗色の長い髪の毛を複雑な形に結い上げ、体形にぴっちりと張り付くような衣装を身に着けた美少女が、僕に向かって微笑んでいた。
「お帰りなさいませ。流可男お兄様」
「ただいま。藍里」
美少女の外見は人間の少女、そのものだった。
佐々木藍里、というのが彼女の名前だ。
藍里は、コンピューター内部で創られたCGキャラクターだ。
藍里の頭上には〝N〟の文字が浮かび上がっている。〝N〟はNPCの意味だ。
佐々木藍里、という名前も僕が考えた。このゲームのフリー・アプリで、経験値がある一定以上溜まると、自分専用のキャラを作成できる。
このゲームで、藍里は僕の忠実な〝嫁〟だ。
そう、僕が愛する〝嫁〟は、ゲームのキャラクターなんだ!




