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5話 白猫王のお話

『とくべつな猫は、優しい猫でした。


「泣くな姫よ。君の涙は、おいらのはがねの心臓を溶かしてしまう」


 猫は宮殿にあったたくさんの宝物と一緒に、姫を外へ出しました。

 恋人のもとへと帰したのです。

 姫は猫がどんなに優しい猫か知っておりましたので、帰ることをためらいました。

 でも猫は、姫にいいました。


「姫の涙はおいらの悲しみ。姫の笑顔はおいらの喜びだ」


 そうして、姫の背中をとんと押して送り出しました。

 とてもさびしかったのですけれど、猫は真実、つよい猫でした。

 まことに姫を愛しておりました。

 そして固く信じておりました。

 愛する人が幸せにならなければ、その愛には、いったいなんの価値があるのかと。

 


 こうして姫は、緑の森の恋人のもとへもどりました。

 恋人は泣いて、姫を両腕の中にむかえてくれました。

 けれども。

 ふたりの幸せは、すぐにこわされてしまいました。

 緑の森に、恐ろしい災難がふりかかったのです。

 幸福と平和をふみにじったのは、死の砂漠から来た悪魔。

 黒い影たなびくそれは、炎吐き出す恐ろしい獅子でした。

 木々は焼かれ。多くのものが殺され。

 姫をはじめ、多くの女の人たちは、獅子にさらわれてしまいました。

 災い吹き荒れる中。命からがら生きのこったものがひとり、黄金の宮殿へ走りました。

 そのものこそは、姫が愛するいとしい恋人。

 ぶすぶす焼かれた鎧を身にまとうその人は、まっしろい猫に助けをもとめました。


「猫の王よ、助けてくれ! 森が悪魔の黒獅子に襲われた」

「そいつは大変だ」


 姫がさらわれたことを知った猫は、どんと胸を打ちました。

  

「だいじょうぶ。おいらがその悪魔をやっつけてやる!」


 こうして猫は姫の恋人とともに、黒い獅子を退治するべく宮殿を飛び出したのでした』





「なぜこいびとだけ一人、いきのこったの?」 


 ランジャディールが、物語の鍵となる部分をついてきた。

 いぶかしんで首をかしげている。


「ただのこううん? ぐうぜん? それともひつぜん? いと(・・)てきなもの?」


 理由を一所懸命考えている子どもの瞳の中に、セイリエンは理知的な思考の波を見た。

 やはりこの子は賢い。同年代の子とはくらべものにならないほど、語彙を知っている。子ども扱いされずに育った子だから、もしかしたら大人の知恵と知識をかなり持っているのではなかろうか。ただ、表記方法もじをしらないだけで……。

 もし背伸びした知識で分厚い鉄の仮面を作っていたら、額に口づけても頬に口づけても、ぬくもりが通らないかもしれない。


(いや、大丈夫だ。無邪気に剣や鎧に反応していたではないか)


「さあ、これから大冒険が始まるぞ」

 

 ほのかによぎった不安を胸に押し込め、セイリエンは黒い獅子が不気味に躍る頁をめくった――。



 


 円窓から見える宵空を、ちらつく雪が白く染めている。

 祭りの日はずっと晴れていたのに、午を過ぎたとたんに天気が崩れた。まるで日が変わるのを待っていたかのように。

 灯りを落とした暗い部屋の中で、セイリエンはいらいらと本棚を押した。

 ごご、と重量のある音をたて、本棚の一部が奥へ後退する。

 その横にできた隙間に入り込む。


 隠し穴の奥の岩壁の、小さな岩の天板に両手を下ろす。岩の表面を平らに削ったそこから、びたりと大きな音が鳴り響き、台座に乗った水晶玉が一瞬揺れた。


「くそ……! なんたることか」


 セイリエンは歯軋りしながら、水晶玉に大きな手を置いた。

 ぐっと握力をこめた水晶玉が、紫色に点滅する。


『ごきげんうるわしく、黒き衣のセイリエン様。金獅子州公家筆頭家令、ヨハン・ゴロブモンカにございます』


 おのが魔力がひそかに外界に繋がったことを確認するなり、若き導師は恐ろしい形相で玉を睨んだ。

「うるわしくなどない!!」

『……もうしわけございません。そのご様子では、またもお気に召されませんでしたか』


 水晶玉の向こうの声が、かすかに震えてかしこまる。

 セイリエンが命じる前に、筆頭家令は手際よろしく製作責任者を呼んできた。


『みっ、ミハイルにございますっ……』


 おののく監督官の声がきこえるや、セイリエンは吼えた。


「笑わなかった!!」

『ひ!? もっ? もうしわけございませんっ。ど、ど、どこぞに不備が……』

「不備などない!」


 どもり声が流れてくる水晶玉を、若き導師は睨み下ろした。今宵はどんなに大声をあげても大丈夫なようにしている。

 ランジャディールは、韻律で無理やり眠らせた。

 夢も見ないよう深いまどろみに落としたから、どんなに物音を立てても目を覚まさない。

 セイリエンがそのまぶたに、口づけを落とさぬかぎり――。

 

 「金象嵌の装丁、中の紙の材質、箔押しの頁。そして物語。どれをとっても最高だった! 特に猫と獅子の戦いの場面は、史上空前の名場面といえようぞ!」

 

 唇が震える。

 どうして、こうなったのだろう。

 

「だが私の仔は、」


 どうして……


「笑わなかった!!」





 物語は、まさに英雄叙事詩であった。

 獅子が潜む死の砂漠にいきつくために、猫と姫の恋人は緑の蛇に飛び乗った。

 それは猫がしもべにしていた、かつて森を荒らした蛇である。

 大蛇は地にもぐり、野を越え谷を越え、長い旅をした。

 ついには不思議なウサギが作った翼をつけてもらい、竜に大変化(へんげ)

 空を鮮やかに飛んで、砂漠に降り立った。

 砂漠の地下に広がる神殿には、罠やしかけが盛りだくさん。

 猫と姫の恋人は、それらをすべて乗り越えて、姫たちをとらえている悪魔の前に迫ったのである。





『とつぜん、悪魔の獅子がわらいだしました。

 そして剣をかまえる恋人に手をさしのべたのです。


「よくきた盟友よ。ひとつ酒でも酌み交わそうか」


 すると恋人は泣き叫んで、がむしゃらに剣を振り回しました。

 なんとこの恋人が、緑の森に獅子を呼んだ張本人だったのです。

 その理由はただひとつ。

 森の長にむりやり恋人をとられ、黄金の宮殿のいけにえにされたがため。

 怒りと悲しみのために、恋人はおのが故郷をほろぼしたいと願ったのでした。

 その暗い願いが、悪魔の獅子に届いてしまったのです。

 

「まさか姫がこの腕の中に帰ってくるとは、思わなかったんだ。みんな死んでしまえと、俺は願った。そしてそのとおりになってしまった……俺には、姫を愛する資格などない。白猫よ、どうかあとを頼む!」


 姫の恋人は猫に後を託し、悪魔に切りかかりました。

 けれども覚悟のひと太刀は、神のごとき力をもつ獅子の片目を奪っただけでした。


「いまいましい蚊め!」


 あわれ恋人は獅子の爪に引き裂かれ、もんどりうって地に落ちました。

 

「白猫よ。どうか。あとを……姫を、たのむ」


 一緒に旅するうちに。

 恋人は、猫がまことのつわものだと感じていました。

 なにより、姫をほんとうに愛しているということを知りました。

 

「まて! このまま君を、死なせはしないぞ」


 一緒に旅するうちに。

 猫も、この恋人は本当に勇敢だと感じていました。

 なにより、姫をほんとうに愛しているということを知りました。


「おいらたちはおんなじだ。おんなじ人を好きなのなら、おんなじひとつの生き物になればいい!」


 猫は、とくべつな猫です。

 お母さんはふつうの猫ですが、お父さんは神さまです。

 猫は、お父さんから受け継いだ力を使いました。

 

「君は、おいらになる。おいらは、君になる!」


 死した体から離れた恋人の魂を、猫はしっかと抱きしめました。

 すると。きらめく魂がすうっと、猫の体に入っていったではありませんか。

 こうして二人は、ひとりになりました。

 大陸で最強の、ひとりに。

 これでは余裕をかましていた獅子とて、全力を出すしかありません。

 猫と獅子は激しくぶつかりあいました。

 ものすごい勢いで襲いくる爪を、聖剣レギスバルドが華麗になぎ払います。

 獅子の黒いたてがみが躍り、猫の白い毛が輝きます。

 猫と獅子は、三度夜がくるまで、戦い続けました。

 そうしてついに。獅子は聖なる剣に打ちすえられ、追いつめられました。

 

「さあ悪魔、観念しろ!」


 しかしずるがしこい獅子は神殿の奥に逃げ走ると。

 銀の籠から姫を出し、剣をふりかぶる最強の猫をおどしました。


「攻撃をやめろ! さもなくば、この女を殺すぞ!」

「おのれひきょうな!」

「剣をおとせ!」


 猫は、悪魔の言うとおりにしました。


「抵抗するな。おとなしくひざまづけ!」


 猫は、さらに言うとおりにしました。

 獅子が殴ってきます。爪で引き裂いてきます。

 思いきり蹴ってきます。壁に打ちつけます。 

 獅子の手に握られている姫が、どうかやめてくれと泣き叫びます。

 でも大丈夫です。二人がひとつになった猫の体は、なんと少しも傷つきません。

 すると獅子は、歯軋りして命じました。


「その右腕を落とせ! 自分で切り落とせ!」


 猫は、言われた通りにしました。

 一瞬もまようことなく。聖なる剣をひろいあげ、おのが腕を落としたのでした』

 



 

「すばらしい戦いだった!」


 セイリエンは天板にこぶしを打ちつけた。

 

「油断して近づいた獅子を左手の剣でひと突き。すかさず、血の滴る右腕から出したかまいたちで姫をつかむ獅子の右手を切り落とし、つづけて大旋風を起こして、獅子の首をなで斬るとは。あれはまさに神の御技。躍動感あふれる絵の、なんと見事だったことか!」


 獅子は倒され姫は救われた。

 恋人と一体となった猫は、晴れて姫と結ばれ、緑の森へ帰る。

 焼かれた森は二人の尽力で、緑の園としてよみがえる――。


「しかし私の仔は……」


 セイリエンは両手で顔を覆い、深くため息をついた。


「笑わなかった!!」





『みぎ手がない』


 最後の大団円の絵を見ながら、ランジャディールは唇をふるわせた。

 豊かに茂る緑の森。姫と猫が幸せそうに寄り添っている。

 けれども猫の右手はなくなったまま。金箔で描かれた、美しい義手がついていた。

 

『あれは自分で切り落としたからな。だから修復できなかったんだろう』

『なおらないって分かってたのに……なんで、きったの?』

『手の先がなくとも獅子を倒すには困らなかったからだ。猫はそれほど強いということだよ』

『でも、でもみぎ手は、なくなっちゃった』


 金髪の子は納得がいかないといいたげに、ぶるぶると頭を横に振った。

 どうしてこんなことをしたのかわからないと、美しい絵を撫でながら目を潤ませる。

 セイリエンは唖然とした。幼い弟子はただ単純に、強い英雄が悪魔を退治したことに大喜びするものだと思っていたのに。この反応は何なのだろう。


『な、泣くな。そんなに悲劇的な話ではないだろうに』

『だってみぎ手は、もうにどと、はえてこないんでしょ? なのにどうして?』

『猫にとってこの姫は、それだけの価値があるものだったのだよ』

『かち?』

『猫は姫を本当に……愛していたのだ。わが身など捧げてしまえるほどに。猫は姫のためなら、なんでもできるのだ』


 セイリエンは言葉に詰まりつつも、なんとか答えた。

 どうしてこうなるのだと、内心ひどくうろたえ狼狽しながら。


『あいって、そんなにいたいものなの?』

『いや、痛いだろうが、猫はそれを露ほども感じなかっただろう』

『それって、ほんとにあいしてたら、いたくならないってこと?』

『いや、痛い。痛いだろうが、そんなものは平気になるのだ。想う心が強ければ、体の傷など気にならなくなる』

 

 子どもを笑わせるどころではない。セイリエンは「ほんとうの愛」とは何かを、なぜか語らねばなくなっていた。

 いまだかつてなんぴとも、推測と信念でしか語っていないもののことを。 


『もしぼくも、すきなひとができたら、いたいの平気になるの?』

『ああ、平気になるだろう。だれだってそうなる。私だってそうだ』

『おしさまも?』

『そうだよ』


 大きな手を子どもの頭に乗せ、師は優しく愛撫した。

 尊敬と憧れ。そんな感情をおのれに持っている子どもの心をさらに捉えたくて、必死だった。


『君のためなら、どんなに痛い目にあおうが平気だ』


 正直、殺し文句のつもりだった。

 普通こう言えば、子どもは喜んで抱きついてくるだろう。

 だが。たちまち、金髪の子の顔はおびえてこわばった。


『それ……どういういみ? ぼくのためって、どういういみ?』

『私は君の師だ。恋人の好きとは少し性質が違うが、君をだれよりも大事に思っている。もし君がさらわれて、悪い奴に私の右手を差し出せといわれたら。私はまよわず――』

『そんなのだめっ!!』


 金切り声が、岩の部屋に響きわたった。

 

『そんなことしたら、まほうがつかえなくなっちゃう! ぼくのせいでおしさまがきずつくなんて、やだ!!』


 師の言葉をさえぎった子どもの顔は真っ青。その体はがくがくふるえ、大きな瞳から涙がこぼれ落ちた。


『ぼくなんかのせいで、おしさまがきずつくなんて! ぼくなんかの……!』

『ランジャディール?!』

『いやあっ!』


 抱きしめようとしたら。悲鳴をあげられ手をはじかれた。

 子どもは師の膝から逃げて寝台の下にもぐり、ひっくひっくと嗚咽し始めた。

 狭い暗がりの中から聞こえてきたのは、悲しみと恐怖と懺悔が入り混じったか細い声だった。

 

『そんなのだめ……ぜったいだめ……。だ、だってぼく、ほんとは、おしさまに、おかしもらうしかくなんて、ないやつなのに……ほ、ほんも、よんでもらえるしかく、ほんとは、ないやつなのに……!』

『ランジャディール! 出てきなさい!』

『お、おしさまは、やさしいから、ぼくがおねがいしたら、おしさまになってくれたけど……ほんとはぼく、ば、ばつをうけないと、いけないんだ……』

『何を言っている? 罰だと?』

『だってぼく……ぼく……おじさんのいえを、こ、こ、こわしたの……! こわしちゃったの……!!』

『ラデルそれは……』

  

 この寺院にやってくる子の中には。たまに湖に落とされる子がいる――。

 それは、暗黙の告知だ。

 おのが魔力を制御できず他人を傷つけた子。それがゆえに、寺院に封印されねばならぬと判断された子。そんな過去の事実をしらしめるものである。

 湖に落とされたランジャディールを手に入れたとき。セイリエンは子どもを連れてきた長老たちから子どもの事情を確認した。だから子どもの告白には、まったく驚かなかった。

 

『そのことは知っている。魔力を暴発させて、養い親の家を半分吹き飛ばしたのは。君は神殿に保護され、ここに来ることになったんだろう?』

『お、おじさんは、し、し、しんだの……ぼくのせいで!』

『それは正確ではない。養い親が死んだ理由は、君をひどく殴ったせいだ。つまり正当防衛だよ。だから君は保護されたんだ。さあ、出ておいで』


 セイリエンは暗がりに見える細い腕を引っ張った。抵抗があったが、無視して引っぱり出し、抱きしめた。すると子どもは黒い衣にすがりついて叫んだ。


『どうしておしさまは、こんなにやさしく、してくれるの?!』 


 牢屋のようなところに閉じ込められ、鎖に繋がれ、鞭をふるわれる。子どもはずっと、自分はそうされないといけないと思っていたらしい。

 外に容易に出られない寺院に入る、それでもう君の罪は(あがな)われたのだといっても、ただただ、師の黒い衣をにぎりしめて、泣きじゃくるばかりだった。


『わかんない……わかんない! なんで、おかしくれるの? なんで、えほんよんでくれるの? ぼく、わるい子なのに!!』

『君はほとんど悪くない。それに、私にパパになってくれと言っただろう?』

『い、い、いったけど、こんなにしてくれるなんて、おもわなかった! おしさまは、ほんとのパパじゃ、ないのに、なんで?! なんで?! ほんとのパパじゃ、ないのに!!』

 

 セイリエンはひどく取り乱す子を韻律で眠りに落とした。

 今にも血を吐きそうなほど辛そうな顔を、これ以上見たくなかったからだった。

 わけがわからなかった。

 だっこしてやり。絵本を読んでやり。手に入れて以来、一度もぶっていない。

 日々、子どもが望む事をしてやっている。だからもう完全に、おのれは子どものパパになったと思っていた。

 だが……



『ほんとのパパじゃ、ないのに!!』



 子どもの心は、まったく溶けていなかったのだ。

 ほんの少しも――。

 セイリエンは愕然とした。どうしたらよいのか分からず、混乱した。

 おそらく。わからないと泣き叫ぶ子どもを納得させれば。すなわち本当の父親になれば。セイリエンが望んでいるものは、手に入るのだろう。

 しかし実の父親になど、なれるはずがない。血の繋がりなど一滴もないのだから。

 家系図を捏造して実は血族だったと主張したとて、「生みの親」にはとうていかなわない。

 だがどうしても、「ほんとうのパパ」にならねばならない。

 そうしなければあのまぶしい笑顔が手に入るどころか、きっとこれからも泣きじゃくられる……。

 

(好きな物をもっともっとあげれば……いや。量の問題ではあるまい。どうすればいい? どうすれば……?)


 いらだち。不安。当惑。焦燥。そんな気持ちで隠し穴に入った若き導師は。



「よいか、今度は、読んだ者が父親になれる絵本を作れ!」



 水晶玉に向かって、そう怒鳴っていた。

 

『お、おそれながら、猊下(げいか)、そ、それはどういう……』

「わからぬ。だが、そうなる本が欲しい!」

『ち、父親になれる本、で、こざいますか』


 水晶玉のむこうで、監督官のミハイルがごくりと息をのむ。


「そうだ。この人こそまこと自分の親。そう認識するような絵本だ」

猊下(げいか)をご父君とされるようにとなると……金獅子家の歴史などを織りこんだものでございますか?』

「い、いや! そういう意味ではない。なんというのか……本当に子どものことを心配しているというか、大事に思っているというか……」


 セイリエンは必死に、それを表現するにふさわしい語彙を探した。


「大切……愛……そうだ、真実、愛しているとわからせるようなものだ! 今すぐ作れ!」


 金に糸目はつけぬ。今すぐほしいから製作を急げ。最低でも、年が変わる前に――

 まくしたてる若き導師に、しかし水晶玉の声はおずおずと答えた。

 

『あ、あの、おそれながら実は、アンジェロ第一公子殿下のお誕生祝いの品にみなたずさわっておりまして、年内にお作りしますのは、おそらくとても無理ではないかと……』 

「今年中に来なくば、千の呪いを工房に投げる!」

 

 黒の導師は歯をむき出し、監督官を脅した。

 

「世継ぎの殿下の品など、適当でよかろう。どうせろくに見もしないで棚の奥に並べられるだけだ。我が命令の方にこそ、人力を割け。それぞれの分野で一番腕のたつ職人を引き抜いて、別室で作らせるのだ。金に糸目はつけぬ。依頼どおりのものを、最高の技術で急いで作れ」


 褒美は、職人それぞれに銀の棒を。監督官には、金の棒を与える。

 そう飴をちらつかせるも、相手の反応は微妙だった。


『で、ですが、こっ……公妃様が……世継ぎの殿下のお品は最優先でおつくりするよう、きつくご命令なさっておられまして……期日通りに納品できませんと、我々の首は……』

「ぐ……公妃が?」


 必死に謝罪と許しを請う言葉が何度も何度も流れてくる。


「わかった……では……一の月が終わるまでに作って送れ!」


 セイリエンはわなわなと唇をふるわせながら、指先が白くなるまでこぶしを握りしめ。ばちりと水晶玉を叩いて回線を切った。

 よりによって世継ぎの兄が邪魔してくるとは、いまいましいことこの上ない。

 その資質などまったくないのに、おのれより数年先に生まれたというだけでちやほやされ、保護されているあの者ほど、この世で無意味で無益なものはないというのに。


「あいつにくらぶれば。私の仔の方がよっぽど、あの家の世継ぎにふさわしかろうぞ!」


 ランジャディールの本名は、世継ぎの兄と同じだ。

 金獅子州には、アンジェロという名の男の子がごまんといる。本当に掃いて捨てるほどいる。

 金獅子の加護ある世継ぎの公子にあやかろうと、民はこぞってその名を我が子につけるのだ。

 真実を、何も知らずに。

 

(くそ! 虫唾が走る)


 世継ぎの兄は齢三十になろうというのに、幼児以下の知能しかないできそこないだ。食事すらまともに一人で食べられない。日がな一日、ただおもちゃで遊んでいるだけ。賢さのかけらなど皆無の、本能だけで生きる生き物――。

 だからセイリエンは子どもの名を変えたのだ。

 名を口にするのも嫌なあのおぞましい存在を、思い出さないために。


「ちくしょう、あの女……!」


 その兄を生んだ女が工房に発破をかけているとなれば、セイリエンはしぶしぶ引かざるを得なかった。

 金獅子州公妃の脅しは、たんなる脅しではない。間に合わねば本当に躊躇なく、職人たちの首を切るよう命じるだろう。


(あの女は手に負えぬ。あのバカ兄以外、なにも見えぬのだからな。腹を痛めて生んだ子すら!)


 一流の腕を持つ職人たちは、金獅子家にとっては宝も同然。いや、大陸に誇る生きた至宝と断じてよい。決して失ってはならぬものだ。

 

(金獅子家の力を削ぐようなことはできぬ。我が基盤を損なうようなことは) 


 セイリエンはほぞを噛む思いで本棚を戻し、寝台で眠る子どもの横に身を添わせた。

 韻律で深く眠る子の息は深い。

 守ってやるようにその体に腕を回すと、そのぬくもりがじんと伝わってくる。


「絵本が来るまで待てぬ……」


 腕に自然と力がこもる。金色の頭に口づけながら、若き導師は呻いた。  


「おまえが欲しい、ナツメヤシ。今すぐ欲しい。どうすればいいんだ? どうすれば……」


 その方策を考えるがために。

 今宵は、一睡もできそうになかった。



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