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2話 冬の女王さまのお話

『昔々あるところに、帝が統べておられるお国がありました。

 国をなすのは紫の大海に浮かぶ大島と、七つの小島。

 大島にあるうるわしの帝都には、まっしろな塔がいくつもいくつも針山のようにそびえています。

 どれも立派で美しいのですが、とりわけほそく高い高い、天を刺すような塔が、都の中心に建っておりました。

 内裏のまん前に建つその塔からは絶えず風が流れ出しています。

 春のそよ風。

 夏の熱風。

 秋の涼風。

 冬の凍風。

 風は大島小島に吹き渡り、帝のお国にいろどり豊かな四季をもたらすのでした。

 季節の風を織りなすのは、帝の四人の姪御さま方です。

 女王の身位にあらせられ、お互いはお従姉妹の間柄。

 殿下方は一年のうち三ヶ月ごと、ひとりずつ塔にお篭もりになられます。

 そうして、ぎっこんばったんしゃらしゃらと、ギヤマンの機で風を織るのでした』





「きれいなかぜ……!」


 頁がめくられるなり、挿し絵を見たランジャディールが感嘆の声をあげた。

 塔は半分透けているように描かれており、その中で春の女王がギヤマンの(はた)でそよ風を織っている。

 黒髪の女王がまとっているのは袖やすその長いかさね衣。紫の単衣(ひとえ)蘇芳(すおう)と紅、それから梅匂いの衣を幾重もかさねた、あでやかな衣装だ。

 (はた)は白く透けていて、うねる風の渦が流れ出している。

 その風は、無数の桜の花模様。ふわふわやわらかい感触を思わせる淡い紅色に塗られていて、塔の窓から暁の空へとゆるやかに立ち昇っている。

 春色の絵のやさしい色合いに、セイリエンは一瞬文字を読むのを忘れて見入ってしまった。


(なんと美しい絵だ)




 

『いとけき春の殿下が織る風は、いぶきやわらかな桜色のそよ風。

 冬に眠っていたものたちをくすぐり、やさしく起こします。

 動物たちも魚たちも虫たちも。木や草も。

 たちまち動き出し、みるみる芽吹きます。

 でも人間だけはこっくりこっくり。

 暖かいそよ風に揺られると、なぜかいつもより長く昼寝するのでした』





 ひざの上のランジャディールが、こっくんこっくん深くうなずいている。

 春眠暁をおぼえずとはよく言うが、心当たりがあるのだろうか。




 

『うら若き夏の殿下が織る風は、いぶきあらぶる緑葉色の風。

 目覚めたものたちを駆り立て、せわしく背中を叩きます。

 動物たちも魚たちも虫たちも。木や草も。

 たちまち子を産み、みるみる花を咲かせます。

 でも人間だけはだらだら。

 肌焼く熱風をあてられると、なぜかいつもより長く昼寝をするのでした』





「またひるね?」


 ランジャディールが呆れたような声で囁く。

 たしかに南方の暖かい国では、夏は午睡して暑さをしのぐことが多い。 

 挿絵の構図は前の頁と同じ。夏の女王がギヤマンの(はた)で風を織っている。

 長い長い黒髪の女王の衣は白の単衣(ひとえ)に淡青と青、その上に朽ち葉匂いの衣を幾重もかさねた、太陽を思わせる衣装だ。

 (はた)は白く透けていて、うねる風の渦が流れ出している。

 その風は、無数の緑葉の模様。萌黄より色濃いが透けるように塗られていて、塔の窓から陽光輝く空へと渦巻きながら立ち昇っている。

 夏色の絵の鮮やかな色合いに、セイリエンは一瞬文字を見失って目をしばたいた。


(なんとまぶしい絵だ)

 




『艶やかな秋の殿下が織る風は、かわいた紅葉色の風。

 忙しく動いていた者たちに、実りのめぐみを与えます。

 動物たちも魚たちも虫たちも。木や草も。

 夏に自分たちが生み出した豊かなめぐみの中にしばし浸ります。

 人間たちもみんなが作っためぐみをとって、食べて飲んで踊ります。

 乾いた風に吹かれると、なぜかもりもり食欲が湧いてくるのでした』





「やっとうごきだした」


 くすりと笑ったランジャディールの口が、きゅっと少し尖った。


「でも、ほかのいきものがつくっためぐみをとっちゃうなんて、げんきんだ」

「そうだな。このお話の人間は、かなり怠け者かもしれぬ」


 挿絵の構図は前の頁と同じ。秋の女王がギヤマンの(はた)で風を織っている。

 灰色の髪の女王の衣は蘇芳の単衣(ひとえ)に紅と朽ち葉、さらに黄と青匂いの衣をかさねた、紅葉の移ろいを思わせる衣装だ。

 (はた)は白く透けていて、うねる風の渦が流れ出している。

 その風は、無数の紅葉の模様。真紅の葉が透けるように塗られていて、塔の窓からたそがれの空へと渦巻きながら立ち昇っている。

 秋色の絵の見事さにほれぼれしながら、セイリエンはうなずいた。


(たしかに人間は現金だな)





『齢かさねた冬の殿下が織る風は、こおった白い霜色の風。

 踊り騒いでいた者たちに、休息の眠りを与えます。

 動物たちも魚たちも虫たちも。木や草も。

 すやすや深い眠りの中へと落ちていきます。

 島の生き物だけではありません。

 今上の帝も、父上さまも母上さまも、ほかの皇族や公達も、春夏秋の殿下も。

 冬の殿下以外はみんな、棺に入ってお眠りになられます。

 三ヶ月たつころ、冬の殿下は雪の下にうもれた梅色の風をそうっと織られて、春の殿下の御殿に贈られます。

 すると春の殿下が棺からお目覚めになられ、他の皆を目覚めさせるために塔においでになられるのです。

 でも。

 人間だけはまったく眠りません。凍った風に吹かれても、ぜんぜん眠くならないのでした』





「はるとなつに、ひるねしすぎたからだ」


 ランジャディールが囁く。声にならないような声でひっそりと。

 挿絵の構図は前の頁と同じ。冬の女王がギヤマンの(はた)で風を織っている。

 真っ白な髪の女王の衣は白の単衣(ひとえ)に紫の薄様(うすよう)。五枚重ねの衣が白から紫に染まっていくような衣装だ。

 (はた)は白く透けていて、うねる風の渦が流れ出している。

 その風は、無数の雪の結晶の模様。さまざまな形の結晶が透けるように塗られていて、塔の窓から暗い宵の空へと渦巻きながら立ち昇っている。

 冬色の絵の鮮烈さに驚きながら、セイリエンは次の頁をめくった。

 悲しげにうつむく、まっしろな髪の冬の殿下。その周囲に描かれた黒髪や灰色の髪の三人の殿下が描かれている。うるわしき彼女たちはみな、少し怒った顔をしている。





『とある年のこと。

 秋の殿下がひどくお怒りになって塔からおりてきました。

 人間が帝都の東にある陛下の森に勝手に入って、鹿たちをごっそり狩ってしまったからです。

 しかも木に成った実まで、すっかり摘み取って奪っていったのです。

 他の島でも、人間たちの略奪ぶりはとても目に余るものでした。


「ひどいものじゃ。あそこの鹿は神の化身、決して狩ってはならぬのに」


 入れ違いで塔に入ろうとした冬の殿下は、びっくりしました。

 そのとき春の殿下と秋の殿下が、牛車で塔の入り口においでになったのです。

 そうして冬の殿下は、お集まりになられた三人の従姉妹君に囲まれました。


「冬の方。人間たちは、あなたの季節に眠っておりますか?」

「そういえば……なぜか人間だけは、一度も眠ったことがない。我らに姿かたちが似ているというのに、なんとも不思議な生き物じゃ」


 すると三人の従姉妹君は、困ったようにため息をつかれました。


「やっぱり。人間だけは、私の風に従わないの。目覚めの風を吸い込んでも眠ってばかり」

「こまったものね。季節なんかおかまいなしに、一年中好き勝手に子供を産んでいるようだし」

「本当にめいわくじゃ。あの生き物は、ほかの生き物を殺したりめぐみを横取りするのじゃ」


 ひとしきり仰いますと、お三方はいっせいに冬の殿下に顔を向けました。

 

「冬の方、もっと強い風を織ってください」

「人間は冬に眠らないから、他の季節に眠ってしまうのです」

「必ずや人間どもを眠らせてくだされ。さすればあの生き物とて、春にめざめ夏に育ち、秋によいめぐみを大島小島に与えてくれましょうぞ」


 従姉妹君の訴えをお聞きになられた冬の殿下は、白いお顔をさらに真っ白になさいました。


「ああ。これは、わらわのせいなのか」


 冬に眠らない人間は、他の季節に寝てしまいます。

 だから自分たちで恵みを作り出すひまがないのです。


「わらわがちゃんと眠らせなければならなかったのか。すまぬ。許してたもれ」


 冬の殿下は蒼い蒼い瞳から涙をこぼされました。

 ぽろぽろ。ぽろぽろ。

 とめどなく、涙をこぼされました』 





 次の頁には両面いっぱいに、美しい雪の結晶が舞っていた。

 文字のない、絵だけの頁。

 うっすら青みがかったもの。赤みがかったもの。

 黄色。緑。紫……うっすら淡い色がふんだんにちりばめられた結晶の乱舞。

 結晶の形は、ひとつとて同じものはないようにみえる。

 それが無数に瑠璃の宵空を覆うほどに舞い散っている。

 ランジャディールはしばし、その美麗な絵を食い入るようにみつめていた。

 セイリエンもその絵に呑まれた。

 とても美しい。

 美しいが、とても哀しい。

 この結晶は、冬の殿下の涙なのだろう。





『その年、冬の殿下は涙をこぼしながら風を織られました。

 ぎっこんばったんしゃらしゃらと、ギヤマンの機で織りつづけました。

 強く、強く、念じながら。


(眠れ。眠れ。深く眠れ)


 機からいつものように霜の風が流れ出します。

 塔から吹き出た風は大島小島にひろがり、たちまち雪雲を呼びました。

 動物たちは巣篭もりをして眠りにつきました。

 帝都の御殿におわすやんごとなきかたがたも、棺にお入りになりました。

 けれども。

 やはり、人間だけは眠りません。

 機を止めて塔の窓から眺めれば、人間たちの家々から、火を焚く煙が舞い上がっています。

 使いにやった精霊が、さむいさむいと愚痴てばちばち炎を焚いている彼らの姿を、鏡に映し出しました。


(ああやはり。わらわの風の力は、弱いのじゃ)


 冬の殿下の髪はまっしろです。

 霜の風の織り手となってから、冬を越す棺で眠ったことはありません。

 そのためひどく老いていて、歩くのが遅く、その白い手はしなびています。

 手元はぼんやりしていて、よく見えません。

 風織りでは織り目をまちがえぬよう、ゆっくりゆっくり覗きこみながら織っていました。


(わらわはこんなに老いてしまった。当然受けるべき罰だが……これでは強い風が織れぬ)


 涙の粒が、ギヤマンの機に落ちました。

 殿下の脳裏に、昔々のつらい思い出がよぎります。

 とあることで陛下のお怒りを買い、呪われたことを。

 棺で眠ってはならぬと、冬の風の織り姫になるよう命じられたことを。


(哀しいが。国のものがわらわのせいで困るのは、もっと哀しい)


 もし、長く長く。とても長く冬を続けたら。

 人間たちは春がこないとあきらめて、冬眠してくれるかもしれません。

 もしくは。


(この大島小島から、逃げ出してくれるやもしれぬ)


 そうなれば、陛下の御国は今よりずっと平和になることでしょう。


(私の風は弱い。だが幾重にも重ねれば……) 


 雪の下の梅色の風を贈らぬかぎり、みなを目覚めさせる春の殿下はお起きになられません。

 望む限り、いつまでも冬を続けることができます。

 冬の殿下は、おそろしい願いを込めながら風を織り始めました。


(紫の海をも凍らせる風よ、吹け――!)』 




 

 次の頁にはふたたび両面いっぱいに、美しい雪の結晶が舞っていた。

 文字のない、絵だけの頁。

 結晶の形は、ひとつとて同じものはないようにみえる。

 それが無数に瑠璃の宵空を覆うほどに舞い散っている。

 しかし前にみた涙の結晶とは様相がちがう。どれもこれもとげとげしく、剣のように長く鋭い。

 冷たい青と紫。そして、うすずみの黒で塗られている。

 乱舞する結晶は、お互いを無残に刺し合っている。

 ランジャディールはしばし、その美しくもおそろしい絵を食い入るようにみつめていた。

 セイリエンもその絵に呑まれた。

 とても美しい。

 美しいが、とても痛々しい。

 この結晶は、冬の殿下の決意なのだろう。

 セイリエンの体がぶるっと震えた。

 急速にわが身が凍えていくような気がして、思わずひざの上に乗っている子をぎゅっと抱き締める。蒼い衣からつたわるぬくもりが、腕をじんわり暖めてくれた。

 ホッとしたような吐息が、金髪の子の口から漏れる。

 この子も急に寒さを感じたのだろう、ハッと思い出したように言った。


「ひばち、たかなきゃ」


 岩をくりぬいた部屋はきんと冷えている。窓の外でも、雪がちらちら。


「ぼく、ちゅうぼうからもってくる」

「あとでよい」


 セイリエンはひざから降りかけた子を止めた。


「あとでよい、ナツメヤシ」


 子供の腰に回した腕に力をこめ、ぐっと引き寄せる。ひざの上のぬくもりを、離したくなかった。


「お話を読んでしまおう」

  




『塔から、刃のごとき風がびゅおうびゅおうと流れ出ました。

 刺すようなその風は紫の海にも吹き荒れました。

 三ヶ月を過ぎても、冬の殿下はおそろしい風を織り続けました。

 半年を過ぎても。

 一年を過ぎても。

 霜の風を織るのをやめませんでした。

 こんこん降り続ける雪は積もりつもって、帝都の塔を、半分以上埋めてしまいました。

 一番南の小島でも、積もる雪の深さは人の背をゆうに超えるほど。

 海もいつしか分厚い氷に覆われ、帝の大島小島は、完全に凍りつきました。

 冬の殿下の願いどおり、人間たちの多くは、暖かいとつくにへと逃げていきました。 

 けれども、がんとして居座る者もかなりいました。

 氷で家をくみ上げ、毛皮をまとい、寒さをしのぎながら氷の海を割って、眠っている生き物たちをとらえて食べるのです。


(なぜ眠らぬ? なぜ逃げ出さぬ? わからぬ……)


 毛皮でもこもこの人間たちの姿を鏡で見ると、冬の殿下はますます必死に風を織り続けるのでした。


(織らねば。織り続けなければ……)


 不眠不休の冬の殿下の白い手は、ますますしなびていきます。

 腕はうまく上がらず、風の糸を通す手つきはもう今にもとまりそうです。

 紫の薄様(うすよう)の衣は黒ずんで、黒の薄様(うすよう)になってしまいました。

 それでも殿下は、機を動かし続けました。


(織らねば……織らねば……) 



 一体何年、冬が続いたことでしょう。

 大島小島は何年も、何十年も、寒い冬に覆われました。

 しかしついにある日あるとき、とつくにから奇妙な舟がやってきました。

 へさきがひどくとがっていて、がりがりと海の氷を割る舟です。

 眠る帝都の目の前、凍りついた湾についたその舟からおりてきたのは、人間たち。

 それから、彼らを率いるひとりの王でした。

 銀の髪の見目麗しい王は、人間たちに命じました。


「春の殿下を目覚めさせるには、冬の殿下に雪の下の梅色の風を織っていただかねばならぬ。者どもよ、帝都のいと高き塔にいたり、冬の殿下におねがいするのだ」


 その王殿下は、帝都でお眠りになっておられる陛下の甥であられました。

 けれども大昔に罪を犯して、大島小島を追放されてしまったのです。

 帝に言い渡された追放の期間は、百年。

 王殿下は遠いとつくにで棺の中に入れられ、ずっと眠っておいででした。

 そして。


『お願いいたします、王殿下。あの島国に、春をよみがえらせてくださいませ』


 王殿下は目覚めて早々、かつて大島小島に住んでいた人間たちに、懇願されたのでした。


『帝都のあの塔から、雪風と共におそろしい呪言が流れてくるのです。人間どもよ、眠れ。いや、出て行け……おそろしいものが、我らを呪っているのです』


「私は罪人ゆえ、あの塔どころか帝都にすら入れぬ。ゆえにこの文をみなにたくす。かならずや、冬の殿下に届けてくれ。さすればきっと、殿下は梅色の風を織ってくださるだろう」


 王殿下は人間たちにきつく申し渡しました。


「見事役目を果たしてくれたものには、なんなりと褒美を取らせようぞ。だがけっしてゆめゆめ、冬の殿下を傷つけてはならぬ。もし毛ほどの傷とてつけようものなら、褒美のかわりに我が太刀が、汝らを襲うであろう!」


 王殿下は人間たちに香の匂いかぐわしい文をことづてました。

 水晶の枝につけられた文を掲げ、人間たちは雪をかき分けかき分け、帝都にそびえたついと高き塔をめざしました。

 王殿下は帝都の門の前で、祈るような気持ちで待ちました。

 かつておのれが陛下に追放された理由。

 それこそは、冬の殿下へのはかない想いが原因でした。

 今上陛下が西の帝の妃として冬の殿下を入内させようとしたのを、阻止してしまったのです。

 白き馬に乗った王殿下は冬の殿下をそのお住まいから奪い、かけおちをなさいました。


『ずっと昔から、おしたいしておりました』

『わたくしもです』


 二人の想いは幸い、熱く通じ合ったのですが。

 勘気燃やす陛下はお二人を捕らえ、きつく断罪なさいました。

 すなわち王殿下は追放され、冬の殿下は、冬に風を織る姫にされたのです。

 こうして片方は棺に百年眠らされ。もう片方は、棺に眠ることを許されぬ身となったのでした。

 

(姫よどうか。どうか我が文を、生きた双眸に捉えてくれ。どうか……)

 

 別れてより百年。

 陛下とその血を引く皇族は、冬の間棺に眠れば、ほぼ年を取らず、長く長く生きられます。

 でも。棺で眠れぬと、他の生き物よりは長い命ではありますが、いずれ老いて死んでしまいます。

 心配でなりませんが、冬の風が織られ続けているということは、冬の殿下は生きてはおられるはず。

 きっとそのはずです。



『姫よ。人間たちは我らと似た姿のものなれど、我らとは違う。

 青の三の星という遠き星からきたものにて、織られた風では眠くもならぬし起きもせぬ。

 姫よ。どうか、無理に人間たちを従わせようとするのをやめてくれ。

 島国からきた人間たちは、作物を育てることを学び覚えた。

 魚を育てることも。家畜を育てることも。森を育てることも学んだ。

 もう他のものから闇雲に恵みを奪い、無知に狩り取るようなことはせぬ。

 だからどうか、長き冬を終わらせたもう』



 王殿下は、文に添えた歌に熱い想いのたけを存分にこめました。

 

『忘れじの 行く末までも いとやすし ましろの雪こそ わが腕の君』


(どんなに時がたっても忘れぬということは難しいといわれるが、わたしには当然のこと。

 たとえあなたがどんなに老いさらばえていても、私はあなたを……)


 どのぐらい待ったでしょうか。

 帝都の門の前でもんもんと待つ王殿下の頬を、ほんのり風が撫でてきました。

 さきほどまでの刺すような冷たい風ではありません。

 ほのかに暖かいような。ほのかによい香りがするような。

 とてもやわらかい風です。

 

(ああ。文があの方のもとに届いたのだ)

 

 王殿下は目の前の帝都にそびえる、高い高い塔を眺め上げました。

 雪の下の梅色の風が、塔の窓からこぼれ落ちてきます……』




 

 細密画の冬の殿下の白い手の痛々しさといったらなかった。

 それはまさしく老婆のもの。いや、骸骨のもののようだった。

 砕氷船は流麗な形でまるで白鳥のよう。

 王殿下のみ姿は、すばらしいとしか言いようがない。

 梅色が透けてみえる白絹の狩衣は、この方こそ帝ではないかと思うぐらい、神々しくうるわしい。

 王殿下がはるか見上げる細い塔から匂い立つ風が流れ出る様は、えもいわれぬ美しさだ。

 雪の結晶の中央に、梅の花がうめこまれたものが無数に舞っている。

 流れ飛ぶうちに雪の結晶がとけ、梅の花だけが春の殿下の棺に届くのだ。

 

「はるがくる」


 金の髪の子がうれしげに囁く。


「ああきっと、春の殿下は目覚める」

「ふゆのでんかも、しあわせになる?」

「きっとなるぞ」


 セイリエンはひざの上の子どもの様子を伺った。

 いい感じだ。ランジャディールの目は、絵本に釘付け。冷たい色の瞳は期待できらめいている。

 これで冬の殿下が王殿下とめでたしめでたしになれば、子どもの顔は喜びに染まるに違いない。

 美しい大団円の絵に感嘆のため息をついて。

 それから……それから……


(きっと見せてくれる)


「最後の頁を見てみよう」


 心の中で切に願いながら、セイリエンは最後の頁をめくった。



(どうか笑ってくれ。あの笑顔をもう一度見せてくれ。私の仔)








~裏設定的なメモ~


※称号は現在の皇室典範を参考にしました。


帝(今上陛下)

王(今上より三親等以遠の皇族を指す・尊称は殿下)

女王(今上より三親等以遠の皇族女性を指す・尊称は殿下)


※衣は十二単の五つ衣のかさね色目を参考にしました。


~の匂い=うちきのかさねの色目で、グラデーション色をさします

~の薄様=うちきのかさねの色目で、グラデーション。そのうちの二枚が白になるものをさします。

春の殿下:梅の匂い

夏の殿下:花橘

秋の殿下:捩じり紅葉

冬の殿下:紫の薄様

「雪の下の梅」もかさねの色目のひとつです。1~3月ごろに着るものです。



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