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1話 獅子の仔

ごらんくださってありがとうございます。

昨年の冬童話企画を使ったお話ですが、

提出期限に間に合わなかったものです。


黒き衣の導師が弟子のパパになろうとがんばるお話です。

(セイリエンは28才。ラデルは10才)


※「真紅の妃」というお話の主人公にかかわっているので、

そちらの方でも番外として掲載しています。

 楽しんでいただけましたらうれしいです。




 岩壁そそりたつ寺院の回廊に、黒き衣まとう人々のさざめきが響く。

 笑い声が混じっているのは、今宵は週末でぶどう酒の配給があったからだろう。

 夕餉(ゆうげ)の刻をだいぶ過ぎた中庭は、宵闇に暗く沈んでいる。

 湯浴みを終えて浴室から出た黒き衣のセイリエンは、岩の螺旋階段を昇り三階へ出た。

 まだ濡れている金の髪を撫でつけながら、寺院の「高き階層」を見渡す。

 中庭の上空を四角く囲むように、分厚い岩壁をくりぬいた部屋の入り口がずらりと並んでいる。

 岩壁のところどころにあけられた穴からもれているのは、灯り壷の淡い光。光に浮かび上がった入り口のつらなりを、若き導師は誇らしげに眺めた。

 最長老より黒き衣とセイリエンという名をたまわり、黒の導師となってまだ一年。若き導師の室は、階段のすぐそばにある。

 中は部屋ひとつだけで、瞑想室よりも狭い。いくつも続きの部屋を持つ長老たちとは月とすっぽん。

 それでも、入り口の垂れ幕の前に立った若き導師は、えもいわれぬ優越感に襲われた。

 なぜならこの部屋はセイリエンひとりのもの。共同部屋で何十人もの蒼き衣の子たちと一緒に寝起きしていたころとは違い、何の気兼ねも遠慮もいらないからだ。

 朝夕の二回、岩舞台に上がって風編みの歌を編む義務をこなせば、あとは何をしていてもよい。

 この「城」に好きなだけこもっていられる。

 好きな蔵書を並べ、韻律書や歴史書をこころおきなく紐解き、思索に没頭できる。瞑想をさぼっても、夜更かしをしても、誰も怒らない。それに……


(美味い菓子も隠しておける)


 垂れ幕をかき分ければ、部屋は真っ暗。すぐ目の前に簡素な寝台が迫っているのがなんとか見える。

 正面の壁には、岩を打ち抜いた円窓がたったひとつ。


「雪?」


 真っ暗な円窓のむこうに白いものがひらひら舞っている。

 今は初冬だから、白綿蟲ではない。ほんものの雪だ。


「そろそろ火鉢を借りるか」


 窓のすぐ下に置いている薬草の植木鉢を廊下に出したら、置けるだろう。

 導師になった日にディクナトールのレナンが黙って置いて行ったものだが、ずいぶん成長して茂っている。小さな実がなり、それがよい触媒になる。役に立つのでつっ返すのをやめたものだ。

 茂っている植木鉢の輪郭が、窓の下にある。

 壁穴の灯り壷に灯をともそうと、中に踏み入ったら。


「う」


 こつりと爪先に硬いものが当たった。


(ああ、いつものか)


 床になにかが落ちている。ひとつではなく、かなりたくさん。

 硬くて四角いもの。丸まっているもの。セイリエンはまったく驚かずに、床にあるものを踏まぬようつま先だって奥に進み、寝台の上の壁穴に手を伸ばした。


『燃え上がれ、音の神』

 

 岩壁の穴に置いてある灯り壷にふれて韻律を唱えると、透明なギヤマンの壷の中で火種がきらめき、底に貯まった魚の油を燃やし始める。

 ほのかな橙色の光が部屋にしみわたる。

 光に浮かび上がる猫の額ほどせまい床。そこにばらまかれているのは……。


 本。本。本。

 それから、たくさんの巻物。


 寝台の向かいには、岩壁をうがってつくられた書棚がある。その下二段の蔵書が全部、床に出されていた。ぽっかり空いた一番下の棚に、何かがいる。


「ランジャディール、またそこに?」


 蒼き衣をはおった小さな子だ。棚に無理やり身を嵌めるようにして、ひざを抱えて縮こまっている……


「出ておいで。本を片付けなさい」


 セイリエンはできるだけ穏やかに語りかけた。

 若き導師は、今年の夏至にこの子どもを手に入れた。

 北五州のひとつ、金獅子州出身。すなわちセイリエンの実家が治める国に生まれた子だ。

 顔立ちはかなりかわいい。金髪まぶしく、大きな眼は麗水をとじこめた氷河のよう。

 年は十歳だが、読み書きはまだあまりできない。両親はなく、養い親にこきつかわれ、学校に通わせてもらえなかったからだ。しかし冴え冴えとしたその瞳には、賢しい知恵が宿っている。 

 子どものかわいらしい紅い口元は引き結ばれたまま。蒼い氷の瞳が見上げてくる。

 その瞳はただただまっすぐこちらを見つめ、無言の問いを問うてきた。



『ぶつ?』



「ぶたないよ」


 にっこり答えた師が床に片ひざをつき、本をとって渡すと。子どもは黙って本棚から這い出てきて、本を棚に戻し始めた。沈黙のまま、師が拾った本を次々受け取ってきれいに並べていく。

 

(慣れとは、おそろしいものだな)


 セイリエンはくすりと苦笑した。

 これはこの部屋で毎夜繰り返される光景だ。

 若き師はいまだかつて、この金髪の弟子を共同部屋に寝かせたことがない。

 あそこにはおもちゃも絵本もお菓子もない。新入りは年上の子たちにいじめられ、なにかと下働きさせられる。あごでこきつかわれるし、韻律の実験台にされる。あんな十把ひとからげですさんだ環境になど数秒とて置いておきたくないので、この部屋に住まわせている。昼も夜も、ずっと一緒だ。

 だが湯浴みして部屋に帰れば――

 灯りは消され本がばらまかれている。ほぼ毎晩、一面本の海。

 あまりに繰り返されるので、セイリエンの気持ちはすでにうんざりも倦怠もイライラも通りこした。今は毎日ごく普通に見られる光景であると平気で見下ろせる。 

 

 師が怒鳴らないか。

 ぶたないか。

 蹴ったりしないか。 

 

 小さな金獅子は毎日こうして確かめてくる。そうしないと、どうにも落ち着かないようだ。

 前に一度厳しく言って禁止したら、寝床の中で夜通し泣かれた。なぜか怯えてがくがく震え、ひどくしゃくりあげる。


『ぶつの? ぶたないの? どっち? わかんない……わかんないっ……』


 抱きしめてなだめすかし、千の口づけを頭や額に落とし続けても、涙はとまらなかった。

 あのときは完全に途方にくれた。

 なによりあのひどく辛そうな貌は、もう二度と見たくない――。


「今夜は、その本がいいのかな?」


 師が次々拾って渡す本のうちの一冊を、弟子が寝台の上に置いた。

 表紙に雪の結晶が描かれた絵本だ。蒼い宵闇が、濃い瑠璃の顔料で塗ってある。


「ああ、それか」


 セイリエンは満足げに眼を細めた。

 書棚の一番下の段には、絵本がたくさん入っている。

 図書室から借りたものの他に、わざわざ外界から取り寄せた細密画のものがかなりある。

 雪の結晶模様の絵本は、そんな芸術品のひとつ。一枚一枚手書きの一品物で、供物船で今朝、届けられてきたばかりだ。

 子どもを手にいれてから、この手の絵本がごっそり増えた。

 なぜなら弟子になる直前に、本人の口から直接聞いたからだ。

 彼の、要求(のぞみ)を。


『おししょうさまって、パパやママみたいなひと?』

『そうだよ。君にいろんなことを教えて、一人前の導師に育ててくれる』

『そのひと、ねるまえに、えほん、よんでくれる?』

『どうだろう。私だったらしてあげるかな』


 普通、寺院につれてこられた子どもは広場に並べられ、いならぶ導師のだれかが名乗りをあげて選び取ってくれるのを、頭をたれておとなしく待つものだ。

 だが、驚くべきことに。

 

『だっことか、してくれる?』

『たぶんしてくれるよ』

『まもって、くれる?』

『もちろん。師となる導師にはその義務がある』

『……ぶったりしない?』

『いい子だったら、ぶたれないんじゃ?』

『……』

『まあ、たとえ悪い子でも、私はぶたないよ』

『じゃあ、あの。あの。あのね』


 湖を渡って寺院につれてこられたその日。

 小さな金獅子は、広場に並べられる前に自ら選びとった。



『パパに、なって……』



 魔力おそろしい黒き衣の導師たちの中から唯ひとり、おのれの師となる者を。

 




「ランジャディール、そこにお座り」


 他の本を全部書棚に戻すと、命じられた子どもはちょこんとセイリエンの寝台に座った。

 ほんのりかすかに口元がほころんでいる。

 新しい本がどんな風なのか、わくわくしているらしい。

 だが師はすぐには本を開かずに、寝台の隣に置いている小卓の引き出しから小さな銀の容器を出した。


「本を見る前に蘭麝のナツメヤシ(ランジャディール)をお食べ」

「ともぐい……」

「そうだよ。本をばらまいた罰だ」

 

 容器の蓋をとり、桃色砂糖がまぶされたナツメヤシをつまみあげ、子どもの口にそっと入れる。

 

「悪い子は、食べられてしまえ」


 師は自分の口にもナツメヤシをひとつ入れた。

 くすりとかすかに笑った子どもの片頬に、ぽっこり突起があらわれる。大きな飴玉を食べているような顔。そのかわいさと口の中に広がるこのうえなく上品な甘みに、師はにっこり顔をほころばせた。

 

(さあ、いつもの質問がくるぞ)


「らんじゃって、なに?」

「ここからずっと南にある小さな国だ。桃色の砂糖とナツメヤシが特産だよ」

「でぃーるって、なに?」

「蘭麝産のナツメヤシのことだ。普通のデーツとはまったく違う。糖度もねっとり感もはんぱない。口の中でとろけるだろう?」

「なんでぼく、らんじゃでぃーるなの?」

「アンジェロなんて、掃いて捨てるほどいる。でもセイリエンのランジャディールと呼ばれる子は、大陸中でたった一人だ」

「……わかんない」

「分からなくてよい」

「なんどきいても、いみわかんない。なんでぼく、らんじゃのなつめやしなの?」

「世界一おいしいからだ」

「????」


 師は首をかしげる子供の隣に座り、今夜選ばれた本を開いた。

 甘いお菓子を飲み込んだ子供の金髪頭が、師の腕にこつんとよりかかってくる。はあっと感嘆のため息が、薔薇色の小さな口から漏れてきた。


「きれい……」


 ひとこと囁き、ランジャディールはまた、深くため息をついた。


「高価な瑠璃が一面塗られているね。緑の山々には、翠玉を砕いて溶いた顔料を使っている」

「ルリっていろ、すき。ぼくの目、こんないろだったらよかった」


 一頁一頁、すべて手書き。美しい細密画ときらびやかな飾り文字が、艶やかな羊皮紙にちりばめられている。

 セイリエンの実家、金獅子州公家が抱えている、一流の職人の手によるものだ。

 銀五本を報酬として与え、どの仕事よりも優先させて作らせた。

 もと公子で実家から毎月それなりの仕送りを受けているセイリエンには、微々たる出費。だがちまたで銀五本といえば、一枚帆の小船を一艘買えるほどの価値だ。

 

「冬の女王様のお話の本だよ」


(気に入るはずだ)


 セイリエンは内心、期待に胸を躍らせた。

 

「この世に一冊しかない逸品だ。我が金獅子州公家は、宮殿の敷地内に大工房を抱えていてね。何十と区切られた部屋にいろんな職人が住み込んでいる。金銀細工に宝石加工に皮なめしに、織物。仕立てに刺繍に……まあそれぞれ一流の腕を持つ職人が五、六人は常時いるな。写本職人は十人、製本職人は四人いる。これは絵を宮廷画家に描かせて、細密画を専門に描く職人に再現させたんだ。それから製本職人には最高級の牛革を使うようにと命じて……」

 

 悦に入って説明していると――手首に小さな手がそっと乗ってきた。

 セイリエンはこれがどんなに価値の高いものかもっと教えてやりたかったが、こらえた。


「よんで」


 うれしいことに、子どもが熱っぽく囁いてきたからだった。


「よんで、おしさま」


 腕から小さな手が去ったと思ったら。ぴたとついている頭が傾いて、セイリエンの胸に落ちてきた。

 絵本の絵を熱心にのぞきこんでいる。


「それでは絵がよく見えないよ。ひざの上においで」

「んー……」

「おいで、ラデル」


 顔を落として優しく囁くと、子どもの体が素直に動いた。


(よし、座ってきた)


 セイリエンの口元が大きくほころんだ。


(すばらしい。おねだりが聞けるとは)


 いつもは読んでほしい絵本を黙って示されることがほとんど。

 ひざの上に乗るのはひどく躊躇される。何度も促してようやく乗ってくれるのに、今宵はほぼすんなりだ。

 これはもしかしたら……


(今夜こそ、見られるかもしれぬ)


 今夜こそ。

 今度こそ。

 見られるかもしれない。

 金の髪まぶしいこの子の。この小さな獅子の仔の……


(もう一度見たい。どうしても見たい……頼む、見せてくれ。私の仔)


 セイリエンは心中切なる願いを何度も唱えながら、美しい雪と細く高く気品ある塔が描かれた絵につけられた、銀色の飾り文字を読み始めた。

 魔力備わるその、水晶のかけらを打ち鳴らしたような澄んだ声で。 

 


「昔々あるところに――」





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