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黒い聖域   作者: 久遠
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               (5)災禍

 日付けが変わった深夜三時過ぎ、森岡の携帯が鳴った。

 受信を確認すると片桐瞳からであった。大阪都島にある茜のマンションのベッドに横たわっていた森岡は、躊躇う事なく携帯を繋げた。瞳がこのような時刻に電話してくることなど尋常ではないからである。 

 はたして、森岡の耳に瞳の悲痛な声が漏れ伝わった。

 森岡は、蒲生亮太一人を呼び起こすと、茜に事情を話し、京都中京区の瞳のマンションに向かった。瞳とは決してやましい関係ではないし、茜はこのようなことで悋気する女性でもない。

 瞳のマンションに到着した森岡は、玄関先まで護衛した蒲生を車に返し、一人で彼女の部屋に入った。

 玄関のドアを開けて招じ入れた瞳の姿に、森岡はただならぬ異変を感じた。

「何があった?」

 森岡は慎重に声を掛けた。

「……」

 だが、瞳は口を開こうとはしなかった。

「言いたくなければ言わんでええで」

 森岡は子供をあやすかのように言った。

「私……、私……」

 瞳は尚も躊躇った。

「無理するな。けど、俺にできることやったらなんでも力になるで」

 森岡は優しく囁いた。

 すると、ようやく重い口が開いた。

「私、二人の男に乱暴されたの」

「な……」

 乱暴という言葉の意味を理解した森岡は言葉を失った。このようなときに掛ける、気の利いた言葉など浮かぶはずもない。

 しばらく重苦しい沈黙のときが流れた。

 やがて、瞳は搾り出すように話始めた。

 この夜、彼女は0時過ぎに店を閉めた後、男性客とのアフターに付き合い、深夜二時頃までカラオケで遊んだ。男性客とホステスを残し、先に自宅マンションに戻ったところ、玄関先に止まっていた車から降りてきた二人の見知らぬ男に呼び止められた。

 二人は、彼女が片桐瞳だと確認すると、突然一人の男が口を塞ぎ、取り出した刃物を咽元に付き付けた。彼女は車に押し込められて、山科辺りの山奥まで拉致されると、車中で強姦されたのだと言った。

 彼女はいつもの気心の知れた個人タクシーを呼び、マンションに戻ると、身体を洗浄した。警察に被害届を出そうと思ったが、なぜだか森岡の顔が頭に浮かんだというのである。

 森岡は、瞳が落ち着いたのを見計らって、犯人の手掛かりとなる材料を聞き出した。

 悪夢のような惨劇の中で、瞳は気丈にも冷静に二人の男の特徴を観察していた。

 一人は四十歳半ばの小太りで禿頭、もう一人は三十歳過ぎの長身で男前。

 二人とも関東弁を話していたが、若い方は言葉の端々に、時折関西弁が混じっていたということ。

 車のナンバーが目黒だったということ。

 そして、二人の会話に中に『やっちゃん』という言葉が出たということであった。

 関東弁ということから推測すると、東京から京都へやって来ての凶行であり、素顔を晒しても、自分たちまでは辿り着けないとの読みだと思われた。

 森岡はしばらく思案した後、

「もしかしたら、俺のせいかもしれん」

 と呻くように言った。

「え? どういうこと」

 瞳は怪訝そうな顔をした。

「はっきりとは言えんが、もし俺のせいだとしたら、落とし前はきっちりと俺が付ける」

「……」

「だから、だから間違っても馬鹿なことは考えるなよ」

 森岡はやさしく肩を抱いた。

「これぐらい、へっちゃらよ」

 瞳は悲しみを仕舞い込むような笑顔で言った。

 一人の女性として、辛酸を舐めながら生き抜いてきた両眼には凛とした力強さがあった。

――この分なら、大丈夫だな。

 森岡は安堵の呟きを漏らした。


 森岡は、瞳を吹田市の北摂高度救命救急センターに隣接する千里総合病院へ連れて行き、処置を受けさせた。彼が凶刃に倒れ、入院していたとき懇意になった医師に連絡を取り、信頼できる女医を待機してもらったのである。

 診察の間、森岡は事件を推量した。

 男たちが瞳の本人確認をしたということは、突発的ではなく、計画的だったということになる。瞳の話から、彼女自身が恨みを買うとすれば、坂東貫主ぐらいであった。しかし、男たちの言葉が関東弁だったということを考慮すると、その可能性は低くいと見るべきで、森岡が瞳に、自分のせいかもしれないと言ったのはこのためである。瞳に比べれば、 彼の方が恨みを買う可能性は断然高い。

 森岡の脳裡に真っ先に浮かんだのが筧克至である。

 彼であれば、人生を狂わされた恨みを抱いていたとしてもおかしくはない。しかも、あれほど恫喝されたにも拘らず、総本山真興寺周辺をうろついたりしている。森岡は、筧が何を企んでいるのか気になった。気にはなったが、ここで森岡は残る手掛かりが心に浮かんだ。

――やっちゃん……。

 二人の男の、どちらかの呼び名なのか、それとも第三者のそれなのか。森岡は脳の深層部に、どこかで見聞きしたような引っ掛かりを憶えたが、どうしても記憶を呼び起こせなかった。


 名古屋のキャッスルホテルの一室で、筧克至は何度も何度も唾を飲み込んでいた。緊張のあまり、喉の渇きが収まらなかった。彼の目前には、瑞真寺第三十八世門主・栄覚権大僧正が座っていた。

 瑞真寺は、宗祖栄真大聖人の末弟・栄相上人の血脈継承のために建立された、いわば宗祖家の寺院である。室町時代、総本山の護山の役目を担う高尾山の、標高千メートルの高地に平安様式で建立された。敷地は約一万二千坪と、決して広くはなかったが、紛れもなく本山格を有する寺院である。

 本来、天真宗も妻帯を厳禁とする戒律があったため、宗祖栄真大聖人自身の直系子孫は存在しない。ところが、大聖人の末弟・安倍直正あべなおまさは、世俗にあったとき男子を生しており、その後出家して大聖人の直弟子栄相を名乗った。

 栄相上人は智略に富んだ人物で、浄土真宗が妻帯を容認していることに倣い、いやそれどころか宗祖親鸞上人の子息が、それこそ生き神様のように信者から畏敬の念を集めていることに着目し、戒律の裏でこの世に自らの子孫を残すことを思い立った。

 すなわち、一旦婚姻し、男子を生してから出家する方法で脈々と血脈を繋ごうと画策した。しばらくは隠密裏に実行されていたが、室町時代に入り、時の総本山上層部が容認、加担し、瑞真寺の建立に至ったのである。

 これを栄相上人の深謀遠慮と読み取るか、歴史の壮大な浪漫と受け取るかは別として、栄相上人の企てを読み取った栄真大聖人は、天真宗の将来を憂い、栄相上人のみならず彼の子孫を遠ざけるため、

『後継は一等優れた者にすべし』

 との遺言を残して逝ったのである。

 事実上の血脈者拒否宣言であった。よって、高尾山に瑞真寺が建立されたとはいえ、栄相上人の子孫から法主に上がった者は一人としていなかった。

「筧君と言ったな」

「はい」

「会うのは二度目だな」

「以前、勅使河原会長とご一緒致しました」

「うむ、そうだった。何でも、私のためにウイニットへ入り込んでくれたということだったが、今はどうしているな」

 筧は苦々しい顔をした。

「森岡に見破られて、会社を追い出されましたので、この際自分で事業を始めようかと思っているところです」

「そうか、何か困ったことがあれば遠慮なく言いなさい。と言っても、起業ということであれば、勅使河原会長の方が頼りがいがあるがな」

「ありがとうございます。その折は宜しくお願い致します」

 筧は丁重に頭を下げた。

 筧は立国会会長の勅使河原公彦の指示を受けてウイニットに入社した。

 栄覚は、神村正遠が自身の最大の宿敵だと見定めたとき、彼の身辺調査をした。

 その結果、有力な支援者として榊原壮太郎や福地正勝の名も挙がったが、経済人が高僧の庇護者となることは珍しいことではない。むしろ栄覚の目は、大学時代に神村の書生をしていた森岡洋介に注がれた。

 このあたりは、さすがに栄覚もただ者ではないといったところか。

 勅使河原とは距離を置いていた栄覚だったが、神村の懐刀である森岡の動向を内偵する必要に迫られ、やむなく彼の力を借りることにした。すなわち、ウイニットにもいるであろう立国会会員の中から適当な者を選んで情報を得ようというのである。

 実際、ウイニットには八名の立国会会員がいた。とはいえ、森岡と言葉も碌に交わすことのない一般社員では役に立つはずもない。重役か秘書のような側近である必要に迫られた。

 一人だけ該当者がいるにはいた。

 南目輝である。彼自身は立国会会員ではなかったが、父昌義が中国地区の幹部を務めていた。

 だが、部下から調査報告を聞いた勅使河原公彦は首を縦に折らなかった。南目昌義は、先代勅使河原公人時代からの重鎮の一人ではあったが、自身には何かと注文を付ける、煙たい存在だったのである。

 ちょうどそのような折である。

 関西支部の幹部である筧克実かつみが子息の克至を伴い、東京本部に勅使河原を訪ねて来た。雑談の中で、関西で同じコンピューター関連の仕事をしているということから、勅使河原は何気に森岡の名を出した。

 すると筧克至が、森岡とは面識があり、しかもヘッドハンティングされ、思案中というではないか。

 勅使河原は、諜報員として筧克至に白羽の矢を立てた。

 筧家とは克至の祖父の代から親交があったし、何より克至本人が森岡の信用を得ているのだ。しかも、ウイニットの要職に就くということは、森岡と接触する機会も格段に多いはずである。

 筧克至は、将来の起業への援助を条件として勅使河原の提案を受諾した。

「ところで、今日は呼び立てて済まなかったの」

 栄覚は労いの言葉を掛けた。

「とんでもございません」

「君を呼んだのは他でもない。あらためて、森岡という男について詳しく訊ねるためだ」

「承知しております」

「勅使河原会長を通じて君からの報告を受けていたが、少し様子が違うようだ」

「とおしゃいますと?」

 筧は腑に落ちない顔で訊いた。

「たしかに、すこぶる頭の切れる男のようだが、それだけではないようだの」

「……」

 筧には、門主の言いたいことがわからなかった。

「人徳だよ」

「人徳?」

 筧は思わずオウム返しをした。

「森岡という男、ずいぶんと人に好かれる徳が備わっているようだ。この人徳というのは、努力したから身に付くといった類のものではない。生まれ持った素養と分別が付く前の幼年時の薫陶が大きくものをいう」

「では、森岡の過去を調べよと」

 筧は機転を利かしたように言ったが、

「そうではない」

 栄覚はやんわりと否定し、

「そのようなことは、探偵にでも依頼すれば良い。君には、森岡と接した折の彼の言動を余すことなく話して欲しいのだ」

 と言葉を継いだ。

「そのようなことで」

 筧は疑いの目で栄覚を見た。

 栄覚とて荒行を六度達成した高僧である。話を聞いただけで真実に触れる法力は身に付けている。俗人の筧には、理解できない仏界の真理であった。

「直に会って確かめるのが一番なのだが、なかなかそうもいかない。そこで、君を呼んだのだ」

 栄覚はもどかしそうに笑った。

 催促された筧は、自身との出会いの経緯から、神村正遠、榊原荘太郎、福地正勝、真鍋高志らとの交流、大阪パリストンホテルでの神栄会を背景にした恫喝の様子まで全てを詳らかにした。

 黙って聞いていた栄覚の表情は除々に強張り、つれて色を失って行った。

「門主様、如何されましたか」

 話し終えた筧が問い掛けたが、栄覚は何も答えなかった。

「うーん。ますますこの目で見たくなった」

 しばらくして栄覚が呟いた言葉であった。



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