(5)
野島真一と坂根好之は名古屋の「中部技研」というソフトウェア会社に、社長の橋爪を訪ねた。
ウイリアム・ゴールド社と話を付けた森岡だったが、石津はもう一つ問題を抱えていた。六年前に開発したソフトウェアが開発会社に差し押さえられていたのである。
石津が手にした事業資金八億円のうち、ハードウェアに五億円を掛けたので、ソフトウェアー開発には三億円しか残っていなかった。当然、足りるはずがない。開発費用は少なくとも六億円が見積られていた。
通常、開発期間が長期に亘る場合は分割して決済される。三分割であれば、開発の進捗に合わせて、三分の一、三分の一、そして完成時に残りの三分の一である。
ところが、資金にゆとりのなかった石津は、着手金として一億円、中間金として二億円支払う代わりに、残りの三億円を完成時から半年の猶予を願い出た。
半年経てば黒字が出ることを当てにしてのことだったのだが、その半年後、警察当局の捜査のメスが入ってしまい、黒字どころか活動閉鎖ということになってしまった。よって、開発会社は残りの三億円の形にソフトウェアを差し押さえたということなのである。
石津の手元には、彼がウイリアム・ゴールド社から盗み出したシステム及びプログラム仕様書の日本語版があったので、時間さえあればウイニットで開発も可能であったが、残り時間は約一年しかなく、試行期間の短い、俗にいう「ぶっつけ本番」となる可能性が大きかった。
森岡は自ら交渉に乗り出すつもりだったが、中部技研のここ数年の決算報告書を精査しているうち考えが変わった。
中部技研は七十名程度の、ソフトウェアー会社としては中の下といった規模の会社である。一般的に、通常商品の製造販売会社の一社員当たりの売り上げは、人件費の三倍程度が収支の分岐点と言われている。仮に一人の社員の給与と賞与の合計が五百万円だとすると、一人当たりの売り上げは千五百万円が必要となる。一万人規模の会社であれば、売り上げは千五百億円である。
もちろん、商品の種類によって数字は前後するが、いずれにせよソフトウェア会社というのは、これらに比べれば遥かに必要経費が少ない。なにしろ、人件費と家賃以外でソフトウェアー会社の主な経費といえば、コンピューター稼働の電気代とデバッグ(プログラムの精査)に掛かる紙代ぐらいのものなのである。
したがって、人件費の百六十パーセントの売り上げがあれば収支はトントンとなる。中部技研は七十名程度の会社であるから、一人当たりの人件費が四百万円だとすると四億五千万円が売上目標となる。ブックメーカーのソフトウェア製作代としての六億円は魅力的であったに違いない。しかし、同時に三億円の未払いは資金繰りに頭を悩ますことになった。
中部技研の決算書から恒常的な資金難を見抜いた森岡は、自身に代わって野島にある使命を与えていた。
名刺交換をした橋爪はおやっ、という顔をした。
「森岡社長さんではないのですか」
橋爪は、野島の名刺をテーブルに放るように置いた。
橋爪は四十歳半ばといったところだろうか、長身のがっしりとした体形で、脂ぎった面をしている。
「森岡は所用がございまして、今回は私が担当することになりました」
野島は謙ったが、本来は野島でも役不足である。
野島は、社員三百五十名を超え、上場を控えるウイニットのナンバー二である。社員七十名程度の資金繰りに窮する会社の社長とは釣り合いは取れない。ウイニットからすれば平取締役で十分だったが、森岡には野島と坂根に経験を積ませる目算があったのである。
石津は、中部技研の役員に高校時代の同級生がいたことでシステム開発を依頼し、中部技研側は、役員の知人でしかも着手金を支払うということで、請け負ったということらしい。
野島は単刀直入に、ソフトウェアー一切を一億円で買い取りたいと申し出た。
だが、橋爪は強気だった。
「一億では話になりませんな。最低でも三億は譲れません」
「では、この話は無かったことに」
野島はあっさりと言って席を立った。驚いたのは橋爪と坂根である。
「ちょっと……」
と言ったきり、橋爪は言葉が出ない。坂根は慌てて席を立った。
「こちらもただで三億を出す気はありません。失礼」
野島は坂根に目配せをして部屋から出ようとした。
「お待ち下さい。ただで、とはどういう意味でしょうか」
一転して、橋爪が下手に出た。
「失礼ながら、御社は恒常的な資金難に陥っておられますね」
野島は席に戻った。
「そ、それは……」
橋爪は動揺を隠し切れなかった。
「調べたのですね」
「駆け引きは嫌いなので単刀直入に申しあげます。ウイニット(うち)の傘下に入りませんか」
「……」
橋爪は渋い面をしたまま押し黙った。
野島もしばらく相手の出方を窺っていたが、やがて、
「発行株数の四十九パーセントを二億で買い取らせて下さい」
と具体的な条件を提示した。
「四十九?」
中部技研の資本金は五千万円。一株五万円で一千株発行している。形式上、複数名の株主が必要だが、大抵は親族などに割り当てているため、ほぼ百パーセントが事業主の手元にあると言って良い。
四十九パーセントということは、経営権は奪取しないという意味であった。
「橋爪さんが社長のままで結構です」
「本当ですか」
橋爪の顔が明るくなった。
「もちろんです。私どもから一名を役員に加えて頂ければ、資金の提供と要望があれば仕事も委託します」
「それはもう、ありがたいことです」
橋爪は一も二もなく同意した。
実は、役員一名を送り込むというのが味噌なのである。味一番での須之内は、最後は破綻したというものの、途中までは役員の懐柔に成功し、あと一歩というところまで創業者である福地正勝を追い詰めていた。
ましてや、資金に窮している会社の役員連中を取り込むことなど簡単な事であった。橋爪に対する忠誠心など、将来性豊かなウイニットの魅力の前では無きに等しいものである。
過半数の株を所有している橋爪が株主総会で否決すれは、中部技研社員にウイニットへのと転職を勧めるなどの方法に転ずれば良いことなのである。
「案外、簡単でしたね」
帰りの車中で坂根が言った。野島への賛辞が含まれていた。
「当たり前や。全て森岡社長の指示通りに従ったのやからな」
「では、途中で席を立ったのも社長の指示だったのですか」
「社長は、橋爪の性格まで読んでおられた。凄い人やで、まったく。俺は生まれ持った頭脳でも、エンジニアとしてのスキルでも社長に劣っているとは思わんが、人の心を読む洞察力と未来を見通す眼力では足元にも及ばん」
「そうですね。まるで、タイムスリップをして確認して来たかのように、見通されますね」
坂根も同意した。
「なあ、坂根。俺らはとんでもない人物と出会ったのかも知れんな」
「専務、今頃気づいたんですか。私はとっくの昔からそう思っていましたよ」
神妙な口調の野島に、坂根はすまし顔を向けた。
「お前も言うようになったなあ」
野島は嬉しそうに笑った。




