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黒い聖域   作者: 久遠
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               (3)

 それから数日後、森岡に神栄会の寺島龍司から連絡が入った。

 森岡は、神王組の六代目組長・蜂矢司に直接会い、ブックメーカー事業を請け負う返事をした。その際に、石津航わたる阿波野光高あわのみつたかに会いたいと申し出ていたのだが、二人の所在が判明したというのである。もっとも、阿波野は神王組ナンバー四の本部長の川瀬正巳まさみの庇護下にあったので、問題は石津の所在だった。

 石津と阿波野は、ブックメーカーに絡んだ賭博開帳の首謀者ということで、それぞれ二年の三年の実刑判決を受け服役していた。同じような立場にいたはずの二人の刑期が違ったのは、阿波野が暴力団関係者ということで徹底的に余罪を調べ上げられたからである。

 森岡はまず阿波野光高をパリストンホテルの喫茶店に呼び出した。

 阿波野は出所以来、神王組本部長の川瀬の許で再起を期していた。阿波野は本来川瀬の主人筋に当たったが、跡目相続を川瀬に譲り、堅気の世界で生きていた。だが、悉く事業に失敗していた。

 両者の立場は初見の時と逆転している。初対面の折の阿波野は、資金提供を依頼する身とはいえ、ブックメーカーという大事業を手掛けていることもあって横柄な態度を取った。

 しかし、事業に失敗し収監されたうえに、森岡がブックメーカー事業を引き継ぐことになった。しかも、蜂矢六代目の懇請によって、である。阿波野は森岡に対して頭を低くせざるを得なかった。

 森岡が阿波野に会う決意をしたのは、彼をブックメーカー事業に引き入れようと思ったからではない。あくまでも石津に会うための布石としてである。

 ブックメーカー事業は、阿波野と石津の二人が興した事業である。その片方に会っておいてもう一方に会わないとなると、会ってもらえなかった方が事実を知ったらどのように感じるだろうか。しかも堅気とはいえ、阿波野はそれなりの極道者の血を引いている男なのだ。

 盤石の体制を整えるためには、どんなに些細な事であっても懸念材料は排除しておく必要があった。だからこそ、森岡は阿波野に対して仁義を通したというアリバイを作りたかったのである。

「その節は大変ご迷惑をお掛けしました」

 先に席に着いていた阿波野は、森岡の姿を看とめると、立ち上がって頭を下げた。

 頭髪はオールバックを止め、横分けにしていた。また、スーツも一般のサラリーマンが着用するものにあらためていた。

 森岡は阿波野の出資要請を断ったが、活動費として一千万円を手渡していた。森岡は足が付かないようにと現金で手渡しのだが、阿波野はその金を銀行に預けてしまったのである。その結果、警察の家宅捜査により、銀行通帳が差し押さえられ、そこから森岡の事情聴取へと進展したのだった。

 その際森岡は、当時の大阪府警本部長で、現在は警察庁内閣官房審議官の要職にある平木の名を出し、起訴を免れていた。

「それはもう」

 気にするなと、森岡は笑った。

「しかし、まさかこのような形で再会するとは思ってもいませんでした」

 阿波野は意外にさばさばとした表情だった。

「同感です。私は手を引く形になりましたが、ブックメーカー事業は成功すると思っていました」

 森岡は慰めの口調で言った。

 その上で、森岡が退いた後の経緯を訊ねた。

 森岡から出資を断られた阿波野は運良く、巨額の出資者を見つけることができた。

 仲介したのは、表社会と裏社会を繋ぐ『灰色紳士』と呼ばれる人種である。彼らは表社会からドロップアウトした者や、阿波野のように父親が極道だったりするものが多い。

 主に表社会の金を裏社会に引き込んだり、あるいは裏社会の金を表社会で洗浄する、マネーローンダリングの手引きなどを生業としている。また、詐欺師に材料を供給するのも彼らの得意とするところである。

 阿波野に出資者を紹介したのは、街金業者に出資者を仲介する男だったという。阿波野は、川瀬からもらった金の一部を街金に提供していたことがあった。

 街金に出資しているのは何も暴力団とは限らない。現金で十億円程度の資産家、いわゆる小金持ちの中には、小遣い稼ぎに出資している者が多い。バブル崩壊後、銀行金利は低下の一方を辿っている。街金は三パーセントから、場合によっては七パーセントも保証しているので、魅力的な投資先なのである。

「仲介をしてくれたのは、田鹿功夫たじかいさおという男です」

「何者ですか」

「資産家にベンチャー企業への投資話を持ち掛けて手数料を取っているようです」

 ベンチャー企業と言えば聞こえが良いが、中には会社法人さえ設立されていない、あるいは幽霊法人を用いた詐欺の案件もある。

「その男が出資者を紹介してくれたのですね」

 いいえ、と阿波野は首を左右に振った。

「彼が紹介してくれたのは鷺沼さぎぬまという男でした」

「その男も同類ですか」

「鷺沼は、飲み屋のツケの取り立てや地上げのようなことをしていると言っていました」

「ということは、出資者は水商売か不動産屋ですね」

 いいえ、と阿波野は再び首を横に振った。

「ギャルソンというまともな企業の社長です」

「ギャルソン!」

 森岡は思わず大きな声を出した。

「どうかしましたか」

「失礼しました」

 森岡は気持ちを落ち着かせ、

「ギャルソンというのは大手洋菓子メーカーのはず。そのような優良企業が鷺沼なとというチンピラと付き合いがあるのかと思いまして」

 と如才無く答えた。

「何でも、会長の柿沢と鷺沼は古くからの飲み友達だということでした」

「なるほど」

 と相槌を打った森岡は内心で考えを巡らしていた。

 彼が阿波野と会ったのはあくまでも仁義を通すためで、事業に参画させる気はなかった。だが、彼が柿沢康弘と繋がっていたとなると、そのまま捨て置くこともできなくなった。

 再起を期している阿波野にとって、柿沢は有力なスポンサーの一人であろう。そうであれば、いつ阿波野の口から、森岡がブックメーカー事業を引き継いだと伝わるやもしれない。

 余計な邪魔が入らないためにも、適当に阿波野を取り込んでおく必要があると森岡は考えた。

「ところで、今後はどうされますか」

 森岡はさりげなく訊いた。

「何も考えていません。というより、懐もすっからかんですから、動きようがないというのが正直なところです」

 阿波野は卑屈な笑みを零しながら言った。

「では、私の仕事を手伝ってくれませんか」

「森岡さんの? ブックメーカーですか」

「そうとは限りませんが、とりあえず川瀬さんの許を離れてはいかがですか」

 森岡は庇護という名目の裏で、実際は川瀬の監視下にあるのだと察していた。 たしかに川瀬は、元親分の実子である阿波野光高に恩義はあるが、跡目相続を譲ってもらった代わりに二億円を渡し、義理は果たしている。

 また、ブックメーカー事業を失敗し、神王組に多大な迷惑を掛けたことで、川瀬は先代から大目玉を食らっていた。川瀬個人の金銭的損害も多大である。川瀬は阿波野が無一文なことを知っていながら庇護しているのは、かつての主家筋の息子というだけでなく、どうにか彼を利用して損害を取り戻そうというのが本音が透けて見えていたのである。

「正兄ちゃんには借りがあるので……」

 阿波野は、幼い頃から川瀬正巳を兄ちゃんと呼んで育って来ていた。

「いくらですか」

「一千万ほど」

 この金額は、出所後の阿波野の個人的な借りである。訴訟費用やブックメーカー事業免許の更新費用など、川瀬の持ち出しは億を上回っていた。

「では一千万を上乗せして、二千万を私が肩代わりしましょう」

「森岡さんが」

 阿波野は驚きの顔で森岡を見つめた。

「それと」

 森岡は蒲生に命じてアタッシュケースから三百万円を取り出させ、

「私の方でホテルに部屋を取りますから、少しの間この金で遊んでいて下さい」

 と、阿波野に差し出した。

「小遣いまで……」

 もはや阿波野に言葉はなかった。

「その代わりと言っては何ですが、私がブックメーカー事業に関わっていることは決して他言しないで下さい」

 恐縮する阿波野に、森岡は口調を強めて言った。それは依頼というより命令に近かった。

「それと、くれぐれも羽目を外して警察の厄介になることが無いように」

 阿波野は仮出所ではなく刑期を終えて出所していたが、それでも森岡は面倒を起こすなと釘を刺した。

「わかりました」

 阿波野は緊張の面で答えた。彼は、森岡がこの事業を蜂矢六代目から直々に懇請されたことを知っていた。もし森岡の元で働くとなれば、言わば彼の言葉は蜂矢の意志でもあるということなのである。

 


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