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黒い聖域   作者: 久遠
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               (8)

 近いうちの再会を約束して門脇修二宅を離れた洋介は、その足で坂根秀樹を訪ねた。好之の実兄秀樹は、浜浦から西へ五キロに位置する諸角という小さな村に住んでいた。

 中学時代からの大親友だったが、脳内出血で半身の機能を失い、車椅子生活を余儀なくされていた。

「おう、久しぶりやな」

 洋介は明るい声を掛けた。三年ぶりの再会だった。

「う、うん。お、お前も元気そうだな」

 坂根秀樹は、口元を歪めながら必死で言葉を紡いだ。

「大分、回復したやないか。この分なら、さらに回復が見込めるの」

「が、頑張るわ」

 秀樹は森岡の激励に答えると、

「こ、この綺麗な女性は、お、お前の彼女だか」

 と訊いた。

「ああ、婚約者や」

「そ、それは良かった。お、お前もやっと、き、気持ちの整理が付いたようだな」

 秀樹は安堵した笑みを浮かべた。

「山尾茜です。洋介さんから、お話は伺っています」

「よ、洋介にはずいぶんと、世話になっています」

 秀樹は傍らのパソコンに視線をやった。

 洋介は、秀樹にソフトウェアー開発の仕事の便宜を図っていた。懸命なリハビリにより、半身機能がある程度回復したとき、秀樹に提案したのである。本来、帝都大学法学部卒という優秀な頭脳の持ち主である。その気になれば、一定レベルのソフトウェアーの開発も可能と見込んでのことだった。

 半年前、秀樹が前向きな気持ちになった折を見て、野島に命じ簡単な仕事を選んで発注させていた。現在では、月額二十万円程度の製作が可能になっていた。

「秀樹、今日は仕事の話もあるんや」

「し、仕事? ちょうど、野島さんから貰った仕事に目鼻が付いたところだが」

「そう思ってな、考えて来たんや」

「……」

 あらたまった物言いに秀樹は緊張した。

「実はな。昔俺が考案した株式売買の法則をソフトウェアー化して、儲けようと思うのや」

「株のソフト?」

「兄貴、社長は中学、高校時代に株式を研究され、大学時代にはその法則で大儲けされているのや」

 戸惑いを見せた秀樹に好之が補足した。

 洋介は、霊能力者である老婆から株式相場を教えられ、その後の研究から独自の投資方法を編み出していた。簡単にいえば、株価の始値、高値、安値、終値と出来高には一定の相関関係があるというものである。

 洋介が株式投資を実践に移した大学時代には、インターネットなどなく、彼がこれはと目を付けた十数銘柄の値を追って行くのが精一杯だったが、昨今は日本全国の株式市場の全銘柄、全数値がパソコンに取り込めるようになった。

 このシステムを利用して、洋介が編み出した方法をプログラム化しようというのである。

「ち、中学時代から? 洋介、お、お前勉強もせんと、そんなことをしてたんか」

 秀樹は中学、高校と洋介の成績が上がらなかった理由を初めて知った。

「そこでや。そのソフトウェアー製作をお前に任せたいのや」

「お、俺にできるだあか」

 秀樹は不安げな目をした。

「この仕事は、俺個人の依頼やから納期はあらへん。せやから、お前のペースで製作すればええ。システム設計とプログラム仕様書も、野島がプライベートの時間を割いて書いたから、これまで通り彼と連絡を取ったらええようになっとる」

「だいてが、どのくらいのボリュームかの」

 秀樹は不安を隠さなかった。

「さあな。これまでのペースで半年分くらいかな」

「そがいにあるだか」

「とりあえず開発費用として五百万用意した。それと、このソフトを駆使して株式指南のホームページを開設するつもりやから、その管理もお前に任せたい」

「え?」

「お前の頭脳は俺以上や。必ずやさらに効率の良い方法に進化させてくれると思う。サイトは有料にして、システムが弾き出した推薦銘柄を随時掲載していったらええ。アフィリエイトを含めた収益は俺とお前で折半やで」

 洋介は悪戯っぽい目で言った。

 秀樹は酷く驚き、

「な、なんぼなんでもそれはいかん」

 と首を振った。

「遠慮するな。現在の俺があるのはお前のお陰も大きい。そのくらいの報酬は当然やで」

 洋介は神妙な声で言うと、

「まあ、儲けは人気サイトになったらの話やけどな」

 と笑った。

「だんだん、だんだん」

 秀樹は目を赤くして、ただただ頭を下げた。


 坂根秀樹と別れた洋介は、南目宅にも立ち寄った。

 南目輝の生家は、米子市内から少し離れた閑静な住宅街にあった。さすがに老舗の名店だけあって、灘屋にも劣らない立派な屋敷であった。

 応接間での昌義との面談には、後妻の友恵と息子、つまり輝の弟に当る悠斗ゆうとも同席していた。

 輝は立志社大学を卒業してから洋介の独立に参加するまでの間、生家の和菓子屋・彩華堂を手伝っていたが、会社を実子である悠斗に継がせたい友恵の反対もあって、本社の販売店ではなく、子会社である原材料の仕入れ会社でアルバイトをしていた。

 したがって、森岡洋介の来訪と聞いても、友恵は同席に難色を示したが、いつにない昌義の強硬な主張もあって渋々顔を見せたのだった。

 それぞれが自己紹介した後、

「悠斗君、有難う」

 洋介がいきなり礼を言った。

「兄貴……」

 輝が言葉に詰まり、皆も驚きの目をした中で、

「どういうことですか」

 と、悠斗が困惑顔で訊いた。

「いま、お兄さんが私のことを『兄貴』と呼んだだろう。君が生まれてくれたお蔭で、私は義弟を持つことができた」

 洋介は自身は一人っ子だったので、ずっと兄弟を渇望していたことを告げた。

「何の、こちらこそ森岡さんにはいくら感謝しても感謝し切れません。輝の更生ばかりでなく、私の命も救って頂いた」

 昌義が丁重に頭を下げた。洋介は大学時代、昌義の心臓手術のため、特殊な血液の確保に奔走したことがあった。

「命を救って頂きながら、一度お会いしただけで満足にお礼が言えず恐縮しておりました。重ねてこの輝の人生まで救って頂き、私にとって森岡様は仏様のようなお方です」

「全て仏縁によるものです。然したることではありません。それより、此度は私の窮地を救って頂けるとのこと、こちらこそ感謝しています」

 洋介は両手を膝に置いて頭を下げた。

「よして下さい。御恩のほんの一部をお返しするだけです。現在、うち以外に七社の賛同を得ています。残りの二社もほどなく見つかるでしょうし、見つからなくともうちがもう五千万出せば済むことです」

 昌義が笑って言った。

「そのことですが、南目さん。寺院ネットワーク事業とは別に、台湾と香港、上海に店を構える気はないですか」

「はい?」

 南目昌義は素っ頓狂な声を出した。

「台湾は以前から親日ですし、香港、上海は日本ブームが巻き起こっています。いずれ、日本の食文化が彼の地を席巻することになるでしょう。和菓子とて例外ではありません」

「なるほど」

「憚りながら、私が事業資金の後ろ盾となります」

「貴方が後ろ盾って、たった今、うちから支援を受ける話をしていたではないですか」

 友恵が溜まらず横から口を挟んだ。

「友恵、失礼なことを言ったらいけんぞ。森岡さんはこの若さで、すでに数百億の資産家だ」

「しかし、それならなぜ」

 友恵は合点がいかない顔をした。

「寺院ネットワークへの出資はな、ただ金を出せば良いというものじゃないのだ。寺院を通じて商売の種を拡げて行くことが肝要で、それが世間の信用に繋がるのだ」

 昌義が噛み砕いて言うと、

「海外出店の前に、もし全国寺院で販売するとなると、工場の生産能力が足りません」

 不安の種を告白した。

「その件ですが、どうです、新工場を建設されませんか」

「そのことは私も考えましたが、適当な土地が手に入りません」

「ご心配なく、米子と境港の間の土地を取得しています。南目さんが入用の分を譲渡しましょう」

「森岡さんがあの付近の土地を」

「すでに五千坪を取得しました。今後、三万坪まで買い付けるつもりです」

「しかし、なぜまた貴方が……」

 と問おうとして、

「貴方のことだ。何か深いお考えがあるのでしょうな」

 昌義は勝手に得心した。

「台湾、香港、上海への出店は、天礼銘茶の林海偉さんに助力を願おうと思っています」

「天礼銘茶とは、寺院ネットワーク事業の出資者ですね」

「彩華堂さんとは事業仲間ということになります」

「世界最大のウーロン茶製造販売会社とうちが仲間ですか」 

「近々、ナンバー三で日本支社長の林海徳さんを御紹介しましょう」

「なんと、それは心強い。なんだか、どちらが手助けしてもらっているかわかりませんな」

 昌義が苦笑いをした。

「その後は、全世界に出店されることをお勧めします。その折は林さんだけでなく、この輝君も頼りになることでしょう」

「輝が? どういうことですかな」

「今はまだ詳細は申し上げられませんが、近い将来、輝君は私が手掛けるインターネット事業の一つを継いで、世界を又に掛けることになります。各都市に事業所を開設しますので、彩華堂さんが出店されるときは、すでに下調べが終了しているというわけです」

「輝さんが貴方の事業を受け継ぐのですか」

 友恵が驚愕の面で訊いた。

「十年後には売上高一兆円を見込んでいる大事業です」

「まさか、ご冗談を……」

 友恵は木で鼻を括った。

「冗談ではありません。この事業には、松尾正之助氏にもご協力を願おうと思っているのですから」

 洋介は真顔で言った。これはまだ彼の思惑に過ぎなかったが、いずれ挨拶に出向かなければならないと思っていたのは事実だった。

「松尾正之助って、あの世界の?」

「はい」

「あははは……、何を言い出されるかと思いきや、ホラ話も大概にして下さい」

 とうとう友恵は取り合わなくなった。

「友恵、お客様に失礼だぞ」

「まあ、まあ」

 昌義が叱責するのを森岡が宥め、

「嘘ではありません。奥様、横にいる婚約者の山尾茜は、松尾正之助氏の孫娘なのですよ」

 と紹介した。

「え? まさか」

 友恵は蒼白の面で茜を見た。

 茜は門脇修二宅で森岡が母方の親族を驚かせたときとは違い、悠然と笑みを湛えて肯いた。

「悠斗君、私が君に礼を言ったのは、この事業はお兄さんにしかできない仕事だからだ。君が生まれてくれたお蔭でそのお兄さんと出会うことができた」

 洋介はそう言うと、坂根に視線をやり、

「この坂根は松江高校で常に一番の成績を残し、帝都大学法学部への進学も可能でしたが、浪速大学を選択し、事実上首席で卒業した英才です。しかし、その彼をもってしても、ウイニットはまだしも、このインターネット事業は受け継ぐことができないでしょう」

「森岡さん、それは本心ですか」

 昌義も半信半疑で訊いた。

「こう言ってはなんですが、高校時代に暴走族を束ねていた彼の胆力が活きる仕事です」

「な、なんと……」

 言葉を失った昌義に、

「怪我の功名、といったところですか」

 洋介は笑って言い、

「輝君は義弟も同然、これからは親戚付き合いをお願いします」

 と再び頭を下げた。


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