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黒い聖域   作者: 久遠
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               (7)

 午後になって、門脇修二宅に一人の訪問客があった。差し出された名刺には、「山陰銀行米子支店・支店長萱嶋正隆かやしままさたか」とあった。

 応対した照美が戸惑いを見せると、

「こちらに森岡洋介様がおいでと伺い、参上致しました」

 男は丁重に頭を下げた。

「いやあ、お盆休みのところ、申し訳ありません」

 奥から洋介が顔を出し、萱嶋を奥の間に通した。門脇修二を同席させるよう照美に頼むと、彼と一緒に娘の洋美がやって来て、洋介の胡坐の上にちょこんと座った。

「こら、ひろちゃん。邪魔だけん、向こうに行っちょれ」

 門脇修二が注意したが、

「だって、洋介おじさんのそばが良いもん」

 と言い張り、洋美は洋介の胡坐の上から離れようとしなかった。

「修二兄ちゃん、このままでええが」

 洋介はそう言うと、萱嶋に視線を移した。

「萱嶋さん、話は伝わっていますか」

 萱嶋は、はいと肯いた。

「小田島頭取から連絡があり、森岡さんの意に沿うよう差配せよとの指示がありました」

 洋介は、かつて鳥取県妙見寺での法要に参列した折、名刺交換をした地元財界人の中に山陰銀行の頭取・小田島光徳みつのりがいたことを思い出した。

 そこで、門脇孝明宅から帰宅の道すがら、小田島に電話をした。さすがに銀行の頭取である、ウイニットの森岡洋介と聞いて、二年後に上場を予定している企業だと調べを付けていた。

「では、さっそく用件に入りましょう。まず、山陰銀行の米子支店さんに口座を開き、二億円の定期預金をします」

「有難うございます」

 萱嶋は頭を下げた。

「その定期預金を担保に、門脇修二に対する融資枠を設定して頂きます。枠はどれくらいになりますか」

「ちょっと、待ってごしない。洋介、おらへの融資枠ってなんじゃ」

 話の内容が自分のことだと気づいた門脇修二が慌てて口を挟んだ。

「今後、修二兄ちゃんの資金繰りの便宜は、山陰銀行さんでやってもらおうと思うだが。そいで、米子支店の支店長さんに来てもらっただが」

「待て待て、おらに対する融資って、お前が担保を出してくれるだか」

「まあ、そういうことだが」

「そげなことはいけん。なんぼなんでも、そこまで世話になるわけにはいかん」

 修二は強い語調で断った。

「その話は後でするとして、萱嶋さんどうでしょう」

 洋介は、門脇修二の口を封じ、話を先に進めた。

「森岡様でしたら、最大九十五パーセントまで大丈夫です」

「一億九千万ですね。では、それでお願いします」

「承知致しました」

「そこで、融資枠の中から、門脇修二の伯耆信用金庫の借金分を清算して下さい」

「残額はいかほどでしょうか」

「修二兄ちゃん、なんぼああかい」

「いやあ、それは……」

 修二は躊躇った。

「ええけん。なんぼだかい」

 洋介は強い口調で催促した。

「元金と利息を合わせて、三千二百万円ほどだが」

 このあたりが灘屋の総領としての生まれ持った威厳なのである。かつて悪童として界隈にその名を轟かせた、しかも兄同様の修二でさえ気圧されたように答えた。

「承知しました。私の方から先方に連絡致します」

 萱嶋がそう言うと、何を思ったか、洋介は洋美の頭を撫で、

「洋美ちゃん、これでええかな」

 と承諾を得るかように訊いた。

「ええよ」

 洋美は、まるで主人であるかのように振舞った。

「洋美ちゃんの許しが出たし、これで決まったの。では支店長、口座を開設する書類を頂けますか」

 萱嶋を通した部屋は、在りし日の祖父洋吾郎が接客をしていた奥の間であった。洋吾郎の面影を浮かべた洋介は、つい同じ振る舞いをしたくなったのである。

 話が纏まり、雑談に移ったときだった。萱嶋が洋介の顔色を窺うようにして口を開いた。

「あのう、森岡様。お聞きしたところによりますと、御社は二年後に上場なさるとか」

「その予定です」

「然様でしたら、その折にはいくらか、当行にご預金頂けないでしょうか」

 ウイニットが上場すれば、洋介の懐には七十億円から百億円近い巨額の金が転がり込む予定である。大銀行にとっては然したる額ではないが、地方銀行の一支店にとっては、手を拱いている多寡ではなかった。

「その件は、今後の御行次第ということにして置きましょう」

 洋介が因果を含めると、

「門脇様には重々配慮致しますので、ご検討のほど宜しくお願いします」

 萱嶋は緊張の声で答えた。

「さて、話は変わりますが、中浜屋への融資は山陰銀行さんですよね」

「中浜屋? どうしてそれを……」

 知っているのか、と萱嶋は訊き掛けて、

「うちの融資で灘屋さんの物件を購入したことをご存知だったのですね」

 と納得の顔をした。

「売却額は数億円でしたのでね。手持ちの金だけでは足りないことを知っていました」

「いやはや、余計なことをしたでしょうか」

 萱嶋はばつが悪そうに訊いた。

「とんでもありません。山陰銀行さんが中浜屋に融資をして下さったので、現金化できたのです。余計なことどころか感謝しています」

「それをお聞きして安心しました」

 萱嶋は胸を撫で下ろしたように言った。

 だが、それも束の間だった。

「焦げ付きはいくらですか」

 それは……、と萱嶋は苦い顔をした。顧客の守秘義務があるからだ。

「山陰銀行さんはどうなさるおつもりですか」

 萱嶋の苦衷を察した洋介は質問を変えた。

「正直に申し上げまして、扱いに苦慮しております」

 苦い顔が、さらに苦虫を潰したような顔つきに変わった。

「担保は船舶と網ですよね」

「はあ、そうですが……」

 萱嶋は口を濁した。

「なるほど、株式と……、屋敷と土地も担保に入っていますか」

 洋介は鎌を掛けたが、萱嶋は動じなかった。さすがに重要拠点の支店長である。

 だが洋介の、

「どうでしょう。いっそのこと屋敷と土地以外を取り上げてしまっては……」

 との言葉には、

「い、いや。それは……」

 と、動揺を露にした。

「お言葉ですが、処分に困ります」

 土地とか商業ビルであれば処分の仕様もあるが、紙屑同然の株式や船舶と網では扱いに困るのは当然だった。

「私が買い取りましょう」

「えっ」

「何だって?」

 萱嶋と門脇修二が同時に声を上げた。

「元は灘屋うちの物ですからね。私が買い戻すのが筋とも言えます」

「洋介、お前浜浦へ帰って来るだか」

 修二が喜色の含んだ声で聞いた。

「いや、そうではないが」

「なら、船と網を買ってどげするだ」

「それは、考えがあるけん」

 洋介は明確な返事を保留すると、

「焦げ付きの総額はいくらですか」

 と再度萱嶋に聞いた。

「七億円です」

 今度はこれまでが嘘のように躊躇いもなく打ち明けた。不良債権が回収されるかも知れないのである。支店長としては手柄となる案件だった。

「七億は高過ぎますよ」

 洋介は、山陰銀行も損を被れと示唆した。

「むろんです。五億円ではどうでしょうか」

 萱嶋もそれは十分理解していた。この将来を約束された青年実業家とより親密な取引関係が生まれるのであれば、二億円の損切りは十分許容範囲内である。

「ただ、二年ほど私への貸付にして頂けますか」

「上場までですね」

「はい」

「それまで引き続き株式と船、網を担保にさせて頂けるのであれば結構です」

 萱嶋は笑みを零した。

 山陰銀行にとっては、貸付先が中浜屋から資産家である森岡洋介に変更になることで、不良債権から優良債権に変わることを意味していた。

「では、中浜屋への対応は萱嶋さんにお任せします」

 萱嶋は承知した、とばかりに答えた。

「おっと、うっかり大切なことを忘れるところでした」

 辞去しようと、一旦腰を上げた萱嶋が、そう言って再び腰を下ろした。

「小田島から言伝がありました」

「頭取から」

「富国銀行に怪しげな動きがあるとのことでした」

「富国銀行……」

「失礼ですが、富国銀行は御社の株の引受け予定先ではありませんか」

「そうですが」

「僭越ながら、そのあたりのことはないでしょうか。この件の窓口支店の支店長とは大学時代からの友人だそうで、先日プライベートで飲食したとき、小田島にポロリと悩みを溢されたそうです」

 萱嶋は遠慮がちに言った。

「それがウイニット(うち)のことだと?」

「上から再検討せよ、との圧力があったとのことです」

「……」

「小田島は、もしものときは山陰銀行うちでお引き受けます、とも付け加えておりました」

 そう言い残して席を立った萱嶋を照美が見送った。

「洋介、これはいけんが」

 萱嶋の姿が見えなくなったのを確認して、門脇修二は恐縮の体で言った。

「まあ、ええがの」 

「ええことないが」

「修二兄ちゃん。おらはのう、親戚の中で修二兄ちゃんが一番本当の家族に近いと思ちょうだが。だけん、おらにもしものことがあったときは、遺産のうちの何ぼかを、修二兄ちゃんか子供たちに相続する遺言書を作っちょうだが」

「相続の遺言書? ほんとだか」

「ああ、嘘じゃないだが。だけん、この二億円は生前相続のようなものだと思ったらええだが」

「そいにしても……」

 それでも躊躇いを見せる修二に、

「子供の頃、修二兄ちゃんが、おらが寂しがらんようにと、しょっちゅううちに来て遊んでくれたことを今でも覚えちょうだが。おらは、その恩を一生忘れけん。まあ、今回のことはあのとき受けた情けへの礼だが」

 洋介がしみじみと語ると、

「だんだん、洋介」

 門脇修二は、涙ながらに頭を下げた。

 洋介は、中浜屋から底引き網漁の会社を買い戻したあかつきには、門脇修二に任せるつもりでいたが、このときは秘めた思惑を心に仕舞った。



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