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黒い聖域   作者: 久遠
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               (6)

 園方寺を辞去すると、四人はその足で墓参した。

 森岡家の墓は、村の北西に広がる田畑の先の小高い丘にあった。丘の東斜面を造成して、村の共同墓地としたものである。

 洋介には、お盆の墓参りは一家揃って正装で参ったとの記憶が残っている。祖父と父は羽織袴、祖母と母は着物、そして洋介自身は半袖のカッターシャツに半ズボン、首には蝶ネクタイを締めていた。

 灘屋が特別なのではない。灘屋ほどではないにしろ、他家も一様にきちんとした身形で墓参していた。普段着で参る者など一人としていなかった。これもまた、宗教心というか、先祖に対する信心深さの一端を表しているといえよう。

 陽はその身のほとんどを西の山々に隠していたが、残照は天空を蜜柑色に染め上げ、地に広がる稲穂を黄金色に煌かせていた。

 草むらでガサッという音がした。

「茜、水端は蝮がいるから気を付けろよ」

「きゃあー」

 茜は少女のような声を上げ、森岡に抱き付いた。

 その微かに怯えた横顔は夕日に映えて神々しく、生き馬の目を抜くと言われる北新地で、最高級クラブを経営するママであることなど、想像もできないほど幼かった。

 広島、大阪と都会育ちの彼女は、田舎の自然溢れる風景に感じ入っているようだった。

 洋介は、ふとそのような茜をからかってみたくなったのである。からかいといっても、蝮がいるというのは嘘ではない。もっとも、田畑の畦道は草が刈ってあるので滅多なことでは遭遇しない。

 森岡家の墓は、丘の山頂にあった。

「兄貴、これは何の木や?」

 南目が山頂の切り株を見て訊いた。

「松の木や。根を見たらわかるやろ」

「え? これが松ってか」

 驚く南目の傍らで、

「松って、これほどの巨木になるものなのですか」

 坂根も驚き顔で訊いた。

 かつてこの丘の頂上には、大人三人が手を回しても足りないほどの太い幹の巨木が聳え立ち、四方八方に伸びた枝々は、まるで墓地全体を覆い尽くす傘のようであったが、数年前に枯死したということであった。

「この松は特別だったんや」

 洋介が意味深い口調で言うと、

「特別って何が」

 茜の興味も引いたようだった。

「死人の養分を吸ったんやな」

「養分って、骨でしょう」

 洋介は黙って首を横に振った。

「俺が子供の頃までは、浜浦はまだ土葬やったんや。せやから『人の血や養分を吸って成長した』と村人たちは口にしたものなんや」

「そういうことですか」

 茜が得心した口調言うと、坂根と南目もなるほどと、小さく肯いた。

 灘屋の墓はその松の切り株の横にあった。広さは三畳ほどもあり、他家の五、六倍はあった。

 坂根と南目は松の切り株に腰掛けて待機していた。

 洋介と茜は、三基の墓石を丁寧に洗い、花と線香を手向け、水を供えた。

 代々の先祖に向かって、洋介は無事の感謝と、茜との婚姻を報告し、茜は森岡家の一員になる了承を請うた。

 洋介の顔はいつに無く神妙なものだった。

 先妻である奈津実とは、一度も帰郷することがなかった。むろん、墓参もしていない。近頃の彼は、奈津実の死はこうした不敬に対して、先祖の勘気を蒙ったためではないかと真剣に思うことがあった。だからこそ、此度は子孫としての務めを果たそうという気になったのである。

 墓参が終わると、暫し眺望を愛でた。

 浜浦は、島根半島の漁村の中ではもっとも大きな村であった。半島には三十余の漁村があるが、出雲風土記に『……の浦』と記載があるのは浜浦を含め四村しかなかった。その他の村は皆『……の浜』である。

 また、同風土記に、浜浦には『三十の船、はつべし』とあることから、当時より最も大きな港だったことが窺える。歴史学者の中には、この船とは「軍艦」ではないかと説く者もいるが、反論する者もいて定かではない。

 ただ、天然の良港であり、太平洋戦争前には軍港として使用可能かどうか調査が行われたからしても、全く根拠の無い説でもないだろう。

 ちなみに軍港の話は、調査の結果、水深が浅く大型の船舶が停泊できないため、不適格となった。

 墓の頂上からは、その浜浦湾と村落が一望できた。

 洋介にとっては懐かしい風景であったが、十六年ぶりに観たそれは全くの様変わりをしていた。

 少年の頃、釣りをした磯や夏休みに海水浴をした浜は、影も形も無いほどにコンクリート整備されてしまい、秋に栗やアケビを探しに分け入った山々は開拓されて、一般家屋や老人福祉会館、近年隣村に落下した隕石を保管、展示する施設などに姿を変えていた。

「隠岐諸島は見えないのね」

 茜がいかにも落胆したように言った。

 違う、と洋介は笑い、

「隠岐は北方だから、あの山の向こうだよ」

 と左手を指差し、間違いを正した。 

「あっ、そうか。あの海は東方面に広がっているのね」

 茜は、ペロッと舌を出しながら首を竦めた。

 その愛らしい彼女の仕草に、洋介の胸に温もりが拡がっていた。感傷に咽ぶ自分への心遣い、つまりわざと間違えたとわかったのである。

 洋介は、親戚の墓にも立ち寄ってから、墓地を後にした。

「あれ、もしかして灘屋の総領さんですか」

 その途中、またしても誰彼となく声が掛かった。そして、傍らの茜を見て、はっとしたような顔つきをした。茜の垢抜けた容姿が印象的なのだろう。

「そうです」

 洋介はその度に軽く会釈を返した。

 日が沈み、ようやく暑さが峠を越したのを見計らって墓参りに向かう人々であった。彼らは洋介と茜の顔を見ると、ある者は驚いたように、またある者は不思議そうに話し掛けた。洋介には、彼らが何者であるかわからなかったが、彼らは皆、その面立ちから洋介だとわかるのである。これもまた、幼い時分から注目されて育った証である。

 一行が灘屋の敷地の角に差し掛かったときだった。

 洋介は突然足を止めた。左斜め後方から熱い視線を感じたのである。しかし、彼が振り返ったときには、誰の姿もなかった。

「どうしたんや、兄貴」

 南目の声には警戒の色が滲んでいた。

「誰かに見られていたような気がしたのが、勘違いらしい」

「いいえ、前のこともあります。誰かに監視されている可能性はあります」

 坂根も、かつての凶刃を脳裡に浮かべたのか、不安げな顔つきである。

「まさか、浜浦でどうこうしようとは考えんやろ」

「なんでや」

 南目が納得のいかないような面で訊いた。

「この村はよそ者が入り難い土地柄や、もし見知らん者がうろちょろしとったら、すぐに駐在の耳に入るようになっとる」

 田舎の村というのは、他所者に対して排他的なところがある。村人の人間性というのではなく、治安維持のためである。

「現に、他所者ではないけど、私たちのことは村中の知るところなっていますよ」

 茜が苦笑いしながら言った。

「それは社長が灘屋の総領だからではないですか」

 坂根の言い分は当を得ていた。

 だが洋介は、

「もちろんそれもあるが……」

 曖昧に言葉を濁した後、

「皆が待っているやろから、はよ帰ろうか」

 と話題に蓋をするかのように語気を強めた。

 このとき彼の胸の中には、

――あの道筋の先には……まさか……?

 との想いが過ぎっており、心中穏やかではなかったのである。



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