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黒い聖域   作者: 久遠
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         第二章 火種(1)

 八月十三日、森岡は旧盆に合わせ、茜を伴い故郷の浜浦へと向かった。

 実に十六年ぶりの帰郷である。

 坂根好之と南目輝も同行させた。坂根の実家は近隣の村、南目のそれも車で一時間ほどの距離にある。

 他方で蒲生亮太には休暇を与えた。

 入社以来、勝手の違う職種で息を吐く暇もなかっただろうし、森岡の故郷である。何事も起こらないであろうという判断だった。

 山尾茜と結ばれた鳥取での夜、森岡はその場で求婚した。彼女から良い返事を貰った彼は、夏に先祖の墓参りをしようと思い立っていたのである。

 先妻である奈津実との結婚は、浜浦を出て僅か四年後のことだった。故に、故郷に対するわだかまりが残っており、墓参や親戚との交流をする気にはなれなかった。

 だが、それから十一年が経ち、森岡もそれなりに分別が付いたということであろうか。これまで煩わしさを理由に避けていた冠婚葬祭に絡む諸事が、人の世では肝要なのではないかと思い始めていたのである。

「痛い!」

 腕に痛みを覚えた洋介は、思わず悲鳴を上げた。

 横を向くと、茜が睨み付けている。

「さっきから、どうかしたの」

 茜が口を尖らせた。

 車が吹田インターチェンジから中国自動車道に入った頃より思案に耽っていた森岡は、あれこれと浜浦について訊ねた茜にも生返事を繰り返していた。

 そこで、業を煮やした茜が洋介の二の腕を思いきり抓ったのである。

「ごめん、何の話やったかな」

 森岡は腕を擦りながら訊いた。

「もう良いわよ。それより、何か気になることでもあるの」

「うん?」

 森岡は、一瞬戸惑いの色を見せた。

 別格大本山・法国寺貫主に久田帝玄が就任したことで、本妙寺に関しての憂いは去ったが、森岡の身辺が落ち着くことはなかった。彼は、福地正勝拉致監禁事件に続き、新たな難問を一つ二つ抱えていたのである。

 その一つが、ウイニットのライバル会社出現の予感だった。

「いやな、榊原の爺さんから電話があったんやが、爺さんを口説きに来た男がおったということやねん」

 と、坂根や南目も初めて耳にする話を口にした。

「榊原さんを口説くとは、どういうことですか」

 坂根が敏感に反応した。

「それがな。寺院を介在させたインターンネット通販を事業化したいから、爺さんに協力して欲しいということやったらしい」

「それやったら、兄貴発案の寺院ネットワークシステムと同じやないか」

 南目も興奮気味に言った。

「そうや、俺と同じ仕掛けを考えている奴がおる、ということやな」

「いったい、どんな奴や。兄貴のアイデアをパクったんと違うか」

「輝、まあそういきり立つな。世の中は広い。俺と同じ事を思い付いた奴がおっても不思議はないやろ」

「そうだとしても、私も気になります。どういう人物ですか」

 森岡の声に懸念の色を感じた坂根が訊いた。

「東京のサイバーネットワークという会社の、鴻上智之こうがみともゆきという男や」

「聞いたことがありませんね」

「設立されたばかりの新しい会社でな、社長の鴻上は、三十代半ばの元大手銀行員らしい。真鍋さんに確認してもろうたんやが、なかなかに優秀でな、将来の頭取候補にも挙がっていたらしい」

 森岡は胸の内を悟られないように、つとめて冷静さを装った。


 鴻上智之が榊原壮太郎の許を訪れたのは半月前のことだった。

 その前日、榊原商店と取引のある、東京の浄土宗覚善寺かくぜんじの住職から電話があり、鴻上の訪問を仲介していた。

 鴻上は、榊原の素性を知ったうえでの大阪入りということになる。

「榊原さん、私は寺院を機軸とした檀家向けのインターネット販売として二つの事業を考えています」

「それはまた、どのようなことかな」

 榊原は一応興味のある振りをした。

 だが、

「一つは、簡易の仏壇販売です」

 鴻上の放った一言に、

「うっ」

 と、榊原は思わず唸った。

「さすがにおわかりのようですね」

 鴻上は我が意を得たり、という顔をした。

 簡易の仏壇とは、組み立て式の仏壇のことである。核家族化が進み、マンションや団地住まいの家族が多くなる中、故郷に実家が存続している場合は問題なかったが、昨今では廃屋とすることが頻繁になり、仏壇をどうするか悩むケースが増大していた。

 狭い住居に一戸建て用の仏壇を入れるスペースはなく、さりとてテーブルとかダンボールのような粗末な拵えでは祖霊に対して不敬となる。

 そこで、引越しにも対応できるよう組み立て式の仏壇を製造、販売しようという折衷案を考え出したのだという。

 商売柄、榊原はその潜在的な需要を見込んでおり、事業化へ向けて計画を練っていた。鴻上の訪問は、その矢先のことだったのである。

「なかなか良いところに目を付けたの」

「恐れ入ります」

「それで、もう一つは」

「インターネット霊園です」

「ほう」

 榊原は、これもまた予期していたような声を出した。

「先ほどの件とも絡みますが、ともかく霊園地が高価で、墓地を持てない家が急増しています。また、故郷にお墓はあるものの、忙しさにかまけ、墓参できないので、せめてパソコン上でお参りをしたいという者も多いのです」

「なるほど、事業の内容はわかったが、わしにどのような協力をせよというのかな」

 榊原は察しの付いた面で訊いた。

 現在でも全国の寺院を廻っている彼は、ある程度の実情を掴んでいた。都会の寺院では地価高騰で墓地が持てず、地方の寺院では故郷を捨て都会に出たため、それぞれ永代供養を依頼する者が急増していた。森岡もまた後者の一人である。

「まずは、寺院ネットワークのために、各寺院をご紹介頂きたいのです」

「それだけで良いのか」

「御社が組み立て式仏壇の製造会社を選定し、私どもに卸して頂けませんか。それも、最高級の檜製から、安価なプラスチック製まで幅広く品揃えして貰えれば有難いです」

「販売はそちらでするということやな」

「はい」

「申し出は良くわかった。なかなかの計画だが、わしもこの年じゃでの、新たな事業を起こすのも億劫じゃで、少し考えさせて欲しい」

 むろん、榊原には承諾する意思などない。だが、森岡が後を継ぐのは数年先である。時代の流れがそれまで待ってくれるかどうか、一抹の焦りを抱いたのも事実だった。

「もちろんです。良いご返事をお待ちしております」

 鴻上は丁重に頭を下げて、榊原の許を去った。


「今後はインターネット隆盛の時代になるでしょうから、こういう起業家が雨後の筍のように出て来るでしょうね」

 坂根は警戒の色を滲ませた。

「うごのたけ?」

 南目が馬鹿面をして訊いた。

「雨後の筍。雨が降った後に、筍が一斉に顔を覗かすように、物事が相次いで起こることよ」

 森岡が嫌味を浴びせる前に、茜が助け舟を出した。さすがに、北新地の最高級クラブを経営するだけのことはある。高校中退とはいえ、彼女は実に博学であった。

 高級クラブのママは押し並べてそうだが、一流と言われるホステスたちもまた、その知識は極めて豊富である。高級店になればなるほど、そこで働くホステスたちは経済界を中心に、政界から文化芸能界、スポーツ界と、あらゆる分野の一流人の接客に努めなければならない。

 そのため、新聞や雑誌から話題を拾うだけでなく、茶道、華道といった習い事で教養も深めている。

 茜に関して言えば、新地の名門クラブである花園のママ花崎園子に見出されてから、毎週二回、表千家宗匠の室町周鶴むろまちしゅうかくに師事し、すでに台目天だいもくてんの目録を得ていた。表千家では真台子しんだいす・しんのだいす乱飾みだれかざり盆天ぼんてんに次ぐ、上から四番目の許状で、講師の資格を有する高弟である。

 茶道だけでなく、華道は未生流の師範級、着物もホステスの着付けを熟すほどの腕前である。さらに英会話も、高学歴の森岡や坂根より堪能であった。まさに才色兼備の一言に尽きよう。

 その茜の折角の気配りにも拘らず、梅田のパリストンホテルでの光景を思い出していた南目は不思慮にも、

「筧のように脅しといたらええやんか」

 と口を滑らせてしまい、

「あほ。筧とは違うやろ。鴻上は真っ当な事業を計画しとるだけや。しかも、俺の考えが及ばんことまで思い付いとる」 

 森岡に一喝されて肩を落とす破目になった。

「それで、榊原さんはどうされるのでしょう」

 坂根が話の先を訊いた。

「返事は留保したらしい」

「まさか、お受けになるのでは」

「心配するな、爺さんにその気はない。事業化するんやったら、俺が後を継いでからやろうが、その場で断るのもどうかと思い、保留にしたらしい」

「じゃあ、何が気になるの」

「う、ううん」

「鴻上智之という男が覚善寺を訪れたのは、偶然なのかそれとも社長と榊原さんの関係を知ったうえで、紹介を願ったのかということではないでしょうか」

 言葉に詰まった森岡に代わって坂根が答えた。

「それは俺も考えたが、鴻上が幾つもの寺院を廻っていれば、覚善寺に行き当たったとしても不思議ではないな」

 森岡は忌々しげに吐き捨てた。

「そ、それは、そうですね」

 怯むように同調した坂根は、森岡がなぜ不機嫌なのかわからなかった。

「じゃあ、何を苛立っているの」

 茜が重ねて訊いた。

「寺院ネットワークシステムの事業化を思い付いてから、もうすぐ一年や。せやけど、本妙寺の件も決まっとらんし、新しいスポンサーも見つかっとらんから、天礼銘茶の林さんも焦れとるやろうと思うてな」

 寺院ネットワークーステムとは、神村が本妙寺の貫主に就いた後、天真宗を中心に榊原と付き合いのある全国寺院にパソコン配備を展開し、檀家管理や会計サービスを無料で行うシステムである。交換条件として、緒寺院には商品とカタログを置かせてもらい、直接販売や通信販売を斡旋してもらおうというものである。

 その初期費用の半分は、世界最大のウーロン茶製造販売会社である天礼銘茶が負担する予定だが、残り半分を出資する協賛企業を獲得する必要があった。

 一旦は東京に本社を置く大手洋菓子メーカーのギャルソンが名乗りを上げたが、会長の柿沢康弘と元ウイニット社員の筧克至及び宇川義実の裏切りに遭い頓挫していた。

 初期費用の内訳は、パソコン、プリンター等のハードウェアー一式が、一寺院当り約三十万円、第一次計画は一千寺院を対象としていたので、合計で三億円となる。加えて、ソフトウェアー開発費用として二億円が必要であった。

 バックミラー越しに森岡の表情を窺っていた南目が、

「兄貴、大阪へ帰るまでに、親父に会ってくれへんか」

 汚名挽回とばかりに意気込んで言った。

「おう。お前の親父さんとは久しく会っておらんからな、大阪へ戻るとき挨拶に伺おうと思っていたところだ」

「いや、そういうことやないのや」

 南目は含みを持たせた言い方をした。

「どういう意味や」

「兄貴が今言った、スポンサーの件やけどな。親父が力になりたい、ということやねん」

「スポンサーの件で力になるって?」

 森岡は思わずオウム返しをした。

「お前の親父さんが金を出すということか」

「どうやら、そのつもりらしい」

「せやけど、お前んとこは和菓子やろ。寺院ネットワークで販売するんは難しいんと違うか」

「それがな。最近は彩華堂うちも、伝統的な和菓子に加え、創作菓子も創っとるらしい。中には、洋菓子との折衷案というか、日持ちのする菓子もあるらしいで」

「けどな……」

 森岡は思案顔で言った。

 南目は森岡の心中を察していた。

「うちぐらいの会社では無理やと思うとるんやろ」

「い、いや」

「わかっとるんや。せやけどな、うちも結構捨てたもんやないで。売上も利益も、あのギャルソンの四分の一ぐらいはある。それに、うちだけやなくて山陰の業界団体や個人的に付き合いのある全国の同業者にも声を掛け、結構賛同を集めているようやで」

 弁解しようとした森岡に南目が内情を明かした。

「親父さんがそんなことを……」

 森岡は言葉を失った。

「初期費用の半分、二億五千万円を彩華堂だけで負担するのは無理でも、十社集まれば一社当り二千五百万円になる。これならうちでも十分いけるで」

 南目は得意げに胸を張った。

「でも輝さん、ライバル会社が増えれば、彩華堂さんの売上に影響するんじゃないですか」

「好之、それが素人考え、と言うんや。その土地々の特産品なら別やが、一般的な商品というのはな、単品より品揃えの多い方が消費者の購買意欲を刺激し、その相乗効果で全体の売上が伸び、結果的に個々の売上も伸びるんや」

 坂根の懸念に、南目は商売人の息子らしい一面を覗かせたものだ。

「しかし、お前の親父さんに甘えてええんか」

「当たり前やがな。親父が、昔兄貴に命を助けてもろうたことを忘れるはずがないやろ」

「洋介さんが、輝さんのお父様の命を救ったとはどういうことですの」

 初めて耳にした茜が訊いた。

 南目輝は、経王寺で同居していた折、心臓疾患で倒れた父昌義の手術の際、森岡が父の特殊な血液の収集に尽力してくれたことを話した。

 昌義は退院後、感謝の気持ちを伝えるため、輝を介して森岡の元を訪れていた。

「親父は、生きているうちにあのときの恩を返したいと思うとったらしい」

「情けは人の為ならずって、こういうことをいうのね」

 茜がしみじみとした顔で呟いた。

「俺が世話になっていることにも礼を言いたいらしい。俺が更生したのは、神村先生というより兄貴のお陰やからな」

 南目はそう言うと、

「実は、親父は以前から兄貴に会いたがっていたんやが、兄貴は忙しい身やったから、ずっと俺が勝手に自重を促していたんや」

 と実情を明かした。

「あほ。なんぼ忙しい言うて、お前の親父さんが会いたがっておられたのなら、いつでも会うがな」

 森岡はぶっきら棒な口調とは裏腹に、優しい表情を浮かべていた。昌義の情けに、心の中で手を合わせていたのである。

「じゃあ、今回は輝の親父さんに甘えるとするか。ただ、榊原の爺さんの縁やから、林さんが離れるというは無いやろうけど、鴻上のような男も出て来とるから、これ以上の停滞は許されん。先生が本妙寺の貫主になられたら、一年の遅れを一気に取り戻せるよう準備に気張らにゃならんな」

 森岡は自らを鼓舞するように言ったが、その実、先刻の坂根の『鴻上が覚善寺を訪れたのは偶然か否か』という言葉は、彼の懸念そのものであった。



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