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黒い聖域   作者: 久遠
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               (2)

 その後、峰松は内通者からの新たな情報を元に、若衆を総動員して一神会の更なる動向を探らせ、彼らが福地正勝を滋賀県大津の街、琵琶湖の畔の廃屋ホテルに監禁していることを突き止めた。

 バブル時代に着工したが、施工半ばにバブルが弾けて建築主が倒産したため、外装は済んだものの、内装が半ばのまま野晒しになっているものだった。深夜になると、頻繁に物音がしたため、付近の住民は幽霊ホテルと恐れ、近付く者もなく監禁場所としては打って付けであった。

 峰松から連絡を受けた森岡は、かつて義姉だった福地三姉妹に会って、警察沙汰にならないためには十二億円が必要だと説明し、責任の重い当事者の早苗が六億円、長女と三女が三億円ずつ捻出することになり、それぞれ持ち株を売却することで話を付けた。

 三姉妹は、それぞれ味一番株式会社の株を、発行株式総数の五パーセントに当たる五百万株ずつ所有しており、時価に換算すれば二十五億円相当の価値があった。

 もっとも、三姉妹とも現金資産を持ち合わせており、結局のところ株式の売却は早苗の五十万株のみであった。

 森岡は榊原壮太郎に事情を説明し、株の引き受けを願った。味一番は業績も良く、もし上場すれば、株価は最低でも三倍になることが予想された。つまり、榊原は労せずして五億円以上の利益を得ることになる。

 とはいえ、榊原にとっては五億円程度、いや金銭的な利益など一切眼中に無い。後継である森岡の願いとあれば、どのようなことでも協力する気構えなのだ。

 舞台となる宗教法人は、高校時代の友人である斐川角雲栄の自坊に目を付けた。後日、雲栄とは手数料として二パーセントを布施する旨の約定で話を付けた。年間六百万円の実入りであり、雲栄にとっても悪い話ではなかった。


 話は密談直後に戻る。

 会談を終えると、森岡と蒲生が先に部屋を出た。

 エレベーターホールに待機していた坂根と南目の両名と合流し、高層階から一階のロビーに降り、オープン喫茶店の前を通り掛ったときだった。

 南目が、

「あっ」

 と小さな声を上げ、その場に立ち竦んでしまった。彼の目は、喫茶店のあるテーブルに釘付けとなっていた。

「知り合いか」

 森岡が訊いた。彼もまた、南目の視線の先を凝視していた。

「ちょっと」

 と気のない返事が返ってきた。

「揉めているようですね」

 坂根も心配げな表情で口を挟み、蒲生は鋭い眼つきで事態の把握に努めていた。皆が見つめていたテーブルには、母娘らしい女性二人と明らかに堅気とは思えない三人の男が同席していた。その様子から、母娘は男たちに責め立てられているようであった。

「輝、知り合いか」

 森岡がもう一度訊いた。

「ああ。大学時代の……」

 南目は心ここに在らず、といった顔つきである。

「彼女らは母娘か」

「え? あ、うん」

「名前は?」

「前杉さんというんや。娘は美由紀、母親の方は確か、恭子だったかな」

 南目の声は愛惜の響きを帯びていた。

「そうか」

 森岡は、そう言うや否やツカツカと彼女らのテーブルに近づいて行った。

「あ、兄貴」

 思わぬ森岡の行動に、南目は瞬時身を硬直させたが、慌てて後を追った。

「前杉さん、何かお困りですか」

「は、はい?」

 突然、見知らぬ男に声を掛けられ、前杉母娘は困惑の表情になった。

「なんじゃ、お前は」

 三人の中では、一番若い男が凄んだ。話を中断され、気分を害したようだ。

「前杉さんの古い知人です。偶然、前を通り掛り、何年ぶりかに姿を拝見したもので、懐かしさのあまり声を掛けてしまいました。話の腰を折ったのであれば謝ります」

 森岡が頭を下げたとき、前杉母娘の目に南目の姿が映った。

「南目さん!」

 母娘は同時に声を上げた。南目は、彼女らを安心させるかのように無言で肯いた。

「前杉さん。何かお困りでしたら、お力になりますが」

 森岡はいかにも親身な口調で言った。

「お前が力になるやと? 何者や」

 二人の、兄貴分らしき男が訊いた。

「これは失礼しました。私は森岡と申します」

「森岡はんとやら、あんたこの人らの力になると言うたが、借金の肩代わりをしてくれるんでっか」

「揉め事は借金でしたか。金で済むのであれば、いくらでも肩代わりしますが」

「兄貴、いや社長。それは……」

「お前は黙っていろ」

 小声だったが、南目の言葉を封じるには十分な威圧があった。

「ほう。金額も訊かんとか? 奇特なことでんな」

「いくらですか」

「八千万やで」

 兄貴分の男は、嘲笑するように言った。

「なあんだ、八千万ですか。貴方の言い方ですと、てっきり一桁上かと思いました」

 森岡が笑顔を向けた。

「なんやと!」

 若い男がいきり立った。兄貴分が小馬鹿にされたと思ったのである。

 緊迫した空気に包まれたときだった。

「森岡はん、どないかしはりましたか」

 と後方から声が掛かった。世間の目を避けるため、時間をずらして部屋を出た峰松が、森岡の姿を看とめ様子を伺っていたのである。

「こ、これは神栄会の若頭」

 三人の男は、飛び上るように椅子から立ち上がると、

「若頭はこの森岡という人とお知り合いで」

 と兄貴分の男が緊張の声で訊いた。

「知り合いも何もあらへんがな」

 峰松はそう言いながら彼に近づくと、耳元で何やら囁いた。

「ひぇー」

 三人の男は一斉に悲鳴を上げた。

「森岡はん、こいつらは誠神会の枝の、そのまた傘下の金融屋ですわ」

 峰松があらためて紹介すると、三人は米搗き飛蝗のように何度も頭を下げた。誠神会も神王組の直系ではあるが、神栄会とは比べようもなく弱小組織なのである。その傘下の、そのまた枝となれば、峰松とは取締役と係長程度の差があった。

「峰松さん。先ほどの件、宜しくお願いします」

 森岡が丁重に頭を下げ、暗に退席を促した。

「そうでんな。あまり長居をすると、差し障りが有りまんな」

 意図を察した峰松も素直に応じた。

「南目、お前は向こうのテーブルで前杉さんの相手をしていろ。坂根もや」

 峰松が去ると、森岡はそう命じて前杉母娘を遠ざけた。裏交渉を聞かせないためで、この場も残ったのは蒲生一人だった。

 当の前杉母娘は、降って沸いた急展開に、泡を食った顔つきである。

「さて、では本題に入りましょうか」

 森岡は穏やかな口調で言った。

「本当に森岡様が肩代わりをして下さるので」

 兄貴分の言葉があらたまった。

「もちろんです。ただし、借金の明細を教えて下さいますか」

 森岡に催促されて、兄貴分は借用書を差し出した。

「ほう。十一といちとは法外ですね」

 森岡はつい苦笑いをした。だが、三人の目にはそれが不気味に映った。何しろ、峰松から『五分の兄弟分だ』と耳打ちされていたのである。

「十一」とは利息が十日に一割、つまり年利に換算すると、三百六十%になる。言うまでもなく非合法である。

「森岡様が肩代わりして下さるのであれば、減額します。その代わりと言ってはなんですが、一括支払いをお願いできませんか」

 兄貴分の男は、ずいぶんと下手に出た。

「現金で耳を揃えます。どのくらい勉強して頂けますか」

「利息の率を半分というので、どうでしょう」

「結構です。計算し直すと、残りはいくらになりますか」

「二千六百万ほどです」

 兄貴分の男は、気まずそうに目線を落とした。

 八千万円が二千六百万円とは、たいそうな値引きのように映るが、元々がそれだけ法外なのである。

 前杉美由紀がいかに美形であっても、三十歳を超えた彼女の身体では、二千六百万円すら回収には時間が掛かる。それが重々わかっている彼らとしては、開き直った前杉恭子が警察や弁護士に相談する前に、美由紀を風俗店に売り捌き、何某かの金額を手にして手仕舞いにしようと考えていたのである。

 恫喝しながら搾るだけ搾り取り、頃合いを見て何某かの現金を掴んで撤収する。極道者というのは、実に相手の精神状態を見極めることに長けている人種なのである。

「では、切の良い三千万を明日持参します」

 森岡は平然と言った。半分でも、年利は百八十%であり、非合法に変わりはなかったが、この手の手合いに合法の利息を要求するのも面倒な交渉であった。

「へっ? 四百万も色を付けて下さるので」

 兄貴分は一瞬戸惑い、

「持参などとんでもない。こちらが出向きます」

 と恐縮そうに言った。

「いや、私どもはこれでも一応堅気ですのでね。会社への来訪はご遠慮願います」

 言葉は丁寧だったが、表情は有無を言わせぬものだった。

「わかりました。では、明日お待ちしております」

 三人は腰を折って深々と頭を下げ、立ち去った。

 何のことはない。借金した元金は、僅か一千万円だった。それが三年の間に膨れ上がっていたのだ。ただ、計算し易くするためか、複利ではなく単利だった。


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