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黒い聖域   作者: 久遠
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               (4)

 時を経ずして、京都の祇園では、新しいクラブがオープンの日を迎えていた。クラブの名は「菊乃」と言った。祇園のクラブ・ダーリンの瞳が、ママとして経営する店である。

 久田帝玄の法国寺貫主就任が決定したことで、神村の本妙寺貫主就任も目途がついたと見て、かねてからの約束どおり、瞳は坂東の愛人の誘いに断りを入れ、森岡が出資してオープンの運びとなったのである。

 森岡は、この日ある趣向を凝らしていた。

 クラブ菊乃のオープンの初日に合わせ、久田の法国寺貫主就任祝賀会の二次会会場として使用したのである。

 森岡は、坂東貫主をはじめとして、神村支持の面々にも案内状を送付させた。本妙寺の地固めの意味合いもあったからである。もし坂東が来店すれば、久田縁の店として、ママの瞳に嫌がらせができなくなり、仮に来店しなくても、この噂は早晩彼の耳にも届き、同様の効果をもたらすだろう。

 むろん、久田が法国寺の貫主になったからには、また森岡からの金を受け取った以上は、坂東は神村を裏切ることもできない。

 これが森岡の目論見の一つだった。

 加えて、店の格を上げることにも、大いに寄与することになる。 

 何しろ、寺社銀座と言われる京都においてさえも、法国寺は指折り数えられるほどの格式高い寺院である。その名刹の新貫主が、オープンに合わせて就任祝いの会場に用いたことは、それだけでクラブの信用を担保することになる。森岡のもう一つの目算だった。

 だが、このことが同時に思わぬ暗雲も呼び込んでしまったことを、森岡はまだ知らない。柿沢康弘の依頼で、森岡の女性関係を探っていた、ギャルソン大阪支店の社員は、この瞳こそが森岡の恋人だと誤解したのである。

 柿沢は森岡の身辺調査に、プロの探偵を用いなかった。理由は至極簡単で、調査費用が高額だからである。

 言うまでもなく、柿沢は資産家である。ところが、彼には妙にけち臭い一面があり、こういうことには金を掛けない主義なのである。天邪鬼な彼の面目躍如といったところだろう。

 そこで、大阪支店の総務部社員の男性二人に、森岡の調査を命じた。ギャルソンの大阪支店は、森岡のウイニットのある新大阪から、地下鉄の駅で二駅北の江坂にあったので、安直に考えたのだ。

 しかも、昼間は会社の通常業務に就かせ、定時以降に森岡の行動を調査させた。時間は掛かるが、柿沢にとっては、別段急ぐ必要もないので、このような手段を講じたのである。 

 ともかく、森岡の夜の行動から、北新地の最高級クラブ・ロンドのママ茜と、祇園のクラブ・ダーリンのちいママ瞳の存在が浮上した。二人とも、衆に優れた美貌の持ち主で魅力的な女性である。当初は、茜の方が有力と思われた。森岡が足繁く店に通い、しばしば茜のマンションに宿泊していたからである。

 だが、最近は京都へも頻繁に出向き、瞳ともホテルで密会を重ねている。宿泊こそしていないものの、そのうち瞳がクラブ菊乃を開店した。その費用をある青年実業家が負担した、と店のホステスから聞き及んだとき、ギャルソンの社員はその青年実業家こそ森岡洋介に違いないと確信した。そして、瞳こそが森岡の「本命」であり、彼の心は茜から瞳に移ったと判断した。一億円もの大金を「遊びの女」に用立てることなどあり得ないからである。

 むろん森岡と瞳の密会は、単にクラブ菊乃のオープンに向けての打ち合わせに過ぎなかった。

 プロの調査員ではなく、素人に任せた詰めの甘さが露呈した結果だったのだが、これが山尾茜と片桐瞳、二人の女性の運命の分水嶺となった。

 

 名古屋城横のキャッスル・グランドホテルでは、瑞真寺当代門主の栄覚と執事長の葛城信之のぶゆき、桂妙寺の村田貫主が集っていた。

「悪運の強い奴よ」

 栄覚が顔を歪めて吐き捨てた。

 その、怨念の籠った声に、三十歳近くも年長の村田が委縮した。

「申し訳ございません。森岡にしてやられました」

 と肩を窄める。

 あっ、いやと栄覚は首を振った。

「貴方のせいではありませんよ、村田上人。上人には良くやって頂きました」

「しかし、久田上人が法国寺の貫主に就いた限りは、神村上人の本妙寺貫主の座は揺るぎないものでしょう」

 村田は尚も重苦しい声で言った。

「いや、すでに次の手は打ってあります」

「えっ」

 村田が訝しげに栄覚を見た。

「もしや神村支持の中に、翻意する者がいると」

 栄覚は無言で顎を引くと、

「森岡という男、私の想像の上を行きますな。妙智会を担ぎ上げて藤井兄弟を糾弾させるところまでは、思う壺だったというのに」

 と、栄覚は再び眉を顰めた。

「しかし、久田の醜聞をあのような策で乗り切るとは……」

「作野貫主の件ですね」

 栄覚の慨嘆に村田が察したように応じた。、

 作野の一件は、宗務院のある筋によって栄覚の耳に齎されていた。

「総務は情が深い方ですから、何とも言えない妙手でした」

 葛城も追随した。

「しかし作野貫主はなぜ、すぐにばれるような嘘を吐いたのでしょうか」

 村田が誰に聞くというのでもなく呟いた。

 宗祖栄真大聖人手ずからの釈迦像で最古のものは、瑞真寺の本尊として祭られている、というのが歴史の事実だったからである。

「いかに総務さんでも、あれじゃあ庇いきれないでしょうに」

 葛城が恨めしげに応じた。作野の失言が無ければ、久田の処分は重かったはず、との思いからである。

 違うな、と栄覚が首を横に振った。

「総務は作野の件が無くても、自身の立場を慮って、中立を守っただろう。それより、宗務総長の方を落としたのが肝だったな」

 と、永井大幹の籠絡を指摘した。

「まさか、署名を総務ではなく宗務総長に持ち込むとは……。森岡という男、そのときすでに永井宗務総長を取り込む算段でいたのかもしれない」

「言われてみれば、そのようです」

「何という男……」

 村田は自身の推量間違いを認め、葛城は森岡を畏怖するように呟いた。

「森岡のせいであ奴めが法国寺の貫主に就任してしまった。実に忌々しいことだが、いずれ必ずや久田には辛酸を舐めさせてやる」

 と吐き捨てた後、栄覚は苦々しい顔つきをいくぶん緩めた。

「戦いはこれからが本番だ。となれば、総務清堂と久田の間に太い楔を打つことはできた。私にとってはこれで十分と思うしかあるまい」

「今後私は、どのようにすれば良いでしょうか」

 村田が指示を仰いだ。

「上人にはしばらくの間、静観して頂きます。目立った動きを止め、向こうに油断させましょう。その間に、一つ二つ森岡の足元を揺さ振ってやります」

 そう言った栄覚の眼は不気味な光を湛えていた。







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