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黒い聖域   作者: 久遠
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               (4)

 東京青山にあるギャルソン本社の会長室では、柿沢康弘が歯軋りしながら、森岡への反撃策を練っていた。

 柿沢は、吉永幹子と筧克至が理由も告げずに寺院ネット・ワーク事業から撤退したのは、森岡の策略によるものだと推察していた。世間知らずの、我儘放題で育った彼は、その分歪なプライドを纏っていた。

 その彼にしてみれば、二十歳も年下の若造に、良いようにあしらわれるのは、己の沽券に関わるのである。

 世の中で、柿沢のような手合いほど始末に負えないものはない。自身の能力はさておき、プライドだけが異常に高く、見え透いた追従には舞い上がり、親身な忠告には嫌悪を抱く輩である。

 森岡を恐れた筧は、一身上の都合とだけ言い残して姿を消していた。つまり、森岡の背後には巨大な闇社会が控えていることを柿沢は知らなかった。それが、彼を無謀な行動に走らせようとしていたのである。

 その夜、柿沢は銀座のクラブに二人の男を呼び出し、ある依頼をしていた。一人の男は、二十年もの昔、柿沢が放蕩無頼に生きていた頃からの遊び仲間であり、現在でも腐れ縁で繋がっている男であった。

 極道者ではないが、堅気というのでもない。言わば社会の表と裏の間で生きる男たちで、たとえばクラブやホステスから依頼を受けての、ツケの取立てや、借金の返済交渉などを代行する。

 極道者ではないので、暴力団対策法の網の目からは逃れ、そうかといってそれなりに強面であるから、使う側は重宝するのである。この場合の手数料は、三割から場合によって折半と、かなりの高額であり、金回りは意外と良かった。

 柿沢はこの種の手合いを従え、お山の大将気取りなのである。

「とにかく、その森岡という男が気に食わないのだ」

 柿沢はいかにも憎々しげに言った。

「その男を痛めつければ良いのか」

 昔馴染みの男が訊いた。四十歳過ぎの小太りで禿げ頭の男である。

「いや。奴は、そうそう一人きりでいることはないだろうから、ちょっとそれは難しいかもしれない」

「じゃあ、どうしますか」

 もう一人の、弟分らしき男が訊いた。年は三十代前半、長身で俳優のような色男である。

「奴の弱点を突けたら良いのだが」

「弱点ねえ……たとえば、女房、子供はいないのか」

 小太りの男が考え込むように言った。

「独身らしいから、家族はいないだろうが、そうだな、女はいるかもしれない」

「じゃあ、その女を甚振るっていうのはどうだ」

 小太りの男は、そう言って舌なめずりをした。

「強姦か、それは良い。奴に悔しい思いをさせられるかもしれない」

 柿沢は下劣な笑みを浮かべて言った。

「俺たちには楽しみな仕事ですね」

 色男は、誰に対してというのでもないせせら笑いをした。この男、見た目が良いだけにずいぶんと女性を食い物にしてきたことが窺える。

「じゃあ、女の件は俺の方で調べてみよう。わかったら、すぐに連絡する」

 柿沢の目が邪悪の光を湛えていた。


 柿沢と別れた二人の男は、河岸を変えて飲んでいた。

「あははは……」

 小太りの男が、堪え切れないように笑った。

「どうしたのですか。いきなり」

 色男が怪訝そうに訊いた。

「やっと、チャンスが回って来たからさ」

「チャンス? 何のことですか」

「さっきの話だ。柿沢の馬鹿が、とうとう弱みを握らせてくれた」

 そう言うと、小太りの男は、胸ポケットからボイスレコーダーを取り出した。

「さっきの会話を録音しておいた」

「何のために?」

 色男が不審げに訊いた。

「お前も鈍いなあ。これで、あの馬鹿を恐喝すれば、俺たちは一生金に不自由しないということさ」

 小太りの男は喜々として言った。

「なるほど」

 と、ようやく得心した色男の面がすぐに曇った。

「しかし、兄貴。聞いた話の限りでは、森岡という男、なかなかの切れ者のようですが、足が付いて報復されるということはないでしょうね」

 だが、小太りの男の面にはは余裕の笑みが張り付いていた。

「それは全く心配いらない。俺のバックには強力な組織がある」

「極亜会ですか」

 二人は、主に稲田連合・石黒組傘下の極亜会の仕事を請け負っていた。

「極亜会も頼りになるが、所詮は石黒組の枝にしか過ぎない」

「確かに」

 色男は不安げに肯いた。

「心配するな。いざとなれば、極亜会のような半端な組など足元にも及ばないもっと凄い人脈があるのだ」

「もっと凄いといいますと、石黒組の幹部ですか」

 違う、と小太りの男は首を横に振った。

「神王組の河瀬という最高幹部だ」

「し、神王組……?」

 色男は意外な名に声が裏返った。

「確か、今は筆頭若頭補佐だから、ナンバー五ぐらいと思う」

 神王組の序列は、組長、若頭、舎弟頭、本部長、筆頭若頭補佐の順だった。

「神王組のナンバー五ですか。しかし、どうして」

「コネがあるかというのだろう」

 色男は黙って顎を引いた。

「実は、その河瀬と深い縁のある阿波野という男の事業に、あの馬鹿から五億円を引っ張り出したのが、この俺なのだ」

 小太りの男は右手の親指を反り返し、張った胸に突き当てた。

「五億も」

「あいつは根っからの馬鹿だからな。美味しそうな話にはダボハゼのように食い付く」

 小太りの男は嘲笑するように言った。

「結局、事業は失敗したが、それは俺のせいではないからな。大きな貸しは残っている」

「それで、河瀬と阿波野の深い縁というのは?」

「聞いて驚くなよ」

 と言うと、小太りの男は顔を色男に近づけた。

「河瀬は、阿波野の父親が組長をしていたときの若頭だったということらしい」

「……」

 色男は瞬時には理解できなかった。

「つまり、河瀬は阿波野が継ぐべき組を譲って貰ったということだ」

「それが今や神王組のナンバー五なのですか」

「そういうことだ。だから、河瀬は阿波野の頼みは断れないというわけなのだ」

 小太りの男は自慢げな顔で言い切った。

「なるほど、そういうことでしたら、確かに強力な後ろ盾ですね」

 ようやく、色男は安堵した顔つきになった。


 永井大幹宗務総長の格別な尽力により、規律委員会における久田帝玄の処分は、「厳重戒告」と決した。総務の藤井清堂が強硬な態度に出ることはなく、永井宗務総長の思惑のままに会議は終始したのである。

 規律委員会に先立って、総務清堂は国真寺の作野貫主を呼び付け、事の真偽を問うた。作野は強く否定したが、少年期より長年に亘って寝食と修行を共にした仲である。作野の振る舞いに、総務清堂は真実を見抜いた。

 もし総務清堂が心を鬼にして、弟弟子である作野を切り捨てれば、久田帝玄の厳重処罰、それはつまり実弟である清慶の別格大本山法国寺の貫主就任が決定となった。

 しかし、情の深い清堂は弟弟子を見捨てることができなかった。また、久田に非があるとはいえ、一旦は納まった青年僧侶の全国組織・妙智会が再び決起するとも限らない。

 熟慮の末、総務清堂は隠忍自重を決め込んだのである。

 森岡、そして総務清堂も疑った作野貫主だったが、実は彼の言葉は真実だった。

 国真寺の御本尊は、紛れもなく宗祖栄真大聖人が最初に彫った釈迦立像だったのである。だがしかし、作野はそれを公にすることはできなかった。兄弟子である総務清堂の詰問にも沈黙を通すしかなかった。それが清堂の立場を不利にするとわかっていても、である。

 なぜなら、歴代法主や兄弟子清堂にすら知らせていない国真寺の御本尊の正体を明かすことは、作野自身だけでなく、国真寺歴代貫主が犯してきた罪を白日の下に晒すことになるからである。


 久田帝玄の処分も決まり、森岡は再び動き出した。

 買収を終えた霊園地の登記を済ませ、その登記謄本に、財務省から買収した堀川の土地の登記謄本と、無量会の同意書を添えて、傳法寺に大河内貫主を訪ねた。

 その場には神村正遠が同席した。神村は森岡らの工作とは別に、自らの信念を訴えるつもりだったのである。

 席に就いた神村と森岡に、大河内から話し掛けてきた。

「先日、永井宗務総長からも電話がありました」

「宗務総長が電話を?」

 神村が、意外という表情をした。

「久田上人の処分について知らせてこられたのです。それがどういう意味かわかっているつもりです。どうやら私は、外堀だけでなく内堀も埋められてしまったようですね」

 大河内は自虐的な笑みを浮かべた。神村はそのような大河内を見ていると同情で心が痛んだが、気持ちを切り替え、毅然として話を始めた。

「大河内貫主、私はどうしても貫主に申し上げたきことがあって参りました」

「私に言いたいこと?」

 はいと神村が深く肯いた。

「私がこの度、法国寺の貫主には久田上人を、と願いますのは、一つには本妙寺の件が絡んでいることを否定しません。ですが、このようなことを申しますと、私を支援くれている皆には申し訳ないのですが、本妙寺にしろ、法国寺にしろ、大本山の貫主たるに相応しい方なら、その方がなれば良いとも思っていました。しかし、藤井清慶上人の法国寺の貫主就任だけはいけません。大げさでもなんでもなく、それは我が天真宗の衰退へのきっかけとなる危険性を孕んでいます」

「なんですと」

 大河内の顔色が変わった。

「大河内貫主、思い出して下さい。なぜ天真宗が戦中戦後の一時期、目を覆うばかりの衰退を見せたのか。もちろん、戦争という特異な状況が影響した事は否めませんが、それは他宗も同様でした。それにも拘らず、天真宗の凋落が一番酷かったのは、本山と末寺が疎遠状態になっていたからです。そして、その疎遠の原因となったのは、総本山・四十六子院の総領以外の者が、大本山・本山の貫主の座を寡占していたことでした」

 うむ、と大河内は唸った。

「本山・末寺の制度があるうちは、強制的に繋がっていましたから、それでも関係は保たれていました。しかし、本来在野の寺院の手にあるべき大本山や本山の貫主の座が、総本山の専横により、蹂躙されていることに内心反発を抱いていた在野の末寺は、本山・末寺の制度の廃止とともに、一斉に離反していきました。それにより、末寺からの上納が無くなるばかりか、反目されて、助成もさえも失ってしまった大本山や本山は、以後衰退の一途を辿り、それが巡り巡って末寺の衰退を呼び込み、結果的に宗門全体の疲弊を引き起こしたのです」

 ここで神村は一段と声を強めた。

「それを立て直したのは久田帝法上人です」

 天真宗中興の祖の名に、大河内法悦の背筋がピンと伸びた。

「在野の寺院の若者を有能な僧侶に導き育て、後年全国の大本山や本山の貫主に据えました。これにより、全国の在野寺院にやる気と活気が漲り、宗門復興の礎となったのです。別格大本山法国寺貫主の座は、その在野寺院の僧侶が目指す最高峰、いわば象徴の座です。この座に清慶上人が就くというのであれば、総務清堂上人は法主の座を辞退されるべきではないでしょうか。総本山の縁者が、法主と法国寺の貫主を独占するだけでも問題なのに、ましてや兄弟など以ての外だからです。それでも尚、この暴挙を押し通すというのであれば、せめてこれまでの慣行を改め、在野の僧侶でも法主の座に就けるよう改革に着手すべきでしょう。そうでもしない限り、悪しき前例を繰り返し、再び宗門の衰退を招くかもしれない清慶上人の法国寺貫主就任は、断固阻止せねばならないのです。これは断じて私利私欲で申しているのではありません。それだけは信じて頂きたい」

 目を逸らさずに聞いていた大河内は、考える時間が欲しいと神村に告げた。

 大河内法悦は迷いに迷っていた。

 過日景山律堂から聞いた総務清堂の真意にしろ、今の神村の信念にしろ、共に宗門の有るべき姿を願っての、深い思い入れの発露であることが、胸の奥までひしひしと伝わっていたのである。

 一方で森岡は、苦労を重ねた末に纏め上げた霊園の計画話をその場で大河内に披瀝するのを控え、またの機会とした。

 神村の心魂を傾けた弁舌の後に、下賎な金の話などをして、師の気高い精神を汚したくなかったのである。

 このとき、合議の日まで一ヶ月を切っていた。



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