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黒い聖域   作者: 久遠
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               (3)

 翌日、森岡は大阪・梅田のパリストンホテル一階の喫茶店に、営業部長の筧克至を呼び出していた。何も知らずにやって来た筧が、椅子に座った途端、森岡が低い声で言った。

「筧、近くに神栄会が待機しとる」

 そうして筧を睨み付ける。

「はあ?」

 筧には言葉の意味がわからなかった。

「ここで大声を上げて逃げてもええんやで。そうすりゃ、この場は逃れられるやろ。せやけど、後のことは知らんで」

 森岡はわざと遠回しな言い方をした。恫喝というのは、相手に想像させて気付かせるのが効果的なのだ。

「……」

 筧の背に悪寒が走った。額には脂汗が滲み出てきた。彼は、まだ事態が良く飲み込めていなかったが、それも無理のないことだった。精神的な虚を突く、それこそが森岡の狙いであり、彼の恐ろしいところなのである。

 筧は何が起こっているのか必死に頭を働かせたが、理性とは全く別次元で迫り来る恐怖に慄き、身体全体が小刻みに震え出し、止まらなくなった。

 これは森岡のはったりであった。。だが、このときの森岡には、筧をして偽りを信じ込ませるだけの殺気を纏っていた。

「おい、震えとんのか。お前、そないな根性無しで、よう裏の世界と関わりを持とうとしたの。あほちゃうか」

 森岡はあまりに情けない筧の姿に、怒りよりも哀れみさえ感じていた。

「お前。宇川と吉永、柿沢のことをここで何もかも洗いざらい話せ」

「えっ!」

 筧の息が止まった。

「お前が裏切っとるのはバレとるんや。正直に吐いたら、今回に限り勘弁せんでもないで」

 森岡はドスを利かせた。それに呼応して、坂根や南目も身を乗り出して、睨みを利かせた。とくに南目は元暴走族の頭だっただけのことはあって、眼光は鋭い。

 筧がしどろもどろになりながらも、全貌を話したのは言うまでもない。

 それによると、筧は端から、いつかは独立するつもりでウイニットにやって来たのだという。独立後も、元の会社とは良好な関係を保ちたい筧は、菱芝産業から社員を引き抜くことができなかった。そのため、仲間に引き入れるための社員を物色する目的でウイニットに転職してきたというのである。

 そして、寺院ネットワークの事業話を知ったとき、これを我が物にすれば、独立しても収益が安定すると思い、乗っ取ることにした。そこで、まずスポンサーに名乗りを挙げていたギャルソンの会長・柿沢康弘に近づいた。

 筧は、ギャルソンの担当だった宇川を先んじて退職させ、柿沢の許に送ったうえで、自らはウイニットに残り、森岡や社内の動きを見張った。彼は法国寺の件で藤井清堂、清慶兄弟の名を耳にしていたので、彼らと接触する方法を思案していたところ、柿沢を通じて吉永の方から接触してきたというものだった。

 後は、森岡の推察どおり、ウイニットの会議の情報を吉永に漏らし、霊園の買収を妨害していたというあらましだった。

「お前、明日から会社に顔を出すな。退職願は郵送でええわ。それと、会社にあるお前の荷物は家に送ったる。それからな、お前には一つやってもらわにゃならんことがある」

「はあ?」

「はあって。お前、まさかこれでけじめが付いたと思っとるんか!」

 森岡は筧を睨みつけながら一喝した。森岡にこのような一面があるとは思いも寄らない筧は、すっかり肝を潰されていた。

 筧だけではない。日頃、行動を共にしている坂根も、大学生時代の森岡を知っている南目も目を丸くして見ていた。

「な、何をしたら、よ、良いのでしょうか」

 筧は声が震えてまともに口を動かせない。

「向こうの情報を探って俺に知らせろ」

「……?」

 筧は恐怖のあまり、頭も回らないのか、森岡の意図が理解できない。

「わからんか、二重スパイやがな。お前が裏切り者だとバレたことは、ここに居てる者しか知らんやろ。当然、柿沢や吉永も知らんわな。せやから、まだ気付かれていない振りをして、向こうの内情を探り、俺に報告せい」

「そ、それで、いったい何を調べれば良いんでしょうか」

 相変わらずのしどろもどろの筧に、森岡は間を与えるように話題を変えた。

「その前に二、三確認したいことがある。正直に言いや」

「は、はい」

「まず、ウイニットの社員でお前の口車に乗った奴は誰や」

「それは……」

「それは、やないやろ。いずれわかることや。今この場でお前が名前を言ったら、そいつ等の今後のことは考えてやってもええが、後で俺が調べを付けたときは容赦せんで。そうなりゃあ、お前も寝覚めが悪いんと違うか」

「わ、わかりました。インターネットソフトウェア開発部の棚橋、萩原、宇都宮の三人です」

「棚橋、萩原、宇都宮やと……三人とも優秀なシステム・エンジニアとの報告が上がっている奴等やないか。お前も罪なことしてくれたなあ」

「す、すみません」

 筧は力なくうな垂れた。

「しゃあない、それはもうええわ。それより、そもそも買収地の件はどないして知った」

 筧は少し考える素振りを見せ、

「檸檬の真弓というホステスから聞き出しました」

 と答えた。

「ホステス? どういうことや」

「真弓を野島専務に近づけて情報を取りました」

 その瞬間、森岡の両眼が鈍く光った。

「筧、海と山、お前はどっちがええ」

「はい?」

 思いも寄らぬ問いに、筧は暫し呆然としていた。

「この期に及んで嘘はいかんな、嘘は。身の破滅になるで」

 森岡は、再び筧を睨んだ。

 このとき森岡は、すでに全容を把握していた。真弓こと町村里奈は野島に対し、ルーベンス時代に筧と交際していたこと、筧との失恋の痛手から塩見という極道者に引っ掛かってしまったこと、半年前、筧と塩見が偶然客として檸檬を訪れ、一旦は手が切れた塩見には復縁を迫られ、筧には野島への接触を持ち掛けられたことなど、洗いざらい告白していた。

 野島が気晴らしのため欧留笛に顔を出すのを知っていた筧が、里奈を通わせて網を張らせていたことも、誠実な野島を愛し始めた里奈が、良心の呵責から野島の口が堅く情報は取れていない、と誤魔化していたことも白状していた。もちろん、野島が肩代わりした口座の焦げ付きも、狂言だったとして全額を返済していた。

――海と山……海中と山中? うっ。

 ようやく言葉の意図に気づいた筧は慌てて、

「ロ、ロンド、ロンドです」

 と吐き出すように言った。

「ロンド?」

 森岡には、俄かには信じることができなかった。ロンドのような高級店では、ママはもちろんのこと、ホステスであっても客から聞いた話を、他の客に漏らすようなことはない。たとえ、口座客であっても、緊急のノルマの同伴に応じてくれたりする、余程の上客でなければ考えられないのである。ましてや、筧がロンドのホステスとそのような濃密な関係を築いているはずがなかった。そうであれば、ママの茜から報告があるはずだ。

「ホステスからか」

「いいえ。もし、ホステスから探るなどしたら、たちまち社長の知るところになるでしょう」

 もっともな言い分だった。

「なら、どういうことや」

「須之内という人から聞きました」

「なに! 誰やて?」

 森岡は悲鳴のような声を上げた。

「須之内高邦という人です」

「なんで、お前が須之内さんを知っているんや」

「社長はお忘れのようですが、社長にロンドへ連れて行って頂いたとき、須之内さんと一緒になったことがあり、紹介はされなかったのですが、軽く会釈をしたことがあるのです」

「そう言やあ、そんなことがあったな」

「後日、ロンドでお会いしたとき、須之内さんが覚えていて下さり、声を掛けてこられたのです」

「ということは、向こうから話し掛けてきたんやな」

「はい。須之内さんから山科の買収地のことを伺いました」

――なぜ、須之内が霊園の事を知っているのだ?

 森岡はわだかまりを覚えたが、筧よりはまだ須之内の方がホステスと懇ろになる可能性は高い。

「ようわかった。ほなら、本題に入るで」

「……」

 筧の身体が再び硬直した。

「お前には藤井兄弟の許で動いている坊主は誰か、ということ聞き出してもらうで。これは吉永に訊けばわかるやろ。それと、それ以外にこっちの内情を探っている奴がおらんかどうかやな。お前が知らんでも、誰かおるかもしれんし、プロを使ってるかもしれんやろ」

「プロ、ですか?」

「探偵とかや」

 森岡はそう言うと、スーツの内ポケットから現金の入った封筒を差し出した。

「この中に五十万入っとる。これを旅費に使え。まあ、退職金代わりや思うたらええ」

 そう言って椅子の背にもたれると、遠目から冷たい鉄の棒のような視線を浴びせた。 

「期限は一週間や。一週間後、俺に連絡を入れろ。それからな筧、よう聞けよ。俺に報告し終えたら、それから先二度と俺の周りをうろちょろするな。今回は目を瞑ったるけど、次は容赦せんで。お前にも、可愛い奥さんと子供がおるやろ、大事にせにゃあかんで」

 その冷徹な眼に、筧はまるで狼を前にした兎のように震え上がっていた。

「い、言われたとおりにします」

 筧は、森岡の言葉の意味を良く承知していた。

 筧にとっては相手が悪かったと言えよう。森岡は善悪、白黒、敵味方をはっきり区別する性格だった。一旦味方と思せば、ふんだんの情けを掛けるが、敵対すれば、相手が降伏するまで徹底的に交戦した。

 まして裏切り行為などは、愛情を注いだ裏返しの分だけその報復は熾烈を極め、息の根を止めるまで容赦しなかった。そういう意味では、寺島龍司の『ええ極道者になる』との言は、言い得て妙ではあった。

 さて森岡にとっては、筧がどのような行動を取っても問題がなかった。彼は、すでに清慶のために動いている僧侶が景山律堂であることを突き止めており、筧への命令は彼を試したに過ぎなかったからである。

 すなわち、筧が言うとおりに情報を取ってくれば、彼は吉永や柿沢らとは、二度と一緒に仕事はできなくなることを意味し、森岡に裏切っていたことが発覚した、と仲間に告白すれば、もっと辛い人生を送ることになる。なにせ、何時そのことが森岡に知れ、どのような目に遭わされるか、怯えながら生きて行くことになるからだ。

 また、裏切りがバレたと仲間に告白した場合は、一種の保険が掛かることにもなる。森岡と神栄会の関係を誤解したであろう筧は、必ずやそのことを深刻に話すと思われた。さすれば、相手が追い詰められても、無茶な行動には出られなくなる。わざわざ天下の神栄会と事を構える組などあるはずもないからである。

 一週間後、筧は藤井清慶の許で動いているのが、景山律堂であると知らせてきた。彼が、正直に連絡をしてきたということは、それを最後に、消息を断つものと見られた。


 翌日の午後、森岡は帝都ホテル大阪のロビー喫茶で岩清水と会っていた。同行した坂根は、懐に百万円の札束の入った封筒を忍ばせている。

 榊原から紹介されて以来、森岡は岩清水の呼び出しを受け、数回会っていたが、その度に金の無心をされていた。

 岩清水は名古屋に住まいしていたので、法国寺の用件で京都入りした際は、市内のホテルに宿泊していたのだが、堀川の一件が抜き差しならない状態になったため、手元不如意だというのである。

 堀川の一件というのは、二千基にも及ぶ無縁仏の移設に伴う大規模霊園事業のことである。

 石清水は、法国寺貫主を勇退した黒岩上人と同郷という誼で護山会の会長に就任したということだった。ともあれ、別格大本山という名刹の護山会会長ともあろう者が、高々数十万単位の金に窮するというのは訝しいことだった。

 だが森岡は、彼の無心に快く応えていた。これまでに融通した金は五百万円を上回っていたが、一応の用心はしても決定的な不審を抱くことはなかった。

 森岡にとっては少額ということもあるが、岩清水の人柄、といっても善人だからというのではなく、むしろ脛に傷の有りそうな過去に興味を持ったのである。

 有体に言えば、自分の知らない世界で生きてきたと思われる岩清水は、この先何かのときに役立ちそうな勘が働いたためである。このあたりの嗅覚の鋭さは、彼の天性といえた。

 この日の岩清水には連れがあった。

 恰幅の良い、五十代後半の男である。身形や時計、指輪といった装飾品から、いかにも金持ち風に見えたが、森岡はその目の奥の澱んだ光と、全身から醸し出される気から、真っ当な世界に生きている人間ではないと直感した。

 極道世界とは少し様子が違っているが、堅気でないことは明白であった。

 男の名は「松平定幸まつだいらさだゆき」と名乗った。いかにも胡散臭く、本名でないことは子供でもわかる。職業も宝石商だと言ったが、これもまた表看板であり、裏家業があると森岡は疑った。

 森岡の目に、不審の色を嗅ぎ取った岩清水は、床に置いた鞄から風呂敷包みを取り出すと、テーブルの上で紐解いた。百万円の札束が六つあった。

「森岡君。これは今まで用立ててもらった金だ。利息を付けてお返しする」

「いえ。金はお貸ししたものではなく、差し上げたものですから、返済には及びません」

 森岡は毅然として断った。

 岩清水は、松平の方を向いて、

「見たかい、松ちゃん。森岡君とはこういう男だ」

 と微笑んだ。

 松平も口元に笑みを浮かべると、

「岩さんが惚れ込むわけだ」

 と返した。

 訝る森岡に、

「実はな森岡君。わしは、金には困っていなかったのだよ。君を疑ったわけではないのだが、いかに旧知の榊原さんの紹介といっても、君の人柄を知らずに、一緒に仕事はできないと思い、芝居を打たせてもらった。許してくれ」

 と、岩清水は頭を下げた。

「どうぞ、頭をお上げ下さい。岩清水さんが金に困っていらっしゃらないのであれば、それに越したことはありません」

 森岡は笑みを浮かべて言った。

「君の人となりを観察させてもらったが、私も榊原さんが自分の後継者にと、惚れ込むだけの男だと良くわかった。そこでだ、私の人脈を君に紹介したくなった」

 岩清水は周囲を見回すと、前屈みになり声を低めた。

「この男は詐欺師なのだ」

 森岡は、はっとして松平を見遣った。当人はいたって涼しい顔をしている。

「ただの詐欺師ではないぞ。超一流の腕だし、部下も数人抱えている」

 何ということはない。詐欺師集団の親玉だというのである。

「君は財界人から極道者まで幅広い人脈を持っているようだが、この詐欺師というのも、使いようによっては、なかなかに役に立つものだよ」

 開いた口が塞がらない森岡の目に、岩清水の老醜の面が、いっそう不気味さを増して映っていた。

 岩清水が松平と知り合ったのは、三十年も前のことだという。その頃の岩清水は、真っ当な繊維問屋を営んでいた。ところが、商品詐欺に遭い店を潰してしまった。

 商品詐欺とは、小額の現金取引を繰り返し、信用を得たところで大口の商談を持ち掛け、商品を持ち逃げすることである。詐欺の手口としては初歩的であるが、売り手の心理を巧みに突くため、現在でも被害が絶えない。

 むろん、持ち逃げされた商品を売買する裏ルートが存在し、それらの商品は量販店などで一般客向けに販売されている。

 さて、一文無しで路頭に迷っていた岩清水を救ったのが松平だった。詐欺師仲間からの情報で、岩清水が詐欺に遭ったことを知った松平は、すぐさま彼の許に駆け付けた。その昔、松平の父が岩清水に世話になったことがあったので、その恩義に報いたいと思ったのだという。

 その後、岩清水は成り行き上、数件の詐欺に加担したが、十五年前に足を洗い、現在の寺院経営を助ける仕事に就いていた。 

「堀川の無縁仏移設の件で世話になっている礼じゃ。何かのときに連絡すると良い」

 岩清水は上の前歯が抜けた口を開けて、ふひゃあ、ふひゃあ、ふひゃあ、と笑った。


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