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黒い聖域   作者: 久遠
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               (2)

 翌日、榊原は時間通りに神栄会の事務所にやって来た。

 榊原を加えて交渉は再開されたが、やはり両者は平行線を辿ったまま、出口の見つからない状態に変化はなかった。

 とうとう痺れを切らした森岡が、交渉の打ち切りを申し出て、突破口を模索したとき、ようやく峰松が交渉に乗ってきた。一坪当たり五万円まで下げたのだ。

 だが、森岡はそれにも応じなかった。坪当たり五万円で買い取るという情報を得ていた峰松は、話が違う事に業を煮やし、

「五万円で買うという話ではないのか」

 とつい口を滑らしてしまった。

 ついに筧が裏切っていたことを証明する言質を取った森岡だったが、彼はあらためて坪当たり二万円までしか出さない意思を明言した。

 当てが外れた峰松の表情は、焦りが怒りに変わった。峰松の後ろに控えていた若衆も身構えた。不穏な空気がその場を覆い、一旦緊張の糸が切れてしまえば、どのような成り行きになるか……森岡の心に一抹の不安が過ぎったときだった。

「宜しいでっか」

 と長閑な声が掛かった。緊張感を溶かすような実にぬるい響きだった。黙って成り行きを見届けていた榊原壮太郎が、初めて口を開いたのである。

「なんやねん!」

 峰松は吐き捨てるように言った。

「この年寄りにも話をさせてもらいたいのやが」

「話やと」

 苛立ちを露にした峰松を、どこ吹く風と受け流した榊原は勝手に話し始めた。

 初めに霊園の主たる目的が、国のために散って逝った無縁仏を供養するためだということを力説して、峰松の義侠心に訴えた後、大親分だった神王組の先々代組長・田原政道と、ある人物との関わりを話し始めた。

 それは、峰松にとって想像すら付かないものだった。

「峰松さんと言いはりましたな。あんたはん、『金刃正造かねとしょうぞう』という極道者に聞き覚えがありまへんか」

「知らんがな」

 峰松は、もはや聞く耳を持っていなかった。

「そうでっか」

 榊原は首を捻ると、

「神王組三代目・田原大親分の舎弟だった男で、関西一円を神王組の傘下に収めることに尽力し、三代目の夢やった全国制覇の基礎を築いた男やねんけどな」

 これ見よがしに嘯いた。

 峰松は、はっと目を剥いた。三代目の名前を出されては、聞き捨てにするわけにもいかない。

「今、何と言った?」

「金刃正造だが」

「金刃正造だと? なんであんたがその名を知っているんや」

 峰松は、驚いたように訊いた。、

「今から二十五年近くも昔の事やねんけど……」

 榊原は、森岡も知らない昔語りを始めた。

 

 金刃は覚醒剤の所持、服用で捕まり、服役することになったのだが、田原は殊の外覚醒剤には厳しい親分で、覚醒剤を扱った組や員は絶縁、破門とする通達を出していた。したがって、たとえ可愛がっていた舎弟の金刃とはいえ、見逃すわけにはいかなかった。他の者に示しが付かないからである。三国志の『泣いて馬謖ばしょくを切る』ではないが、心を鬼にして金刃を破門にした。

 話の途中で、

「そないなことまで知っているとは……あんたは何者や」

 峰松が懐疑的な言葉を挟んだが、

「まあ、黙って最後まで聞きなはれ」

 と、榊原は一喝した。

 一瞬、むっとなった峰松だが、そこは伝説の大親分の名を出された手前、ぐっと気持ちを飲み込んだ。

 その金刃は、服役中に癌に侵され、余命は半年と宣告されることになる。

 抗争に明け暮れ、人生の半分を刑務所で過ごした彼は、かねがね畳の上では死ねぬと覚悟はしていたものの、いざ死を宣告されると無性に我が家が恋しくなった。そして面会に訪れた妻に、ふとその想いを漏らした。三代目に破門されたことで、すっかり落ち込んでいたことも拍車を掛けていたのであろう。

 これまでに見たことのない気弱になった夫の姿に、妻は何とかならないものかと、東奔西走し、頭を下げて回ったのだが、尽くにべも無く断られた。

 よくよく考えてみれば、破門され落ちぶれた極道者など、極道の世界からも堅気の世界からも相手にされるはずもないのだ。妻がそう諦めかけていたところに、三十歳そこそこの若さながら、生き仏様のような僧侶が、大変な修行を終えて下界に降り、近所に住んでいるという噂が耳に入って来た。

 万策尽きていた妻は、たとえ刑務所や警察病院からは出られなくとも、面会を願えば、夫の魂を救って貰えるのではないかと、藁にも縋る思いで、全く面識のなかったその僧侶の寺の門を叩いた。

 事情を聞いた僧侶は、妻の頼みを快く引き受けたばかりか、どのような方法を用いたのか仔細は不明だが、裁判所から自宅に戻る許可まで得たのである。

 三ヵ月後、金刃は念願どおり自宅の畳の上で亡くなるのだが、彼の遺言によりその僧侶が葬儀一切を執り行った。

 後日、事の経緯を知った田原は甚く感激し、すぐさまその僧侶の許を訪れ、深々と頭を下げた。泣く泣く破門したものの、全国制覇の礎を築いてくれた可愛い舎弟のことを、ずっと心に掛けていたのである。

 そうかといって、立場上田原自身はどうすることもできず、金刃は金刃で破門された身の上を憚り消息を絶っていた。だからこそ、余計に若い僧侶の情けが心に沁みた。

 田原は、金刃を刑務所から出してくれたことに一千万、葬儀を仕切ったことに一千万の、合わせて二千万の謝礼を差し出したのだが、若い僧侶は、この度のことは仏縁によるもの、として頑として受け取ろうとしなかった。

 一方で、田原も極道の中の極道である。男が一度懐から出したものは仕舞えない、とこちらも譲らなかった。

『受け取れ、受け取れん』

 という押し問答が続き、埒が明かないと思った僧侶は、半分の一千万を受け取ることにした。

 

「以来、二人はたまに酒を酌み交わす付き合いをしてゆくことになったのやが、そのお坊さんというのが、今回の霊園事業の中心に居てはる神村正遠上人やで。あんたら、極道の世界は『義理』というもんを一番に重んじる世界と違うんでっか? 最後は破門されたとはいえ、神王組の勢力拡大に、大いに貢献した大先輩の金刃はんが多大な恩を受け、田原三代目が深い恩義を抱いていた神村上人に、お宅らは足で砂を掛ける気でっか」

 榊原には気迫が満ちていた。峰松をして怒りを静め、沈黙たらしめるに十分なものだった。

 峰松は、榊原の話に嘘が無いと見極めたのか、黙って席を立ち奥の部屋へ入って行った。  

 しばらくすると、中から峰松と共に、一段と風格を備えた男が出てきた。五代目神王組若頭補佐の要職にある最高幹部の一人、三代目神栄会会長の寺島龍司てらしまりゅうじである。

 寺島は、森岡の正面に腰を下ろし、貫禄のある声で神村との接点を話し始めた。

「確かに、お宅さんの話は神栄会の先代から聞いとりますし、実はわし自身も神村先生のことは存知上げております」

「へっ、親分さん、神村上人をご存知ですの」

 これには榊原が驚いた。

「まあ、知ってるいうても、直接口を利いたことはありまへんどな」

「……」 

 訳のわからない顔つきの榊原と森岡に向かって、寺島が話を続けた。

「いやね、二十五年前といえば、わしが本家で修行をしている頃でしてな、三代目が外出されるときは護衛をしていましたんや。せやから、神村先生と三代目が一緒に酒を飲んでおられるところに居たことがあるんですわ」

「そういうことでっか」

 榊原は得心顔で肯いた。

「そういうわけで、金刃はんが世話になったことも、三代目が神村先生に惚れ込んでしまい、自分の葬儀も出して貰うと言い出されて、菩提寺との付き合いもあるんやから、と姐さんが説得されたことも知っとります。此度のことは、神村先生が絡んでいることを知らんかったもんで、ほんま失礼しました。お宅さんが言わはったように、わしらは仁義を守ってなんぼの稼業だす。後は峰松にあんじょうさせますんで、宜しく頼んます」

 言い終えると、寺島は両手をそれぞれの膝において頭を下げた。

 思い掛けない寺島の態度に、横に座っていた峰松や、後ろに立っていた三人の若衆は唖然となった。彼らは、親分の寺島が堅気の人間に頭を下げるところを見たことが無かったのである。

「いや。そういうことでしたら、こちらこそお頼みします」

 恐縮した榊原と森岡も慌てて頭を下げた。

 すると、寺島の表情が緩んだ。

「話の片が付いたところで、一つ訊いてもええでっか」

「何でしょうか」

 榊原が身構える。

「お宅さんらは、神村先生とはどういう関わりで」

「わしは、神村上人のお寺に仏具などを納めているただの業者ですねんけど、この森岡君は弟子なんですわ」

「弟子? とてもお坊さんには見えまへんけどな」

 いやいや、と榊原が手を顔の前で振った。

「弟子というてもお坊さんやおまへんのです。何て言うたらええのか……」

 首を傾けて思案した榊原が、しばらくしてパチンと両手を打った。

「そうや、志ですわ、志」

「志……なるほど、それで何となくわかったような気がしましたわ」

 寺島は胸の痞えが取れたかのように言った。

「何がでっか」

「いえね。昨日からの峰松とのやり取りを、ときどきモニターで見ていて、いったい何者やろう思ってましたんや。堅気にしては、えろう肝が据わっとるし、そうかと言ってわしらの世界の者やない。ただの無神経な男ではないことは一目瞭然やし、とにかくいっこうに正体が掴めんもんで、わしらも扱いに難儀しとったんですわ」

 そう言った寺島が森岡に視線を向けた。

「しかしあんた、わしらの世界に来てもええ極道者になるやろな」

 寺島は腕組みをしながらそう言うと、感心するように一、二度首を縦に振った。

 寺島龍司は仁義に厚い男だった。商談は坪当たり二万円で即決した。それでも、計算外の出費を被る事に変わりはなかったが、これで買収は滞りなく進む目途が付いた。

 商談が纏まり、寺島も退室したところで、今度は森岡が峰松に訊ねた。

「ところで、峰松さん。今回の買収話をどこから聞き付けられたのですか」

「いや、それはちょっとな」

 勘弁して欲しい、という仕草をした。

「いえ、見当は付いています。我が社の筧が情報を漏らしたことも、東京の吉永という女性経営者が高値で買い取る約束をしていたことも掴んではいるのです」

「何や、ばれてたんか。そんであないに強気だったんやな」

 と言ったところで、峰松はなるほどという顔つきをした。

「ということは、そもそも坪五万円で買うという情報は、あんたが流したガセでんな」

「すみません。そのとおりです」

「適わんな。せやけど、今回はええとしても、今後こないなことして、堅気が極道者を誑かすのは止めた方がええで。命取りになるとも限らんでの」

 峰松は柔和な表情をしながらも、目は笑っていなかった。

「以後は気を付けます」

「あんたの言うとおりな、筧ちゅうのが、神栄会のフロント企業である消費者金融の光陽ファイナンスに、コンピューターを売り込みに来たときからの付き合いでな。その流れで、今回の情報を持って来たというわけや」

「やはりそうでしたか」

 森岡は納得顔で言った。

「ところで、もう一つお訊きしたいことがあるのですが」

「なんや」

「これは、この事務所に入って、峰松さんが応対に出てこられたときから疑問に思っていたことなのですが」

 そう前置きした森岡は、

「神栄会と言えば、神王組の中でも一、二を争う大看板の組じゃないですか」  

 と少し大仰に言った。

「せやな」

 峰松は満足そうな顔をした。

「そんな組の若頭が出張るには、どう考えても今回の霊園地買収のヤマは小さ過ぎます。一桁いや二桁は違います。どうして、峰松さんが直々に出てこられたのですか?」

「あんた、それも気ついとったんか。ほんま凄い奴やのう。なるほど、さっき親父が森岡はんは、わしらの世界に来てもええ極道になると言わはった意味がようわかった気がするわ。こんだけ頭が切れたらなあ」

 峰松は感心しきりだったが、森岡は、

「いや、それは違うと思いますよ。私には腕力ちからがありません。峰松さん、極道の世界は、最後の最後は腕力でしょう?」

 と峰松の心を擽った。

「まあ、そういうことだわな」

 案の定、峰松は得意満面になった。神栄会は神王組きっての武闘派組織であり、峰松自身もまたそうであった。その辺りの気配りに、森岡の手抜かりはないのである。

「せやなあ、もうええやろうから話たろか」

「お願いします」

 森岡が軽く頭を下げる。

「関東の稲田連合の傘下に石黒組いうのがあるんやが、そこの組長から、霊園の件はあんたと丸く話を付けて欲しいと親父に電話があったんや。石黒の組長と親父は、五分の兄弟分の盃を交わしとんねん」

「どうして石黒組の組長さんがそんなことを?」

 森岡にすれば当然の疑問だった。

「なんでも、久田とかいう偉い坊さんの力になる、とかいうことやったで」

――えっ、御前様?

 森岡は、思わず口を滑らしそうになったのを懸命に堪えた。

「それは何時の話ですか」

「そりゃあ、あんたをさらう前やがな。その電話があったさかい、あんたと直接話を付ける気になったんや」

「それやったら、端から話をまとめる気があったのですね」

「そうや」

「でしたら、このようなやり方はないんじゃないですか」

「森岡はん、それは駆け引きでんがな。ちょっとでも高く売った方がええやろ」

「結局、踊らしていたつもりが、踊らされていたのですね」

「お互い様いうことやろな」

 森岡にはそう言い繕ったが、このとき峰松は切羽詰った事情を抱えていた。

 日本最大の暴力組織・神戸神王組は、五代目が一年後の勇退を決意し、代替わりの準備に入っていたのである。六代目はほぼ内定していたが、その若頭の座は流動的で、神栄会会長の寺島龍司もその有力候補の一人であった。しかし、極道の世界も宗教界のそれと同様で、猟官運動ではないが、若頭の座を手中にするためには大金が必要だった。

 武闘派集団として抗争には滅法強い神栄会だが、こと銭儲け、いわゆる「しのぎ」に関しては全くの不得手で、資金難は恒常的であった。

 そういう次第で、神栄会は組を挙げての金策に奔走している最中であり、たとえヤマは小さくても、峰松本人が出馬せざるを得ない状況にあったのである。彼が交渉過程において、執拗に坪単価に拘ったのもそのためであった。

「それにしても、石黒組はどこから霊園事業の話を掴んだのでしょうか」

「へっ、へっ、へっ」

 峰松は不敵な笑を浮かべた。

「森岡はん、わしらの世界を甘もう見たらあきまへんで。稲田連合は神王組に次ぐ大組織や、当然関西にも枝は仰山ある。石黒組とその久田いうお坊さんの関わりがどの程度か知らんけど、その気になれば、ケツの毛の数でさえ、簡単に調べることができるんやで」

 自慢げに言った峰松を見るにつけ、森岡は『石黒組と久田の関わり』という言葉が、鉛を飲み込んだかのように、腹の底に重く沈んで行った。それは、得体の知れない黒い影がひたひたと忍び寄っている不気味さであった。

 尚、枝だとは下部団体組織のことである。

「最後に、これはお願いなのですが」

 森岡は神妙な顔つきで言った。

「あらたまってなんや」

「先程話の出た、光陽ファイナンスに塩見という社員がいると思うのですが」

「塩見? フロント企業の者まではわからんが、その塩見がどうかしたんか」

「手切れ金を渡しますので、北新地の檸檬の真弓というホステスと手を切ってもらいたいのです」

「手を切る?」

「昔ヒモをしていたようで、復縁を迫っているようです」

「二度と近づかんようにしたらええんやな」

「面倒をお掛けします」

 森岡は頭を下げた。

「その檸檬の真弓っていう女にあんたが惚れたんか」

「私ではありませんが、部下と関係ができてしまったものですから」

 ふうん、と何やら思案気な視線を送った峰松は、

「よっしゃ、これも何かの縁や。あんじょう話を付けたろ」

 と力強く請け負った。

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