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黒い聖域   作者: 久遠
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               (2)発端

 明治の終わり頃に暖簾を上げた幸苑は、戦後から今日に至るまで、関西政財界のお歴々も足を運ぶという老舗の名店であり、高級クラブが軒を並べていることで有名な「北新地」とは指呼の間であった。

 約三百坪もの一等地の敷地に、総二階の数寄屋造りで西に片寄せて建てられていたため、一階であればどの座敷からでも、四季折々の風情を映し出す日本庭園を眺めることができた。

 当代の女将が始めた、来客に対しお茶室で抹茶を一服献上してから部屋に通すという趣向が評判を呼び、昼時などは女性の人気も博すようになっていた。

 二人がお茶席に着いていると、支配人から連絡を受けた女将が顔を出した。森岡は女将の村雨初枝むらさめはつえとは昵懇の仲だった。

 書生の頃より、神村の随伴で再々訪店していたこともさることながら、その誼から結婚披露宴の場に、この幸苑を用いたことでより親交を深めていた。

「遅刻ですよ、森岡さん」

 女将の咎めるような口調にも、

「会社を早く出たつもりでしたが、雨のせいか渋滞が酷過ぎました」

 と、森岡は少しも悪びれた様子がない。

「今し方、森岡さんが到着されたことをお知らせするため、お部屋にお伺したのですが……」

女将はそう前置きすると、

谷川上人しょうにんは、何か思うところがお有りになるのか、森岡さんが来られるまでのお口汚しに、とお出しした前菜にはお箸を付けられず、おビールでさえ一口もお飲みになっていらっしゃらないのですよ」

 と緊張の声で言った。

 上人とは僧侶の敬称である。本来は、学徳を供えた僧に対する敬意を払った呼称なのだが、現代では僧侶であれば誰も彼も上人と呼ぶ風潮が蔓延している。政治家であれば、挙って先生と呼ぶようなものである。

――やはり、相当悪い話のようだな。

 森岡は心の中で呟きながらお点前を頂くと、右手の親指と人差し指で飲み口を拭き取り、懐紙を摘んだ後、茶碗を正面に戻した。

 そこへ坂根が到着した。

「それでは女将、別の座敷を一つ用意してもらえますか」

 と頼んだ。

「坂根。お前はそこで食事をしていろ。車は代行を頼むが、後で紹介するから飲酒はそこそこにな」

 森岡はそう言い含め、女将の案内で足早に谷川のいる座敷へと向かった。

 日頃、森岡や神村が使う座敷は、一階南側の鶴の間と決まっていた。十畳一間で、さほど広くはなかったが、敷地の中心に位置していたため、庭全体が一望でき、風流を好む神村のお気に入りの部屋だった。

 女将は、同伴者が森岡と聞いてこの部屋に通していた。

 失礼します、と女将が一声掛けて襖を開けると、森岡の目に懐かしい顔が飛び込んで来た。まさしく大阪府堺市・雲瑞寺くもみずでら副住職の、谷川東良の姿がそこにあった。

 森岡は、座敷に一歩足を踏み入れたところで正座し、

「谷川上人、遅れまして申し訳ありません」

 と深々とお辞儀をした。

「おお、森岡君か。こっちが無理を言うたんやから気にせんでええで」

「お久しぶりです、何時以来でしょうか」

「ほんま、久しぶりやな。まあ、そんなところで畏まらんとこっちに来いや」

 谷川は手招きをしながら気さくに応じた。

 二人は、森岡の書生時代に幾度も顔を合わせていた仲だった。

「最後に会おうたんは、君がまだ神村上人の経王寺きょうおうじにいた頃やから、十二、三年ぶりぐらいになるかなあ。今朝、神村上人から話を聞いたのやが、なかなかに御活躍のようやないか」

 開口一番、谷川は曰く有り気に持ち上げた。

「とんでもないです。まだまだです」

 森岡は軽く受け流し、

「それより谷川さんこそ、アジア諸国を回って研鑽を積んでいらっしゃるそうではないですか」

 と追従した。

 すると、にこやかだった谷川東良の表情が一変した。

「そんなことよりな森岡君。神村上人から連絡があったやろう」

 はい、と森岡も神妙な顔つきで肯いた。

「谷川上人から詳しい事情を伺って、二人で良く相談をして欲しいとのことでした」

「そうか、それなら話は早い。実はなあ、ちょっと困った事になって君にも力になってもらわにゃならん」

 谷川は深刻な面で言った。

 細長くつりあがった狐目と口髭、パンチパーマの風体から谷川は一見その筋の者かと見間違う外見とは異なり、よく冗談を言うひょうきんな人物だった。

 だが、書生時代からその裏に潜んでいる正体不明の屈託が森岡は気になっていた。彼の努めて明るい振る舞いは、心の陰りを隠すためではないかと勘ぐっていたのである。

 それはともかく、表面上は陽気な谷川の、初めて見せた真剣な眼差しは、不安の剣となって森岡の胸の奥深いところまで突き刺していた。

「私にできることでしたら何でも致しますので、遠慮なくおっしゃって下さい。いったい何があったというのですか」

 森岡に問われて、谷川はいっそう険しい表情になった。

「それがな、森岡君。神村上人の本妙寺貫主就任の話が白紙になった。いや、白紙ならまだ良いが、流れるかもしれん」

「えっ! そんなばかな……」

 一呼吸置いて谷川の口から出た言葉に、森岡は我が耳を疑い、声にならない声を上げた。悪い予感は働かせていたものの、あまりに予想外の宣告だったのである。

 

 森岡の人生の師・神村正遠しょうおんと谷川東良が所属する天真宗は、全国におよそ六千の寺院、二万人の僧侶、そして八百万人の信徒を擁する、我が国最大級の仏教宗派である。

 鎌倉時代、天真宗はその聖地を静岡県北西部の妙顕山みょうけんざんと定め、総本山真興寺しんこうじを建立していた。

 この真興寺こそ、その後の布教の本拠地となった寺院である。

 現在、真興寺の周辺には六十を超える堂塔伽藍と、四十六もの子院しいんが配置され、総本山の宗務一切は、その子院群によって取り仕切られていた。直接的には宗務院の手に委ねられていたが、その宗務院には四十六子院の住職しか入れないため、間接的な影響力を行使しているという意味である。また、子院とは本寺の境内にあり、本寺に付属する小寺院のことである。

 妙顕山の背後に位置している高尾山は、総本山をお護りする山、すなわち護山ござんとしての役目を担い、標高約千二百メートルの高地に、守護神高尾大明神を祀った「奥の院」と、僧侶の荒行修行の場である「妙顕修行堂みょうけんしゅぎょうどう」が置かれていた。これらの宗務もまた四十六子院の管轄下にあった。

 さて、これら子院群のほとんどが、副業として参詣客のための宿坊しゅくぼう施設を備えており、今日では宿坊名の方が通名となっているので、以後子院個々の名称はこちらを用いたい。

 一方、目を外に向けると、総本山真興寺の下には、全国に九ヶ寺の大本山と三十九ヶ寺の本山が位置し、さらにその下に六千にも及ぶ一般の末寺が連なるという構図になっていた。

 大本山や本山は、宗祖栄真えいしん大聖人縁の寺院であり、たとえば得度した寺院、布教のため逗留した寺院、入滅の寺院等々、その濃淡により格式付けられていた。神村が執事長を務める本妙寺も、その大本山の一寺院である。

 権力掌握の順位としては、総本山の法主が第一位であることは言うまでもなく、次いで同総務、同宗務院の宗務総長の順となったが、これは僧階、つまり僧侶としての位付けとは必ずしも一致してはいなかった。

 たとえば、総務は大本山や本山の住職、すなわち貫主と同格であり、新任の宗務総長は格下である場合も少なくなかった。

 総務とは総宗務総長の略称、つまり、全国寺院の宗務総長の長という立場である。多くの寺院は、ナンバー二の執事長が兼任しているが、各大本山・本山やあるいは末寺であっても古刹、名刹と言われる寺院にも宗務院がある。いずれにせよ彼らの頂点に立っているのが総務なのである。

 他宗派においては、この総務と宗務総長を兼任する人事が多いが、大宗派天真宗では区別していた。したがって、宗務総長は、あくまでも総本山の宗務を司ることになる。


 天真宗の僧階順位

 大僧正-権大僧正ー僧正ー権僧正ー大僧都ー権大僧都ー僧都ー権僧都

 権とは、準「準優勝」あるいは助「助教授」と言う意味である。


 僧階と職務

 大僧正 ――総本山・法主

 権大僧正 ――総本山・総務、同宗務院宗務総長、大本山及び本山・貫主

 僧正   ――総本山・宗務院宗務次長、大本山及び本山・執事長、他


 また、一口に大本山あるいは本山といっても、その建立に至った経緯や歴史、伝統といった、いわゆる縁起によって表向きのそれとは微妙に異なる格付けが暗黙の内に存在していた。この現実が、しばしば寺院同士、あるいは僧侶同士のあらぬ確執を生む原因ともなっていた。

 森岡が師と仰ぐ神村正遠僧正は、その天真宗において、明治以来の傑物との高い評価を受けている、紛れもない高僧であった。

 一九七十年の秋、神村は弱冠二十八歳にして、総本山真興寺の護山である高尾山奥の院の経理に就任する。本山格に準ずる、奥の院のナンバー三である経理を二十代で務めるのは、記録が残っている限りにおいて初めてであり、極めて異例なことであった。

 宗祖栄真大聖人の、側近中の側近の家系であり、これまで幾人もの法主を輩出してきた、総本山の有力宿坊の一つ「滝の坊」の住職・中原是遠なかはらぜおんが、奥の院の別当べっとうに就任した折、十三歳で得度して以来、十五年の長きに亘り手塩に掛けて育て上げ、その稀有な才能に宗門の未来を託していた神村を、半ば強引に引き入れたものだった。

 別当とは、長官すなわち責任者のことで、大本山や本山における貫主と同じ立場である。

 それから二十四年の歳月が流れた三年前、神村はまたしても五十二歳という異例の若さで、京都大本山本妙寺の執事長に就任し、同寺院次期貫主の最有力候補となった。もし五十代にして、大本山の貫主就任ともなれば、これまた明治以降初めての、前代未聞の快挙となった。

 法主ただ一人にのみ与えられる、最高位の称号「大僧正」の次に位する「権大僧正」を授かる大本山や本山の貫主人事は、七十歳を目安とした老僧の花道を飾る意味合い、言い換えれば実質的な引退を間近に控え、功績として与えられる名誉職というべき要素が多分にあった。

 とりわけ、全国に九ヶ寺しかない大本山に至っては、さらにその傾向が色濃く、明治以降六十代で就任した者ですら、僅かに三名しかいなかった。しかもそれは、戦中戦後の貧しい時代、多額の費用が掛かる貫主就任に二の足を踏んだ頃の話であり、現代においては到底考えられない至難の業であった。

 神村は、その偉業を達成すべく、若い時分より長年に亘って粉骨砕身の精進を重ね、ついに手の届くところまで辿り着いていた。

 通常、大本山や本山において、寺院のナンバー二である執事長の座に就くということは、次期貫主内定者と目され、余程の異変がない限り、そのまま貫主に就任する運びとなっていた。

 なぜなら、次期貫主の選任は、現貫主の推薦……大抵は執事長を推薦する……を総本山の宗務院が承認する形式を採っていたからである。何らかの理由で、現貫主の推薦が無い場合に限り、合議または選挙という運びになったが、その何らかの理由というのもなかなかに生じ難かった。

 次期貫主と同様、執事長の選任もまた現貫主の専権事項であり、有資格者の中から自身が最も信頼を置き、後継者とみなした者こそをそこに就けたからである。

 神村も本妙寺の現貫主・山際の意向の下、そのようにして執事長に就任していた。

 故に、その辺りの事情を承知していた森岡にしてみれば、いまさらそれが反故になることなど、到底信じられることではなかったのである。

 

 釈然としない様子の森岡に、谷川東良が事情を話し始めた。

「君が奇異に思うのも無理はない。それがな、森岡君。残念なことに、山際貫主が急逝されてしまったんや」

「貫主が亡くなられた? いつのことですか」

 森岡が驚きの声で訊いた。

「二ヶ月ほど前のことなんやが、脳梗塞で倒れられてな、そのまま永眠されてしもうた」

「そんなことが有ったとは、知りませんでした」

 大学卒業と同時に、神村の自坊である経王寺を出た森岡ではあったが、年中行事に参列するなど、月に一度の割合で神村と顔を合わせていた。独立してウイニットを立ち上げてからは、毎月初めの吉日を選んで、自宅と会社に祭った御本尊に読経を依頼していたことから、その頻度は増していたが、そのような事情は聞いていなかった。

「一週間前に、四十九日の法要を済ませたところやねん。神村上人はそれからタイに旅立たれたんやけど、せめて上人を次期貫主に推薦する旨の遺言書でもあれば、事態はそれほど複雑にはならんかったんやが、奥様の話によると、半年後の勇退に向けて、宗務院に提出する書類の準備に取り掛かった矢先の急逝だったということや」

「間が悪かったのですね」

 とりあえず、事の発端が飲み込めた森岡は、谷川のグラスにビールを注ぎながら気懸かりな点を訊ねた。

「そうしますと、今後の行方はどうなりますか」

「そこなんや。後継に関して一言も公に証言することなく亡くなった場合、前貫主の後継指名が無いと判断され、神村上人が貫主に就任する段取りとしては、まずは六名の署名と捺印が必要となるんや」

  谷川が指折り答えたその六名とは、

 

天真宗

  京都・本山会会長、法国寺ほうこくじ・黒岩上人 

  京都・寺院会会長、清浄寺せいじょうじ・大道上人

  関西地区・本山会会長、桂妙寺けいみょうじ・村田上人

 関西地区・寺院会会長、雲瑞寺くもみずでら・谷川上人

 本妙寺・護寺院会長、華福寺かふくじ・相馬上人

 本妙寺・護山会会長、歌舞伎俳優・片山甚左衛門

 であった。

  歴史上の経緯から、京都は関西地区から独立していた。


  神村を次期貫主とする推薦状に、彼らの署名と承認印が必要だというのである。

「えらい面子ですね」

  森岡は思わず溜息を吐いた。一千年の長きに亘り、我が国の都であった京都の大

本山ともなれば、錚々たる人物の承認が必要であった。

「もっとも神村上人の話では、それも難しい事ではなかったということや」

 谷川は、さも口惜しそうに口の端を歪めた。

京都、関西の両本山会の会長とは亡き山際を介して親交があり、口頭ではあったが了承を得ていた。京都・寺院会会長の大道上人は、神村が得度、修行した滝の坊での兄弟子、関西地区・寺院会会長は谷川東良の実兄東顕とうけんが務めていたので、両名とも全く問題はなかった。

 護寺院会長の相馬にしても、執事長に就任してから宗務を通じて良好な関係を築いており、残る護山会会長は、関西歌舞伎の大名跡・片山甚左衛門の名を借用しているだけであった。したがって、問題はないと判断し、森岡には黙っていたというのが真相であった。

 護寺院とは、本院を補佐する役目を担った寺院のことで、本院の敷地内または近辺に建立されていた。また護山会とは、葬礼儀式などを依頼する檀家と違い、寺院を支援する組織のことである。従来、寺院の多くは「山」にあったことからこの名が付いた。

「では、どうしてそれが白紙になったのでしょうか」

  谷川の話を聞いて、森岡には不可解な思いが募るばかりだった。

核心に迫る問いに、谷川は森岡のグラスにビールを注ぎ返しながら、

「ちっ」

と舌打ちをすると、

「造反者が出たんや。造反者が……」

いかにも憎々しげに吐き捨てた。

「造反者?」

「そうや。ここにきて、関西地区・本山会会長の村田さんが、署名捺印を拒否したんや。宗務院の承認を得るためには、前貫主の死後二ヶ月以内に、六名全員の署名捺印のある推薦状を宗務院に提出せにゃならんのや。それを直前になって、村田さんは断ってきたんや。どうやら、神村上人が外遊に出る隙を狙って反旗を翻し、根回しを進めようという腹積もりやな」

谷川は、村田を他の僧侶のように「上人」という敬称ではなく「さん」付けにした。

現代日本において、宗教界というのは、僧階による最も厳しい階級社会が残っている世界といえよう。むろんのこと長幼の序はあるが、それは兄弟弟子か、あるいは荒行などの修行時に何らかの深い関わりを持った場合ぐらいである。

村田は二十歳も年上の大先輩で、しかも権大僧正の僧階を授かっており、権大僧都の谷川より四階級も格上の高僧であった。にも拘わらず、敢えてさん付けにしたところに彼の敵意が如実に表れていた。

「今回の外遊は、法主さんのお供ですから、その村田という人も、予定を把握していたということですか」

「そういうことやな。法主さんは、国賓として招請を受けたタイだけやが、神村上人はついでに足を伸ばしてスリランカを訪問される予定やから、帰国は五日ほど先になる。向こうはそこまで調べていたのかもしれんな」

「かなり計画的なようですが、裏切りなど臆面も無くようできますね」

森岡は呆れ顔で言った。

「留守中に署名捺印を拒否する旨の書面を送り付けてきたことからしても、口頭とはいえ、一旦了承した事を反故にしようというんやから、さすがに面と向かって、というのはばつが悪かったんやろうけどな」

谷川も眉を吊り上げると、

「それでや……」

と今後の見通しを述べた。

署名捺印が一人でも欠落している場合は、その推薦状は無効となり、提出期限後三ヶ月以内に京都を含めた関西地区の大本山と本山の貫主全員による合議で、次期貫主を推薦する形を採る。

 すなわち、京都にある大本山と本山の八寺院から、当該の本妙寺を除く七寺院と、京都以外の関西にある大本山と本山の四寺院、合わせて十一寺院の貫主による合議により、立候補者から一名を推薦し、宗務院の承認を得る形式を採るのである。

「おそらく、話し合いで一人に絞られることはないやろから、最後は当然投票になるわな。一人に纏まるのやったら、端から署名捺印をせえへんということはないからな」

「立候補の条件というのは」

「簡単や。荒行を五回以上達成している者なら、全国の大本山と本山の貫主のうち、一人の推薦があればええ」

谷川は憤然として言った。

こうして話が佳境に入ったとき、女将が若女将を連れて挨拶にやって来てしまい、話を一旦中断することになった。

森岡は、この間を捉えて坂根を部屋に呼び、、これまでのあらましを説明した後、話の続きとなった。

「それで、投票となった場合の勝算はどうなのでしょうか」

  森岡は単刀直入に切り出した。

  もちろん、彼にも情勢の芳しくないことは察しが付いていたが、そこがこの会合の要諦であり、自身の役割もそこにあると直感していたのだった。

「あかん、かなりまずいんや。村田さんが署名捺印を拒否したということは、必ず背後に誰か糸を引いている者がおるとは思っていたんやが、まさかそれが久保さんやったとはなあ」

谷川はしかめっ面をしたが、森岡は名前に聞き覚えがなかった。

首を傾げた森岡に、

「そうか、君は知らんわな。いや、久保さんというのは、岐阜県大垣市にある法厳寺の住職でな、実は五年前にも山際上人と本妙寺の貫主の座を争って、一度敗れている人なんや。敗れたとはいえ、非常に手強い相手で、そんときも激しい戦いやった。もう、最後までどっちに転ぶかわからんでなあ、六対五という、ほんまやっとのことで勝ったんや。そのときの功績もあって、後に山際上人は自身の勇退を睨んで、神村上人を執事長にしたというわけや。そやから、久保さんにとってみれば、神村上人は二代に亘る積年の仇敵ということになるな」

 と、谷川は過去の経緯を詳らかにした。

「そういうことがあったのですか。良くわかりました」

森岡はつい反射的に、そう口に出してしまった。

 谷川は、それが気に入らなかった。

「いや、まだ全然何もわかってへんな!」

  と即座に強い口調で咎めた。

谷川を苛立たせているのは、六対五という薄氷を踏む勝利を収めた前回選挙時の十一人の貫主のうち、現在は三人が代替わりをしているのだが、その内の二人が、当時山際を支持した上人という事実だった。つまり、三人を除くと、四対四の全くの五分となり、そこから村田が寝返ったのであるから、三対五ということになるのだ。

ちなみに、十二ケ寺の寺院と貫主は左記のとおりである。


 京都  大本山      法国寺 黒岩 

               傳法寺 大河内

               本妙寺 山際(死去)      

      本山       国龍寺 安田       

                清門寺 戸川     

                顕心寺 酒井        

               桂国寺 坂東 

                相心寺 一色 


 関西  本山  奈良  桂妙寺 村田  

           奈良  龍顕寺 斐川角 (ひかわすみ)    

           三重  法仁寺 広瀬  

           大阪  経門寺 北見


このうち、山際支持だった国龍寺と法仁寺、久保支持だった顕心寺の貫主が、それぞれ安田、広瀬、酒井に代わっていた。

 これらの新しい三人の貫主がどちらに与するかは、まだ明らかになっていないが、久保も五年の雌伏の時を破り、再び決戦を挑んできたからには、前回と同じ轍を踏むまいと、周到な準備をしていると思わねばならなかった。

森岡の緊張を看て取った谷川は、一転諭すように続けた。

「つまり、その三人もすでに取り込まれていると思わにゃならんし、そうだとすると、形勢は三対八ということや。それにな……」

 谷川は途中で視線を逸らした。

「まだ他に何か」

 あるのか、と森岡は訊いた。

「いやあ、本人が居られんのは、欠席裁判みたいで心苦しいのやが」

そう前置きすると、

「言うまでもなく、神村上人の僧侶としての実績は素晴らしいものやで、非の打ち所がないほどや。あの若さで大本山の貫主になっても、ちっともおかしくはない。しかしな、それは若い僧侶にとっては尊敬と憧憬の対象になるかもしれんけど、年配の僧侶にとってはどうやろなあ。少なからず、嫉妬の対象になるんと違うかな」

 と奥歯に物の挟まったような言い方をした。

 少々鼻に付いた森岡ではあったが、彼に言われるまでもなく、特に自らが七十歳の坂を越えて、ようやく貫主の座に付いた者の中には、二十も年若い五十代の貫主など、とうてい承服できないと思う者がいてもおかしくなかった。前例も無いだけになおさらである。

「そりゃあ、山際貫主の存命中は、貫主の手前、腹に思うことも抑えて神村上人を後継として認めたかもしれんが、貫主亡き現在いまなら、村田さんのように反旗を翻す者がおってもおかしいないと思うんや。せやから、最悪の場合を考えれば、味方であるはずの三人かて当てにはできんとうことや」

  谷川はそう言い終えると、喉の渇きを潤すように、一気にグラスを傾けた。

「今度こそ、きちんと受け止めました」

  森岡は、谷川の言葉の意味を心に刻み込んだかのように言った。そして、彼の淡々とした口調が、却って事の深刻さを浮き彫りにし、やるせない思いを募らせていた。

確かに人間とは嫉妬深い生き物である。他人の成功や幸福を羨み、失敗や不幸を喜んだりする。

  しかしそれは、一般世界に生きる俗人の所業であって、厳しい修行を積むことで精神修養を図り、そのような煩悩こそを遠ざけているはずの宗教人においては、有り得ないことだと思っていた。

 いや、森岡もそこまで純真ではない。

宗教の世界といえども、少なからず魑魅魍魎ちみもうりょうの集まりであることなど、疾うの昔にわかってはいた。ただ、尊崇する神村のこととなると、彼はつい純真な幻想を抱いてしまうのである。

――神村のほどの傑物を前にすれば、皆平伏し、誰一人として敵対する者などいるはずがない。神村の宗教人としての足跡は、嫉妬などという陳腐な劣情を、それほどまでに凌駕しているのだ……という風にである。

  だからこそ彼は、神村とて例外ではない、という現実を突き付けられ、実に嘆かわしく失望していたのだった。

  森岡は語調を強めた。

「では、この先はどうなるのでしょうか? また、私は何をすれば良いのでしょう」

同時に、彼は打開策に向けて前向きにもなっていた。この怖いもの知らずの若き成功者にとっては、致命的に不利な戦況もまた、闘争心を掻き立てる糧に置き換えてしまう勢いがあった。

谷川は、その言葉を待っていたかのように、前のめりになった。

「まずは全員に当たりを付けて、情勢分析をせにゃならんが、とにかく、前回山際上人を支持してくれた三人をそのまま味方に固めたうえで、最低でも三人はこっちに寝返らせにゃならん。八人中三人や、難儀なことやで。しかも、誰に話を持って行くかも問題や。そこを間違えると、とんでもないことになる」

――なるほど、そういうことか。

 森岡は、ようやく谷川東良が出張った意味を理解した。

 

 神村正遠と谷川東良は、宗教人として正反対の道を歩んでいた。

 神村の生家は、ごくありふれた地方の末寺だったが、少年の頃より英邁の誉れが高く、総本山の滝の坊に入坊してからは、中原是遠の薫陶によって一気にその才能が開花した。しかも、仏道を究めるべく、死人も出ることのある百日荒行を十二度も敢行し、堂に籠もった日数は、有に千二百日を越えていた。

  天真宗における荒行とは、堂に籠もっての読経や瞑想、水行、観行を繰り返す修行のことを言い、その間の食事は朝夕の二回、共に一汁一菜である。

  荒行挑戦の年齢に制限はないが、最低限の経典を諳んじていることが必須であった。導師の判断で不適格とされた者は、容赦なくその場で退山を命じられ、通算三度の退山を命じられた者は、再度の荒行に挑む資格を失うことになった。

  これは自身と家門の名誉を著しく傷付けるものであり、余程の自信と覚悟がなければ、挑むことの適わない厳しい修行であった。

  導師とは、一般には人々に信仰心を持たせ、仏道に導く者を言い、法要や葬儀などでは中心になって取り仕切る者を指すが、荒行におけるそれは教授と考えればわかり易いだろう。

  さて天真宗の記録によれば、七百年を超える歴史の中で、千日荒行を達成した者は、神村を含め僅かに七名に過ぎなかった。千日荒行といって、百日荒行を十回達成すれば良い、という単純なものではない。

 毎回同じ内容の修行が繰り返されるのではなく、達成回数が増すに従って、読経しながら山野を歩く踏破回峰行とうはかいほうぎょうや、滝行といった新たな苦行が加わる。さらに睡眠時間を削り、より長く堂に籠もったり、水行の回数を増やしたりと、過酷さは極まるのである。

 しかも荒行は、正月明けから春先までの、酷寒の時期に実施される。特に踏破回峰行は、白衣の上に簡易の僧衣を一枚だけ纏い、素足に草鞋という出で立ちで積雪の山野を歩かなければならない。

 当然、命を落とす危険に晒されることも多くなり、落伍者も続出することになった。そこで、大抵の者は大本山・本山の貫主就任の資格が得られる五回で打ち切ってしまい、その先の修行に挑む者は極稀なのである。

 七百年を超える歴史の中で、千日荒行を達成した者が、僅か七名しかいないのはそのためであった。

 神村は、その千日荒行を百三十年ぶりに達成したため、宗祖栄真大聖人の生まれ代わりとも、稀代の傑物とも評されているのである。

 これに対して、同じ末寺でも室町時代初期から続く由緒ある名門の寺院に生まれた谷川東良は、恵まれた環境に育ちながら、荒行は若い頃のたった一度切りで、今やどっぷりと世俗の垢にまみれて生きていた。形ばかりの遊学を繰り返し、修行はおざなり、挙句に酒色におぼれ、放蕩無頼に生きて来ていた。

 ただ、その甲斐あってというべきか、純粋培養の神村とは異なり、世事に明るく、人情の機微に通じ、智謀に長けていた。皮肉にも、それがこの度の謀には好都合だといえたのである。

 また、兄東顕が関西寺院会の会長という要職の立場にあり、兄の名代と称すれば、いかなる寺院であっても容易く面会を求めることができ、情報も手に入れ易かった。

 そして極めつけは、神村とは父親同士が兄弟弟子、東良本人も小学校から高校まで二年後輩という、親子二代に亘って親交を深め、信頼が醸成されている間柄ということである。

まさに谷川東良は、此度の参謀役にはこれ以上ない打って付けの人物というわけなのだ。

「そこでだ。寝返らせる上人が決まった後には……何だ、その……」

急に谷川の歯切れが悪くなった。

すでに自身の役割も察していた森岡は、その先の言葉を奪った。

「私が用意致します。如何ほどですか」

「そ、そうか……そうだな、一億、いやできれば二億ほどかな……署名捺印だけなら、一寺院あたり二百万ほどで済んだが、選挙となると最低でも一桁上の二、三千万ぐらいは掛かるやろうし……相手の出方によってはさらに上乗せせにゃならんかもしれん。なんせ、久保さんも前回の『金の出し惜しみをして敗れた』という苦い経験から、今回は相当張り込むやろうからなあ。それに、味方にもそれなりの配慮もせにゃならんやろ。相手もこちらに手を延ばしてくるかもしれんしな」

 谷川東良は時折目を逸らして、いかにも気まずそうに言い訳をしたが、森岡はあっさりと申し入れを受諾した。

「承知しました。それでは、三億用意しましょう。付け届けの他に、接待など色々物入りになるでしょう。全て私個人の金で用立てますので、入用ができましたら遠慮なくおっしゃって下さい」

「三億、それも個人の金ですと・……そうですか、金が必要になったら連絡します」 

 意表を突かれた東良は、思わず丁寧な言葉にあらためてしまった。神村から薄々聞いていたとはいえ、森岡が全く躊躇することなく、しかも一億円も上乗せするという想像以上の気前の良さに、度肝を抜かれたのである。

しかし、すぐに気を取り直し、

「せやけど、単純に金を積めばええというもんではないからな。何しろ宗教の世界やからな、偏屈な奴もおるし、常人には考えられんプライドを持っている上人もおる。それに、人も見抜かにゃならんが、袖の下も慎重にせにゃならん。やり方を間違えると、これもまたとんでもないことになる。まあ、それがわしの腕の見せ所ではあるけどな」

 と己の存在価値を誇示した。

 あはは……と森岡は心の中で笑った。

 子供じみた谷川東良が可笑しくて仕方がなかった。もとより彼にすれば、谷川東良と手柄を競い合おうなどという気は毛頭なく、むしろ神村の役に立つ好機と純粋に喜んでいた。

 神村が、何事も無くすんなりと貫主の座に就けば、就任後の本妙寺の事業にいくら金を出しても、それなりの貢献でしかなかったであろう。他に出資者が現れればなおさらである。

 しかし、敗れれば捨て金となるやもしれぬ金など提供する者は皆無であろう。森岡は、そのリスキーな資金を提供することで、神村の力になっているという喜びを実感したいのである。彼は、もし自身の金の力で神村を貫主に押し上げることができれば、それこそ本望だと思っていた。

 彼はまた、神村の経歴に一つとして傷を付けたくないとも欲していた。神村には、ただひたすら真っ直ぐに、宗門の頂点を目指し王道を歩んで欲しいと願っていた。

 その神村を、こんなところで躓かせるわけにはいかなかった。そのためなら、彼はどんな泥でも被ろうと覚悟していた。汚く醜い仕事は、全て自分が引き受けようと腹を決めていたのである。

「よし。話が一段落したところで、さっさと料理を平らげてしまい、新地にでも行こうか」

 金の見通しが付いたからか、谷川東良は声高に言い、高級料理を口の中にかき込んだ。。

 とりあえず、東良が投票権を持つ各寺院の思惑を探る事と、今後は連絡を密にすることを決めて、話に切りを付けた。

 食事を終えた一行は、東良が馴染みとしている北新地の高級クラブ「ロンド」へ繰り出すことになった。


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