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黒い聖域   作者: 久遠
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         第三章 裏切(1)        

 敵対する藤井清慶の外堀を徐々に埋めつつあった森岡ではあったが、実はこのとき、彼自身もある難題に直面していた。手掛けている京都堀川の無縁仏の移設作業が思わぬ障害に突き当ってしまい、暗礁に乗り上げていたのである。

 霊園予定地の地権者が二十八人にも及んでいたため、その買収作業に手間どっていたのだが、中でも中心部分の約五千坪を所有する地権者が頑なに買収交渉に応じなかったのである。

 理由は不明だった。

 買収金額は相場より二十パーセントの上積みして交渉していたので、少なくとも金額的な不満ではないと思われた。

 此度の霊園地買収は、藤井清慶側の妨害を避けるために極秘裏に進めていた。したがって横やりが入る可能性は低いはずだった。

 成す術もなく虚しく日々が行き過ぎていったある日の夕方のことである。

 何の前触れもなく一人の老人がウイニットに森岡を訪ねてきた。

「これはこれは会長、どうかされましたか」

 森岡はいきなりの来社を訝った。

「久しぶりに君と話がしたくなったまでだ」

「でしたら、連絡を下されば私の方から出向きましたのに」

 森岡は恐縮の顔で言った。

「いや、世間話だからの、それでは君に悪い。老人は暇を持て余しているし、それに近所だから散歩がてらやって来た」

 老人は微笑する。

「この後、君は予定があるかな」

「取り立ててどうしても、という用事はございません」

「では、今晩一杯付き合ってくれんか」

「会長のお誘いであれば、是非にも」

 森岡は一も二もなく承諾した。

 この老人は、新大阪駅前から西中島南方一帯に多数のビル群を所有する奥埜不動産会長・奥埜徳太郎である。

 元々、新大阪界隈の大地主だった奥埜家は、一九六四年の東京オリンピック開催に合わせた、東海道新幹線の開業を機に一躍金融資産家となった。奥埜家が所有する土地に新大阪駅が建設されたのである。

 奥埜家は、土地の売却で得た資金でオフィスビルディングだけでなく、西中島南方に十数棟の飲食ビルと、梅田や難波にオフィスビル、他に京都や東京にも数棟のオフィスビルを所有する大資産家である。

 何を隠そう、以前梅田の高級料亭・幸苑へ出向く際、チンピラに絡まれていた老人こそがこの奥埜徳太郎だったのである。

 二人は、ほどなくロンドで顔を合わせることになったのだが、名刺交換したとき、暫しお互いの顔を見つめるほど驚いた。

 ウイニットが入っているインテリジェントビルのオーナーも奥埜不動産だったのである。つまり、大家と店子の関係なのだが、これまで二人が顔を合わせることがなかったのは、奥埜不動産は物件仲介を他の不動産業者に委託するだけで、直接借主と契約しないからであった。

 奥埜は差し出されたコーヒーを一口飲むと、

「君は、京都山科の山林を買収しているそうだな」

 と、いきなり切り出した。

 一瞬、森岡の表情が凍り付いた。

「なぜ? という顔をしているな」

「正直に言えば、驚いています」

 やはり隠密裏に行われていたはずの霊園地買収が外に漏れている。森岡は唇を噛んだ。

「中心部の約五千坪の所有者が買収交渉に応じないのだな」

「そこまで御存知とは、いやはや会長は相当な情報通でいらっしゃる」

 森岡は苦笑いをした。そこに皮肉は一切ない。

「いや、なんてことはない。元の所有者の本間家とは先祖代々からの付き合いがあるのだ」

「えっ、それは本当ですか」

 うむ、と奥埜徳太郎は厳めしく肯いた。

「本間家もまた代々京都の大地主での、同じ豪農家として江戸時代から付き合いがある」

「親戚筋ですか」

 お互いが地主といっても大阪と京都である。近いと言えば近いが、江戸時代から付き合いがあるとすれば、縁戚関係を結んでいたとしか森岡には思い浮かばなかった。

 いいや、と奥埜は首を横に振った。

「交誼の始まりは米相場だよ」

「米、相場ですか」

 森岡は首を傾げた。

 米相場は大阪が発祥の地である。

 大阪の堂島では、宝永・正徳期から米相場が始まり、紆余曲折の末に享保十五年になって江戸幕府の公認を受け、堂島米会所を開いた。これが先渡し契約の無い公認の近代的な商品先物取引の始まりでもある。

 また当時の日本は金本位制と銀本位制が混在していたことから、米は貨幣的な役割を果たしていた。

 いずれにしても、米相場の動向は大阪のみならず全国の大地主の関心の的であった。当り前のことだが、一銭でも高く米を売りたいからだ。先物が上がれば、つれて現物の値も上がるのが道理だからである。

 京都の地主であれば、当然大阪堂島の動向が気になるのは当然で、これが札差や掛屋などの商人であれば、奉公人を常駐させるのだが、地主といえども門外漢の百姓が人を出しても意味はない。そこで本間家は、地元大阪の地主から情報を得ようと、奥埜家を頼ったというのがきっかけなのだと徳太郎は言った。

「その後、君が言ったように婚姻も交わされている」

「そう言われれば、私の生家でも似たようなことがありました」

 森岡は得心したように言った。

 彼の生家灘屋もまた、米相場ほど逼迫性はないものの、近隣の網元とは漁に関しての情報交換を交わしていたことを思い出していた。

「元々あの山林は、後継者に恵まれなかった所有者が売りに出したものなのだが、高度経済成長期に新たに林業など営もうという者がいるはずもなく、そこで旧知の本間家に頼ったというわけだ。ただ本間家としても十万坪は手に余ったため、知人の農家に話を持ち込んだのだ。まあ、元は皆本間家の小作人だったわけだからの。代が変わっても旧主筋からの話であるし、農地解放で本間家の土地を与えられたという負い目も少なからずあったのだろう、皆が細かく分割して買い取ることになったのだ」

「なるほど、それで地権者が二十八人もいるのですね」

 十万坪程度の山林であれば、通常は多くても三、四人が常識的であった。

「ところがじゃ、何処から嗅ぎ付けたのかわからないが、光陽実業といういかがわしい不動産屋が現れて半ば恫喝されて売却してしまったというのだ」

「何者ですか」

「おそらく暴力団の息が掛かっていような」

「それは困りましたね」

 森岡は眉を顰めた。

「本間家はな、君の買収の趣旨が、無縁仏の供養と霊園事業だと知って大いに賛同していたのだが、それを裏切るようなことになったと、私に漏らしたのだよ。その話の中でウイニットという名が出たので、君のことだろうとこうしてやって来たというわけだ」

「気に掛けて頂き恐縮です。お礼に今夜は私のおごりにさせて下さい」

「端からそのつもりだ。ただし、飯だけというわけにはいかんぞ。ロンドの払いも君が持て」

 奥埜徳太郎は口元を綻ばせながら言った。

 森岡は、買収主をウイニットとしていた。理由は財団法人の設立を待たずに買収作業に入ったからなのだが、たとえ設立が間に合っていてもその腹積もりだった。

 というのも、未だ石清水哲弦に全幅の信用が置けなかったからである。

 石清水は榊原壮太郎の紹介だが、その後、度々彼から金の無心に遭っていた。森岡は、彼が本当に金に困っているのかどうかがわからなかった。もし、金に困っているのが事実であれば、格式高い法国寺の護山会会長としてはあまりにお粗末である。また、財団法人に振り込んだ金を着服しかねないという用心もあった。

 ウイニットの名を出すことに懸念が無かったわけではないが、相手が買収地を突き止めれば、ウイニットであろうと財団法人だろうと森岡の名は浮かび上がる。そこでウイニットを買収主にしたのだが、幸いにもそれが功を奏した結果となった。


 だが森岡の行く手に裏社会という、全く勝手の違う厄介な相手が立ち塞がったののも事実だった。奥埜徳太郎の推察どおり、光陽実業は指定暴力団、神戸・神王組の直系である神栄会の息の掛かった不動産会社だと判明したのである。

 森岡は、さっそく買収作業を委託していた業者に光陽実業との交渉を指示したが、再三の申し入れにも、その度門前払いを食うばかりだった。

 森岡の頭を悩ませたのは、暴力団と関わりを持ったこと以外にもう一つあった。彼は業者から連絡を受けた当初より、内部からの情報漏れを疑わずにはいられなかったのである。

 此度の買収は、藤井清慶側の妨害を避けるために極秘裏に進めていた。したがって、この一件を知る者は榊原と岩清水、ウイニットの幹部社員、そして地権者と買収を依頼している業者に限られていた。神村と谷川兄弟の三人には霊園事業の概要だけで、具体的な買収地までは知らせていない。

 仮に、暴力団特有の旨い話に鼻が利いたということであれば、一切交渉に応じないというのは解せなかった。ただ単に利鞘を稼ぐためなら、法外な値段を吹っ掛けるのが彼らの常套手段だからである。

 もし森岡が買収から撤退すれば、使い道のない二束三文の土地が残ってしまい、大損することになる。暴力団が、間違ってもそのような愚かなことを犯す集団でないことぐらい森岡は知っている。

 となれば、考え得るのは彼らが此度の事情を知っていて、

『何があろうとも買収から撤退しない』

 と見定めているということである。

 森岡は予断を避け、全員を疑うことから始め、一人一人消去する作業をして行った。

 まず、榊原壮太郎は全くの論外だった。

 理由は枚挙に遑がない。仮に彼が裏切っていたとしたら、森岡の人生観を変えるほどの衝撃であり、人間不信は極点に達するだろう。

 次に、岩清水哲弦が消えた。

 知り合ったのはつい最近だが、長年に亘り法国寺の護山会会長として、私財を投じ支援して来ている。岩清水の方から助力を求めたのであり、彼にとってはこの世での最後のご奉公と心に決めている移設作業の完遂こそが主目的である。

 仮に石清水の目的が金銭だったとしても、森岡に与していた方が実入りが大きいはずである。いずれにせよ、ここで森岡に敵対すれば失うものは大きい。彼が裏切るとすれば、大金を掴んだ後だと推量していた。

 買収を依頼している不動産業者は、榊原と古い付き合いがあり、暴力団と結託するようないかがわしい会社ではない。しかも、買収手数料は買収金額に関係なく一定の額を決めていた。ならば仕事を早く片付ける方が得策である。

 地権者は考えられなくもなかった。中には暴力団が関わって、売値が高くなる事を目論む者がいてもおかしくはないからだ。だが、そもそも地権者と不動産業者は、此度の裏事情を知る立場になく、裏切りようがなかった。

 最後にウイニットの幹部社員が残った。

 森岡は幹部会議において、霊園事業のコンピューターシステム化を示唆しており、ある程度の情報を伝えていた。具体的な買収地までは漏らしていないものの、これが裏目に出たとしても不思議ではない。

 考えれば考えるほどに、情報を漏らした内通者は、幹部社員の誰かを指し示す状況にあった。

 森岡は、身内の詮索を余儀なくされるという不本意な状況に追い込まれていた。しかも、その範囲はおのずと絞られた。まさか、一緒に会社を立ち上げた野島ら子飼いの連中が裏切るはずがない。

 疑わしいのは、システム開発部長の桑原と、インターネット技術部長の三宅、ゲーム開発部長の船越、そして総務部長の荒牧の四人であった。四人とも途中入社であり、共に大企業を退職して入社してきたことからも野心を秘めた独立志向が強いと考えられた。

 森岡は何か特別な利益さえあれば、裏切り行為も厭わないかもしれないと思案したが、システム開発絡みの宇川義実とは異なり、山林地絡みで彼らにその利益なるものがあるとも思えず、いま一つ確信を持てずにいた。

 そこで裏切り者の炙り出しを決意した森岡は、罠を仕掛ける役目を最も信頼を置き、右腕ともいうべき専務の野島真一に託すことにした。

 野島は菱芝電気で森岡の二年後輩であり、大変に優秀なエンジニアだった。年齢は森岡の一歳下であるが、大阪でも有数の進学校から京洛大学の工学部に進学し、大学院の修士課程を経て、菱芝電気に入社した。

 森岡は彼の能力を高く評価し、常に自身の担当したプロジェクトの片腕に用いて可愛がった。

 一言で言えば、苦楽を共にして来た戦友であった。森岡が独立するとき、真っ先に打ち明けたのが野島であり、榊原の事業を引き継ぐ件も、ウイニットの後継を託すことも伝えていた。

 子飼いの幹部の中でも、野島が僅か一歳年上の森岡にひときわ心服する理由は、森岡のエンジニアや経営者としての才能を認めていただけではなかった。彼はある事件を通じて、森岡の人間としての器の大きさに感銘を受けていた。

 それは野島が入社して二年目のことだった。森岡が手掛けるプロジェクトに初めて加わったのだが、彼はそこで大失態を演じてしまった。コンピューターシステムの本番稼動を前にして、重要な客先のデータを誤って削除するという初歩的なミスを犯してしまったのである。しかも、最新データをバックアップコピーしていなかったという二重のミスだった。

 幸い、一世代古いデータが残っており、データの消失は最小限に留めることができたのだが、その復旧のため本番稼動を一ヶ月延ばさざるを得なくなった。そのため、顧客は対外的な信用失墜も含めて、損害賠償として二億円を求めてきた。

 このとき野島が秘密裏に相談したこともあって、事実が他に漏れていないことを確認した森岡は、その失敗を自身が被り、事態の早期終息を図ることにした。

 会社は大きな貢献のある自分に対して、責任を追及し、重い処分を科すことはできないと見越してのことだった。森岡の目算どおり、単純なミスの連続に疑念を抱きながらも、会社は彼の強硬な主張を受け入れ、三か月間、十パーセントの減給という軽い処分を下すに留まった。

 野島はこのときの恩を忘れることなく、森岡の『借りは仕事で返せ』の言葉を胸に刻み、森岡の背中を追うように、努力を重ねて来たのである。

 

 西中島の料理屋の座敷に呼び出された野島の顔つきは、いつになく深刻なものだった。

 徒ならぬ気配を察した坂根は、

「私は席を外します」

 と腰を上げようとした。

「いや。お前の意見も聞きたい」

 そう言って引き留めた野島は、座布団に座るや否や大きな深呼吸をした。

「社長、情報洩れの犯人は私です」

 と悲壮な顔で深々と頭を下げた。

 思いも寄らぬ告白だった。

「えっ?」

 驚きの声を上げた坂根に対して、

「どういうことや」

 と、森岡は腹心の告白にも意外に冷静だった。

「私が町村里奈という女性に情報を漏らしました」

「町村? 誰や」

「私が今交際している女性です」

「お前の彼女だと? 詳しく言うてみい」

 森岡の催促に、野島は詳細に話した。


 借金の肩代わりをした野島は、真弓こと本名・町村里奈が勤める檸檬にも顔を出していた。得意先の接待ではなく、部下を連れての慰労が主な目的だった。野島には月に百万円、年間一千二百万円の交際費が認められていたが、彼がその金を使うことはなかった。森岡が夜の飲食代を全て自費で賄っていることを知っているからである。

 それはともかく、週に一、二度の割合で檸檬に通っているうち、どちらからでもなくお互いに好意を抱き始め、理無い仲になった。

 その真弓があるとき、

「森岡さんはどうしていらっしゃるの」

 と訊ねてきた。

 ルーベンスのホステス時代、真弓こと町村里奈は、森岡とは一度も顔を合わせてはいない。だが、幾度となく当時部長だった柳下の口の端に上り、野島もまた心酔する森岡に興味を持ったのだという。

「社長は今大変な時期やねん」

 何の疑念も抱かなかった野島は、話の流れでつい神村や霊園地の件まで話したのだという。


「それで、彼女が神栄会に情報を漏らしたという確たる証拠は掴んどるのか」

「いいえ。ですが、彼女以外に考えられません」

 野島は悲壮な顔つきでそう答えると、一呼吸おいて、

「坂根、お前はどう思う」

 と、里奈と面識がある坂根に、第三者の立場での率直な意見を求めた。

「私には良くわかりませんが、ただ里奈さんの専務への想いは芝居ではないと思います」

 坂根は気遣うように言った。

「俺もそう思いたいが」

 野島が苦渋の面になったとき、森岡がにやっと笑みを零した。

「野島、よう言うてくれた」

「と、おっしゃいますと」

 野島が首を傾げる。

「お前の言うように神栄会に情報を漏らしたのは彼女やろうな」

「も、もしや社長は、何もかもご存知だったのですか」

 いつもは冷静な野島も唖然として訊いた。

「すでに伊能さんから報告が上がっとった」

 森岡は伊能に光陽実業をマークするよう依頼していた。といっても、伊能の会社ではなく、彼を通じて警察、それも暴力団担当だった刑事が多く在籍している調査会社に依頼していた。

 当然、依頼主である森岡の名は伏せ、用件のみを伝えていた。調査会社は、光陽実業だけでなく、光陽実業を訪れた神栄会の組員の行動も徹底マークした。その結果、町村里奈は神栄会のとある組員と関係があること、さらに野島との関係も突き止めた。

 調査報告を受け野島に疑念を持った伊能は、直ちに森岡に報告していたのである。言うまでもなく、森岡は野島を微塵も疑ってはいない。伊能に対して、第三者の存在を示唆し、調査の継続を依頼していた。

 もっとも、絶対的な信頼を置いているとはいえ、野島が情報洩れに関わっている事実に心穏やかではなかった森岡は、一刻も早く野島自身が気づき、告白するのを待っていたのだった。

「私は騙されていたのですね」

 野島は呻くように言った。

「それはわからん。最初は騙すつもりで近づいても、ミイラ取りがミイラになることもある。お前ほどの男や、坂根の言うように、途中から彼女が本気になったとしてもおかしくはない」

 森岡は慰めるように言った。

「それで、お前の方はどうなんや」

「未練がましい男と思われるでしょうが、彼女を憎めません」

「愛しているんやな」

「はい」

 野島は項垂れるように顎を引いた。

「せやったら、もう少し様子を見てたらええ。彼女もお前を愛しているなら、そのうち自責の念に耐えかねて、正直に告白するやろ」

「しかし、それで良いのですか」

 ええで、と小さく肯いた森岡の目が厳しいものに変わった。

「せやけど、彼女も本気やったら、それはそれで厄介なことになるで。なんせ、極道絡みの女やからな。お前も性根を入れんとあかんぞ」

 極道者相手に話を付けなければならなくなる、と森岡は言ったのである。

「それは覚悟しています」

 と言った野島の目は、決然とした光を湛えていた。

「良し。ほなら、この話はこれで終わりとして、残る問題は、誰が彼女をお前に近づけるよう仕向けたかやな」

「神栄会ではないのですか」

 野島が訊いた。有能な彼にしては愚問であった。

「それは無理やろ。神栄会が、ルーベンス時代の里奈とお前の接点を知っているはずがないがな」

「あ、そうか」

 間の抜けた声を出した野島は、

「では、やはり社内に」 

 と苦々しく言った。

「信じたくはないがな」

「しかし、神栄会と同様、社内に私と里奈の過去の繋がりを知っている者がいるとは思えませんが」

「それはそうやが」

「社長には見当が付いていらっしゃるのですか」

「信じたくはないが、桑原、三宅、船越、荒牧の四人の内の誰かが裏切っていると睨んでいる。誰か一人かもしれんし、四人全員かもしれん」

「私が言うのもなんですが、宇川のこともありますからね。所帯がでかくなりますと、そういう輩が出てきますね」

「残念やが、そういうことやな。この四人のうちの誰かが、なぜかお前たち二人のの接点を知っていたのではないかと思うのや」

「調べて行けばそれも判明するとお考えなのですね」

「そういうことや。そこでだ、前と同じようにもう一度、お前に一芝居打ってもらたいんや」

「承知しました。それで、何をしたら良いのでしょうか」

「それやが、適当に商談話を作ってな、打ち合わせと称してそれら四人を飲みに誘い、うまく霊園事業の話にもっていってな、これ以上買収交渉が長引けば、俺が今回の山林の買収から完全撤退するつもりである旨をさりげなく伝えるんや。ただ、荒牧は総務やから、三人とは別に機会を作って住倉を同席させたらええ。ただし、住倉には本当のことを話すなよ。あいつは芝居などできる性質やないからな」

「わかっています。それで、確認ですが、吹き込むのはそれだけですか」

「そうや、それだけでええ。もし、四人の中に裏切り者がいれば、そいつは慌ててこの情報を光陽実業に伝えるやろ。なんというても、高値で売って利鞘を稼ごうとしていたのが、一転して二束三文の土地になってしまうんやからな。それはな、この情報を漏らした本人にとっても恐怖のはずやで。何しろ、悪意はないとはいえ、自分の齎した情報で、暴力団が損をするかもしれんのやからな。如何なる災難が、我が身に降り掛かるかもわからんというのは恐怖やで」

「そうすれば、必ず向こうから何か言ってくると読んでいらっしゃるのですね」

「せや。そやから、絶対に四人に気取られたらあかんで。自然にやで、あくまでも自然に……」

「はい」

 野島は、森岡の意図を十分に飲み込んだ。

 話が一段落すると、同席していた坂根が待ち構えていたかのように森岡の言葉を検めた。

「社長、先ほど『前と同じようにもう一度と芝居を……』とおっしゃいましたね」

「ああ、言った」

「ということは、もしかして今回の一件が始まって最初の幹部会議のとき、野島専務が反対されたのは芝居だったのではないですか」

「ふふふ」

 と、森岡が含み笑いをした。

「なんや坂根、今頃気い付いたんか。あのときだけやのうで、野島はあれからずっと芝居しとんのや」

 森岡は嘲るように言ったが、野島の目には、それは決して坂根を貶してのことではなく、むしろ褒めているように映っていた。

 当の坂根も、満足そうな森岡に心地よい気分が湧いていた。

「やはり、そうでしたか。私も野島専務が社長の考えに反対されたので、おかしいなとは思っていたのです」

「神戸へ行く車の中でお前が疑問を呈したときには、さすがやと思っていたんやで」

 緊急幹部会議で、森岡の子飼いともいうべき野島らが挙って反対し、中途採用者が賛成に回ったことに疑念を抱いた坂根は、森岡にその思いを漏らしていた。

「では、なぜ秘匿されたのですが」

 坂根は顔を綻ばせながらも疑問をぶつけた。

「敵を欺くにはまず味方から、と言うやないか。一番俺の身近にいるお前をどうにか騙せたんや、他の者は推して知るべしやろ」

 森岡は澄ました顔で答える。

「なるほど」

 得心顔で肯いた坂根だったが、

「何のためにそのようなことをされたのですか」

 と重ねて問うた。

「なあ、坂根。株式上場を前にして、社長が個人的なことでその職務を離れるというのは、本来ならいかなる理由があろうとも許されるべきものではない。放っておけば、社内に不満が生じるのは必定や。そういうとき、子飼いの野島や住倉が率先して賛成してみいや、社長の腰巾着やと、こいつ等まで反感を買うやろ。そうなったら、こいつ等に求心力がなくなり、社内がバラバラになる。そうなっては困るから、野島や住倉が俺に反対することによって、社内に不満が生じるのを未然に防ごうとしたんや」

「それだけやないで、坂根。社長は第二の宇川が出んようにと、俺に課長以上の動向に目を配るよう指示されておられたんや。心にやましいことを考えている奴は、ふとしたときに、どこかに襤褸が出るもんやから、お前の勘でええからそれをよう観とけ、とな」

「そういうことですか」

 坂根は、森岡の深謀遠慮に感動すら覚えていた。僅か五年で、今のウイニットを築き上げた理由の一端を垣間見た気がしたのである。


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