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黒い聖域   作者: 久遠
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               (3)

 同じ日の夜。

 久々に気分が晴れた思いの森岡は、真鍋と朝まで飲み明かそうと心に決め、ロンドにも立ち寄った。

 真鍋高志は実に好青年だと、森岡は思っている。

 お互いの本拠地での飲食代は受け持ち合う、というルールを作っているが、森岡の方が頻繁に東京へ出向いているうえ、食道楽の大阪に比べ東京は値段が高い。クラブにしても、平均すれば北新地より銀座の方が二、三割ほど値が張るのが現状だ。単純に地価が高いのだから当然のことである。

 だが、真鍋は嫌な顔一つ見せなかった。

 彼が資産家の御曹司ということもあるだろうが、むしろ資産家の方が始末家は多い。初代ではなく、苦労知らずの三代目だからというのでも、生来が能天気だというのでもない。真鍋は頭は切れるし、大らかで自身の立場に奢ることもなかった。

 森岡は『育ちが良いのだろう』と認識していた。

 樹木に例えるなら、節の全く無い、真っ直ぐ天に伸びる名木であり、些末なことに頓着しないのだ。竹は節があってこそ伸びるとも言うが、人は節が無くても大器に育つということなのだろう。

――多くの節がある俺とは違う。もし、母が失踪などしなければ、もし父があと十年長生きしていれば、俺も彼のように成れたのだろうか。

 と、森岡は一種の憧れのような思いを抱きながら真鍋高志と付き合っていた。

 茜は真鍋に会釈すると、いきなり、

「ちょっと、お話があるのですが」

 と、森岡をカウンター席へ誘った。

 ロンドは、入り口の正面にクロークがあり、その横に化粧室があった。さらに、その横にカウンター席が八席あり、廊下を挟んでソファー席があった。

 客が要望しない限り、基本的にカウンターは待合の席である。今宵は、坂根と南目も真鍋と同席をしていたので、カウンター席には一人の客もいなかった。

 バーテンダーが、注文を伺う素振りを見せたが、彼女は片手を胸の前に上げ、彼を遠ざけると、

「森岡さんが入院中、筧さんが頻繁に来店され、勘定は会社に付けくれとおっしゃったので、いちおう保留しているのですが、それで宜しいのでしょうか」

茜は森岡の顔を窺った。

「ええよ」

「うーん」

 茜が思い悩むような顔をした。森岡が、取締役以外のロンドの使用を許可していないと承知していたからである。

「差し出がましいようですが、筧さんは役員ではないのでしょう」

「そうやが、まもなく取締役に昇格させるつもりやから、特例でロンドの使用を許可しとる」

「でも……」

 それでも茜は、含みのある仕草をした。森岡は、いつもと違う茜の表情が意外だった。ママの立場であれば、商売上悪い話ではないはずである。

「どうしたんや」

「あの人の愛想笑いがわざとらしくて」

「そりゃあ、営業マンやからな。仕方がないやろ」

 森岡は思いも寄らぬ茜の言葉に戸惑いながらも、筧を擁護した。

「でもね、時折、寒気がするほどの不気味な眼つきをされることがあるのです」

 茜は嫌悪感を露わにした。

「そ、そうか」

 森岡は戸惑った。

 茜ほどの女性、つまり若くして高級クラブを経営するほどの人物が、これほど毛嫌いする原因は何であろうかと気に掛かった。

「それに」

「他にまだあるんか」

「私や女の子が近づくと、隠語を使って話をされるの」

「隠語?」

 森岡は、一瞬首を捻ったが、

「そりゃあ大事な商談やったら、話が洩れないように隠語も使うやろ」

 と諭した。

「ですけど、幾人もの違う方といらっしゃっいましたけど、いつも同じ隠語ですのよ」

「ふーん、どんなんや」

「(R)がどうのこうの、と話していらしたわ」

「(R)、それだけか?」

「ええ、(R)を利用するとかなんとか」

――Rとは、人か物かそれとも場所か……

 森岡は心当たりを思い浮かべたが、むろん雲を掴むような話である。

「誤解なさらないでね。私はいつもこのような告げ口をしているわけではないのですよ。その、あの……」

「なんや」

「森岡さんですから」

 と、茜は顔を赤らめる。

「そ、そうか。わかっている」

 森岡も照れたように視線を逸らした。

 

 席に着いた森岡は、

「ママ、あらためて紹介するわ、彼が真鍋興産グループの御曹司、高志さんや。ええ男やろ。大金持ちでしかも独身やで」

 と煽るように紹介した。すると、

「ええー、本当に独身なのですか」

「おいくつなのですか」

 狙い通り、ホステスたちがざわめき始めた。

 その中に「桐子」というホステスもいた。実は、この桐子から言い寄られ、森岡は閉口していた。同伴やアフターを何度も求められ、挙句には口座になるよう懇願されていたのである。

 ロンドの決まりによると、店の口座である谷川東良の同伴で訪れた森岡は、彼が希望しない限りそのまま店、それはつまりママである茜の口座になった。桐子はそれを、自分の口座に移して欲しいというのだ。

 彼女の執拗な誘いに乗って、何度か同伴やアフターに応じたが、森岡には迷惑でしかなく、男女の関係になる気など爪の先ほどもなかった。

 だが、桐子には本心が伝わっていないようだったので、真鍋に対し心の中で手を合わせつつも、彼女の気持ちを彼に向けさせようと試みたのである。

「こら、はしたない」

 茜は彼女たちを一喝し、

「真鍋様、先ほどは失礼しました」

 と非礼を詫びた。

「いいえ。ママほどの美人と秘密の会話ができる森岡さんが実に羨ましい」

 真鍋は鷹揚に笑った。

「まあ。ご冗談を」

「冗談ではありませんよ。仕事柄、銀座の高級クラブをよく利用しますが、ママほどの美形には出会ったことがない」

「森岡さんのお知り合いは口がお上手ですこと」

 茜は照れたように森岡を見た。

「真鍋さんは、べんちゃらを言うような人やないで。俺も同感やな」

 森岡は本音ともからかいとも付かぬ体で言った。

「森岡さんまで……でも、やっと元気になられましたね」

 茜は、どことなく安堵の目をしていた。

「そうやな。芦名上人は味方に付けたし、残りは大河内貫主一人に絞られた。大河内上人に関しては、まだようやく戦える武器を手に入れたというだけで、勝てる見込みは薄いとは思うが、丸腰ではなくなった分だけ、勇気が出て来たわ。この間の膝枕のご利益かな」

 森岡は、大河内対策に行き詰まったあるとき、茜に膝枕を求めたことがあった。

「まあ、あんなことでご利益があるのなら、いつでも膝をお貸ししますわ」

 茜はかすかに恥じらいを見せた。

――案外身持ちの固い、初心な女性かもしれない。

 そう思うと、森岡にはそこはかとない嬉しさが込み上げていた。だが反面、茜に惹かれれば惹かれるほど、彼女の背後にいるであろう男の存在が気になった。

「ところで、森岡さん。こんなところで仕事の話はどうかと思うのですが」

 二人の間に通い合う情を察した真鍋は、申し訳なさそうに口を挟んだ。

「いえ、どうぞお話下さい」

「財団法人の役員の件ですけど、後々のことを考えると、京都の有力府会議員の関係者か市会議員の関係者を一人、京都市役所のOBを一人入れた方が良いですよ。政治家には政治資金を、役所には天下り先を提供するのです」

うーん、と思わず森岡は唸った。

「さすがですね。そこまでは気が付きませんでした。では、そのように図りましょう」

 と目から鱗を落としたように言った。

「しかし、まさか森岡さんと一緒に仕事ができるなんて思ってもいませんでした」

 真鍋は口元を綻ばせた。

「私も同感です。私がIT産業で、真鍋さんが造園や霊園事業という、まるでデジタルとアナログの代表分野のような仕事に就いていたのですから、一緒に仕事をする接点などありえないと思っていました」

 森岡も笑顔で同調した。

「でもね、森岡さんは神村上人から紹介された方ですから、お寺関係で何らかの関わり合いを持つだろうなとは思っていました。ですから、貫主就任の件で助力の依頼があったときは、やっぱりな、という思いが強かったですよ。それでも、共同で霊園事業を行うことになるとはね」

 真鍋は感慨深げに言った。

「今回の件は、どうにでもなりますからね。傳法寺でも、本妙寺でも、あるいは無量会でも良いのですから」

 森岡には、久々に笑顔が戻っていた。しかし、陽気な外見とは裏腹に、彼の気が休まることはなかった。ようやく敵と戦える材料を得たとはいえ、行く手は依然として混沌且つ不透明のままであり、予断を許さない状況に少しも変わりはなかったのである。

 後日、岩清水は森岡が述べた計画案に快く同意した。

 無量会もまた異論を挟まなかったが、それは当然と言えば当然であった。自分たちは全くリスクを負わずに、一億円の現金と、霊園の供養料として、最終的には年間六千万円が入る。四ヶ寺で分担しても、毎年一ヶ寺当たり一千五百万円が転がり込むのだ。

 森岡はこれを『濡れ手で粟』と、彼らを非難する気にはならなかった。この四ヶ寺の五百年以上にも亘り、営々として無償供養を行ってきたことを思えば、彼らの先祖代々の善行に対する対価だと思っていたのである。

 ただ、森岡は無量会に一つだけ条件を付けた。

 整地した墓地跡を売却したときの分配金を二億円に増額する代わりに、「観世音寺かんぜおんじ」を無量会に入会させることだった。

 観世音寺は大河内家の所有寺院で、長男が後を継ぎ住職を務めていた。森岡は大本山傳法寺の利益だけでなく、大河内家の子々孫々に亘って安定した収入が入得られる条件を提示しようと考えていたのだった。

 しかし、そうまでしても森岡の心から全ての不安が消え去ることはなかった。藤井清慶側が、どのような条件を出すかわからないということもあったが、最初から久田支持の二ヶ寺や、中立を保っていた芦名と異なり、大河内は本妙寺の貫主の件で久保を支持したことにより、周囲から藤井清慶に付くと目されている。もちろん、藤井兄弟も同様に見ているであろう。

 そういった情勢下で、もし久田帝玄を支持するとなると、藤井兄弟、とりわけ次期法主就任が確実の清堂を裏切ったと見なされかねない。

 藤井清堂と久田帝玄、次期法主と影の法主、この二人を天秤に掛けることなどできはしない。そうだとすれば、敢えて誤解を生みかねない行為などせず、周囲の憶測のままに従う方が無難と考えるのが人の世の常であろう。

 森岡はそのように推量していたのである。


 この間、森岡の様子を真向かいの離れた席から眺めている男がいた。森岡も視線に気づいていたが、視線を送ると遠慮がちに顔を背けたため、誰であるかわからなかった。

 それでも、何度目かの視線を送ったとき、ついに目と目が合った。

 その瞬間、

「あっ」

 と、森岡は思わず声を漏らした。

 真鍋に断りを入れて席を立ち、男に近付くと、

「一瞥以来です、須之内さん」

 立ったまま挨拶をした。

「久しぶりだね、洋介君。まあ、座ったらどうだ」

 須之内は横の席に誘った。連れが二人いたが、会社の部下だと説明した。

 失礼します、と言って席に座った森岡は、

「奈津実の七回忌法要の節は有難うございました」

 と、もう一度頭を下げた。

「早いものだね。奈っちゃんが亡くなって、もう六年も経つのだからね」

 須之内は感傷的に言った。

 この男、名を須之内高邦たかくにといい、森岡の義理の兄だった男である。亡妻の奈津実には姉が三人いたが、次姉の早苗の夫がこの須之内高邦であった。

「店に入って来たとき、すぐに君だとわかったが、お客連れのようだったので、声を掛けるのを憚っていたんだ」

「ロンドへは良く来られるのですか」

「いや、ママの噂を耳にしてね。最近通い始めたばかりだ。洋介君はずいぶんと親しそうだね」

「とんでもないです。私もまだ一年にもなりません」

「私と違い、洋介君は独身なのだから、羽目を外しても誰に咎められることもない」

 須之内は、少し皮肉混じりに言った。

「そういえば、義父ちちから聞いたのだが、近々上場するんだって? 義父が、どうして黙っているのかと不満顔をしていたよ」

「上場は予定していますが、いつのことになるやらわかりません」

「義父の熱心な誘いを断ってまで、コンピューター会社に就職し、独立したのだから成功してもらわないと、義父も納得がいかないだろうよ」

「お義父さんのご期待に添えるよう頑張るつもりです」

 森岡が神妙にそう言ったとき、ママの茜がやって来た。

「お二人はお知り合いでしたの」

「ママ。須之内さんは俺の義兄だった人や」

「義兄?」

「亡くなった妻の奈津実と須之内さんの奥さんは姉妹なんや」

「まあ、何という偶然でしょう」

 茜は手を口に当てて驚いた。

「須之内さんは、大手企業の専務さんや。俺なんかと違って、接待も多い。せいぜい贔屓にしてもらいや」

 森岡がそう言うと、

「何を言うんや。そっちは、上場すれば何十億、何百億の資産家になる身分やないか。私など、所詮はサラリーマンや」

 須之内が切り返した。

「そうは申しましても、小さな会社は先行き不透明ですし、株の資産なんて有って無いようなものです。それに比べ、須之内さんは大手企業の株主兼重役ですから、安定したものでしょう」

 そう応じた森岡の傍らで、

「あらあら、お互いにご謙遜の仕合っこですこと」

 と、茜が呆れ顔で笑った。

 森岡は奈津実が存命の頃から、須之内とは滅多に会話をしなかった。須之内だけでなく、他の二人の義兄とも交わりが浅かった。大企業のオーナー社長である奈津実の父正勝が、殊の外森岡を気に入っていたため、三人の義兄たちは、後継を巡って彼を牽制するところがあった。

 中でも須之内は、森岡を非常に意識した。彼に最初に警戒の念を抱かせたのは、義妹である奈津美との結構式に、森岡の親族が一人も出席しなかったことだった。味一番は上場こそしていないが、紛れもなく我が国食品業界のトップランナーの一社である。末娘とはいえ、その創業者の娘婿に一般家庭はおろか、身寄りのない男を迎えるなど常識では考えられなかった。

 取りも直さず、それはいかに森岡が有能であるかの裏返しだと須之内は考えた。他の二人の義兄弟は共に研究者だったため、営業畑の須之内にとって敵ではなかった。彼は、社長の椅子を巡る最大の宿敵は、大手企業菱芝電気でも名を馳せるほどに有能な森岡だと睨んでいた。

 奈津実が亡くなった後も、彼がIT企業を起こし、経営者としての能力を発揮していることから、ますます猜疑心を増大させていた。

 「お義父さんはお元気でしょうか」

 森岡は春の法要の折、どことなく覇気の無かった姿を思い浮かべていた。

 あたりを見回しながら、

――一度、ゆっくり話がしたい。

 と小声で囁いたときの、切実な口調が、森岡の胸を過ぎってもいた。

「元気は元気だが、何せ七十歳を超えたからな。このところ頓に老け込んで行くのがわかる」

 森岡は、一度会いに行きます、と言おうとして、

「そうですか」

 と口を濁した。

――義父さんには何か思い悩むことがあるのかもしれない。

 そう直感した森岡は、須之内の手前、思い止まったのである。


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