(2)
翌日の午前、森岡と菊池は澄福寺に芦名泰山を訪ねた。
東京目黒にある大本山澄福寺は、栄真大聖人入滅の霊場であった。
大聖人の最晩年、周囲の反対する中、天真宗不毛の地であった東北への布教に旅立った彼であったが、道中の関東で病に倒れてしまった。やむなく、支援者だった細見宋沢の館で養生することになり、五ヶ月後に、波乱に富んだ人生の終焉を迎えたのだった。
その細見氏館の背後の山頂付近に建立されていた一宇を、栄真が開堂供養し、「栄清山澄福寺」と命名したのが、当寺院の起源と言われている。栄真大聖人没後、細見氏が所領四万坪を寺領として寄進し、寺院としての基礎が築かれることになった。
その後、鎌倉、室町時代には関東の豪族の庇護を、江戸時代には諸大名の信仰を集め、隆盛を極めた。また、栄真大聖人入滅の霊場とあって、御遺品、御真筆が数多く所蔵されており、こうしたことから「東の妙顕」との別称を持っていた。
貫主の芦名泰山は七十二歳。天山修行堂で八度の百日荒行を達成した傑物である。久田帝玄ほどはないが、この世代では大柄な方である。
天山修行堂で荒行を成満したということは、久田帝玄の父帝法上人の薫陶を受けた僧侶ということである。であれば、当然のこと帝玄を支持するのが筋と考えられたが、何分生粋の学者肌で偏屈者の彼には、世間の常識が当てはまらないもどかしさがあった。
芦名泰山は丁重に招じ入れてはくれたが、彼の表情が一瞬たりとも緩むことはなかった。その能面のような表情から、彼の真意を読めない二人は、駆け引きに奔ることを止め、正攻法で臨む腹を決めた。
茶を運んで来た若い修行僧が退出するのを見計らって、芦名の正面に座っていた菊池は、用件を申し述べることをせず、無言のまま桐の木箱を三つテーブルの上に置くと、一つずつ丁寧に中身を取り出し、正面を芦名に向けて並べた。
その瞬間、芦名を凝視していた森岡には、彼の身体が硬直したように見えた。芦名は極度の動揺を隠しきれない様子で、両手のひらを何度も握ったり開いたりした後、右手で頬を撫で回し、最後に両目を擦ると、
「こ、これは……もしかしてあの幻の? ……えっ、まさか本物?」
と半信半疑で訊ねた。
妙な話だが、人というものは絶対に有り得ないと思っていたことが、現実に目の前で起こると、たとえそれが自身にとっては幸運なことであっても、事態を飲み込めず挙動不審になるものらしい。
「もちろん、本物です!」
大きな声だった。
森岡の力強い声が芦名の身体の芯に響いたのか、彼はようやく正気に戻ったようだ。
落ち着いた声で、
「これは、いったいどのようにして手に入れたのですか」
と訊いた。
「華僑に頼んで手に入れました。間違いのない代物です」
「手に取っても良いですか」
「どうぞ、どうぞ」
「うおおー。まさか、噂に名高い中国十聖人の姿見の墨を手に取れるとは……これは、荀子……れは荘子……これは、おおー老子か……」
芦名は目の前の品が本物だとわかると、まるで欲しかった玩具をようやく手に入れたときの子供のように、一つ一つ大事そうに手に取り、学者の面相や衣装などから、人物の名を挙げて行った。
「風体だけで、誰であるかがおわかりになるなんて、さすがですね。私などは、初めてこれらを見たとき、どれが誰やらさっぱりでした」
菊池は本音とも追従とも付かぬことを口にした。
「いやあ、失礼。あまりの驚きで、つい我を忘れてしまいました」
と、芦名は照れくさそうにした。
森岡は、胸を撫で下ろしていた。芦名が見せた一連の驚嘆と好奇の混ざり合った表情に、森岡は彼の心が魅了されていると看取った。そして、芦名がどちらを支持するか、まだ心を決めてはいないと確信した彼は、ここが潮目だと判断した。
「宜しければ、この三体を貫主様に献上致しますが」
勝負を掛けた言葉であった。
少し間があった。
「……そうですか、有難う」
居住まい正して頭を下げた彼の表情は、如何とも表現しがたいものに変わっていた。もちろん彼は、森岡と菊池の来訪の用件も、墨の献上の申し出が、それを代弁していることも承知していた。彼はそのうえで、了承の返答をしたのである。
芦名が見せた表情は、貴重な代物を手に入れた喜びの反面、思いも寄らぬ成り行きに、上手くしてやられたという自虐の思いと、己の厳正中立の信念はこれほどまでに脆弱なものだったのか、という失意の念が複雑に絡み合ったものだったのである。
「多少時間は掛かりますが、残りの七体も探し出しまして、必ず献上致します」
「いや、それはまた……本当ですか」
森岡にそこまで言われると、芦名もすっかり観念する他なかった。
それでも尚、目的を果たし安堵の表情を浮かべていた菊池を他所に、森岡は念を押しに出た。
「このところ、良い墨が少なくなっているそうですね」
その言葉に芦名の眼が反応した。
「そうなのだよ。私も困っていてね。創作意欲すら沸かなくなってしまった」
「そう思いまして、こういう墨も入手したのですが」
森岡は、アタッシュケースの中から紫色の袱紗包みを取り出すと、芦名の眼前で広げ、和紙に包んだ縦八センチ、横三センチ、厚み七ミリの板状の墨を三枚取り出して見せた。
「これは、もしかして歙州産ではないかな」
手に取った芦名は、十聖人の墨を見たときと同じ驚きの反応を示した。
「さすがですね。そのとおりです。どうぞこれもお納め下さい」
「えっ! これも頂戴して良いのかね」
「ご遠慮なく、どうぞ」
「いやあ、それは有難い。この墨でも一枚二百万の値が付く良い墨でね。いやいや、値段はともかく、これもまた手に入り難い品だからね」
芦名は十聖人の墨を手にしたときと同様に相好を崩した。
森岡は、榊原に依頼して収集していた高級な墨の一部を持参していたのである。確かに中国十聖人の墨は、これらより遥かに貴重な代物ではある。しかし、芦名はあくまでも書道家であって、骨董品の収集家ではない。
まさか中国十聖人の墨を創作に使用するわけにいかない。つまり、いくら貴重な品であっても、使えない物の価値は半減するのだ。森岡の凄さは、芦名の心理を推量し、そのジレンマを解消すべく、手頃な墨を持参していたところにあった。
「もし、ご要望がございましたら、私どものルートを使って、今後も入手致しますが」
「本当かね。それは重ね重ねの心遣い痛み入る。そうしてもらえれば、本当に助かります」
芦名は心底から言った。彼は入手困難な高級品を目の当たりにさせられ、森岡が持つルートの確かさを十分に認識していたのだった。
「ところで、貫主さんに一つだけお願いがあるのですが」
話も纏まり和やかな談笑が続いた後、退席する間際になって、森岡が神妙な顔つきで切り出した。
「お願い? 何かね」
「他でもないのですが、本日の件は合議の日まで、内密にして頂きたいのです」
「内密だと? 今日、君たちに会ったことを隠せということかね」
いいえ、と森岡は首を横に振った。
「本日の面談はすでに他のお坊さんたちに知れています。そうではなく、貫主さんが承諾されたことを内密にして頂きたいのです。つまり、私どもの要請の承諾も、向こうの支持の表明もしていない、お会いする前の厳正中立を守るということにして頂ければ有難いのですが」
「会う前の中立か……良いでしょう。要は、君たちに会う前の言動をしていれば良いということだね」
「そのとおりです」
「それなら、いっそのこと……」
菊池がしたり顔で口を挟もうとしたとき、森岡は彼の膝をポンと叩いて、その先を封じた。
そして、訝しげに見つめる菊池に、有無を言わせぬかの如く、
「無理なことをお願いして申し訳ありません」
と語調を強め、深々と頭を下げた。
「いやいや、君たちの誠意に比べれば取るに足りないことだよ」
経緯はどうであれ、ともかくも腹が決まったせいか、芦名は晴れ晴れとした顔つきになっていた。
森岡と菊池は訪れたときと同じように、緊張の表情を装って、澄福寺から辞去した。
帰りの車に乗り込むと、菊池はすぐさまわだかまりを森岡にぶつけた。
「森岡君。さきほど、なぜ芦名上人に中立とお願いしたのだね。敵を安心させるためなら、いっそ清慶支持を表明したことにした方が、もっと効果的ではないのかね。つまり、我々の説得は不調に終わったと思わせた方が、敵も油断するのではないのか」
菊池は、先刻言葉を遮られた不満を洩らした。
「お言葉ですが、それでは芦名上人を追い詰めることになりかねません」
「追い詰めるだと?」
菊池には意味がわからなかった。
「私たちに御前様支持を承諾しておきながら、中立の態度を取ることは、私たちしか知りません。元々中立を守っていらっしゃったのですから、周囲は芦名上人の御意思に変更なしと受け取るでしょう。それに対して、清慶支持を表明しておき、合議のとき御前様支持に回ったとなると、周囲に嘘を吐いたことになります。もし、合議までに噂を聞き付けて、清慶側が確認をするため、芦名上人の許に出向いたらどうなりますか?」
「芦名上人は、返答に窮する……」
そうです、と森岡は肯いた。
「嘘を吐いた、とまではならなくても、少なくとも前言を撤回する風見鶏と、少なからず信用を落とすことになるでしょう」
森岡は穏やかな口調で淡々と答えた。
「なるほど……」
「それに、今後我々が大河内上人に大攻勢を掛けることとの整合性が取れなくなります」
「整合性とは」
「清慶側にしてみれば、芦名上人が自分達を支持し、勝負の趨勢は決しているのに、私たちが大河内上人に悪あがきをする理由は何か? と余計に警戒をしかねません。中立であれば、我々の芦名上人の説得が成功しなかったという事実だけが残り、その分だけ清慶側に安心感を増幅させます。それにより、多少でも大河内上人への警戒が緩めばそれで良いのです」
「……」
非の打ち所のない正論に、菊池には返す言葉が無かった。
彼は、森岡の真意を聞いているうち、腹の底から末恐ろしいものを感じ、心の中で呟いていた。
――この男はいったいどういう奴なのだ? この若さで芦名上人の前に出ても物怖じ一つしない。そういえば、芦名上人どころか、御前様の前でも動じる姿を見せなかった。無神経なだけなのか……そうではないだろう。ただ無神経な男に、これほどの思慮の深さは有り得ない
菊池龍峰は、森岡に気づかれないように慨嘆した。
――学生時代は、気にも留めなかったが、あの神村上人をして、この男を手元に置きたくなった気持ちがわかった気がする。
一方で森岡は、菊池が小さく見えていた。学生時代に感じた豪胆さは影を潜め、何やら目先の些細な事象に囚われているように映った。もっとも、怪物久田帝玄と出会った後では、誰であろうと小物に映るのかもしれない、と思い直したりもした。
物事とは、誠に不思議なものである。動かないときには梃子でも動かないものが、一旦歯車が回り出すと、ボールが下り坂を転げるかのように動き出す。
芦名泰山の支持を取り付け、ともかくも首の皮一枚繋がった思いで大阪に戻った森岡に、榊原を通じて興味深い情報が入った。
京都の、とある墓地に関するものであった。
その情報は、寄りによって渦中である別格大本山法国寺の護山会会長・岩清水哲弦から齎されたものだった。
護山会とは文字通り、山すなわち寺院を護る支援者の集まりを指し、一定の寺院に属し、葬祭儀礼などにより布施をする檀家とは異なる。
元々、寺院の多くは山にあったことから、その山の名をもって呼ばれており、それを「山号」と言った。比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺と言えばわかりやすいであろう。
通常、檀家を持たない大本山や本山支援のための組織であったが、昨今では檀家を持つ身でありながら護山会をも組織する末寺も多々見られるようになった。寺院の経営が難しくなった証左かもしれない。
法国寺と聞いて、話の次第によっては大河内工作に役立つかもしれないと、森岡は秘かな期待を抱きながら、詳細な話を聞くため、榊原と共に岩清水を訪ねた。
「岩清水さん、彼が先日お話した森岡君です。そのときも言いましたが、ご覧の通りの若者とはいえ、頼りになりますので、もう一度お話をしてもらえませんか」
榊原に促されて、岩清水が訥々と話し始めた。
京都の堀川通りから、一筋東に入ったところに、約八百坪の無縁仏を祭った墓地がある。その無縁仏というのは、およそ五百年前、室町時代に起こった応仁の乱の戦いで落命したものの、引き取り手が無く、風雨に晒されていた千体以上もの亡骸を、見るに見かねた天真宗の僧侶が、自坊の近くの野原に埋葬したことによるものだった。
その後、戦国時代の度重なる戦や、明治維新に関わって亡くなった身元不明の遺体を、次々と埋葬していったため、その数はとうとう二千基にも及んだ。そうした無縁仏を、周辺の四ヶ寺から成る「無量会」が一年毎に交代しながら、今日まで営々として供養してきたのである。
ところが、終戦直後のことである。占領下の混乱のどさくさに紛れて、登記の不備を理由に、当時の大蔵省がその墓地を勝手に所有地として登記するという暴挙にでた。
当然、無量会は大蔵省に抗議したが、なんやかやと理屈を捏ねて、自分たちが勝手に作成した登記書を盾に抗議を撥ねつけた。
無量会は、訴訟を起こして事を荒立てる真似はしなかった。どのような事情があったか定かではないが、登記していなかったのは彼らの落ち度だからである。したがって、実効支配をしていたとはいえ、法律上は大蔵省側に正当性を与えることになった。
一方、大蔵省側も成す術がなかった。何しろ、宗教法人が相手である。しかも、我が国最大級を誇る天真宗である。下手な手出しはできなかった。小役人には、二千基もの墓石を勝手に処分するというような強行手段に打って出るほどの度胸はなかったのである。
お互いに有効な解決策を見出すことができず、手詰まりのまま今日に至ったのだが、ここに来て両者に歩み寄りが出てきた。墓地周辺の開発整備が進み、景観的にも墓地の存在が問題視され始めたのである。
そこで、岩清水の登場となった。彼は、法国寺・前貫主の黒岩から依頼を受け、精力的にこの問題の解決に着手していた。
ところが、その最中に黒岩貫主の勇退が決まってしまい、梯子を外された格好になった。
そのうち、藤井清慶と久田帝玄の争いまで始まってしまった。次期貫主の決定には時間を要することが確実となり、しかも岩清水は両者とも面識が無く、どちらに転んでも彼が進めて来た解決案に同意してもらえるか不透明である。
それどころか、法国寺護山会会長の座に居られるかどうかという危惧さえあった。もし、会長を解任されることにでもなれば、彼の計画はご破算になってしまうのだ。
そこで進退窮まった岩清水が、旧知の榊原に助けを求めた、という経緯であった。
岩清水は、途中から堰を切ったように捲くし立てた。それは黒岩の勇退以来、どこにも吐き出せなかった不安な気持ちをぶつけたかのようであった。
岩清水は七十七歳。高齢のわりに頭髪は豊富で若々しく見える。
彼はこの移設事業が、この世で最後のご奉公と心に決めていると付言した。
「しかし、いかに登記の不備があったとはいえ、戦後のどさくさにまぎれて勝手にわが物にするとは、まったく今も昔も役人という生き物は腐り切っていて、反吐が出ますな」
榊原は、ずいぶんと口汚く役人を罵った。彼もまた、区画整理という大義名分の下、所有する神戸北区の土地の一部を他地区の土地と強制的に交換させられるという苦汁を飲まされた経験があった。ただ、榊原の怒りは、土地交換そのものではなく、そのとき対応した役人の横柄な態度に対してであった。
「それで、岩清水さんが進めてこられたという解決策とは、いったいどのようなものだったのですか」
榊原の怒りはさておき、森岡は話の先が知りたかった。
「わしが考えたんは、財団法人形式や」
一転、岩清水は得意げな顔をした。
まず、財団法人を設立して出資者を募り、その資金で堀川の土地を現財務省から一坪五十万円で買い取る。
次に、法国寺の裏手の十万坪の山林を買収して霊園を造り、とりあえず二千基の墓石を移設し、その後は順次霊園を拡大して行く。
最後に移設をした堀川の土地を整地して、一坪三百万円で売却するというものであった。
問題は、財務省から買い取る墓地の買収資金四億円と、山林の買収資金の五億円……坪当たり五千円で十万坪……の、合わせて九億円をどのように調達するかということだった。
墓地と山林を買収さえできれば、霊園地の造成と移設に掛かる費用は、その土地を担保に、銀行から借り受けることも可能であるし、工事を委託する霊園業者に肩代わりさせることも可能である。墓石を移設してしまえば、更地にして売却すると、十八億円を手にする計算であるから、無量会にそれぞれ一億円ずつ渡したとしても、残りの十四億円で、買収に掛かった費用と、造成に借り受けた金の大半は返済することが可能であった。
その後、順次霊園を拡大して行けば、一般に墓地を販売して得た利益で、数年のうちに借金は完済できる。
「なかなか、良い計画ですね。それでこの話は、一旦は纏まったのですね」
森岡が語調を強めて念を押した。彼が乗り気になった証拠である。
「そうや。無量会とも、財務省とも話は付いていた。売却先には、すでに京洛ホテルや亜細亜生命など数社の申し出もあったんや。もっとも、八百坪では狭いから、周りの住宅も地上げせにゃならんけどな」
「それなら、なぜ振り出しに戻ったのですか」
「最初の九億円は、法国寺の護山会のメンバーの中に出す者がおったんやけど、その人は黒岩上人個人の支援者やねん。せやから、黒岩上人が勇退したのなら、計画から抜けると言い出したんや」
「なるほど、そういうことですか」
森岡は納得顔をすると、
「岩清水さんには申し訳ないですけど、その支援者の気持ちは無理もないですね」
と、神村に対する自身の心情と重ね合わせて言った。
「それで、次の貫主に誰がなるかわからないし、金を出す支援者がいるかどうかもわからない。また御自分が護山会会長の座にいられるかどうかさえも不透明、ということなのですね」
「そうなんや」
「それなら、いっそのこと無量会がやったらどうなのですか」
森岡の指摘は当を得ていた。
「それやがな、森岡君。霊園事業をするためには、宗教法人が関与せなならんから、当然無量会が事業主になればええのやが、無量会は移設に関する財務省との交渉も、霊園事業も、整地した後の売却先の選定も自分たちが主体になる事は欲しなかったんや」
「また何故でしょうか。格好の儲け話でしょう」
「身の程を弁えていたというか、面倒な交渉事や大金の調達など、分不相応と敬遠していたのやな。せやから、縁を辿って法国寺の黒岩貫主に相談を持ち掛けたというわけや」
いつしか岩清水は饒舌になっていた。経緯を話しているうち、気分が高揚したらしい。
「洋介、どうや。この話、大河内上人の籠絡に使えんか? お前がやるんやったら、わしも何ぼか出すで」
榊原も前向きな意向を示した。
「せやな、悪い話やないな」
森岡は、榊原にはそう答えたが、
「岩清水さん。返事は二、三日待ってもらえませんか。前向きに考えますので」
と猶予を願い出た。彼には確認したいことがあったのである。
岩清水と別れた森岡は、さっそく東京の真鍋高志に連絡を取った。真鍋に霊園事業の専門家としての意見を求めたのである。
二日後、森岡は真鍋と共に、法国寺の裏手の買収予定地を見て回り、幹線道路から直接私道が引けるなど、霊園地として瑕疵が無いことを確認したうえで、岩清水に支援する旨の連絡を入れた。
森岡は、この話を大河内に持ち込もうと考えていた。
描いた絵図はこうである
事業主を傳法寺にして、供養を無量会に委託する。岩清水を法国寺から傳法寺の護山会に移籍させ、財団法人を作る。財団法人の役員には、森岡自身と岩清水の他に榊原と真鍋を入れる。真鍋興産グループからは、いくらかの資金の提供も見込まれるし、本妙寺の件で三重の本山法仁寺・広瀬貫主の支持を取り付けてくれたことへの恩返しにもなる。




