第五章 巨星(1)恩師
例年に比べ、ひときわ残暑が厳しい年だった。
九月に入っても、陽射しの強さは相変わらずで、足を一歩外に踏み出した途端、絡みつくような汗が森岡を不快にさせた。
もっとも、彼の気分が優れなかったのは残暑のせいばかりではない。
森岡は神村からの連絡を受け、幸苑へと急いでいた。その携帯電話の声に、まるで時が四ヶ月前にタイムスリップしたかのような、重たく沈んだ気配を感じ取っていたせいもあった。
八月の末近く、すでに神村から本妙寺貫主の件が持ち越しとなったとの連絡を受けていた。その理由が、新貫主推薦の合議開催を目前にして、別格大本山法国寺の黒岩貫主が病に倒れてしまい、宗務を全うするまでの回復が見込めないとの判断から、貫主の座を勇退することになったため、とも聞いていた。
全国に九ヶ寺ある大本山の中でも、宗祖栄真大聖人が幕府の置かれていた鎌倉と同様の精力を傾けた、いわゆる京都布教の中心だった法国寺は、旧門末寺約六百を有する京洛流の総本山であることから「西の総本山」との異名を持つほどの格式高い寺院であった。
室町時代になって、妙顕山から栄真大聖人の御真骨を勧請したことから「別格」の称号を授かり、名実共に総本山真興寺に次ぐ寺院となった。
加えて、かつては御所の北東の表鬼門には比叡山延暦寺が、北西の裏鬼門にはこの法国寺が配置されていたことからもわかるように、天皇家の勅願道場としての栄華を誇っていた。
それほどの格式高い大寺であるため、新貫主の選出は総本山の法主を除く全ての貫主人事に優先された。為にその煽りを受けて、決着目前だった本妙寺の貫主の件は一時棚上げになってしまった。つまり、法国寺の新貫主が決定しなければ、本妙寺の貫主の人選は行われないのである。
しかも、他の大本山や本山のように、執事長が第一候補に上がることがなく、全国に九ヶ寺ある大本山の貫主による合議で推薦人を決め、それを宗務総長が承認し、さらに総務に奏上して裁可を受ける形式を採っていた。ただし、総務の裁可は形式上のもので、宗務総長が承認すれば、事実上の決定となった。
ただ、全国に散らばる大本山の貫主が一同に会するため、法国寺の新貫主選出は時間を要した。もし、何らかの理由で宗務総長の承認が得られない場合は合議に差し戻され、再度推薦人を決めなければならず、その場合に浪費する時間は相当なものを覚悟しなければならなかった。
神村にとって、これは諸刃の剣であった。
この棚上げの期間は、執事長の神村が貫主代行として本妙寺の宗務に当たることになるため、滞りなく勤め上げれば実績を残し、既成事実を作ることに繋がる。しかしその一方で、神村支持の黒岩が去ったことで、形勢は五対五の全くの五分に戻り、法国寺新貫主の意向が本妙寺次期貫主の人選の鍵を握ることとなった。
また、あまりに時間を置き過ぎると、一旦は神村の就任に理解を示した者の中に、心変わりをする者が出るかも知れないという、まさに予断を許さない時を過ごすことにもなり兼ねなかった。
むろんのこと、今となっては神村にはどうすることもできなかった。まな板の鯉のようなもので『粛々として宗務を全うするしかない』と、彼は心に決めていた。
その矢先に、新たな難題が降り掛かって来たのである。
天真宗寺院の寺格
総本山真興寺―別格大本山法国寺―八大本山―四十九本山
この席には、もう一人、雲瑞寺住職の谷川東顕が同席していた。東良の実兄である。
森岡は東顕とも面識があった。
一度だけだが、神村に随伴して雲瑞寺を訪れた折に紹介されていた。
榊原壮太郎の尽力で、神村は他寺院の宗務を補佐して得られる手間賃を当てにするほど困窮せずに済んだが、瑞雲寺の先代の要望で、父の代からの役目を引き継いだのである。先代の話では、檀家、特に富裕層が世に名高い神村の読経を所望したということである。
東顕は、村田や久保相手の戦いであれば、側面から支援すれば事足りると思っていたが、風雲急を告げる事態に、そうもいかないと自ら腰を上げたのだという。
東顕は東良より一回り以上も年上の六十五歳、荒行を六度成満した高僧である。本来であれば、大本山や本山の貫主の座も狙える逸材であったが、本人はその道を選ばなかった。
東顕は僧衣でも羽織袴でもなく一般のスーツ姿だった。中背、小太り体形で、頭髪は豊富である。金縁の眼鏡の奥にある両眼は、とても六十五歳とは思えないほどぎらついていて、一見したところではとても僧侶とは思えない。
政治家、それも国会議員ではなく、県会議員か市会議員で、党派の長たる貫禄を備えていた。さすがに、関西寺院会会長の肩書は伊達ではないといったところか。
森岡は目顔で挨拶をして席に着いた。
それを待っていたかのように谷川東良が話の口火を切った。
「森岡君、とんでもないことになってしまった。最悪の事態や」
東良の、言葉とは裏腹の妙に落ち着き払った不自然な態度が、森岡の目に留まったかどうかはわからない。
――同じような言葉を何度聞いただろうか。
彼は辟易しながら、憔悴した姿の神村に目をやり、尚且つこれから耳にするであろう事の重大さを冷静に受け止めるため、静かに深呼吸を繰り返していたのである。
「いったい、何があったのですか」
「法国寺の黒岩上人のことは聞いとるやろ」
「勇退されたと伺っていますが」
「そうや、そのお陰でせっかく神村上人の貫主就任が決まり掛けとったのに、『待った』が掛かってしまった。それにしてもや、黒岩上人が倒れはったのが二週間前で、それから僅か一週間という短い間しかおかず、慌しく勇退の運びとなったのが、俺には解せなかったんや」
「言われてみれば、そうですね」
そのあたりの慣例には疎い森岡だったが、話の筋を逸らしたくないと適当に相槌を打った。
「そこで私が裏事情を探ったところ、総本山の藤井総務が、内々に勇退を勧告したということがわかったのだよ。これはますます不可解なことやと思っていたら、なんと法国寺の新貫主に、愛知県岡崎市・妙園寺の藤井清慶上人が名乗りを挙げたのだ」
東良に代わって東顕が説明した。
森岡には、微かに聞き覚えのある名前だった。
「藤井総務と藤井清慶……確か、兄弟では?」
「そうや、実の兄弟や。その弟の清慶が、事もあろうに法国寺の貫主の座を狙ってきたんや。わしが想像するに、本妙寺の貫主就任が危ういことを察した久保が、黒岩上人が病魔に倒れたのをこれ幸いと、清慶に泣き付いたんと違うかな。法国寺の貫主に色気のあった清慶は、本妙寺の新貫主が決定する前に、総務である兄清堂に黒岩上人への勇退勧告を頼んだ、というのが真相やないかと思うんや。それやったら、藤井総務がこうも早々と勇退勧告をしたこととも辻褄が合う」
東良は己の推量を雄弁に語った。
その賢しらな物言いが少なからず鼻に付いた森岡だったが、気持ちを押し込み、
「なるほど、そういう裏事情はありえますね。それで、その清慶という人は力があるということなのですね」
と確認した。
「そりゃあそうや。なんせ次期法主の実弟やで。そればかりでなく、過去に法国寺の執事長を五年の長きに亘り勤め上げておるんや。これは強みやな」
総本山の総務とは、天真宗において法主に次ぐ権力者であり、その地位にあることは、次期法主の第一候補ということであった。いや、すでに次期法主内定者と断じても不都合はないであろう。
過去を振り返ってみても、総務の役職に就いた者のうち、十中八九までが法主の座を射止めており、僅かに成れなかったのは、病に倒れやむなく辞退するか、亡くなってしまった場合のみだからである。
しかも、神々しいまでの名誉を与えられ、天皇のように崇め奉られる法主より、首相のように実務の長たる総務の方が、ある意味実権を握っていた。経理や人事を一手に掌握する総務の権力は、想像より絶大なのである。
つまり、清慶はこれ以上ない権力者を後ろ盾としていることになるのだ。さらに言えば、現役であろうと過去であろうと、執事長を務めたこと自体は、新貫主の人選に直接的な関わりはない。さりとて、五年もの長きに亘る法国寺への貢献を、全く無視することもできないのが人の情というものであろう。
尚、別格大本山法国寺貫主への立候補の条件は、「権大僧正」の僧階を有する者に限られた。つまり、大本山か本山の貫主を務めた者しか手を上げる権利がなかった。
藤井清慶は、未だ大本山や本山の貫主の座に就いたことはないが、過去に本山格を有する総本山・奥の院の別当を務めており、特別に権大僧正の僧階を得ていたのである。本来、高尾山奥の院は総本山の管轄下にあり、在野の僧侶が別当に就任することはない。
だが、何事にも裏事情というものがある。清慶の生家が華の坊という名門宿坊であること、そして総務という要職にある兄清堂の威光もあり、寄進という形で別当の役職、権大僧正という僧階を買ったのである。
もう少し正確に言えば、名前を連ねただけであり、実務は執っていない。実に嘆かわしいことではあるが、他の仏教宗派でも見られる慣行である。たとえば、その宗派なり寺院なりの歴史の長さと、法主なり貫主なりの世代数を照らし合わせれば一目瞭然であろう。
総本山の有力宿坊である華の坊に生まれた清慶ではあるが、後継者以外は……大抵は長男が後継者となる……総本山に留まることを許されないという天真宗の規約に則り、在野に出されたのである。
「藤井さんだと、こっちには都合が悪いということですか」
森岡は、これもまた承知のうえで確認を取った。
「そうや。藤井清堂、清慶兄弟の生家は、総本山の有力宿坊の一つ、華の坊でな。神村上人が修行を積んだ滝の坊とは、長年の宿敵関係にあんねん。これまでも、法主擁立を巡って覇を争ってきた歴史があるんや。久保はその華の坊で得度した兄弟弟子なんや。せやから、清慶が法国寺の貫主になれば、当然本妙寺の貫主には久保を押すことになり、せっかくの優位が、また逆転されるというこっちゃ」
「どうも、清慶が貫主に決まったような口ぶりですが、どうにもならないのですか」
「非常に難しいな」
東良はさらりと言って退けた。
まず、大本山の寺院名と貫主は、
静岡 大真寺 結城
法真寺 窪園
国真寺 作野
京都 別格法国寺 黒田(引退)
本妙寺 山際(死去)
傳法寺 大河内
東京 興妙寺 立花
澄福寺 芦名
千葉 龍門寺 大塚
ということになるのだが、当該の法国寺と貫主不在の本妙寺を除く、七ヶ寺の合議ということになる。
その七ヶ寺の中で、総本山のお膝元である静岡の大真寺、法真寺、国真寺の三ヶ寺は、これまでの通例として、次期法主就任に向け、すでに清堂の息の掛かった者が貫主の座にあると考えるのが妥当であった。
そうでなくとも、総本山を補佐する役割も担う三ヶ寺が、次期法主の意向に逆らうはずもない。もっとも、この三ヶ寺だけでなく、大なり小なり全国の寺院も同じではある。
京都の、もう一つの大本山傳法寺の大河内貫主は、本妙寺の件で久保を支持している。となれば、その繋がりから、当然清慶支持に回ると見るのが妥当であろう。つまり、この時点で四ヶ寺を抑えたことになり、事は決してしまうのである。
谷川東良はいつにも増して饒舌だった。
すでに落ち着きを取り戻していた森岡には、それが奇妙に映っていた。先ほどからの東良の冷静とも取れる態度は、まるで降って沸いたこの難局を歓迎しているかのようだったからである。
「藤井清慶が本妙寺の貫主に久保を押したとしても、まだ五対六と接戦です。新たに寝返りする者を探しましょう。それこそ、一色は金に転ぶような人物ですから、この際二億でも三億でも積みましょう」
森岡は、意地でも金にものを言わすつもりだったが、
「いや、それも今度ばかりは無理だろうな。それどころか、むしろこれまで神村上人を支持してくれていた上人たちが、雪崩を打って向こうに寝返る可能性の方が大きいと覚悟せにゃならんだろう。なんせ、清慶の背後には次期法主が控えているのだからな。誰が好んで反目しようなどと思うものか。清慶が貫主になってしまえば、後の祭りや。せやから、私らに残された道は、清慶の法国寺・貫主就任を水際で阻止するということだけなんやが、それかて、東良が言ったように圧倒的に不利な状態で、なんぼ考えても打開策の端緒すら見つからないのが現状なのだ」
と、東顕までが冷酷なまでに森岡の意地をもへし折った。
非の打ち所のない論旨だった。
清慶が法国寺の貫主の座に就けば、本妙寺の貫主には久保を推薦することは明白であり、森岡のこれまでの苦労は水泡に帰すことになる。それを避けるためには、何としても藤井清慶に、いや藤井兄弟に対抗する候補者を担ぎ出さなければならなかった。
だが、すでに四ヶ寺を押さえていると思われる相手に、つまり初手から負け戦とわかっている戦いに、誰が好んで挑むであろうか。しかも、次期法主に弓を引くことと同じという、場合によっては自己及び家門の将来に禍根すら残しかねない、あまりにも代償の大きい戦いであればなおさらであろう。
まさに、最大最強の難敵が神村の、そして森岡の行く手を立ち塞いでしまったのである。
だからといって、神村は潔くこの戦いから撤退し、捲土重来を期すということも適わなかった。宗教の世界は、今回駄目なら次の機会、というわけにはいかない世界なのである。
たとえ神村ほどの英邁な人格者で、千日を越える荒行を達成し、宗門の歴史に金字塔を打ち立てた不世出の傑物であっても、次の機会などどこにも保証されていないのが現実なのだ。というより、むしろ若くして名を上げた神村であれば尚のこと、先達から嫉妬や反感を買うことが想像できた。
貫主の座は、いわば天・地・人、この三者の縁が結び合って齎される天与の機会なのである。
森岡は、神村が憔悴し切っている理由を、まざまざと突き付けられたのだった。
沈痛な空気が部屋中を覆っていた。
次々と運ばれる会席料理にも、誰一人として箸を付けることがなく、四人はただ空きっ腹に酒を流し込むだけであった。
ふと雨音に気づいた森岡は庭に目をやった。
昼間の陽気が嘘のような雨脚の強さだった。地面を激しく打ち付ける雨粒は、まるで彼の心を殴打するかのように容赦がなかった。
さて、どれほどの時間が過ぎ去ったであろうか。
ふいに森岡の脳裡にずいぶんと昔の記憶が甦る。
それは彼が神村の書生になって間もない頃の事だった。神村に随行して、名古屋のとある寺院に建立された多宝塔の落慶式法要に参列したことがあった。
多宝塔とは、法華経の経典によれば、釈迦が法華経を説法しているとき、多宝塔が現れ多宝如来が釈迦に半座を譲ったとある、ということに由来している。
現在、日本で見られる初重を平面方形、二重を平面円形とする二重塔は、我が国独自の形式であり、初重内部には仏像を安置するのが原則で、大日如来を本尊とする例が多い。
ともあれ、なにせ多宝塔の落慶式に臨むことなど初めてであり、兎にも角にも大急ぎで略礼服を新調し、身形だけは整えて参列したのだが、その折、ひときわ丁重な扱いを受け、それこそ周囲が天皇と接しているかのごとく平伏す人物を目撃した。
後刻、神村に訊ねたところ、彼の師だという答えが返ってきた。
事実、神村には宗教上の師が二人いた。
一人は十三歳で得度したときの師である、滝の坊の中原是遠であり、もう一人が千日荒行を導いた「天山修行堂」の正導師、鎌倉長厳寺住職・久田帝玄である。
天山修行堂は、帝玄の父帝法が開基した個人所有の修行堂である。総本山の宿坊である滝の坊で得度した神村であれば、本来なら妙顕修行堂で荒行を積むのが筋であったが、師である中原は神村の希望を受け入れ、天山修行堂でのそれを許可した。
中原は、総本山の宿坊僧にあるまじき行為と、周囲から非難の集中砲火を浴びることになったが、久田帝玄の力量を知る彼は、終始一貫神村の思うとおりにさせたのである。
森岡の頭の片隅に、その久田帝玄は、皆から「鎌倉の御前様」と呼ばれるほどの大人物である、と聞かされていた記憶が残っていた。
森岡の一言が長い沈黙を打ち破った。
「あのう。では、鎌倉の御前様でも勝てませ……」
言い終える前に、思わぬ名前を耳にしたのか、三人は一瞬目線を上げ、お互いの顔を見合ったが、次の瞬間首を振って元の姿勢に戻ってしまった。
東良があっさりと否定した。
「それは無理やろ」
「御前様でも無理ですか」
森岡の顔に落胆の色が射した。
「断っておくが、勝てんという意味やないで、他の者とは違って、御前様なら勝てる可能性は出てくる。俺が言うのは、担ぎ出すこと自体ができんという意味や」
森岡には、言葉の意味が理解できなかった。
「何故ですか」
「君も鎌倉の御前様と呼んだぐらいやから、久田上人のことは多少なりとも知っていると思うが、とんでもない大物やねん。大物過ぎてあかんのや」
「いったい、それはどういうことですか!」
森岡は、つい語気を強めてしまった。東良の回りくどい言い方に、苛立ちを覚えた彼は、先刻からの鬱積した感情が込み上げたのである。
「あんな。御前様は、いまさら法国寺の貫主の座なんて望んでおられんということや」
東良も吐き捨てるように応じた。だが森岡には、それが言葉を荒立てたことに対する憤りを露にしたというよりは、久田擁立を申し立てたこと自体が不快であるかのように聞こえ、ますますわだかまりを募らせることになった。
久田帝玄、法名を栄魁と号する大物中の大物であった。皆から鎌倉の御前様と呼ばれ、影の法主とも目されているほどの実力者だった。
それには明確な理由があった。
今でこそ一大勢力を誇る天真宗も、過去には幾度となく衰退した歴史があり、その中でも最たる苦難の時代が、戦中から戦後に掛けての一時期であった。
総本山といわず、在野といわず、諸寺院の活力は失われ、僧侶の心は荒み、つれて壇信徒の信心は薄れて行った。
その結果、宗門は衰退の一途を辿り、目を覆うばかりの壊滅状態に陥っていたのである。
その未曾有の危難を救ったのが、まさに帝玄の父帝法その人だったのである。
この惨状を見るに見かねた帝法は、一念発起して全私財を投じ、東京八王子にある大本山興妙寺の敷地内に、根本修行道場である天山修行堂を建立すると、全国から数多くの僧侶を無償で受け入れ、自らが導師となって鍛え育て、世に送り出した。それが天真宗の屋台骨を背負う逸材の輩出に直結し、宗門の復興に大きく寄与したのである。
帝法は、いわば天真宗中興の祖であり、おそらくその貢献度は、数百年後の未来から振り返えったとき、指折り数えられるほどの偉大なものに違いなかった。
帝法によって、幼少期より厳しい研鑽を積まされ、その天賦の才に磨きが掛かり、僧侶としての高みに到達した帝玄もまた、父帝法亡き後、その志を受け継いで天山修行堂の一層の拡充に努めるなど、引き続き宗門の復興、隆盛に尽力した。
この父子二代に亘る功績の対価として、天山修行堂は個人所有の寺院としては、異例の本山格の扱いを受けているばかりでなく、総本山の妙顕修行堂と同様、僧侶の位づけを決定する格式を有する存在として、容認されているのである。
現在に照らし合わせれば、宗門の高僧の多くが、この天山修行堂で荒行を積んだ者たちであり、特に六十代以下の高僧は、そのほとんどが導師帝玄の指導を受けた者たちなのである。
もし法主の座が、全国二万にも及ぶ僧侶の投票で決するとすれば、圧倒的な得票をもって帝玄が選出されると予想された。それが、彼をして影の法主と目される所以であった。
また、帝玄が所有するもう一つの寺院である長厳寺は、格式こそ末寺とはいうものの、三万坪にも及ぶ広大な敷地に、本堂他多くの別院が建立されている佇まいは、本山と見紛うほどであり、経済的には大本山ですら太刀打ちできなかった。
その現状が、東良から帝玄を担ぎ出す目算を消し去っていたのである。
帝玄のほどの実力者である。他の僧侶とは異なり、ただ一人、欲すればいつでも、いかなる大本山や本山であっても、貫主の座に就くことができたと思われる帝玄である。
当年、齢八十歳を迎え、すでに功成り名を遂げている彼が、たとえ在野僧侶の目指す最高峰、別格大本山法国寺の貫主といえども、いまさらその座を欲するとはとても思えなかったのである。
「いや、御前様の御意思とは関わりなく、それはできない」
沈黙を通していた神村もまた、強い口調で否定した。
それは、森岡に対してというよりは、自分自身に言い聞かせたようであった。神村は、帝玄の意思を忖度した東良とは異なり、師の対面を慮っていたのである。
「しかし、他に心当たりの人物がいないのでしたら、御本人に相談するだけ、してみてはどうでしょうか」
森岡は、神村の顔色を窺いながら、心中に十分配慮したうえで誘い水を向けたが、神村が首を縦に振ることはなかった。
またしても静寂が座を支配した。
それを打ち破ったのは東顕だった。
「いや、案外良い手かもしれない。もし、御前様が出馬されれば、興妙寺と龍門寺が押さえられるから、勝ち目も多少は出てくる。それに、何といっても神村上人は御前様の大のお気に入りやから、ひょっとすればひょっとするかもしれんしな」
東顕は、全国の宗門僧侶二万人を見渡したとき、藤井兄弟に対抗するという意味において、帝玄こそがこの上ない人物であると承知していた。それは僧侶としての位や格というだけでなく、帝玄であれば二ヶ寺を押さえることが可能なのである。
天山修行堂との関係により、興妙寺は古くから久田の意向の下にあること、また千葉・龍門寺の現貫主大塚は、帝玄の一番弟子であることを東顕は知っていた。
「さすがは森岡君だ。このような妙手を思い付くとはな」
東顕は感心しきりで褒めた。
それでも、神村は決断をしかねていた。彼は、いくら二ヶ寺を押さえられたとしても、不利な情勢に変わりなく、結果として敗戦を喫し、恩師である帝玄の名に傷を付けることを憚っていたのである。
森岡は、本妙寺の件が暗礁に乗り上げたときよりも、さらに増して苦悩に悶える神村を目の当たりにし、その心中が手に取るようにわかっていた。神村は、自身のことより恩師の人生に落選という汚点が付くことを恐れていた。その想いは、森岡の神村に対するそれと、寸分違わず重なっていたのである。
神村の心情を深く理解した森岡は、それ以上の口出しを控えることにした。
すると、東良が掌を返したように訴えた。
「上人、頼むだけ頼んでみましょうよ。上人の気持ちはようわかりますよ。せやけど、このまま黙って退いてもええのですか? 横車を押してんのは向こうですよ。亡き山際上人の貴方に懸けた想いや、無理やり勇退させられた黒岩上人の無念を捨て置くつもりですか」
その、兄東顕に追従したかのような心変わりに、森岡は芝居じみた胡散臭さを感じていた。だが、情に絆され易い神村にはそれが功を奏した。
目を閉じたままじっと聞いていた彼は、やがて顔を天井に向け、
「山際上人や黒岩上人の想いもそうだが、貴方たち三人のこれまでの努力も無駄にするわけにもいかないな」
と迷いを断ち切るかのように言葉を紡いだのである。
「そうと決まれば、私も同伴しよう」
東顕が申し出た。
「いや、わざわざお上人に御足労を願うまでもありません」
神村は恐縮して断わったが、
「遠慮はいらない。実は、近々御前様には挨拶しておこうと思っていたのだ」
と、長男に荒行をさせる腹積もりだと打ち明けた。
「それに、東良は当てにはならんしの」
皮肉交じりの言い様に、東良は眉を顰めた。確かに荒行を一度しか成満していな
い東良は久田の覚えが悪かった。
「では、もう一人、鹿児島の菊池上人にも同行を願うことにしようか」
神村の提案に、
「菊池上人ですか……それは、良い考えですね」
と、東良は一瞬当惑した表情を浮かべた後、不自然に同意した。
神村は、ただ久田帝玄を説得する可能性を高めるべく、旧知の仲である鹿児島県鹿児島市の冷泉寺住職で、九州地区寺院会・副会長の要職にある菊池龍峰の助力を求めようとしただけである。にもかかわらず、何故東良が気乗り薄の反応を示したのか、森岡には解せなかった。
戦国時代、九州の有力大名だった菊池家の末裔という、名門家出身である菊池龍峰は、神村より五歳年上で、天山修行堂においては、開堂以来五指に入るほどの逸才であり、同世代の神村とは「天山の竜虎」とも並び称されたほどの偉才の持ち主であった。
菊池は戦国大名の血を受け継ぐ者らしく、豪放磊落で親分肌の気質だった。神村と谷川を実弟のように可愛がり、傍から見ると、三人はまるで古史である中国三国志の劉備、関羽、張飛の義兄弟の交わりのように仲が良かった。
森岡が書生をしていた頃、年に数度は神村の経王寺に集まり、深夜まで酒を酌み交わしていた。宗務上の話が終わると、彼も末席に加えてもらっていたのだが、その度にこの三人が羨ましくて仕方がなかった。
森岡には、親友と呼べるほどの友がいなかった。坂根好之の実兄秀樹が、唯一の親友といえたが、仕事上の相談をする関係にはなかった。
三国志でいえば、森岡は趙雲のような、子飼いの存在になることを望んでいた。哲学、思想といった学識や見識では、遠く足元にも及ばないことを自覚していた彼は、とうてい諸葛亮孔明のような存在には成れないと諦めていた。
森岡が、三人に勝る可能性があるのは、唯一「金」である。彼は財力を持って神村の力になりたかった。今回の騒動もそうだが、神村が抱く夢の実現にはとてつもない資金が必要だった。
森岡は、その大半を自分の力で賄いたいと望んでいた。それが、神村に命を救ってもらった恩返しだと思っていたし、何よりもすでに神村の夢を我が夢とし、生甲斐としていた彼の宿願にもなっていた。
彼がITという分野の事業を起こしたのも、時流に乗っていて比較的株式を公開し易く、巨万の富が得易かったからである。彼はそうして手に入れた金を、二人の夢の実現に充てようとしていた。彼は、それほどまでに神村を唯一無二の存在として尊崇していた。
森岡は、神も仏も信じてはいなかった。神村こそが彼にとっての神仏であり、宗教そのものだったのである。
だが見方を変えれば、森岡にとってそれは不幸なことでもあった。神村以外の何人も認めようとしない態度、もう少し正確にいえば、眼中にすら入れないという、一種の純粋たる偏見は、彼の視野を狭くし、多様性という価値の概念を閉ざすことになった。




