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黒い聖域   作者: 久遠
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               (3)盗難

 この顛末は、菊地龍峰から瑞真寺門主の栄覚にも知らされた。受話器越しに、森岡をやり込めた仔細を意気揚々と述べる菊池と違い、栄覚の面からは血の気が引いていた。

――総務清堂が久田帝玄のために頭を下げただと? 森岡が二人の確執を取り除いたというのか……。どうすれば、いったいどのようにすればそのような離れ業ができるのだ。

 栄覚は眉を顰めた。

――これで、総本山と在野との間に楔を打つための画策は徒労に終わった……。

 栄覚は、すぐさま執事長の葛城を呼んだ。

 居住まいを質した葛城に向かい、

「是が非でも森岡と会わねばならなくなった。手立てを考えてくれないか」

 と頼んだ。

「何かございましたか」

「私の野望を阻むのは、神村ではなくこの男かもしれない」

「お言葉を返すようですが、それほどの男ですか」

「森岡が総務清堂と久田の仲を取り持ったようだ」

「まさか、そのようなことが」

 葛城は唖然として呟いた。

「さきほど、九州の菊池上人から連絡があった。まず間違いなかろう」

「そこで、御門主が直接人物鑑定をなさるというのですね」

「後顧に憂いを残したくないのでな」

「しかし、御門主様の存在も相手に知れてしまいますが」

 葛城は懸念を指摘した。

「それは心配ない。他人に成りすまして会おうと思っている」

「……では、どのような設定にするかですね」

「そういうことだ。何か良い知恵はないかな」

 葛城は左手を顎の下に充て首を傾げた。

「なかなかに難題ですね」

「だから、君に相談をしているのじゃないか」

「はっ、恐れ入ります」

 葛城は満足そうに頭を下げ、

「では、奴の会社の主要取引先か、前職の関係者を使いましょうか」

 と提案した。

「森岡の前職は確か……」

「筧の話では菱芝電気ということです。菱芝の役員には立国会の会員がいたと思います」

「立国会……、勅使河原か」

 門主は気のない声を出した。それが葛城には解せなかった。

「一つお伺いして宜しいでしょうか」

 葛城は顔色を窺うように訊いた。

「何かね」

「御門主は勅使河原会長と昔馴染みでございましょう」

「関東大学でゼミが同じだった」

 栄覚は渋い顔で答えた。

 栄覚と勅使河原は、私立の名門である関東大学在学中に知り合った。大いなる野望を抱く栄覚にとって、立国会の総帥を父に持つ勅使河原公彦は魅力的だった。

 だが、すぐに彼の人格に疑問を抱いた栄覚は適当に距離を置いて付き合うようになった。したがって、勅使河原は栄覚の真の野望を知らない。

「では、なぜ此度の画策に会長の助力を願わないのでしょうか」

「何が言いたいのかな」

「会長から資金提供を受ければ、森岡など何ほどのことがございましょう」

 葛城は鼻で笑うように言った。

「執事長は金銭的支援を断っている理由が知りたいのだな」

「はい」

「執事長は勅使河原と会ったことがあるかな」

「二、三度お会いしました」

「その程度では見抜けないのも無理はないか」

「はあ?」

 葛城は怪訝な面をした。

「執事長、彼の魂には『きず』があるのだよ」

「瑕、でございますか」

「そうだ、瑕だ。瑕というのは『けん』とは違うのだ」

「疵と険、でございますか」

 葛城はわけがわからない顔つきで訊いた。

「そうだな。樹木に例えるならば、険は『節』に過ぎないが、瑕は『裂傷痕』だ。共に御柱おんばしらには用いられないが、節であれば天井板、床板等に使い道はある。だが、裂傷のある木は廃材として他に転用するしかないのだ」

 葛城は、栄覚の言いたいことがわかったように肯いた。

「なるほど、勅使河原会長に関しては悪評も伝わっております」

 だが栄覚は、

「勘違いをしてはいけないよ、執事長」

 と間違いを質した。

「はい?」

「善人、悪人とは違うのだ。そうだな、たとえば神王組の蜂矢は、険は有っても瑕は無い」

「うーん」

 葛城は考え込んでしまった。

「執事長は、荒行は何度かな」

「恥ずかしながら一度です」

 思わぬ問いに葛城は困惑顔で答えた。

――一度ではわかるまいな。

 栄覚は心の中で呟いた。

「さて、良い機会だ。以前約束した私の悲願を話しておこうか」

 と、栄覚が手招きをした。

「私は、ただ法主になるだけでは飽き足らないのだよ」

 と近づいた葛城に向かい不敵に笑った。

 葛城は、しばらく思いを巡らし、ふと思い当った。

「まさか、そのような大それたことを……」

 葛城は驚愕の面で栄覚を見つめた。

「勿体なくも、私は御宗祖様に連なる者の末裔であるからな。魂に瑕ある者を必要以上に近づけるわけにはいかない」

 そこで語調が変わった。

「そうは言ってもなあ、今はまだ立国会の力は必要なのだよ」

「おっしゃることはごもっともでございますが、お言葉を返して宜しいでしょうか」

「この際だ。遠慮はいらん」

「真の望みを果たすには、ますますもって会長の金銭的支援が必要ではないでしょうか」

「執事長、その心配はいらない。我が手には先祖伝来の家宝があるのだ。それも莫大なものがな」

「それでは……」

「なぜ、それを使わないのか、というのだろう」

 栄覚が葛城の言葉を奪った。

「ご賢察のとおりです」

「一つだけ問題があってな。私が法主にならないと、その伝家の宝刀は使えないのだ」

 はて、どういうことか? と思案顔の葛城に、

「金のことは心配ない」

 と言った栄覚の面に陰影が宿った。

「それより、当寺が抱える積年の懸案の方が問題なのだ。今後大きな障壁となる可能性が大きい」

「以前おしゃられた負の遺産でございますね」

「処置を間違えば、私の野望どころか、この瑞真寺の存続さえ危うくなるかもしれぬ」

 栄覚は沈痛に顔を歪めた。

 葛城は、栄覚のこれほどまでの憂いを見たことがなかった。

「そ、それほまでの大事でございますか」

 うむ、と肯いた栄覚は、

「打ち明けるからには、骨身を惜しまぬ協力をお願いしたい」

 栄覚は、子犬が主人に縋るような目で葛城を見つめた。

「おっしゃるまでもありません」

――御門主をして、これほど不安な目にさせる懸念とはいったい何なのだ。

 葛城は息を呑んで栄覚の口元を注視した。

「実はな、執事長。当寺には御本尊様がいらっしゃらないのだ」

「な、にゃあ?」

 葛城はなんとも奇妙な声を発した。

「い、いま何とおっしゃいましたか」

「御宗祖様が手ずから彫られた最古の釈迦立像は御不在だと言ったのだ」

「ど、どこかにお預けになったのですか」

 葛城はその寺院と、返す返さないで争いになっているのだと思った。一般には知られていないが、他宗を含めままあることである。

「執事長、そうであれば苦労はせぬよ」

 栄覚はほろ苦い顔をして言った。

 葛城は愚かなことを口にしたと後悔した。貸与したのであれば、瑞真寺に瑕疵はなかった。

「御本尊様は盗難に遭っているのだ」

「な、なんですと!」

 驚愕の声を上げた葛城であったが、数瞬後、ふと得心した顔つきになった。

「それで、当寺は出開帳を封印してきたのですね」

「そういうことなのだ」

 栄覚は弱々しく肯いた。

 開帳とは、寺院で特定の日に、厨子の帳を開いて中の秘仏を一般に公開することである。特に御本尊などは国宝や重要文化財に指定されているものが多いため防犯上のためと、数年から数十年に一度の開帳とすることで値打ちを高める狙いがあった。

 出開帳とは、所有寺院以外の場所に出張して開帳することをいい、所有する寺院で開帳することを居開帳といった。

 出開帳とする理由は簡単である。本来寺院の多くは山に有ったことから、多くの参拝客を集めるには不向きな場所が多かった。そこで、比較的市中にある寺院に依頼して場所を借り受けるのである。

 開帳する最大の目的は、仏の功徳を庶民に施すということだったが、江戸時代からは商業色が色濃くなっていった。すなわち、檀家や参拝客等からの布施や賽銭目的が主眼になったのである。

 出開帳で有名なのは、江戸時代の成田山新勝寺なりたさんしんしょうじで、本尊の不動明王を江戸などの他の場所に移して開帳した。

 余談だが、歌舞伎の大名跡市川家の屋号を成田屋というのは、江戸時代の初代市川團十郎が、父の縁のあった新勝寺に子宝祈願したところ、見事嫡男を授かったことに始まる。

 初代團十郎は報恩に感謝し、座で『成田不動明王山』という芝居を上演したのだが、これが大当たりし、大向こうから『成田屋!』と掛け声が掛かった。そこで成田屋を屋号としたのが由来である。

 秘仏の開帳は毎月、毎年、七年、三十三年、六十年に各一度と周期的に行われるのが多いのだが、瑞真寺の本尊は三十三年に一度の周期で開帳していた。ところが、一七三五年(享保十九年)の開帳以来、厨子の帳は開いていない。

 瑞真寺の御本尊は、宗祖栄真大聖人の処女作という秘仏中の秘仏であり、ひとたび開帳すれば巨万の富が転がり込んでいた。現在であれば、他に収入の道を求められなくもないが、江戸時代の瑞真寺であれば、出開帳ほど確実で高額な布施を見込める事業はなかったはずである。

 然るに、なぜ瑞真寺は出開帳を中止したのか。

 瑞真寺の歴代門主はその疑問に、『開帳するかしないかは当寺の勝手』と、口を揃えて苦しい抗弁を繰り返していた。不幸中の幸いと言うべきか、当時の瑞真寺には檀家がなかった。したがって、信者から必要以上の突き上げを食らうことがなかったのだが、当然のことながら末寺が無い瑞真寺は、経済的困窮を強いられることになった。

「しかしなぜまた、盗難などに」

 遭ったのか、と葛城が訊いた。  

「江戸享保時代、鎌倉の長厳寺で出開帳をした後、帰路の途で紛失した」

「長厳寺ですと? 最後の出開帳は目黒の澄福寺ではないのですか」

「公式の記録ではそういうことになっているが、実は長厳寺が最後なのだ」

「なんと、それで犯人はわかっているのですか」

「残っている備忘録には、長厳寺の寺侍と下働きの小者が姿を暗ましたとある」

「御門主は長厳寺の仕業と疑っておられるのですね」

 栄覚は憎々しげな顔つきで肯いた。

「当時の栄経上人もそのように思われ、人を使って水面下で詮索されたようだが、長厳寺が首謀者だという確たる証拠は見つからなかったようだ」

「鎌倉を蛇蝎だかつのごとく毛嫌いされておられる理由がようやくわかりました」

 葛城は得心の顔で言った。鎌倉とは久田帝玄のことである。

「御先祖様方の屈辱を晴らすため、何としてもあ奴に鉄槌を加えてやらねばならない」

「いかにも」

「そこでじゃ。この負の遺産を私の代で清算してしまいたいのだ」

「私に手立てを考えよ、と?」

「済まぬが頼む」

 栄覚が深々と頭を下げた。

「頭をお上げ下さい。御門主様のお役に立てるのであれば、これに勝る喜びはございません」

 ありがとう、と言って頭を上げた栄覚に葛城が言葉を続けた。

「もし、当寺の御本尊が長厳寺に渡ったのであれば、もしかしたら闇社会に流れている可能性があるのではないでしょうか」

 久田帝玄は、稲田連合傘下の金融会社からの借金の形に法国寺の宝物を渡していた。法国寺の宝物に手を出すくらいなのだから、秘仏である釈迦立像も手放しているのではないか、と葛城は推量したのである。

「なるほど、私としたことが迂闊だった」

 栄覚は唇を噛み締め、

「菊地上人に確認を取ることにしよう」

「お待ち下さい。菊地上人が手元に置いたのは一品で、御宗祖様の御真筆だったはずです」

「そうだった。となると稲田連合ということになるが、奴らではどれがどれだか見分けが付くまい」

 栄覚は悔しげに言った。

「お言葉ですが、そうとも限りません。昨今の極道者は目敏いですから、仏像の目利きもいるはずです」

「となると、稲田連合に伝手は無いが……」

「それは私がどうにかしましょう」

「手間を掛けるな」

 と、栄覚は感謝の言葉を掛けた。

 はっ、と葛城は居住まいを正した。









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