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黒い聖域   作者: 久遠
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               (6)錬金

 その日の午後、森岡は郭銘傑の自宅に出向いた。銘傑とこの日の夕食を共にする約束をしていたが、林海偉の依頼を相談するため、急遽時間を空けてもらったのである。

 銘傑の生家は、林海偉と同じく天母にあったが、三男の銘傑は大同区に四階建ての小さな自宅ビルを建てていた。大同地区には台北最大の漢方、乾物街があり、お寺も多く下町の雰囲気を残すエリアである。交通の便もよく、商業エリアの中山区にも近くて便利な場所である。

 昭燕手作りの飲茶を口にしながら、森岡は銘傑に腹を割った。彼は真に信用のおける男なのだ。

「林さんが沈美玉をお前に……」

 銘傑がまずもって驚いたのはそのことだった。

「彼女を知っているのか」

 四歳年上の銘傑は、森岡のぞんざいな口の利き方を許している。

「そりゃあ、知っているさ。二年前の美少女コンテストで優勝した娘だからな。いつデビューするか注目されているよ」」

 台湾にもアイドル発掘プロジェクトがあるのだという。

「彼女はそんなに有望な娘だったのか」

 森岡の呟きに、

「そんな彼女を引き受けてしまったのだから、責任重いわよ」

 昭燕が脅かすように言った。

「台湾のファンのためにも是が非でも日本でスターにしなければと思っている」

 森岡があまりに深刻な顔をしたものだから、

「冗談よ、彼女なら放っておいてもスターになるわ」

 昭燕は笑いながらそう言うと、席を外した。森岡の話が重大なことだと察したのである。

「林さんの言う悲願というのに見当が付くか」

「お前、どうして直接聞かなかったのだ」

「あの場で訊いてしまうと、断れない気がしたのだ」

 そうだろうな、と銘傑は森岡の判断に理解を示した。

「ブックメーカー事業に参加したいということは、黒社会の賭博の勢力図を変えたいということだろう」

 黒社会とは台湾の裏世界のことである。

「それが悲願とどう繋がるのだ」

 森岡がわからないのはそのことであった。

「台湾の黒社会は、大きく本省掛と外省掛とに二分されている」

 本省掛とは本省人、つまり古くから台湾に住むヤクザを差し、外省掛とはその後、台湾に移り住んだヤクザということである。

 両者は激しい勢力拡大抗争を繰り返すことになったが、外省掛は蒋介石率いる国民党と共に台湾に移ったヤクザであるから、政界との結び付きは深く、つれて警察や軍隊とも融合するなどして勢力を拡大したのである。

 たとえば現在、日本でも有名な台湾の『プロ野球の闇賭博』の大部分を外省掛が仕切っていると言われているが、それだけで一年間の賭け金総額は一兆円を超えると推測されているのだ。一説には五兆円という話もあるが、裏社会の事だけに正確な数字はどこにもない。日本の地下経済が百兆円とも三百兆円とも言われているのと同様である。

 もし仮に五兆円であれば、人口やGDPの比較からして日本より相対的に多額になるが、これは多分に台湾人の気質によるところが大きい。台湾人は、口癖で『要不要賭? (賭けるのか?)』という言葉を、大人から子供まで口にする民族なのである。もっともそれは、ギャンブルというより人と意見が違う場合に、それを証明するためという性質が濃いのであるが……。

 ともかく林海偉は、その闇の利権を少しでも本省掛に取り戻したいという野望があった。野望というより悲願と言った方が正確だろう。というのは、現在中国は実質上の台湾併合を軍事や政治の面から推し進めているが、この正面突破は台湾人の強力な抵抗に遭い、頓挫することが目に見えていた。

 では中国が打って出る次の一手は何か?

 林海偉は、いずれ中国は『以経促統』という政策に転換すると推測していた。経済を以て統一を促す、つまり経済交流を拡大し、台湾の中国市場依存度を高めてから絡め取る戦略である。そのとき、手始めとなるのは間違いなく地下経済だと読んでいるのである。

「おいおい、俺はそんなややこしいことに巻き込まれようとしているのか」

 さすがの強心臓の森岡も、

――結論を先延ばしにして正解だった。

 と背に冷や汗を搔いていた。

「しかし、お前は台湾の宝石を受け取ってしまったのだ」

「あの状態に置かれて、断る方が馬鹿というものだろう」

 郭銘傑の皮肉めいた言葉に、森岡は口を尖らせた。

「それより、もし俺が林さんの要望を受け入れたとして、命の方は大丈夫なのか」

 暴力団同士の抗争にはならないのか、との問いである。

「全く無いと断言はできないが、その可能性はかなり低いと思う」

「そうなのか」

 森岡は意外という顔をした。 

「お前のブックメーカー事業は、英国政府公認のものだろう」

「そうだ」

「誰かが勝手に台湾でその手の事業をするというのであれば、暴力団は黙っていないだろうが、客がインターネットで英国のサイトに賭けるのだから文句を言う捌け口がない」

「表向きはそうであっても、水面下で蠢くのがヤクザだろう」

「たしかにそうだが、一昔前と違って今は警察の監視が厳しいから、末端のチンピラ同士の小競り合いはあっても、大きな抗争に発展することはない。ましてや、林さんのような台湾財界の大物の命を殺ってみろ。社会全体から反発を買うことになる」

「そうなのか……」

 森岡は考え込むような素振りをした。

「どうかしたのか」

「いや、なに、お前の話を聞いていて閃いたのだが」

 と、森岡が銘傑を見据えた。

「お前がやってみないか」

「何を、だ」

「そのブックメーカー事業だよ」

 銘傑はあまりの衝撃に口にしていた飲茶を吐き出しそうになった。

「ば、馬鹿な。冗談もほどほどにしろ」

「冗談ではない、本気だ」

「だってお前、さっきまで林さんの要望に困惑していたじゃないか」

「それはだな、むやみやたらに台湾の黒社会に手を突っ込んだりしてみろ、命がいくつあっても足りないだろうが。でも、そうでないならブックメーカー事業をこっちで展開しても良い」

「そうだとしてもだ。それなら林さんに仕切らせなければ、筋が通らないだろ」

「そうかな。お前がやっても十分筋は通ると思うがな」

「どういうことだ」

「林さんは本省人の悲願と言った。お前も本省人だろう」

「うっ」

「私利私欲ではなく、本省人の利益のためというのが本当であれば、お前がやっても良いはずだな」

 森岡はにやりとほくそ笑んだ。

「しかしなあ、林さんがそれで承知するか」

「承知させるのさ。もし、どうしてもお前では駄目だと言うのなら、林さんは嘘を言ったことになるしな」

「……」

 それでも銘傑は踏ん切りが付かなかった。

 森岡の口調がさらに砕けたものなった。

「お前、いつまで役人なんかやっているつもりだ。それとも国会議員に転出する気なのか」

「議員? 笑わせるな。俺に政界への興味など微塵もない」

「昭燕さんが反対すると思うのか」

「たぶん彼女は賛成するさ。早く何か事業を始めろとうるさいからな」

 江昭燕は林海偉の親族である。林一族は、誰もが何某かの商売を行い裕福な生活を送っている。銘傑の兄弟もまたしかりである。役人、しかも官僚の端くれであるから生活は安定しているが、昭燕は物足りなさを感じているらしい。

「ならば、何を躊躇うのだ」 

「俺には政界や当局へのコネが無い」

「役人のお前にコネがないだと?」

 森岡は不審の声で訊いた。

「就職とか認可とか表社会のことであればどうにでもなる。だが、黒社会の賭博に手を出すのだぞ。万が一を考えて命の保証を確保しておく必要があるだろ」

「さっき、大きな抗争は無いと言ったはかりじゃないか」

「それは林さんだからだ。林さんは政治家から警察権力、本省掛だけではなく外省掛の一部にも人脈がある」

「じゃあ、お前の親父さんはどうだ」

 銘傑の父偉殷は、台湾最大の建設会社・台湾工程股份有限公司の董事長である。

仕事柄からいえば、林海偉より黒社会との繋がりは太いはずである。

「むろんある。あるが、親父は生来正義感の強い性格で必要最小限度の付き合いしかして来なかった。だから、その息子、しかも三男の俺となるとさらに細くなる」

「それは困ったな。何とかなる方法はないのか」

「ないことはないが……」

 銘傑が口を噤んだ。

「方法があるなら言ってみろ」

「金が掛かる」

「金か。金なら俺が作る」

「簡単に言うな。一億円や二億円ではないのだぞ」

 銘傑は咎めるように言った。

「当り前だ。一億や二億のはした金で堪るか」

 森岡も吐き捨てるように応じた。

「お、お前……」

 銘傑が不思議そうな眼差しを向ける。

「考えてみろ。命の保証を得るための工作資金だぞ」

 自分たちの命の値打ちは低くはないと言った。

「そりゃあそうだが、桁が一つ違うのだぞ。少なくとも二十億円、下手をすれば倍の四十億円ぐらいは掛かる」

「なあんだ、そんなものか」

 森岡は木で鼻を括るように言った。

「なあんだって、だと。お前、ウイニット上場時の利益を吐き出すつもりなのか」

「ウイニットの上場は数年先のことだからな、間に合わない」

「じゃあ、どうするのだ」

「俺は作る、と言ったはずだぞ」

「……」

 銘傑には謎掛けが解けない。

「まず、台湾に新会社を二つ創る。一つはウイニットの子会社だ。日本人スタッフが三名、台湾人スタッフが十名程度の会社で、もう一つは独立したIT関連会社で、十名程度日本から送り込み、百名程度の台湾人技術者を採用する」

「仕事はどうする。いきなり百名規模のIT会社を創って大丈夫なのか」

「独立IT会社は、ウイニットの子会社が日本本社から受注した仕事の下請する。今、ウイニットは山ほど仕事を抱えているからな、当面仕事には困らない。その後、台湾での受注を増やす努力をする」

「といっても、言語はどうするのだ」

 当然の懸念である。

 森岡も呼応するように肯く。

「問題はそこだ。コンピューター言語はほとんど問題ないとして、仕様書を日本語から中国語に書き変える作業が必要になるが、これは両方の言葉のわかるスタッフを揃えるしかないな。幸い、台湾には日本語が理解できる人間が多いから、アルバイトとして雇おうと思う。お前や昭燕さんのように日本語が堪能な者が最終チェックすれば、問題を最小限にすることができる」

 なるほど、と銘傑が肯く。

「高齢者の中には俺たちより日本語のできる人が多いから、彼らの再就職にも貢献することにもなるが、その分余計な費用が掛かるぞ」

「それはウイニットが負担するから心配するな。お前は、日本語の堪能な台湾人を数多く集めてくれたら良い」

「わかった」

 と、銘傑は肯いた。

「それで、その会社が数十億の利益を生むのか」

「馬鹿なことを言うな。IT会社がそんなに簡単に儲けられれば苦労せんわ」

「だったらどうするのだ」

「数年後に独立会社を上場させるのだよ」

「な、なに」

「ここでお前の今の立場が役に立つ」

 銘傑はピンときた。

「俺に証券局へ根回しをしろというのだな」

「その金は俺がすぐにでも出す」

「そうか、上場したときの利益を政財界にばら撒くという寸法か」

「違う」

「違う?」

「いくらお前が証券局の奴らに鼻薬を嗅がせても、上場までに二、三年は掛かるだろう」

「それはそうだな」

「それじゃあウイニットと同じだろうが」

「……」

「わからないか、未公開株だよ」

「未公開株……」

「資本金の一億円は俺が全額出す。六十パーセントをお前が所有し、残りの四十パーセントが贈答用だ」

 仮に二パーセントずつであれば二十名に手渡すことができる。未公開株については日本でも賄賂事件があったが、合法であればこれほど便利な利益供与の方法はない。

「お前の取り分がないじゃないか」

「台湾で金儲けなどするつもりはない」

 驚く銘傑に森岡は平然と言った。

「ともかく、上場時の時価総額が百億円であれば、四十名なら一億円ずつ、二十名なら二億円ずつばら撒ける。時価総額が二百億円ならその倍だ」

 銘傑は台湾の、日本でいう経済産業省の役人である。森岡は人気を煽って時価総額を上げろ、と催促しているのである。また、未公開株を受け取った方も、少しでも値鞘を稼ぐため、有望株だと勝手に吹聴して回るはずである。

 銘傑は思わず唸った。

「これがお前の錬金術か……」

 と言ったところで、あることに気づいた。

「台湾での会社設立、上場……、お前、まさか俺の立場を視野に入れ、端から俺に持って来たのじゃないか」

 森岡がにやりと笑った。

「ようやく気づいたか。台湾黒社会の現状を聞いてから、お前に勧めるかどうか決めるつもりだった。ところが、林さんから思わぬ申し出があって困惑していたのだ。だが、お前が引き受けてくれれば俺もやりがいがある」

「気持ちは嬉しいが、昭燕が何と言うか……」

「それもそうだな」

 森岡にも銘傑の懸念は理解できた。

「じゃあ、昭燕さんにも中に入ってもらおうか」

 昭燕が話の輪に入ったところで、森岡が大まかに説明した。

「森岡さんにここまでお膳立てしてもらって断わる法はないじゃないの。あなたが断るのなら、私がやらせてもらうわ」

 と、彼女は一も二もなく賛成した。彼女の方が肝が据わっているようだ。

「……だそうだぞ、銘傑。そろそろ腹を括ったらどうだ」

 森岡に続き、昭燕も催促するような目で銘傑を見た。

「二人にここまで言われて、断るわけにはいかないな」

「良し」

 と、森岡は膝を叩いた。

「日本に帰ったらさっそく一億円を振り込む」

「資本金のか?」

「違う、当座の軍資金だ。さっそく証券局など関係部署の懐柔に使ってくれ」

「わかった」

 と応じた銘傑が不安な顔を覗かせた。

「林さんはどうするのだ」

 仲間外れではないか、と指摘した。

「そこだ。実はもう一社、広告代理店会社を設立し、お前と林さんに株主兼役員になってもらう」

「ブックメーカー事業会社だな」

「違う、違うがな」

 森岡は強い口調で否定した。そこに侮蔑の臭いを嗅ぎ取った銘傑はムッとなった。

「なんだと!」

「あなた」

 昭燕があわてて諌めた。

「森岡さんの話を聞きましょうよ」

「俺がブックメーカー事業をやろうと思ったのは、英国政府公認のライセンスを取得したからだ。つまり、インターネットで英国の会社に賭けるのであれば日本の警察当局も取り締まりができないのだ」

「それはわかる」 

「警察当局だけではない。極道の世界も同じだ。日本国内で賭博場を開けば彼らの沽券に係わるが、英国の会社に賭けられたら文句の付けようがないからな」

「俺もそう思う」

 森岡は顔を銘傑に近づけた。

「台湾も同じだろう」

「では台湾の客も、英国のお前の会社に賭けるというのか」

「そうすれば外省掛との余計な悶着が避けられる。さっき、お前自身がそう言ったろうが」

「そうだが、それでは俺のすることは無いじゃないか」

 銘傑の疑問はもっともである。彼は、台湾国内に森岡のブックメーカー事業会社の子会社を設立し、インターネットを駆使した事業展開を図るとばかり思っていたのだ。

「大ありだよ」

 ここからが本論だ、と森岡は言った。

「まず、英国の会社には台湾部署を独自に設ける。そうすれば台湾からの掛け金を把握できるからな。そこから配当金と諸経費を引いた残りがお前の取り分ということになる」

「広告代理店というのが受け皿になるのだな」

「そのとおり」

「しかし、話を聞けば聞くほど俺の出番は無いように思うが」

「お前には、台湾での販促をしてもらう」

「販促?」

「闇の野球賭博の客をブックメーカーに向かせるという重要な役目だ」

「具体的には何をすれば良いのだ」

「基本的にはコマーシャルということになる。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネットとあらゆるメディアで告知しろ」

「費用はどうするのだ」

 銘傑の間の抜けた問いに森岡は嘆息した。

「俺は不安になってきたぞ。お前、役人なんぞになったせいで感性が劣化したのじゃないか」

「代理店の取り分があるじゃないの」

 昭燕が助け舟を出した。

「彼女の方が切れるみたいだな」

 森岡はもどかしげに笑った。

「十年後、日本の売り上げ総額は一兆円を見込んでいる。配当金に八十五パーセントを充てる。他に神王組へ四パーセントを上納し、諸経費が六パーセントと見込んでいる。つまり、利益は五パーセントということになる。台湾がどの程度になるかわからないが、仮に日本の十分の一としても五十億円が代理店の取り分となる」

「その金で販促しろというのだな」

「台湾の闇の野球賭博の掛け金は、少なくても年間一兆円を超えているだろう」

「さすがに良く知っているな」

「その一割を取り込めれば五十億、二割なら百億が取り分ということになる」

「百億……」

「もっとも、初期段階の費用は英国の俺の会社から補填してやる」

「広告代理店の方はお前も株主になるのだな」

 いいや、森岡は首を横に振った。

「俺が関与するのはウィニットの子会社だけだ。広告代理店の方もお前の好きにして良い。利益配分も上場時の利益もな」

「それじゃあ、お前は本当に骨折り損じゃないか」

 心配はいらない、と森岡が笑う。

「諸経費の中の一パーセントをコンサルティング料として貰うし、ソフトウェア開発はウィニットが独占する」

「コンサルティング料というのはわかるが、ソフトウェア開発って何だ」

「賭けの対象となる品目は、まず全世界向け共通のものを提供するが、各国の実情に向けて特別な品目を用意することになる。その場合は専用のソフトウェアを開発する」

「上手いことを考えるものだな」

 皮肉気な言葉に映るが郭銘傑にそのような意図はない。心底から感心しているのである。

「たとえば、台湾の野球賭博には複雑なハンディが付くな」

「お前、賭けたことがあるのか」

「ないさ、だが日本の野球賭博も同じようなものだ。といっても、日本でも賭けたことは無いぞ」

 森岡は銘傑の疑念の目に答えた。

「ともかく、そのハンディは台湾人だから判断できるのであって、野球に興味のない国にとっては到底理解できないだろうし、賭ける気もしないだろうな」

「それで台湾専用になるということか」

「むろん、費用はその国に出してもらうが、いちおう全世界に販売させてもらう」

「じゅあ、広告代理店は本当に俺と林さんで仕切って良いのだな」

 銘傑が念を押した。

「構わない。台湾には台湾の流儀があるだろうから、俺は一切口を挟まない。ただ、株式はお前と林さんが三十パーセントずつを所有し、残りを政財界のお歴々に所有してもらった方が良い。それと役員にも名を連ねて貰え」

「わかった。お前の言うとおりにしよう」

「本来であれば、お前に六十パーセントを渡すつもりだったのだがな」

「いや、林さんに参加してもらった方が俺も心強い」

「これで決まったな。この件は俺が林さんと話を付ける」

「明日、日本へ帰るのだろう。時間は大丈夫なのか」

「帰国する前に大まかな話をする。一度帰国してから、もう一度こちらに来る。そのとき、もう少し詳細に話を詰めよう」

「宜しく頼む」

 銘傑が頭を下げた。

「そうだ」

 と、森岡が思い付いたように言った。

「そのときは婚約者を紹介するよ」

「えっ? 婚約者……」

 昭燕が複雑な声を上げた。

「愛する女性ができた」

「ようやく気持ちの整理が付いたのね」

「なんとかね」

 森岡は昭燕の心情がわかっていた。留学時代、昭燕と奈津美は実の姉妹のように付き合っていた。そのような彼女にしてみれは、肉親の夫が遠ざかってしまったような寂寥感を抱いたのだろう。

「奈津美同様とはいかないだろうけど、宜しく頼むよ」

 森岡は小さく頭を下げた。

「森岡さんがどんな女性を選んだのか、お会いするのが今から楽しみだわ」 

 そう言った昭燕の瞼が潤んでいた。

「もう七年にもなるのね」

「早いね」

「奈っちゃんが生きていれば……」

「生きていれば」

「さすがに奈っちゃんが惚れ込んだ男だけのことはあるけど、生きていればさぞかし彼女の自慢顔が鬱陶しかっただろうなあ、と思ってね」

 昭燕は泣き、そして笑いながら言った。


 翌日、森岡は林海偉と海徳の二人だけを圓山大飯店の部屋に呼び出し、了承の旨を伝え、併せて周囲には断られたことにして欲しいと申し出た。言うまでもなく、台湾のブックメーカー事業から、彼の影を消し去るためである。いずれ、蜂矢には打ち明けるつもりでいたが、台湾の、特に外省掛には自身の関与を知られたくなかったのである。

 森岡は、最後まで郭銘傑にも林海偉本人にも『本省人の悲願』の内容を聞き出すことはしなかった。それは彼が、実に台湾民族あるいは国体に関わることだと推察していたからである。

 郭銘傑と知己を得たときから、少なからず台湾について学習していた。そこから見えてくるものは、おそらく中国との関わりのあることに違いない。つまりは、親中国として取り込まれるか、はたまた独立を保つかである。

 このときの森岡に明確な政治的イデオロギーは確立していない。ましてや他国のことである。彼にそのような極めて高度な政治問題に関わるつもりはなかったのである。 

 沈美玉は、無事日本の芸能界でデビューを果たし、歌手、女優として一世を風靡するマルチタレントになるのだが、それは数年後のことである。


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