第八話 迷子の迷子の子狐ちゃん!
あろうことか夕刻に目覚めたわたしに、いつも通りの眠気が訪れること叶わず。
その日は一夜さんとの歓談に時のたつのを忘れ、気がつけば辺りは明るくなっていました。
本格的に夜行性に目覚め始めた自分の身体に、若干の危機感を抱きつつ、ブナちゃん(マルモさん)の住み家であるブナの木の下。
陣取ったその根っこのスペースで、朝陽に瞼をしかめつつ、わたしは眠りにつくのでした。
そんで翌日。(気分的には)
というか、数時間後。(無情なる現実)
雨が大地を叩く音が響いていました。
空から落ちてくる雨粒は一切の容赦なく地を打ちつけ、森から色と音を奪います。
拳大ほどの水の塊――大粒の雨。
それを身体に受けて、痛くないはずはありません。
悠長にも寝ていたわたしは、昼過ぎに降り始めた雨に文字通り叩き起こされます。
木の根本ならば雨を回避できる、と思っていましたが、どうやらその算段は甘かったようで。
上から横から良いように殴りつけられ、着ていた白いドレスをしっちゃかめっちゃかにされ、髪をぐちゃぐちゃにされたわたしは、逃げ場所を求めるように和歌恵ちゃんのお家に避難しているのでした。
「いやー、災難だったねぇ。いーちゃん」
雨に蹂躙され、濡れネズミになったわたしをあたたかく迎えてくれる和歌恵ちゃん。
涙が出そうになります。
部屋の隅。
数日前に作った落ち込むためのスペースに三角座りをして、わたしはがくがくぶるぶると震えていました。
「あうぅ……まさかこんな仕打ちを受けるとは……。神さまはきっと、わたしのことがお嫌いなのでしょうね……。だからこんな迷子にさせたり、雨を降らせたり……」
ベットにうつ伏せになっている和歌恵ちゃんは、「あははっ」と笑います。
「神なんていないよー。少なくとも、あたしの中にはねぇ」
「……現実的ですね」
「んにゃ、理想主義ではありたいと思ってるよん。けど、やっぱりそれって理想でしかないからさー。他の自由意志に口出すつもりもないけど、『信じる者はすくわれる』……うん、いいんじゃないかなー。精々その足元がすくわれないよう、あたしは祈っているよ」
「……めずらしく皮肉っぽくないです?」
「ん?」
和歌恵ちゃんは明後日のほうを見、どこか納得するようにうなずいて、
「んー、雨だからかなぁ。あたしも雨の日は嫌いなんだよねぇ。日光浴できないしー、じめったいしー、アウトドア派のあたしにとっちゃ、きついもんがあるよ」
「……和歌恵ちゃん、アウトドア派でしたっけ? 部屋を見るに引き籠り気質全開ですけど……」
わたしは部屋に飽和し、積みに積まれた本の山々を眺めます。
どこからどうみてもインドアのそれ。
しかし、その突っ込みも虚しくスルーされて、
「言ったことを重ねるけどさ。だから、あたしは欲求を満たしてくれるものこそを望むんだってば。好奇心と自己満足の塊――それがあたしなんだねぇ」
「……無駄に説得力ありますよね、その台詞」
ざんざんざらざら、と。
雨が木を叩く小さい震動がお尻に伝わります。
どうやら外は本降りのご様子。
降りしきる雨は緑を育みますが、わたしたちのような小さいキノコにしてみれば、その壮大な自然は脅威でしかありません。
道に川を作ったり、暴風に晒されたり、あまつさえさらわれたりと。
おちおち昼寝も出来やしない。
まったくもう、ですよ。
たまらんですよ。
「いーちゃんはさ、なんて言うか……芯無さ気だよねぇ」
「いきなりなんですか。っていうか言葉選んでますよね、それ」
「あはは、バレたー?」
和歌恵ちゃんはけらけら笑います。
しかも選んでおいて結構辛辣なこと言われた……。
「芯、かぁ……。無い、かなぁ……」
「でもさ、それも良いところだよー。いーちゃん、なよったらしいから警戒心持てないしー。雰囲気が可愛らしいから、ついつい気にかかっちゃう。レアな属性だねぇ」
「属性って」
「『へたれ属性』だねぇ」
「うっ……」
なかなかに胸を貫くその言葉に、わたしはうめきます。
ずばり、という自覚もあったのかもしれません。
「へ、へたれ……ですか。わたしとしては凛として可憐な乙女になりたいものなのですが」
「それ、ギャグ?」
うめき。その二。
「けど、それが個性ってもんだとあたしは思うよー。『心の同じからざるは、其の面の如し』――ってね」
「む、また難しい言葉が出てきましたよ?」
「あはは、そんな難しくもないよー。考え方、感じ方、受け取り方、好悪がそれぞれ違うのは仕方ないってこと」
「うん……たしかに、当たり前のことではありますけど。それが?」
「自分と全く違う物を参考にしてさ、模倣してさ、変わろうとして変われるもんじゃないしー、それをストレスとするくらいなら望まないほうが生産的ってもんだ。……ま、その場合なにも生産してないんだけどねぇ」
「……むぅ? 話が見えませんね。望まない……ほうが良いってことですか?」
「いやいや、勘違いしちゃダメだよー? 変わらないってのは本質のことで。目的があればキノコは変わる、自分は変われるよ。強い目的意思を支柱に心は支えられてる、だからそれを強く持てば持つほど――」
「変わっていける、と」
んにゃ、と和歌恵ちゃんは首肯で応じます。
その拍子に被っていた帽子が、ころんとベットに転がりました。
「『義を見て為さざるは、勇無きなり』ってねぇ」
また難しい言葉を言って、万歳するように転がった帽子を取り、くしくしとかぶり直す和歌恵ちゃん。
わたしは眉をひそめます。
「んと、それはつまり、どういうことですか?」
「あはは。なんだろうねぇ。どういう意味なんだろうねぇ」
明らかに知っている風なのに、はぐらかされてしまいました。
むー、いじわる。
唇をとんがらせて、ジト目でにらみつけてみたり。
「うへへ、その顔もかぁーいぃねぇ。いーちゃん」
効果なしでした。
むしろ逆効果、みたいな?
「いやー、でも恥ずかしいなぁ。こういう自分の理論っぽいのを語るのは。楽しいんだけどねぇ。あたしもさ、こんな達観したようなこと言ってるけど、せいぜいお人好しなんだろうなーって思うよ。性根が面倒くさいことになってるんだろうねぇ、まあ」
いーちゃんだから、かもしれないけどねぇ。
と。
その言葉の真意はわたしにはわかりませんでしたが、なんとなく話の意図はつかめたような気がします。
望むことを見つめ、意思を強く持ち、歩みを止めないこと。
それが結果として自分を変える、と。
和歌恵ちゃんはそう言いたかったんではないでしょうか。
「とまれ、こういう雨の日は読書に洒落込むってのが乙なもんだ。いーちゃんもさ、自分の家だと思ってさー。ゆっくりしていってよー」
「……うん。ありがとう、和歌恵ちゃん」
わたしはお礼を言いました。
和歌恵ちゃんのマイペースに振り回されることも、それは多々ありますが、決して嫌な気はしません。このキノコの性格がそう思わせるのでしょう。
単純に、和歌恵ちゃんは良いキノコなのです。
根が素直。
だから真っすぐに物を言って、まっすぐに感情を表現する。
「……ふむ」
気を改めて、この雨の中、外に出れない暇をどうやって潰そうかと考えます。
見ると部屋中に敷き詰め、積み重ねられた本の山々。
その一冊を手に取り、読書を始める和歌恵ちゃん。
こうなるとわたしは暇です。
「……まあ、たまには読書もいいか」
呟いて、身近にあった一冊に手を伸ばします。
「……『言葉と物、キノコ文科学の考古学』……」
……いや、無理。
哲学は無理。
わたしは元あった場所にそっと戻します。
次。
「……『さまよえる胞子 キノコ学からの提言』……」
わたしのオツムじゃタイトルからして理解できません。
とりあえず、無理と判断。
お次。
「……『第三次キノコ・タケノコ戦争 ~アルフォート戦線で輝くパイの実~』……」
争い事は嫌いです。
同じ生き物なのですから、仲良くやりましょう。
はい、次。
「……『キノコとジュリエット』……」
ん、これならなんとか……?
ぺらっとページをめくってみます。
「――こ、これは――っ!」
冒頭からの魅力的な文体、そしてその内容にわたしは引き込まれます。
舞台は異界の森の中。
そこには『ニンゲン』という、巨大な生命体が跋扈していて、森に住む生き物すべてを牛耳っていた――
しかし、その『ニンゲン』一族であるジュリエットはひょんなこからキノコに恋をする――が、それは許されざる禁断の恋でした。
両種族は決して相容れぬ定めだったのです。
愛を誓い、共に暮らし、共に生活を営むキノコとジュリエットはあるとき事件に巻き込まれます。
『ニンゲン』に拾い上げられ、食べられてしまった同族のキノコが毒キノコだったのです。
ここから両種族の確執がより決定的なものになりました。
キノコの無害を訴えるジュリエット。
そして、それを証明するため、愛するキノコを口にして――
「……あぁ、なんということ……」
悲劇でした。
こんな悲しい結末なんて……あんまりです。
愛。
そして哀。
バッドエンドなんて認めたくない。けれど……けれど……
「シロタマゴテングダケなんて、食べちゃダメに決まってるじゃないですか……」
「あー、猛毒だからねぇ」
わりとそこらへんの林に生えているので、良い子は食べちゃダメです。
というか白いキノコは採取禁止! 色絵お姉さんと約束ですよ!
「……いーちゃん、それ誰に言ってるの?」
「こ、心の声を読まれたっ!? あなたはエスパーですか!」
「なにそれ。いーちゃんてば、たまに変なこと言うよねぇ」
……強いられているのです。
誰に? 誰かに。
「そういえばさー、故郷には帰らないのー?」
さらっと、気にする風でもないように和歌恵ちゃんは言います。
「……んと、それは……」
「あたしとしても、いーちゃんがいてくれたほうが楽しいから、それはそれで良いんだけどねぇ。でも、きっといーちゃんのお姉さんは心配している、と思うんだよねぇ」
「…………」
わたしも、帰りたくないわけはありません。
場所を知らないとは言っても、和歌恵ちゃんが探してくれたので、大まかではありますが当てはあります。
でも、
わたしはそんなに強くない……。
独りで旅をするだなんて――少し雨に打たれただけで、しょげかえってしまうくらいのわたしに、その勇気は期待できません。
この土地に永住してしまおうか、とすら思っている自分がいました。
姉のことは心の奥底にしまい、ここでのんびりと暮らしてしまおうか――と。
けれど、わたしはそれを本当に望んでいる……?
「…………」
ああ、そうか。
だから和歌恵ちゃん、あんな話をしたのか。
胸の奥が少し、しゅんと縮こまるような、そんな感覚を覚えました。
「……お姉ちゃん……、元気かなぁ……」
ドンドン
と、扉を叩く音が聞こえました。
「んー? こんな雨の日にお客さんとは、めずらしーこともあったもんだねぇ。いーちゃん」
和歌恵ちゃんと目が合います。
理解しました。つまり、『起き上がるのおっくうだから、いーちゃん出て』ということでしょう。
わたしは本を置き、立ち上がります。
そして扉を開けると……
ロリっ狐がいました。
背丈から槍ちゃんでしょうか。
その雨に濡れた姿からは、先日の元気さの欠片も感じられませんでした。
頬につたう雨……違う、これは……涙?
「おねーちゃん、椀が……椀がいなくなっちゃったの……」




