第六話 寝坊しました!
迷子になってはや数日。
なかなか寝付けない夜が続いていました。
馴れない環境がそうさせるのか、不安からくるものなのか、
「明日は和歌恵ちゃんと約束があるから、早めに寝なきゃ!」
そう思って目をつむりますが、やっと夢の中に入れるのが夜もふけ、鳥も寝静まるくらいになってから。遅刻は確実かと思われました。
しかし、律儀で誠実かつ可憐なわたしの性格なのか、約束の時間の前には、ぱっちりと目が覚めます。
あたたかい地面からひょっこりと顔を出すと、霧のかかった森。
朝特有のひんやりとした空気。
まだ静かな森には、早起きな小鳥のさえずりだけが響いていました。
「よいしょ……っと」
土から出、ドレスについた土をふるふると落とします。
長い髪をくしくし。
白薔薇の髪飾りも忘れずに……っと。
その場でくるっとターン。白いドレス、赤い薔薇を模した裾が、ふんわりと弧を描きます。
「んふふ、ばっちりです」
身だしなみを整え、準備万端。
さて、和歌恵ちゃんとの待ち合わせの場所に行こうか――
……と思ったところで目が覚めました。
「はわっ!」
慌てて起き出すも、すでにお日様は天高く。
木々の合間から差し込む陽光が、辺りを明るく照らしていました。
「えっ、え? もしかして……お昼っ!? 二度寝しちゃった!?」
なんというミス……。ちょっとブルーな気持ち。
わたしは急いで支度を始めます。
冷静になって考えてみたら、わたしはブナの木の根、その上に落ち葉をベットに寝ていたのでした。夢って、見ているときは意外と気が付けないものですよねー。
若葉に乗った朝露で顔を洗い、寝癖でバサバサな髪をとぎとぎ。
髪飾りをつけつつ、わたしは駆け足で待ち合わせ場所に向かいました。
苔の絨毯をはずむように走っていると、向かう先、道の一ヶ所に何やら黒い点のようなものが……。
「なんだろう、あれ」
手のひらサイズの黒点。
アブラムシ?
いやいや、彼らはあんな色していないし……。
「ていやっ!」
とりあえず踏んでみました。(好奇心)
すると、ぴょーんと、もの凄い勢いで地面が飛び出し、わたしは空の彼方へと投げ出されてしまいます。
「きゃー!」
その勢いは衰えることをしらず。
見る見るうちに森が小さくなり、地面が島となり、雲を突き抜け――あ、お日様こんにちわ。良い天気ですね。(錯乱)
そして、わたしは目の当たりにするのです。
それは菌類――ひいては、この地上に住む生き物全てを矮小と思わせるほどに雄大で、端麗かつ優美な――壮観な光景。
とても一言で言い表すことはできません。
しかし、強いて言うなれば、
「――地球は――青かった――」
と、呟いたところで目が覚めました。
「はわっ!? はわわわわわわ……っ!」
まさかの三度寝。
見ると、森はすでに夕暮れに紅く染まっていました。
どう考えても約束の時間は過ぎているご様子……。どうやら、わたしは夜行性になりつつあるようです。完全にブルーな気持ち。
「ううぅ……、どうしよう……。和歌恵ちゃん怒ってないかなぁ、嫌われちゃったかなぁ……」
どんよりとした雨雲が、わたしの中に雨を降らせます。
きっとこのまま青空を見ることなく、この黄昏と暗闇の世界で、その生涯を終えていくのでしょう。
薔薇嶺おねーちゃんに会うことも出来ず、故郷に帰ることも叶わず、この森羅万象の小さな小さな命として生まれ、その価値も意味も成さずに、ただぽつねん、と消えていく定めなのです。
地球は青かった。
だからなんだ!
どこを見回しても神さまなんていなかった!
「ぐすん。……なんで、地球は丸いんでしょうね……」
「……お主、何を言っておるのじゃ?」
「はや?」
地べたに土下座のような形で、さも、『いまわたし、落ち込んでます』を体しつつ、声に顔を上げると、
「…………」
そこには黒い女性がいました。
驚きの黒さ!
一瞬薄暗い背景に溶けて見逃してしまいそうになります。
純和風といったその風貌は、白の帯、黒の着物で白黒はっきり分かれていて、それは足元までしっかりと、白足袋に黒の高下駄を履いています。
長くつややかな髪も、もちろん黒色。
そのぱっつんと切り揃えられた前髪から酷く目つきの悪い瞳が、わたしを見降ろしていました。
「……あなたは?」
「そういうお主こそ、誰じゃ?」
しかめた顔をやや傾げられ、質問を質問で返されます。
彼女をよく見てみると、着物がなーんか溶けているような……?
髪もどこか毛先にかけて、なーんかしたたり落ちているような……?
いや、落ちてますねこれ確実に。
ぽたぽた身体が溶け落ちてますよね、泥っぽい墨汁のようなモノが地面を染めてますよね、液体ですか、もしかして液体なのですか。
「ブラックマタ―……みたいな? まさか未知の知的生命体?」
「なんの話じゃ」
「いえ、その……髪の毛とか、着物の裾から……なんか出てますよ?」
「……これはこういう体質なのじゃ。……キニスルナ」
「なぜカタコトですか」
「黙れ」
立ち上がって見てみると、意外と背が小さい。
わたしより身長は頭一つ分ほど低く、お菌形(※お人形のキノコ版)のような、つつましい可愛らしさがあります。
「なんと礼儀を知らん奴じゃ。……まあよい。わしの名は一夜。この森の夜を任されておる、黒肥地一夜じゃ」
「わたしの名は色絵です。凛として可憐なる乙女、色変色絵です」
ちょっと口調が移ってしまいました。
「色変……聞かん名じゃ」
「実は迷子なのです」
「はんっ、迷子とは。見た目通り間の抜けた奴じゃな」
「そう言うあなたは、見た目に反してちっこくて可愛らしいですね。ちょっと頭撫でさせてもらっていいですか?」
すっと出した手を、さっと避ける一夜さん。
ジトっとわたしを見る目。
前髪に隠れてよく見えませんでしたが、その両目は小動物を連想させるように、くりくりっとしています。
「……どうやら、お主……わしを完全に舐めているようじゃな?」
「そんなまさか。そのようなことは決して」
「なら良いが……。とりあえず、その愛玩動物を見るような眼を止めぬか、このたわけが」
だって可愛いんだもーん。
しかし、その物腰は気品に満ちていて、わたしより齢上であることは察しられました。
「それで……、一夜さんはどうしてこんな時間にお出かけを?」
「お主はわしの話を聞いとらんのか? 夜の管理を任されておると言ったろうに。まあ、それはよいが……。いやなに、マルモが風邪を引き、寝込んでおると聞いてな。しかし、あやつは意地を張ってか見舞いなんぞいらぬ、などと、たわけたことを言いかねん。じゃから、陽が落ちるのを待ち、寝静まってから家の中にこれを放り込んでやろうと思ってな」
「はあ」
持っている小瓶を掲げてみせる一夜さん。
どうやら中身はお薬のようです。
マルモ……、そういえば和歌恵ちゃんも言っていましたっけ。このブナの木に住んでいるピプシー・マルモさん。
風邪で体調が優れないとは聞いてはいましたが、わたしはまだ、マルモさんと顔を合わせたことはありません。
「したら、なんということじゃろう。その木の下に四つん這いになったキノコがいるではないか! ――というわけじゃ」
一夜さんはどこか芝居掛かった口調で言います。
「……それつまり、わたしのことですね?」
「うむ。お主の他に誰がいようか」
「けど、溶けてますよね」
「ソレガナンノカンケイガアル」
「なぜカタコトですか」
「黙れ」
一応……と言うと失礼にあたるかもしれませんが、固体のようです。
登場キノコ紹介
・黒肥地一夜
【融けてるキノコ】
以下、公式より抜粋。
■分類:ナヨタケ科ヒメヒトヨタケ属
■和名:ヒトヨタケ(一夜茸)
■娘解説:
純和風娘で黒と白で統一された和服に身を包む。
瞳の色は黒で、弱く赤い光を放つ。
以前は多くの一族を傘下に置いていたが、最近は別家系である事が判明してしまった。
目付きが悪いように見えるが、前髪のせいでそう見えるだけ、実は温和な目。
髪は黒髪ロングで前髪はぱっつん切り揃えられているが、毛先が液化するクセが有る。
そのため彼女の周囲には黒いインクがこぼれたような跡が残る。
爪は長く伸ばしており、色は黒。
ほお紅をさしているのだが、黒色しか使わない。
襦袢と帯は白で、着物は黒。袖の部分はまるで溶けたようなデザインになっている。
白足袋を履き、黒の高下駄を愛用。歩く様は実に気品に溢れている。
毛先が液化し、丸い水滴となって落ちるのは彼女の2番目のコンプレックス。
1番目は天才的に「酒に弱い」事。一口飲めばたちまち顔が真っ赤になる。
シラフの彼女は冷静沈着で物腰柔らかなのだが、飲酒時にその姿は消え失せる。
そんな醜い一面を知ってか知らずか、飲酒運転撲滅に大いに関心を示している。
追々
本種の傘は短期間でひだごと周辺部から黒く液化して落ち、胞子を拡散する性質を持つ。
その寿命の短さを「一夜で溶ける」と表現した和名だが、実際は2~3日ほど持つ。