第三話 変なキノコと出会いました!
ズリズリズリ……と。
「それで、どの辺りなのですか?」
「もう少しかなー。いやぁ、わるいねぇ。運んでもらっちゃって」
さらっ広い茶色い土の上。
絨毯のようにほわほわした地面を、動くものを見るなり迫ってくる蟻んこを撃退しつつ、わたしは和歌恵さんの足を抱え、彼女を引きずるように歩いていました。
というか、もろに引きずってました。
なぜかって?
いわく、
『あたしの足は退化しちゃっててさー、歩くっていう機能を搭載していないんだよねぇ』
らしく。
『だから、摺って』
というわけでして……。
なんだかなあ、と思わずにはいられません。
知らない森。
ここでは、わたしの住んでいた針葉樹林ではあまり見ない昆虫も、それは多々見ることができました。
広葉樹林は多種性が富んでいる――とは、姉から聞いた話ですが、
カミキリムシ(恐い)
ナガクチキムシ(ちっこい)
オサムシ(すごく臭い)
チョウ(まるでわたしのように麗しい)
など、初めて見る昆虫に、ついついと目を奪われてしまいます。
しかし、間近で見るカミキリムシのおどろしさは、なんと表現すればいいか……。あの触手みたいなの、長すぎませんかね?
それに先ほど遭遇し、醜態を晒してしまったのは内緒です。
いかんいかん。
わたしは姉のような、凛として可憐な淑女にならなくてはいけないのですから。
ともあれ。
わたしが和歌恵さんを引きずっているという、よくわからない図がそこにはありました。
傍から見れば、それはそれは危険なアレに見えていることでしょう。
小さな木影から森覗けば、
わたしがキノコを引きずってる~♪
あっぽー、あっぽー、あぽあぽあぽー♪
はい。
「というか、和歌恵さん」
「んー、『さん』なんていらないかなー。呼び捨てでいいよー」
「はあ……。なら、呼び捨てにさせて貰いますけど。それで和歌恵、質問なのですが――」
「いやーやっぱり、『ちゃん』のほうがいいかなぁ、そっちのほうが可愛いもんねぇ。『閣下』ってのも捨てがたいんだけどー」
「…………」
どうしよう。
このキノコ、マイペース過ぎ……。
「……和歌恵ちゃん」
「なぁーに?」
引きずられている彼女はどこか楽しそうに返事をします。
温かそうな灰色のコートはめくれて、おへそが丸出しになっていました。
「歩けないって絶対嘘ですよね? よく考えてみたら、出会ったとき木の上にいたじゃないですか」
「いーちゃんってば目ざといー。でも御明察かなー。ぶっちゃけ、あたし歩けるよ」
「ですよねえー(涙)」
だったら歩いてほしい、というのがわたしの本音です。
なんだか良いように使われている気がしてなりません。
「いやー、ほらあたし、お怠け属性だからさー。歩くの嫌いなんだよねぇ」
「そんな属性知りませんよ。っていうか、それだったら自分で歩いてください。まるで、『死体を運んでいるわたし』みたいな絵になっているじゃないですか」
「あはは、それ面白いー」
その場合あなたは死体扱いなのですけどー?
「知っていますか? 足は歩くためにあるのですよ」
「へえ? 足? あたしにとって、そんなものは飾りだよ」
すごいこと言いますね、このキノコ。
「それに足を使わなくたって進むことはできるからねぇ。いまのあたしみたいにー」
ほんっと、すごいこと言いますね、この菌類。
*
土地勘のない森を、和歌恵ちゃんの言葉を頼りに(引きずりながら)歩いていると、
「到着かなー」
と、めくれたコートが顔に掛かって、上半身がほどんど裸の状態になった彼女の言葉に、わたしは足を止めます。(ついでにその見事な二つのお山に若干の嫉妬を覚えつつ)
目の前には大きな枯れ木。
地面から少し高い、根元にある隙間――どうやら、その虚が和歌恵ちゃんの家のようです。
「わあ!」
おじゃましますー、と、木の扉を開け、中に入ってびっくり。
粗末な外観からは想像できないほどの広い空間、ベットにテーブルに本棚に本棚と本棚の上に本棚があり、天井からぶら下がっているバケットには本が山積みにされていました。
「本だらけじゃないですか!」
「ほら、あたし読書家だからさー」
「知りませんよ、そんな後付け設定」
「あはは、なにそれ。面白ーい。とりあえずさ、適当にくつろいでくれていいよー」
……とは言われましても。
床には所狭しと本が並べられているわけで……。(例によってタワー)
「あの、和歌恵ちゃん。そろそろ本題に入りたいのですけれど……」
「ちょっと待ってねー」
ベットに転がった和歌恵ちゃんは、ごそごそと部屋を荒らし始めました。
しばらくして、
「……あ、あったあった。たぶん、これだねぇ」
手に持つその本。
「『季節の風百選 ~法師は胞子を放資として捲く~』……なんですか、それ」
「風の本だねぇ」
「タイトルの無理やり感が半端じゃないのですけど」
「『導くキノコは理と利を考え、胞子を捲く』ってことかなー」
「いや、別にタイトル解説はいらんです」
和歌恵ちゃんは、ぺらぺらとページをめくります。
「あったあった。ほらー、ここ」
「ここ?」
「この山の麓が、あたしたちがいまいる場所だから――」
「ふむふむ」
「晩秋の季節風に胞子が流されて――」
「ふむふむ」
「んで、ここ」
「ここですか」
「だねぇ。ここから――ここまでの範囲」
「ふむふむ」
「でも話を訊いた分に、いーちゃんの住んでいたとこは、常緑針葉樹林っぽいから――」
「ふむふむ」
「もう少し北の、ちょっと小高い、この辺りじゃないかなー」
「……なるほど。どうでもいいですけど、さっきから『ここ』とか、『この』とか連発して、聞いてる人――というか、見ている人はわけわからないですよね。描写が面倒ってのもあるかもしれませんけど、手抜き感が半端じゃないですよ」
「『人』? なぁにそれー?」
「……えっ、あれっ? なんでしょうね、なにを口走っているのでしょうか、わたし……」
「あはは、いーちゃん面白ーい」
和歌恵ちゃんが出した本。
その挿絵の地図によれば、わたしの住んでいた森は、どうやらここから山を一つ越えた場所にあるようです。体長十センチ程度のわたしにとって、それは途方もない距離です。
……もしかして、大冒険の予感?
そのとき、
コンコン
と。
扉をたたく音が聞こえました。
「んー? 誰だろうねぇ、まだ春も早いから、起きてるキノコってのも少ないんだけどー」
ノックするのだれー? と、和歌恵ちゃんは言います。
すると扉の向こうから、
「槍だよ!」
「椀たよ!」
揃って甲高い声が聞こえました。
それはどこか幼い印象でした。
「あたしは留守かなー」
和歌恵ちゃんのその返事に、
「そっかー、残念」
「ざーねん」
しゅんした声はそれ以降、聞こえなくなりました。
「……いいのですか?」
「いーよいーよ、面倒だからさー」
「…………」
和歌恵ちゃん……。
いろんな意味ですごいです……。