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第十話 旅立ちの決意

「ねーた、ねーた」


 ぺたぺたと頬を触る小さい手に、わたしは起こされます。


「……まり……ちゃん?」


 ゆっくりと目を開くと、空を覆う木々の合間から薄い茜色の天幕がわたしの目に飛び込んできました。

 どうやら雨は止み、わたしは地べたに仰向けになって寝ていたようです。

 思考はもやもやと、頭の奥の方がずきんと痛みました。

 感覚を巡らせていきます。幸いなことに、特にこれといった外傷はないようでした。


 寝ていた?

 いや、気を失っていた。


 徐々に混濁した記憶が鮮明になっていき、わたしは自分が置かれた状況を、順繰りに思いだしていきます。

 椀ちゃんがいなくなって。

 和歌恵ちゃんと探して。

 川に流されかけている椀ちゃんを見つけ――そして、呑み込まれた。


「夕焼け……」


 雨のおかげで一日中薄暗かったせいか、時間感覚が少し曖昧になっていました。

 椀ちゃんの捜索を始めたのがお昼くらい。ともすれば、わたしは五時間程度、気を失っていたのでしょうか?

 視界を塞ぐように、椀ちゃんが心配そうな顔でわたしを覗き込みます。


「ねーた? おっきした?」

「…………」


 わたしは人差し指で、椀ちゃんのおでこをつついてやります。

 あうっ、と可愛らしい声をあげて、上体をのけ反らせました。


「……心配したんですよ、もう。……でも良かった。怪我はない?」


 閉じているんだか開いているんだかわからない細目をさらにぎゅっとつむり、こくん、と。

 とりあえずは一安心。

 しわくちゃだった椀ちゃんの顔には、笑顔が戻っていました。

 むぅ……、そんな笑みを見せられたら、怒るに怒れないじゃないですか。わたしも釣られてしまうじゃないですか。

 まったくもう、ですよ。


「さて、雨も上がっていることですし、暗くなる前に和歌恵ちゃんの家へと戻りますか」

「うん!」


 わたしが起き上がろうとした、そのとき。

 ほわり、と。

 地面に添えた手から光の玉が浮かび上がってきました。


 ふよふよ宙を舞う光源。

 たんぽぽの胞子のような、もの。


 ……はてな?

 えっと……わたしの胞子って、こんなに大きかったでしたっけ? こんなにほんわりしてましたっけ……?

 黙考一秒。


「いや、否っ!」

 

 ぎょっとして、叫びつつ、身体が硬直します。

 それはわたしの手をすり抜け、綿のように舞いあがり、上へ上へと昇っていきました。


「……なにあれ?」


 正体不明の光源を目で追いつつ、天を仰ぎ見ると、黒い煙がもくもくと上がっていることに気がつきます。

 視線を落とし、辿ってみると――川を挟んで十メートルほど先。

 どうやら雷が落ちたのか、その周囲は燃えた草木が炭と化していて、くすぶった煙をあげていました。

 そこからも一つ。また一つ、と。

 ホタルのような光の玉はゆっくりと地面から出てきて、そして空へと昇っていきます。やがて数を増したそれは、辺り一面をまばらに染めました。

 夕焼けに染まる森が星空に迷い込んだような、不思議な空間がそこにはありました。


「綺麗……だけど、なんだろう……」


 その光景にどこか切なさを感じます。

 胸を押されるような圧迫感。手を取ってあげたくなるような、不安な感じ。

 得も言えない焦燥感。

 この気持ちはどこからくるのか。

 しかし一旦思考を払拭し、夜が訪れる前にわたしたちは帰路に着くことにしました。




 *




 土地勘の全くないわたしですから、案の定また迷子になるのではー?

 という懸念は、ロリっ子、もといロリっ狐である椀ちゃんが見事に解決してくれました。

 流石は地元民。

 椀ちゃんも知らない場所のようでしたが、野生のカンというやつでしょうか。それのおかげで陽が落ちる前には、見覚えのある風景が眼前に燦然と参上してくださいました。


「椀のばか! ばかばかばか! 心配したんだから! すっごく心配しだんだから!」

「びぇえええ! おねーぢゃん! おねーぢゃん!」


 互いに抱き合う槍ちゃんと椀ちゃん。

 ぽろぽろと落ちる涙は、夕焼けのせいか、とても輝いて見えました。


「ううぅ……命あってのものだね、とはこのことですね……」


 思わずもらい泣きしてしまいます。

 やはり物語はハッピーエンドで終わらなければいけない。

 たとえ小さな冒険であっても、悲しい結末なんて誰も望んではいないのですから。


「……いいなぁ」


 ぽろりと口から零れた言葉。

 言って、胸にじくっとしたものを感じます。

 望んでいる。

 希望を。

 姉との再会を、遠い夢と感じている。

 叶わない、自分では叶えられない夢だと思っている。


 そんな――わたし。


 小さな彼女達の姿に姉妹愛、とはまた違うのでしょうが、それに近いものを感じました。

 長い尾を引く小さな二つの影に、自分と姉を重ねずにはいられません。埋めようと目を反らしていた、けれど心の寂しさは満ち潮のように、ゆっくりと押し寄せてきます。

 いつの間にか、気づかないうちに。

 感動で流したはずの涙は、違う意味を持って頬を伝います。

 わたしはそっと逃げるように、その場から去りました。




 *




 薄闇が夜に変わり、濡れた落ち葉に包りながら、わたしは考えます。

 雲の合間をゆっくりと歩いていく月。


「薔薇嶺おねーちゃんも……同じ月を見ているのかな……」


 案外、まだ土の中で眠っていて、まだ起きていないかも。わりと薔薇嶺おねーちゃんは寝坊助さんだったりします。

 たまにはわたしが起こしてあげるというのも、それは面白いかもしれない。


「驚くかな? 驚くだろうなぁ。もう、おねーちゃんてばいつまで寝てるのさっ! ……なーんて」


 牧歌的な未来を想像すると、楽しい気持ちになりました。

 その余韻はやがて孤独感を引き連れてきます。


「…………」


 凛とした静けさ。

 それは星の隠れた重たげな空全体に広がり、世界中で目を覚ましているのは、もしかしたらわたしだけなんじゃないかなぁ……とか。

 そんな風に、思えました。


「…………帰ろう。おねーちゃんのところに」


 旅立つ決意。

 久しぶりと感じる夜に、疲れた身体は融けるように染まっていきます。

 わたしはまぶたを閉じました。


 おやすみなさい――薔薇嶺おねーちゃん――



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