それは運命的な出会いだった(小野寺)
私の名前は小野寺 若葉 (おのでら わかば)です。
私は小さい頃から体が弱く少し無茶をするとすぐ熱を出すような子供でしたが、友達も沢山いて毎日楽しい日々が続いていました。
そう、いました・・・今はもうない私が幸せだった頃・・・・
私のすべての歯車は中学校2年生の時に狂いだします。
私が中学2年生の途中で40度近い熱を出してしまいました。
この時はいつものことなのであまり気にすることもなく、元気になったら友達とどこに遊びに行くかを考えていました。
しかし、この時の熱はなかなか治らす5日間寝込むことになりました。
私はこの5日間の高熱により耳が聞こえなくなってしまいました。
それでも優しい親は私の気持ちを考えてくれて普通の女の子として学校に歩かせてくれました。初めてつける補聴器があっても普段の会話の半分も聞くことができません。
なんとか頑張るのですが、他人となかなかコミュニケーションがとれなくなり、いつの間にか私は学校で孤立していました。
耳が悪くなってしまったと言っても他人にはこの気持ちがなかなかわかってもらえずに、仲の良かった友達も話すこともなくなりました。
苦しい毎日が続きましたが、周りの女子と同じように高校に行きたいという私のわがままを両親は優しく後押ししてくれて、無事に高校に進学することができました。
けれど入学式を迎える前日、両親は居眠り運転していた車との衝突事故にあい、二度と帰らぬ人となってしまった・・・
優しかった両親との突然の別れに私は一人部屋で静かにないた。私が部屋で泣いている間に私は高校の近くに住む親戚の人に引き取らられることに決まった。
ここからが地獄だった。親戚の人は私が難聴のせいであまり喋れないことを知ると、私に暴力をするようになってきた。
なんでもストレス発散にちょうどいいのだという。私が何故こんな目にあうのかわからない・・・
日に日に服の下に増える傷が体だけでなく心も蝕んでいく。私はもう限界だった。学校に行っても、私は葬式や親戚との手続きなどが有り最初参加できなかったので、もうグループができており、障害者の私が入れる隙間なんてなかった・・・
私は少しでも今の環境から逃げ出したくてある日荷物をまとめて家を抜け出した。探さないでください。 の手紙を置いて・・・
朝早くに家を出て私はあてもなく歩いていた・・・いつの間にか雨が降っていたらしい、傘をさした男の人が何か話しかけてくる。
補聴器があっても、雨の音で相手が何を言っているのかわからなくて首をかしげるが、相手はそのまま私をお姫様抱っこしてきた。
私と彼の始めての出会いだっつた