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鬱で死んだのに転生したら光属性だった件  作者: 天津風 英雄
【第一章】這い蹲ってでも
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【第九話】たった一人の夢を壊さぬように

 「グオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!」


 思えば、先程の─弱っていた魔獣の咆哮のことだ。

 あの咆哮─もし負け犬の遠吠えではなく、応援を呼ぶためのものだったら。


 だとしたら、とんだ戦犯をかましてしまったものだ。とは言っても、あの段階でそれに気がつくのはこの世界の生物学者レベルでないと不可能に近いだろう。


 それに、起きてしまったものは仕方がない。現状、時すでに遅し。

 目に見えるだけで二十匹は確認できる魔獣は、今もなお、顕著な殺意を向けて三人のもとへ駆けて来ているわけだが。


 そんなことを考えていると、ふとクゲルの動きに視線を奪われた。

 ズボンの裾を剣で削ぎ落とし、それをざっくりと亀裂の入った肩に巻き出したのだ。

 一時的な応急処置と言ったところだろうか。皮肉なことに痛々しげな傷口からは今もなお血が吹き出しており、止血をするにはうってつけの布だった。


「...ッ─あまり使いたくなかったが、自身の危機感の無さが原因...戒めとして使うとしよう」


 と独り言を零すとポケットから一つの小さな白いグミのようなものを取り出した。


「ん?なにそれ」


「──?」


 グミのようなものに視線を落とし、誉はまるで純粋な子供のような眼で聞いた。

 その問にクゲルは一瞬眉を上げて誉の眼を見る。するとすぐに眉を下げて微笑みかけ、


「あぁこれですか。これは”シェリーフルーツ”です」


 そう言ってグミのようなものを持つ手をこちらに伸ばしてみせた。

 誉が顔を近づかせるとひし形の模様がくっきりと見え、風に乗ってグレープティーのような独特な甘い香りが鼻に触れた。


 “シェリー”が何なのかはよくわからないが、”フルーツ”というぐらいだ。恐らく何かの実なのだろう。

 それにしてもクゲルからのシェリーフルーツの情報が過不足だ。そして、これ以上その実のことを話さなそうなところ、戦士や兵士の中では常識のことなのだろうか。


 しかし、シェリーフルーツが気になって仕方がなかった誉は、魔獣がまだ少し遠くにいるのを確認すると再び口を開く。


「──腹減ってんの?」


「違いますよ!!─回復薬です。知らないんですか?」


 数秒、クゲルを見つめた後、誉は口角を上げてからかうようにそう言うと、間髪入れずクゲルは声を張った。


 クゲルに呆れ気味でそう質問されるも、誉はなんのことやら。

 そもそも世界が違うし、と宙へ視線を飛ばして唇に指を当てる。


「はぁ、そんなこと言ってる場合じゃないですよ。早くあの魔獣を一掃しなければ──」


そう言って、クゲルが魔獣の方へ腰を落として踏み込む構えをした瞬間、


「え戦うの!?!?」


 と何もない荒野に声が反響するほど、喉を爆発させたのは誉だった。

 その声にはクゲルだけでなく、魔獣に怯え涙を瞳に溜めっぱなしだったハルすらも体をビクつかせた。


 思いの他の反応を見せられ、誉は流石に「あぁごめんごめん」と言わざるを得なかった。

 しかし、驚きで構えが崩れたクゲルからの反論はやけに真剣だった。


「逃げるんですか!?!?」


 そう返ってくると誉は言葉を変えて再び声を張る。


「逃げないの!?!?」


 そんな、とても戦士の口から出るとは思えないような言葉だったのか、クゲルは一瞬「えっ...」と口を歪ませて固まる。

 瞳の揺らぎが止まらぬまま、続けて


「──あなたそれでも戦士ですか!!」


 と言い放った。


 その瞬間、誉は「あっ」と声を漏らして咄嗟にハルの方へと視線を落とした。

 酷く怯えた目で誉、クゲルへと視線を動かした。瞳には相変わらず涙が溜まっている。


「それに、今ここで逃げたところで被害が拡大するだけでしょう」


「───」


 ごもっともだった。

 真面目だ。それに的確で、言い返す言葉が出ない。


 うつむくと一つのため息が耳に入った。

 きっとクゲルのだろう。


「どうしても戦いたくないというのならば、あなたはその子を連れて逃げて下さい。ここは私がなんとかします」


 その言葉の声色が誉にはどうも呆れたようには見えなくて。

 失望、そんな言葉似合う声だった。


 その瞬間、嫌だ、なんて言葉が頭に浮かんだ。

 自分はいくら呆れられてもいい。でも、戦士には失望しないで欲しい。

 きっと自分以外にも戦士は居て、その戦士たちはちゃんと威厳があって、戦士としての責任があったのだろう。


 それに、クゲルに図星を突かれたあの時、咄嗟にハルを見た自分に誉は内心息を詰めた。


 そして一番は、結局自分のプライドだった。

 ──自分のプライドが許さなかったのだ。


 確かに、クゲルの方が能力や賢さは上だ。

 だが、戦士という、権力だけは自分の方が上なのに、兵士一人を置いてせこせこ逃げるなど、誉のプライドが許さなかった。


「───」


 数秒の沈黙。

 どうする、なんて聞かれもせずにクゲルは構えを作り一人で立ち向かおうとしていた。


「─わかったよ、俺も戦う」


「──」


 言った。言ってしまった。でも、言えてよかった。

 さっきの張った声とは反対に、極端に小さな声にクゲルは踏み込む足を止めた。


 少し、間を開けた後に、


「...それじゃああなたは左の十匹を。私は右の十匹を相手します」


 と魔獣を見つめながらこたえた。太陽の逆光に照らされて風に揺れるクゲルの髪のシルエットが、どうも輝いて見えた。


 そこに失望の姿はなく、誉は肩をなでおろして「はっ」と無邪気に笑みを零すと


「戦士と兵士なのに相手する量同じなのな」


 と立ち上がってクゲルと肩を並ばせる。

 すると、ハルが二人に一歩近づこうとしているのを感じる。


 誉は突如、左腕を横に伸ばし、ハルの動きを止めて


「ごめん、ハルちゃん。ちょっと下がってて」


 と不器用な作り声で冗談交じりに格好つけていると「早く行きますよ!!」という厳しい声が横から聞こえて、「あぁすいません」と謝罪を余儀なくされた。


 ところが、隣を見てみれば砂埃だけが残っており、辺りを見回せばクゲルはもう魔獣の元へと着いていた。


「はっや!?もしかしてクゲル...怪我負わなかったらシンプルに強い...?」


 そんな言葉を零すとまるで正解だと言わんばかりに魔獣が「グオオオオオオオオオオオッッッ!!!」と吠えた。


「まぁいいや。見とけよ雷の力ぁぁ!!」


 クゲルを真似るように、腰を落として地面を一気に蹴り飛ばす。

 韋駄天の如く風をも塵に変える速度で魔獣の元へ渾身の一撃を──というわけでもなく、普通の速度で魔獣の元へ駆ける。


 乾いた風が目に染みるのを感じながらゆっくりと一つの瞬きをすると、左の拳を顔のすぐ横に振り上げた。同時に大きく両足を曲げて宙へ飛ぶ。

 もう眼の前の魔獣を見下ろしては、「にひっ」と不敵な笑みを浮かべる。


 思い切り体を右へ捻り、振り上げた拳に力を込めて前へ突き出した。

 その瞬間、雷光一閃が地を割り、風圧が姿形を表す様な、そんな一撃が魔獣に──


「あれ」


 ゴツ──という鈍い音は鳴った。確かに鳴ったのだ。

 しかしおかしい。魔獣たちの目を砕くほどの雷光が、自身の鼓膜をも切り裂く轟轟の雷鳴が──いつまで経っても誉は感じない。


 その直後に訪れた衝撃は唯一つ。


「──ッ!!」


 拳への衝撃的な痛みだった。

 白き一閃が誉の左拳に流れたのかと錯覚するほどの痛みだったが、見れば悲しいほどに何事もなく、ただ単に骨がボキッと逝ってしまっただけのようだ。


 拳が魔獣の右頬に直撃。顔面毛がこそばゆいと感じるのも束の間、その奥でゴツゴツとした骨を感じた。

 そのまま「ごぅぐっ」と喉を鳴らして誉の視界から失せる。


 殴られた瞬間、痛そうな表情を浮かべた魔獣だったが『それ以上に俺は痛いよ』と言いたくなる気持ちを抑え、歯を食いしばってうめき声を上げながら誉は右手で左拳(かんぶ)を包んだ。


──痛い、痛すぎる。


 手の甲から腕までを一直線に走る冷たく、規則的なリズムを刻む痛み。

 腕に力が入らない─というより、腕に力を入れることを脳が拒んでいるように思えた。


 一旦離れなければ。そう思えたが、思考で止まり。

 そんな事情など知らぬと、逃げる隙すらも与えずに両前から魔獣が黒い毛を靡かせて飛びつい来る。


 間一髪、誉は後ろへ足を跳ねさせて、白く鋭い牙の猛攻を躱した──はずだった。


「ぐあぁ!」


 腕の皮膚を抉られて、鋭く太い針が食い込んで、肉を裂いて、神経を断ち切って、血が吹き出る。

 牙は届かないと思っていた。だが、想像を遥かに上回る魔獣の跳躍力は、誉の回避に追いつくには十分過ぎた。


「ぁあ...!?あああああああああああ!!!」


 両手に一匹ずつ噛み付いて、誉を睨んで離れない。経験したことのない痛みに、患部も誉自身も泣き叫ぶ。

 その光景に冷たい中黃色の目を細めて魔獣はほくそ笑む。


 次第に強く、深く刺し込まれていく牙に誉は顔をぐちゃぐちゃにしては、また魔獣が目尻を下げる。

 どうすればこの痛みから逃げられるのか、どうすればこの恐怖から抜け出せられるのか。

 恐怖が誉の心を完全に厚く包み込んだのがわかった。


 逃げたい、抜け出したい、怖い、痛い。

 その一心で、遂に腕を振り動かした。


「どけぇぇぇゃあぁ!!!」


 しかし、後少しで貫通しそうなほど深く刺さった牙は、そう簡単に抜けることはない。

 むしろ、動かすことでさらに深く刺し込まれていき、深紅の濃血がより多く吹き出す。


 腕の骨の形が嫌でもわかる。骨に沿って痛みが走っている。それでも振り続ける。我を忘れるほど、一心不乱に。


 そんな無様に泣き叫んでいる誉は、魔獣たちの格好の的だった。噛み付く魔獣の後ろで走っていた魔獣が誉目掛けて飛びつく。

 その魔獣と目が合った。今度は顔だ。顔目掛けて大きく口を開けている。

 死んだ。終わった。


 逃げなければ。逃げなければいけない。はやく、足を動かせよ。何をしている。

 うるさいわかってる。わかっているのだ。だが、どういうわけか足が動かないのだ。


 あぁ、と誉は息を零した。

 ──これが、足が竦んで動けないということなのか。


「戦士殿ぉぉぉぉ!!!ぐあっ」


 隣で声がした。クゲルの声だと、すぐにわかった。

 恐らく、誉が叫んだことでクゲルがそれに気を取られてしまったのだ。

 そうでなければ今、あれほどまでに強く、勇敢な男が魔獣に襲われるはずがない。


 迷惑かけてばっかりだ、クゲルには。


 こんな、序盤もいいところで死ぬわけにはいかないだろ。クゲルのためにも、ハルのためにも。

 ルージュさんのためにも、そして──ハルの父親のためにも。


「──!」


 突如、誉の中で一つの突破口が浮かぶ。

 これならいけるかもしれない。

 噛み付いて離れないなら、もういっそのこと使ってしまえばいい。


 恐怖はある、当たり前だ。だが、死ぬよりはマシだった。

 『自決を果たした俺が言えることじゃないか』と誉は内心軽口を叩くと、大きく息を吸った。


「うおぉらぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 そして、顔へ飛びつく魔獣へと、重い左腕を引っ張り上げた。

 左腕に噛み付いている魔獣は『また無駄な抵抗を』と嘲笑するような目を向けが、誉にとってはそれが哀れだった。


 突き出した左拳は、飛びつく魔獣の眼の前を掠った。だが、それでいい。それが狙いなのだから。

 魔獣の目の前で拳が通り過ぎ、そして次に通るのは、腕に噛み付いた一匹の魔獣だ。


「ごぶっ」と正面の魔獣が確かに鳴いた。すると、腕に噛み付いていた魔獣も甲高く声を漏らすと、牙を抜いて吹き飛んだ。


 狙い通り、誉の思う完璧の結果となり目を輝かせた。感じた痛みのほうが大きく上回っているが。

 続けて飛び込んできた魔獣も、右腕に噛み付いていた魔獣を振り上げ、ぶつけて撃破。

 切らした息を吸うよりも先に立ち上がり、魔獣から急いで逃げる。


 両手に噛み付く魔獣は離れてくれたものの──


「くっそ...バカみたいに痛ぇ...!」


 ふと両腕の甲に視線を落とすと、百円玉サイズの円形の穴が腕の甲に二つ出来ていた。

 穴は真っ赤に染まっており、血がとどまること無く溢れ出している。

 そんな中でも右腕は特別痛かった。それも、腕の甲だけでなく屈側も痛かったのだ。


 嫌な予感──誉の感じるそれというのは、いつも当たってしまうものだ。

 右腕の穴に目を凝らせていると、山吹色の何かが動いているのが見えた。

 「あ...?」と声を出す間に、それが何なのかすぐに理解した。


「なっ...畜生あの魔獣ッ!!いくらなんでもやり過ぎだろうが...!」


 そう声を漏らすのも無理はなかった。今もなお、その苦悶に全身から冷や汗が滝のように吹き出し、悪寒が止まらないのだから。

 しかし、そうなっているのは痛みのせいだけではない。


 恐怖だ。普通に過ごしていれば起こるはずのない人体の異変が、誉の身体に起こっている。

 皮肉って言えば、右腕の風通しがやけにいいと言ったところか。

 そう、誉の右腕に空いた二つの穴、その被害は甲だけに収まらず、屈側にまで貫通していた。


 誉の目は、腕の穴を通して荒野の山吹色の地面を映していた。

 走る誉に吹き付ける風はこれでもかと腕の穴に痛みを植え付ける。

 誉は内心で、クゲルが食べていたあの実を今すぐにでも食べたいと叫ぶ。


 早くこの穴を塞ぎたい。痛いのは当然のこと、何より見るたびに走る嘔吐感と、脳裏に焼き付かれていく感覚がとにかく嫌だった。


「グオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!」


 風に当たらぬよう、左腕で右腕を覆いかぶせると顔をうつむかせて必死に走る。後ろで聞こえる魔獣の鳴き声に、耳をふさぎたい気持ちを堪えて。


「クゲルーー!!」


「な...戦士殿!?」


「今助けてやるからな!!」


 自分のせいで魔獣に襲われているクゲルを救うべく、誉は魔獣に噛まれないように足場に気をつけながらクゲルの方へ大回りで向かう。

 誉の上げたその声に、数匹の魔獣と、クゲルが顔を向けて口を開いた。

 誉の存在に気がついた魔獣たちは、クゲルなど目もくれずに駆け出す。しかし、誉は『まだまだ!』と目を見開いて大きく口を開いた。


「よし!魔獣共!──こっち来いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 肺に溜まっていた酸素を底につかせるほどの長い咆哮の末、誉の視界が一瞬ぼやけた。酸欠だ。それに次いで襲うのは肺の痛み。単純に肺を酷使し過ぎたせいだろう。

 ただでさえ荒かった息も、利用できる酸素がなく無様に咳き込む。つい先程嘔吐をし、喉が焼けたのと、叫んだのも合わさって、喉の痛みは誉に効果抜群だった。


 痛すぎて溢れ出る涙を穴の空いていない方の腕で拭うと、ふと背後を確認。誉は満足げに口角を上げて、不器用ながら不敵な笑みを浮かべた。

 面白いほどに上手くいった。背後の景色を見て誉が思ったことはそれだった。


「うおぉぉぉやべぇやべぇよ!!」


「今助けるッ!!」


「ああ!今すぐそうしてくれ!!」


 クゲルが体制を立て直し、誉目掛けて一心に走る魔獣共の背後についた。

 そして、クゲルは身を守ることなど気にせず背後から豪快に、また、確実に一匹ずつその頸を切り落としていく。


 名付けて『気を引いている間に背後から攻撃作戦』


 我ながら幼稚なネーミングセンスに驚くが、刹那。そんな軽口を叩けるほど心に余裕などない。

 当然だ。誉からしてみれば一匹倒すのに一苦労の魔獣が──言い換えてみれば、たった一匹に襲われるだけで死ぬ可能性が大いにあるとんでも化け物がすぐ背後に数十匹といるのだから。


 それに、誉の体力はそろそろ限界に突入するところだった。足が攣りそうで、それに関節に力が入らず、少し気を抜けば膝から崩れ落ちそうだ。


「はっ、はっ、早く...!早くしてくれないと、死ぬ...!!」


 情けなくしゃがれた裏声で天へ嘆くも、その声はクゲルには届かず。なにせ肺の酸素を空にしてから止めどなく走り続けてはや十分ほど。それも誉の体感であり、実際は一分も経っていないのかもしれない。


 熱い。通気性が最悪な季節違いの長袖のせいで、誉の衣服の中は体温を遥かに超えていた。体のあちこちから吹き出る汗は服にびったりと張り付いて動きを鈍らせる。

 背後からは魔獣の荒い鼻息が近づいてきており、ひたすらクゲルに祈るしか術はない。


 金属の鈍い音が遠のいていく感覚。天変地異が起きたのかと錯覚してしまう程のめまい。極めつけには、暗転する視界。

 喉の乾きも限界に達し、足の筋肉も微動な痙攣を引き起こす。


 しかし、どれだけ苦しくても誉は倒れるまで諦めないつもりだった。どこからともなく湧き出る生きたいという意思。懸命に一歩踏み込み地を蹴り走る。前を向いて、閉じてしまいそうな目を見開いたその瞬間のことだった。


「はっ...! 」


 咄嗟に息を呑んだ。呼吸のリズムが崩れて、喉が閉まって再び咳が喉を焼いた。

 喉が咳に呑まれて呼吸を封じられる。突如、視界の暗転が激しくなる。

 それでも、今すぐにでもクゲルに示さなければならないことがあった。自分の喉を殺してまでも、言わなければならないことが。


「クゲル!!───ハルが!!!!」


「...!まさか!!」


 誉は前を向いたまま、魔獣に剣を振りかざすクゲルに向けて叫んだ。その声に思い出したかのように息をつまらせて声を漏らすクゲル。

 視界の端に映った──ハル目掛けて走る魔獣に二人の目は目は険しくなる。無理もない、ただでさえ大勢の魔獣討伐に手一杯なのだから。


 絶望が誉の頭に渦巻く。迷いもだった。

 ハルを助けなければいけない。でも、もしこのままハルを助けに行けば、大勢の魔獣を引き連れて行くことになる。


 いや、行くだろ。行かないわけない。甘えんじゃねぇ。

 全身の激痛を忘れるなんて器用なことは出来ない。今すぐにでもこの痛みから逃げたい。

 でも、それでもやるしかない。誉はわからなかった、自分の中の原動力が何なのかなど。


 歯を食いしばってハルの方へ足を傾ける。再び大きく回る、魔獣に足を噛まれないように。

 クゲルも小さく眉を上げて誉を見る。まるで、戦士を見るような目で。

 間に合うか間に合わないか、そんな瀬戸際の距離を一心で走り続けていると突如、膝の筋肉が滑り落ちるような感覚に見舞われ、「ぇっ」と不意に声を漏らした。


 気がつけば誉の膝は地面にバタリと着いていて、次いで頭を地面にぶつけて倒れた。

 額や腕、膝が灼熱の光りに照らされていた地面に擦られ、肌が裂けて血が流れる。

 魔獣からしてみればそれは絶好のチャンスで、倒れた誉に覆いかぶさるように次々と魔獣が伸し掛かり、あちこち誉の体に鋭い銀色の牙を刺し込んでいく。


 「ぐあっ」という声が耳に入ると誉はクゲルの状況を瞬時に察した。

 しかし、抵抗しようとも、さきほどの疲労がどっと注ぎ込み、誉の訴えかけに対して体は一切反応しなくなった。


 「だぁぁぁ畜生!!!」と全力で叫ぼうと口を開けるも、出るのは掠れた吐息だけ。形のはっきりした言葉は、どれだけ必死に声を出しても出ない。

 喉が潰れた、という解釈で間違いなかった。もっとも、小さな声なら出るのかもしれないが。


 伸し掛かる魔獣の集団は肺をゆっくりと時間をかけて潰していく。呼吸もだんだんと掠れた声のようになっていき、意識が遠のいていくのがわかった。

 視界がぼやけて、魔獣の漆黒ですら抽象的に映り、最後にハルの居る方へ目を向けた。


 だが、映ったのはハルではなかった。ハルを遮って前に立ちはだかっている赤髪の男の姿だ。

 その男は片方の掌を空へ広げていた。何をしているんだ、という考えよりも先に、いつの間にこんなところに男が?という疑問が湧いた。

誉が走っている最中、一切その男の姿は見当たらなかった。ましてや赤髪の男だ、気づかないわけがないはず。


 そんな考えが頭に浮かんだ刹那、突如背中が焼けるように熱くなり、視界を炎のような赤橙色が埋め尽くした。

 すると、頭上から魔獣の悲痛な断末魔が響き、一気に体が軽くなる感覚を覚えた。 


読んでいただきありがとうございます。

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