【第五話】ルージュ・チロル
「家族か。」
そういえば俺が憑依転生した子だが、この子にも家族は居るのだろうか。いや、居るんだろう。そうだとしたらかなり申し訳ない状況で、更にはかなりマズイ状況だろう。
だって、人の息子の身体を勝手に乗っ取って、しまいには勝手に人助けして。
いや、人助けは良いことか。
いや、人の身体だし身勝手か。
それに、長いこと家に居ないってことは、いつか警察的な者を呼ばれてしまう可能性だって無いわけじゃない。
「...ん?」
ふと疑問に思った。
というより、頭からすっぽ抜けたような感覚だ。
なにか、大事なことを忘れたような気がする。
なんだ?──思い出せない。
街を歩く足を止めて俺は、ぼうっと頭を回した。
──はっ....
なんで俺──こんなところに居るんだっけ。
ガヤガヤとした街は嫌いじゃない。もっとも、トラブルがなければだ。
人々のにぎやかな声や、工事の雑音ですら、孤独を紛らわせる味方のようなものだ。
それに、子供の頃からこの街に馴染みがあるような懐かしさがあるのは──なぜだろうか。
街並みを眺めていると、本がたくさん並べられている店に目を引かれた。
店内は日差しがぱたりと遮断されていて、代わりに薄暗い不気味さが覆っていた。
本は果てしなく並んでおり、綺麗に並べられている棚もあれば、いい加減に積み重ねられている棚もあった。
俺はいつの間にか、その本屋に足を運んでいた。
本棚に挟まれた一本道。奥に行けば行くほど闇は増すばかりで、そんな道を誘導されるように進む。
年季が入っているのか、棚の所々にホコリが溜まっている。俺は不意に呼吸を謹んだ。
数々の本に目を奪われながらも奥の方へ足を踏み込んでいくと、店の一番奥に行き着いた。
右に曲がる角が目に入った。俺は只々無心で角を曲がろうとした。
しかし、棚の死角から徐々に何かが現れた。俺がその存在に気づいた頃には、”それ”にぶつかっていた。
「おわっ」
ドツン──と鈍い音がなってから、俺は人にぶつかったということに気づいた。
「いってぇ....」
痛みをどうにか和らげようと患部に手を当てる。唸りに近いような声が思わず口からにじみ出た。
反射で瞑っていた目を恐る恐る開けると、俺と同様、頭に手を当てて痛がっている年寄りがそこに居た。服はきっちりしているのに、髭は無造作に生い茂っている。その割には髪の毛は極端に少なく、清潔と不清潔を両立したようなおじいさんだった。
「あぁすんません。大丈夫っすか?」
俺はおじいさんの元へ歩み寄って、おずおずと両手を差し伸べた。すると、おじいさんの瞑っていた目が開き、丁度俺と目が合った。
「あぁ、大丈夫じゃよ。──あぁッ...!」
おじいさんが腰を起こそうとすると、突如唸りだした。「大丈夫っすか!?」ともう一度聞き返したが、瞬時に痛がる理由を理解した。
「あぁ...ははっ、安心せい。年の所為じゃよ。」
貫禄のある深いため息を一つ吐いた後、笑って俺の手をとった。
「ありがとうな。」
「いえいえ、ぶつかったのは俺の方なんで。」
おじいさんはうつむいて少し黙り込むと、店内を見上げるようにして「ほぅ。」と唸った。
「悪いのぉ、最近腰がだめで...隅々まで掃除が行き届いてなくてのぉ...」
「おじいさん、この店の店主なんすか?」
「そうじゃよ。”ルージュ・チロル”じゃ。」
身体をこちらに向けて、足をピタリと並べた。改まった様子で目を見開き、静かにそう言った。
「ルージュさん....いい名前っすね。....あ、俺は──」
「..あれ。」
「どうしたんじゃ?」
続けて俺も名乗ろうと口を開いたものの、とうとう名前すら頭からすっぽりと抜けてしまった。さっきの現象と全く同じだ。
名前があったことや、ここではないどこかで過ごしていたのも覚えている。そして──鬱だったということも、感覚として記憶に残っている。
「....なんでもないっす。」
静かに俯いた。視線が記憶をなぞる様にゆっくりと動く。不自然にポッカリと空いた記憶の穴を埋めるすべもなく、ただ気持ち悪さだけが記憶を覆った。
ちょうど回想が、ここに降りてきたところに差し掛かった時、不意にやらなければならないことを思い出し、目が見開いた。
「それより、迷子の子見なかったっすか!?」
思った数倍大きい声が出て自分でも少し驚いた。だが、それ以上に驚いていたのはルージュだった。
「迷子の子...?はて...見てないのぅ。」
「見てないすか...」
自慢でもなんでもなさそうな無造作に生い茂った髭を触りながら、ルージュは「う〜む。」と唸った。
一息つくと、ルージュは思い出したかのように口を開き始めた。
「....あぁじゃが、迷子かわからんが、小さな女の子が一人で”警報区域”へ向かって行くのは見たぞ。」
「警報区域?」
警報区域──そういえばあの男の人も言ってたな。確か、バイルグル付近と言っていた覚えがある。それに、魔物が出るとも聞いたけど大丈夫なのか。俺何も武器持ってないぞ。
「警報区域ってどこっすか?」
俺の言葉に何かを察したのか、ルージュは一歩詰め寄り、険しい顔を見せた。
「ん?もしや、行くんじゃなかろうな。もしそうなら止めておくべきじゃよ。それに、もしその子がそこに行ってしまったとて、兵士が保護してくれるはずじゃろう。」
「それじゃだめなんです。俺が見つけるって言っちゃったし....」
つくづく軽率に受け入れたことを恨む。昔はこうではなかったはずだ。まぁ、それすらももう覚えていないが。
「ん。その言い方じゃと、お前さんの身内じゃなさそうじゃが、そうなのか?」
再び、おじいさんは見逃すこと無く俺の言葉に噛み付いた。まったく、年寄りは凄いなと感じた。
「あー....実はそうなんすよ。どういうわけか口が勝手に動いて、気づけばこんな事になってたって感じっす。」
「ほぅ、そうか....」
俺は観念したように眉を下げて目を逸らして言った。
隠すことでもない、むしろ誇るべきことだ。だが、こういうときは見抜かれて残念そうにしているふうに見せるのが好印象だろう。
「あっちの方向じゃよ。”バイルグル荒野”じゃ。」
「バイルグル....」
やはりだ。だとすると恐らく、バイルグルという場所がここから一番近い警報区域なのだろう。
──ん。だとしたらかなりまずくないか。
だってもしルージュさんが言っていた子がハルちゃんなら、バイルグルにもう着いている可能性がある。
一刻も早く向かわなければならないのでは。
「どうかしたか?」
おじいさんが心配そうな表情で、顔を覗き込ませる。その時、自分の表情が酷く強張っていることに気がついた。
「あぁ、いえ。なんでもないっす。それより、ありがとうございます。」
ころっと表情を変えて、おじいさんの心配を解こうとした。
今すぐにでも向かわなければ、ハルちゃんを救うことはできないだろう。
「...そうか。まぁ力になったのなら良かったわい。まぁ。この期に及んで人助けとは──光愛の神威の持ち主かな。ほっほっほ。」
「あははは...じゃあ俺、行きますね。助かりました。」
聞き取れなかったのか、単純に言葉の意味が理解できなかったのか。いや、後者だろう。
俺は苦笑いを浮かべた。
「ほう。くれぐれも魔物には気をつけるんじゃぞ。」
「はい!」
活気のある芯の通った声で返事をすると、俺は店を後にした。
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