【第二話】生き直し
「○$&◎%$@て!」
落ちる感覚がまだある。海に沈んでいく感覚に似ている。
「は$&!」
誰かが叫んでいる。ずっとだ。女の子っぽい─が、知らない声だ。
それに、耳を澄まそうとも声ははっきりとしない。一瞬、本気で海に沈んでいる可能性を考えた。
「は$く!」
バッ、と思い切り手を掴まれる感覚が右腕に刺した。小さな手で─冷たい。それに力が弱いのか、俺の体重が重い所為か、引っ張り上げるのに苦戦しているようだ。微かながら力む声が聞こえた。
「もぉ〜」
籠もった声がしゅっと抜けて、はっきりと声が耳に入った。
「早く起きろぉぉぉぉっ!!!!」
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
潰すほどの力で腕を握られ、その痛みで身体が飛び起きる。その勢いで、声の主だと思しき少女をぶっ飛ばしてしまった。
状況が渋滞して呼吸の仕方を忘れる。少女が「いてててて...」と声を漏らしながら身体を起こすと、ふいに俺と目が合った。
「も〜やっと起きた!あんたどんだけ寝るのよっ!」
口を膨らませて彼女は言ったが、俺は唖然としていて何も感じなかった。だって俺、さっきマンションの十五階から落ちたんだから。普通なんで生きてるのか考えるのが先だろう。
打ちどころが悪かったのか。─いやいや、打ちどころが悪くても十五階から落ちたらぺしゃんこでは?
「ちょっと聞いてる!?」
じゃあ、ここは黄泉の国ということか。それにしては周囲が黒すぎる。俺とこの子以外誰も居ないってことは地獄?
一点病の如く無言で少女を見つめていると、後ろに退き始めた。さっきまでの威勢の良い目付きはどこえやら、今度は警戒の目でこちらを見つめてくる。
「ここは、どこ?」
警戒の目を向ける彼女に、どうにか警戒を解こうと質問を投げかける。そもそも彼女の正体すら知らないのだから、名前から聞けばよかったと思った。
「やっと口を開いたわね。」
彼女は肩を落として小さくため息を吐いた。そして「やれやれ」と言わんばかりの目付きに変わり、腰に手を置いた。その目はどことなく不愉快で、さっきの目付きのほうがマシだと心の中でそう感じた。
「ここは、虚無の世界。」
「虚無...?」
虚無という言葉に理解するのが遅れる。虚無というのは、何もない世界ということだろうか。
「そう。ここは、死者が最初に訪れる場所よ。あなたは、高いところから飛び降りて、自殺したのよね?」
そうだ。俺は飛び降り自殺をした。そして、ここに居る。何とか頭が追いついてそうだ。
それにしても、死の先が本当にあるだなんて。身体が空を切ったときもそうだったが、初めて知ることが多い。まぁ、どれも死ぬ直前に知ることなのだから当然だが。
「ん?」
彼女の言葉に引っかかりを覚えた。なぜ俺が高いところから飛び降りて死んだことを知っているのだろうか。そもそも、ここのことを知っているのもおかしい。
「なんで俺の死因を知ってんだ?お前、何者?」
その言葉に彼女はニヤリと微笑んだ。まるで、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに。すると、早々に立ち上がり両手を広げた。白いスカートがひらひらと揺らぎだす。
「自己紹介が遅れたわね。私は逢神。死者を閻魔様の元へ送る案内人ってとこよ。」俺の方へ手を差し出した。その手を掴んで立ち上がると、続けて握手を交わした。相変わらず手は冷たい。
彼女は妙に冷静だった。その所為で、俺はその言葉にあまり驚けなかった。というか、さっきから驚くことが多くてもはや慣れたような感覚だ。
「死者を閻魔様のもとへ...つまり、お前は閻魔様の使いってこと?」
驚きはせず、淡々と状況を飲み込もうとしていると、彼女は目を見開いた。続けて明らかにがっかりとした様子を見せて口を開く。
「なんで驚かないの!?ここにきた人は全員、私の話を聴いて驚くのに!」
突然、透明度の高い色白の顔が俺の顔の数ミリにまで到達する。俊敏な動きに思わず距離を取ると、彼女はハッとした様子で固まる。
「もしかして、警戒してる?」
上目遣いで顔を覗き込む姿はまるで天使の様だった。いや、でも実際は神なのだから女神という表現が妥当だろうか。
「ま...まぁ、そんなとこかな...」
その上目遣いに耐えられず、俺は目をそらした。実際の所、俺は異性に対する対応が昔より鈍っているのだ。それも、鬱で寝込んでいるのが関係するのだろうが。
「えぇ、私神よ?なんで警戒する必要があるのよ。」
「いや、別に。」
なんとかごまかそうとするも、心理的な反応は避けられないものだ。耳が熱くなっていくのがわかった。
「ふーん。」
彼女が興味なさそうに声を漏らした。照れているのがバレたと思っていたがそうでもなかったようで、少し安堵した。
「あ、そういえば!」
と思えば逸らしていた目を再び合わせて、拳を握りしめた。その手が飛んでくるとでも感じ、俺は思わず両手を前に出して顔を守った。
「あんた寝すぎよ!あんたが虚無の世界にきてから現世で言う一日たったのよ!?」
腹の底に溜まっていた言葉を一直線のビームとして吐き出すように、凄まじい怒号が俺の耳に刺した。ただでさえうるさかったのに、どういうわけか反響して更に強く響いた。
「仕方ないだろ。俺ずっと意味わかんねぇ夢に魘されててまともに寝られなかったんだし。」
夢というのは昨日の夢のことだ。昨日だけではなく、ある日を境にずっと見ているが。
「夢?」
彼女が唇に指を当てて宙を見上げた。別に引っかかるところでもないだろうと思ったが、その直後に納得した表情を見せて俺にこう言った。
「あぁ、それね。」
彼女の言葉に思わず変な声が出た。
「お前、俺が変な夢見てたの知ってたの?」
と俺は訊いたがその瞬間、神なら人の夢を知っているのも普通なのか?と俺は心の中で首を傾げた。
「というより、その夢は──神があんたに見せていた夢ね。」
「は?」
彼女の言葉が脳に刺したその瞬間、俺の頭の中は白一色に染められた。最初にその上から塗られたのは困惑の色だった。その次は怒りの感情だ。
意味がわからない。なぜ俺にあんなにも生々しい人の死ぬ瞬間を夢として見せたのだろうか。
「神が見せたって─どういうことだよ...!」
「落ち着いて。その神っていうのは私じゃないわ。」
彼女に向けていた鋭い目線がぷつんと切れるように、はっと身体が跳ねた。まさか、自分より幼い子供に宥められるとは思ってもいなかった。
「私を創った神がそうしたの。」
「お前を創った神?」
耳では理解できたが脳が理解できず聞き返すと、彼女は小さく頷く。
「──何の為に...?」
「さぁね。あの人の考えてることなんて私は疎か、他の神ですらわからないわ。」
彼女はそう言いながらゆっくりと辺りを歩み始めた。
「他の神...」
俺は脳に飲み込ませるように小さく呟いた。当たり前が過ぎて頭になかったが、そういえば神は一人ではない。とはいっても、俺が知っているのは”アマテラス”くらいだが。
そんなことを考えているとふと俺がここにきた意味を思い出した。
─そうだ。俺はあの夢から逃れるためにここに来たんだ。
「おい、逢神。俺を閻魔様とやらのところに連れてってくれよ。」
少し離れたところに居た逢神のほうへ身体を向けて声を張り上げた。すると逢神はコンパスのように片足を支点にくるっと回って俺と目を合わせた。当然、快く受け入れてくれると思っていた。だって、俺の頼みは逢神の仕事そのものだったからだ。しかし、実際は顔を曇らせて「あー...」と何か問題があるかのように目を逸らした。
俺は眉を顰めた。「なんかあったか?」なんて言うと、逢神は逸していた目を再び合わせて言った。
「それは出来ないわ。」
「え?お前さっき言ったじゃん。死者を閻魔様の元へ送るのが自分の仕事だって。」
「確かに私はそう言ったけど、あなたはそっち側の人間ではないわ。」
「...そっち側?」
そっち側ってなんだ?閻魔様の方へ連れて行かれる側だろうか。俺が呆気にとられていると、容赦なく逢神は続けた。
「...あなたは今から──別の世界に飛ばされるの。」
その言葉で更に頭が真っ白になった。思わず「はっ...!?」と声を上げてしまうほどだ。ただでさえさっきからずっと意味がわからないのに、俺の進む道ですら変えられてしまった様な気がした。
「どういうことだよ!別の世界って─異世界ってことか...!?」
「そう。」
さっきより明らかに冷徹な声だった。まるで神としての人間との立ち振舞を思い出したかのように。
「なんで俺なんだよ!?そもそもお前の仕事は、閻魔様のところに俺を送ることだろ!?」
「そう、私の仕事はそれだけだった。でも──決まりが変わったのよ。神の気まぐれというやつね。」
冗談だろうか。だとしたら笑えない冗談だ。俺の人生を終わらせておいて神の気まぐれで済ますとは、本当に敬うほどの価値ある者だろうか。少なくとも、今の俺にはそうは見えないが。
「気まぐれだと...?」
拳を握りしめて右足を一歩前に踏み出した。閻魔様の審判を逃れられたんだ。異世界に飛ばされる前に一発殴りたい。
強く握りしめた拳を見た逢神は目を虚ろにして手を前に伸ばした。何をしているのかなんて考える余裕はなく、ただひたすらに逢神の頬をめがけて突っ走った。
「はぁ、やっぱり人間にはわからないのね。」
周囲に広がる無限の黒が一つの立方体に収縮していくかのように、時空の輪郭が動き始めた。逢神は小さくそう呟いた。彼女の言うとおり、俺には最初から最後まで何もわからなかった。虚無の世界や閻魔様、神や逢神の事ですら理解できなかった。ここでの出来事は、異世界に飛ばされたら忘れてしまうのだろうか。もしくは、下界で暮らしていた記憶すらも無くなってしまうのか。
拳を大きく振り上げて、もすうぐ目の前の彼女に向けて不器用ながらも思いっきり突き出そうとした。しかしその瞬間、遂に立方体は彼女を包んで遠くへと離れていく。拳は頬より数ミリを空振った。
その時、彼女の独り言が聞こえたような気がした。
「理解者なら一人は居たけど─あれはあれで問題があったわね...」
確かにそう聞こえた。やはり俺はその言葉の意味を理解できなかった。まるで、常人では踏み込むことの出来ない神の域を静かに見せつけているようだった。
逢神の姿が見えなくなった時、足場が消えていることに気がついた。下を見てみれば相変わらずの真っ黒だが、いつまで経っても地に足が着かないのだ。それも、身体が風を切っている感覚もする。
落ちる感覚で必然的にマンションに落ちる時の記憶を思い出した。しかし、視界はゆっくりではなくニュートンの法則に則ってしっかりと普通の速度で落ちていた。
しばらく落ち続けていると、ふと、ある一点が白く光っているのを見つけた。それは次第に光を増して、ある時に爆発するように展開された。
視界いっぱいに広がるのは黒髪の青年とその家族や仲間と思しき人物。その誰もが西洋の服を身にまとっており
ある光の中には赤い火
ある光の中には青い水
ある光の中には緑の風
ある光の中には黒の輪郭
を生み出し自在に操る者の姿が見えた。
「なんなんだ─これは...」
おもわず息を呑んで瞠目した。
異世界の一部を見せているのかとも考えたが、全ての光に必ず同じ黒髪の青年が映っていることから、すぐにその可能性は低いと考えた。
後ろを振り向くも光は絶えず敷き詰められており、変わらず黒髪の青年は映っていた。
斜め読みをするかのように、大雑把に見ていると、とある光が真っ赤に染まっていたのが見えた。それも一つじゃなく、所々の光に映し出されていた。
その光に気づいた途端、急激に光は遠のき、収縮し始めた。そんな中で、真っ赤に染まった光が何なのか見たくて、目を凝らしてそれを見ようとした。
それが見えた時、俺は胸がきゅっと締まる感覚と、動機が強くなる感覚に襲われた。
光に映し出された赤色の正体は──筋肉の繊維だったのだ。断言できる。
人の肌を引き剥がしたような姿に、ギョロッとした二つの目玉。それは、人間のようにも、化け物のようにも見えた。
やがて光は完全に姿を消し、再び真っ暗な世界が訪れた。しかし、さっきと全く同じではなかった。
視界を落とせばそこには荒波が立つ大海原が広がっていたのだ。特別、横吹の風があるわけでもない。それなのに、不思議と立つ荒波はまるで、俺の感情を表しているようだった。
バシャンッ──と大きな音を立てて海にぶつかった。しかし、なぜか身体の痛みは一切感じなかった。真っ先に感じたのは逢神と同じ──冷たい。という感覚。
反射で目をつぶったまま開けられなかった。目の前に何が広がっているのか見えない。ただ、沈んでいく。思考を止めたまま、只管に。
海の底に着いたのだろうか。右半身が地に着く感覚が走った。それも、久方ぶりという感情を連れて。
だがおかしい。耳の籠もった感覚も、冷たいという感覚も消えている。それとは相反してはっきりとした鳥のさえずり、温かく優しい陽光。
恐る恐る目を開いた。
「ここは...?」
辺りは見渡す限り木。最初は森かと見ていたが、どうやら林のようだ。どっちでも良いような気がするが。
「...そうか。」
どうやら俺は──これから人生を”生き直し”させられるらしい。
ご一読いただきありがとうございます。
この度、ネトコン14に応募する事になりました!
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